46.虎のソー(ส)
トーパタック(ฏ)の文字保有者レックは突き棒で地面を突き、その反動で空を飛んだ。
俺とクマリーとプラトゥを連れ、トータオ(ต)の字を持つユアユの居場所へと向かう。
* *
レックと彼にしがみついている俺たちは上空で放物線をえがきながら、いくつもの町や街道、山や湖を越えた。
そして前方の眼下にまるで亀の甲羅のような形状の山を捉える。
くすんだ緑色でおおわれた山であり、湾曲した稜線が空に向かって張り出している。
ビブラートを利かせてレックが言う。
「あれがクン・ユアユの住む山……プーカオ・グラドーンさ」
かたちからして甲羅山とは言い得て妙な名前だ。
「じゃ、今から着陸態勢に入るから三人ともオレチャンから絶対に手を離さないでくれ」
右腕をつかむプラトゥと左腕をつかむ俺と首に手を回しているクマリーにそう伝えたあとレックは両手に持った突き棒を握りなおす。
銀色の臼のようなかたちの先端を真下に向ける。
その穂先で空を突く。するとレックの体がいったん浮き上がり、一瞬間だけ静止した。
あとは山のくすんだ緑色めがけて落ちる。
定期的にレックは臼の先端で空を突き、落下速度を弱めた。
そうして、くすんだ緑の葉っぱを持つ木と木のあいだの山肌にゆっくりと着地する。
レックは迷彩柄の靴で足もとの緑の葉を踏んだあと息をつき、首を左右にやって俺とプラトゥとクマリーを見た。
「みんな着いたよー」
「ありがとー。さすが突き棒くんだねー」
プラトゥは白くにごった群青色の瞳をまたたかせ、レックのパッチリとしたえび色の目に笑顔をやった。
俺とクマリーもここまで運んでくれたレックに感謝の言葉を伝えた。
それから木々のあいだを抜けていく。プラトゥ、レック、クマリー、俺の順で縦に並んで進む。
あたりの空気はほどよく湿気を含んでおり清涼だ。
頭上からは葉っぱをすり抜けた日の光が差し込み、湿気を帯びた俺たちの肌を温める。
褐色の小鳥が木の枝の上で鈴を鳴らすように「チュチュチュチュ……」と鳴いている。
クマリーがバックで飛行しつつ俺にささやく。
「あのかわいらしい声を上げている生き物はなんです?」
「サメビタキだと思う」
俺も声を抑えて答えた。
続いてクマリーは別の枝にとまっている鳥を左手で指差す。俺から見て、向かって右斜め上にいる鳥だ。その鳥は全身が鮮やかな緑色である。まるで宝石のような輝きだ。
「え……っ、なんですかあのきれいな緑の鳥さんは……。精霊でもないようですね……っ」
「俺も見たのは初めてだ。あんな鳥もいるのか」
釣られて俺も息をのむ。
「まさにモーラゴット……エメラルドみたいだな」
「นั่นนกเขียวปากงุ้ม(あれはミドリヒロハシ)」
プラトゥが歩きながら振り返り、緑の鳥の名を教えてくれた。
「どう? 兵隊くんに指輪ちゃん。この世には精霊と人間以外にも美しい生き物がいるってあらためて思うよね。というか生き物は存在している時点で例外なく美しいんだわ」
「さすがです! プラトゥ師匠っ!」
クマリーがバック飛行をやめ、俺に背を向ける。
「ほかにはどんな生き物がいるんでしょう……っ」
「そうだね、虎とか?」
プラトゥは、頭にかぶせた金色の供物台の皿を右手でさわる。
「一般的にはオレンジ色の体に黒い縞模様を浮かべたとっても強くてかっこいい動物なんだわ。まあ……すべての虎がその特徴に当てはまっているわけじゃないけれど」
そして彼女の言葉が終わると共に、俺たちは林のなかから抜けた。
足もとには緑の葉っぱの代わりに薄茶色の土が広がる。
遠くから、かすかな水音が絶えず聞こえる。そのため、林から響くサメビタキの鳴き声が少しだけかき消される。
(滝でもあるのか?)
さらに前方には薄茶の崖が立ちはだかっていた。
崖には、地面と接する高さ二メートほどのだ円の穴があいている。
プラトゥが穴に近寄り、内側の暗闇に向かって話しかける。
「虎ちゃ~ん、アタシアタシー」
酒焼けしたようなその声が大きく反響する。
「あっつあつの石炭持ってきたよー」
「え、プラトゥさん。ありがとうございま~す」
ほわほわした女性の声が洞窟内から返ってきた。
早歩きの足音を鳴らし、穴から女性が現れる。
にび色の髪を持っており、その毛並みにはどこかクマのような自然の美しさが感じられる。
頭頂部の左右の髪が、まるで動物の一対の耳のように盛り上がっている。
また、ほおの横に垂れた髪もボリュームがあり、そちらもまた一対の耳に似ている。
実際の耳はにび色の髪で隠されているようで、確認できない。
髪には弓なりのヘアバンドがつけられている。
そのヘアバンドの色は髪と同じだが、前面に緑の宝石が三つはめられている。
ちょうどその宝石と同じ大きさを持つ彼女の目はにび色だ。
容姿には子グマを思わせる愛らしさがある。
服装は髪や目と同一のにび色を基調としている。
袖のないトップスと二の腕まで届くアームカバー、ホットパンツ、ニーソックスで体をつつむ。ただしそれぞれの布地はやはりクマの毛並みのようで、かつ横縞の濃淡を作っている。ホットパンツの背面には短いしっぽがついている。
ちなみに靴は墨色で、厚底ではない。
そんな女性がプラトゥの右後ろに控えているレックに目をやる。
なぜかそのとき……ほんの一瞬ではあるが、女性のにび色の目がヘアバンドの宝石と同じ緑に変わったような気がした。
「あ……レックくんも、来てたんだ……こ、こんにちは」
「こんにちは、クン・ミー」
レックがやわらかくあいさつを返した。
ミーと呼ばれた女性は顔を赤らめ、今度は俺とクマリーに視線を向ける。
「えっと……あなたがたは?」
「わたしはトータハーン(ท)の文字を持つアーティットと申します」
このあいだ図書館塔の大部屋ですれ違っているので実際は初対面ではないのだが、彼女とこうしてじかにあいさつを交わすのは初めてだ。
しかし彼女は小さく笑って俺に言う。
「そんな他人行儀にしないでいいですよ、アーティットさん。ワタシも普通に話します……話すからっ! アーティットくん!」
「あ、ああ。分かった、ミー」
俺は短くうなずいた。
続いてクマリーが俺の左横に浮いた状態で前に出る。
「クマリーはクマリーです! よろしくお願いしますっ」
「うん、よろしくね」
にび色の髪の女性は優しく返答した。
続いて彼女は両手を後ろに回し、自己紹介に移る。
「【ส】ソースーア・ミー、つかさどる字は虎のソー。ワタシは普通の人間だからね……絶対普通の人間だからねっ!」
「は……はいっ! ミーさん!」
少々けおされながらクマリーが返事をした。
そしてプラトゥをちらりと見る。
「ときにプラトゥ師匠。ミーさんにお届け物があるのではっ」
「おや、指輪ちゃん。自分も文字をなぞりたいだろうにアタシと虎ちゃんを優先してくれるとは、いい子だね~」
プラトゥは頭の供物台を外してひっくり返した。
やはり供物台は円筒形の台に深皿が載っかったような形状である。
金色の皿のなかには、なにも入っていない。
その皿に、プラトゥがフッと息を吹きかける。
「……スム」
詠唱と共に皿から赤黒いもやが発生した。
だが、もやはすぐに晴れた。
そして皿のなかには、今まで存在していなかったはずの薄茶色の大きな袋が置かれていた。
(おそらくさっきの赤黒いもや自体がピーであり、そのピーが袋を供物台に置いたんだろう)
白いヒモで口を縛ってある袋だ。
材質自体は革に見える。ちょうどミーの胴体くらいの大きさだ。角張ったものがいくつも入っているらしく、袋の輪郭はカクカクしている。
袋を受け取ったミーが左手で袋の下半身をささえながら右手でヒモを緩め、なかを確かめる。
そこには黒い石炭が詰め込まれていた。
燃焼しているようで、ところどころが赤い。
「ほわわ~。ごくりっ!」
つばを飲む音が聞こえた。
ミーのにび色だった目が、また一瞬だけ緑を帯びる。
「これ絶対アロイよ! 感謝します、プラトゥさん!」
「どもどもー。ちなみにその袋は『袋ちゃん』の袋だからこの程度じゃ燃えないんだわ」
なぜミーが石炭に対してアロイ(おいしい)と言ったのかは不明だが……袋ちゃんというのは「袋のトー(ถ)」の文字保有者トートゥン・トゥアムのことである。
「ホントは図書館塔に集まったときに渡すつもりだったんだけど、前の指輪くんや蛇くんのことがあったからなんかいろいろ不謹慎かなと思ってちょっと時期をずらしたよ。遅くなってごめんね、虎ちゃん」
「いえいえ、いいんですよっ。ワタシ、これさえあれば生きていけますし! よーし、暖蔵庫にしまってこよーっ」
察するに暖蔵庫とは、氷室の逆バージョンでものを暖めて保存するところだろうか。
袋をかかえてミーは穴のなかに引っ込んだあと、すぐに手ぶらで戻ってきた。
「あ、ごめんクマリーちゃん。ワタシの文字をなぞりたいんだよね」
左のアームカバーを外して右脇に挟み、左手の平を立ててクマリーに見せる。
そこには赤い線でสの文字が刻まれていた。
クマリーが左手に近づき、やはり右の人差し指で字をなぞる。
「いきます……っ」
まず左下に時計回りで小さな丸を書く。
ついで丸の左側から線を持ち上げ、弧を引きつつ右下へと指を移動させる。
ここからまっすぐ上昇し、すでに書いた弧のカーブよりも上に来たら左に向かう。
上に盛り上がる弓なりの線をえがいてから、左上よりもやや下の位置でとめる。
最後に二番目のカーブの右上に、右斜め上に向かって短い線を付け加える。この仕上げはクルムのソーサーラー(ศ)の書き順に似ている。
こうしてソースーア(ส)の字が完成する。
「ありがとうございました、ミーさん! このソースーア(ส)も線がダイナミックで大胆で……すごくかっこいいですっ!」
やはりクマリーは空中に同じ文字をくりかえし書いている。
「ところでミーさん、ソースーア(ส)の文字があらわす音はクルムさんのソーサーラー(ศ)とガムランさんのソーソー(ซ)……どっちの音に近いんでしょうか」
「それはソーサーラー(ศ)のほうだね」
左手にアームカバーをはめなおしながらミーが答えた。
「ワタシのソースーア(ส)とクルムおばさんのソーサーラー(ศ)は同じ音なんだー」
「そこも含めて魅力です! プラトゥ師匠からクマリーも学びました。同じ音を違う文字であらわすこともあるのは、みなさんが文字を一つ一つ大切にしているからなんですよねっ」
クマリーは元気にそう言った。
ミーは左手の平を開閉しつつほほえむ。
「そうだね、クマリーちゃん。ワタシたちの文字のなかで、大切じゃないものは一個もないよ。……ねえ、レックくん」
ほおを染めながら、ミーがレックのえび色の目を見やる。
しかしこのとき――。
いきなり大地が揺れた。
遠くから響いていた滝のような水音に、なにかが爆発したような音が混じった。
驚いたのか、林から聞こえていたサメビタキの声が途切れる。
ミーが首を右に動かしてため息をつく。
「ほわー……。ユアユがまたなにかやらかしたみたい……」
次回「47.亀のトー(ต)【前編】」に続く!(2月28日(土)午後7時ごろ更新)
ส←これが「ソースーア」の文字。意味は「虎のソー」……ソーサーラー(ศ)と同じく一筆書きはできないようですね~。
今回出てきたタイ語の元々の意味は以下の通り
ミー(หมี)→クマ
トゥアム(ท่วม)→氾濫する
スーア(เสือ)→虎
プーカオ(ภูเขา)→山
グラドーン(กระดอง)→甲羅
モーラゴット(มรกต)→エメラルド
ナン(นั่น)→あれ
ノック(นก)→鳥
キアオ(เขียว)→緑
パーク(ปาก)→口
ングム(งุ้ม)→かぎ状の/ミドリヒロハシのタイ語「ノック・キアオ・パーク・ングム(นกเขียวปากงุ้ม)」を直訳すると「かぎ状の口の緑の鳥」になります。
スム(ซึม)→にじむ




