44.供物台のポー(พ)【前編】
俺――【ท】トータハーン・アーティットは精霊の少女のクマリー・トーンと行動を共にしている。
クマリーは、俺たち人間の使う四十二個の文字を学んでいる最中だ。
それを見届けることが俺の当面の目標である。
現在クマリーが学んだ文字は十四……もとい十五個。
彼女はアーティット(อาทิตย์)という俺の名前を書くことを目標にしつつ、残り二十七個の文字を学ぶために文字保有者たちに会いに行くところだ。
文字保有者とは、体に文字を刻んだことでその文字に相応する力を行使できるようになった者のことである。
ただし各文字に対応する文字保有者はそれぞれ一人しかいない。
俺もそのうちの一人、「兵隊のトー」を意味するトータハーン(ท)の文字保有者だ。
現在は力を使えないものの、きのうクマリーも「指輪のウォー」を意味するウォーウェーン(ว)の保有者となった。
俺がクマリーに同行するのは、ウォーウェーンを有するようになったクマリーを見守るためでもあるわけだ。
彼女の体に刻まれた文字を奪おうとする者もいるかもしれないし、なにより……文字を体からはぎ取られれば問答無用で文字保有者は死ぬ。それは精霊のクマリーも例外ではない。
* *
現在は昼。天候は晴れ。
グラーン川と呼ばれる大河のそばで俺はえび色の髪の青年と手合わせしていた。
髪と同じ色の瞳を持つその青年の名はレック。
彼は「突き棒のトー」を意味するトーパタック(ฏ)の文字保有者である。
自前の槍を構えた俺と突き棒をあやつるレックは薄緑の原っぱにできた直径百メートの赤い円のなかで突き合っている。その様子をクマリーが宙を飛び回りながら見守っている状況だ。
(文字を学びたいというクマリーの目的とこの手合わせはまったく関係ないはずだけど、当のクマリーはノリノリで俺とレックの突き合いを見守っているな)
なおレックはチュニックを着ているが、その色は周囲に合わせて変化するらしく今のところは色あせた赤色だ。
レックは一方の先端がひし形でもう一方の先端が臼のかたちの突き棒を俺にたたき込んでくる。
臼のような先端が俺に当たるたび、俺は円の外に吹き飛ばされた。
だが不思議と……まったく痛くないし、かすり傷一つ負っていない。
「……これで十三回連続で俺の負けか」
槍の石突きを原っぱの地面に当て、俺は立ち上がる。
左手の平のトータハーン(ท)を赤く光らせながらレックの待つ赤い円のなかに戻る。
ビブラートを利かせた声を響かせ、レックが自身の突き棒を右手で回す。
「クン・アーティット」
すぐに突き棒の回転をとめ、ひし形の穂先を天に突き出す。
「どうして君は槍以外を使わないんだ。トータハーン(ท)の力を行使すれば別の武器を用意することもピーの兵隊と協力することも可能だよな。オレチャンが突き棒ひとすじだからって、手加減しているのか」
「加減はしていない。ただ、それを言うなら君も――」
俺はレックの正面に立ち、突き棒の二つの先端へと交互に視線をやった。
「臼のような先端で俺に刺突を入れるばかりだ。ひし形の穂先のほうはまったく使っていない。しかも俺にケガをさせないよう配慮しながら戦っている」
「あちゃあ。気づいていたんだねー。もちろんオレチャンも加減していたつもりじゃないんだけど」
レックが突き棒の柄の真ん中を右手で握り、ひし形の先端を俺に向ける。
「一回だけガッチガチでやり合おうか」
「ああ」
俺は右手の槍を小さく振った。
続いて上空に浮いているクマリーがふにゃふにゃ声を上げる。
「では十四回目の勝負、始め……っ!」
「タハーン・プルーン。ボック」
火蓋が切られると共に俺は炎でできた小鳥の姿のピーを呼んだ。
さらに緑色のイノシシのかたちをした陸の兵隊をも呼び出し、その背中に乗る。
ボックの鼻先をプルーンの炎がつつむ。炎をまとったボックがレックに突進する。
間髪入れず俺は右手の槍をレックに投げた。
俺の槍の先端にレックの突き棒の先端がふれる。
臼のかたちではなくひし形のほうの先端だ。するとレックの突き棒が俺の槍を縦一直線に両断した。まるでネギを包丁で切るように。穂先から柄、石突きまでがきれいに割れる。
だが俺はこのとき、プルーン、ボックとは別に二対の翼を持つコウモリ型の空の兵隊をも呼び出してレックの背後からひそかに接近させていた。
ここでレックはいっさい振り返ることもなく突き棒を引き戻し、迫りくるアーガートに臼の先端を当てた。
アーガートは吹き飛ばされ、赤い円の外に出た。
レックは引き戻した突き棒の柄を右手で上から持ちつつ、加えて左手で下からつかむ。
突進するボックを見据え、ひし形の先端を前方へと押し出す。
「クウィット!」
詠唱と共に穂先が膨らんで巨大化し、ひし形の短いほうの対角線の長さが一メート以上にもなった。
プルーンの炎を割り、ボックの鼻先を引き裂き、穂先の銀色の鋭角が俺に迫る。
俺はボックの背中を蹴り、向かって右に回避した。
「……ダープ」
赤い柄と銀色の刃を持つ抜き身の剣を左手の平のトータハーンから引っ張り出す。
レックは俺の動きに合わせて突き棒のひし形の先端を向けてくるが、逆に俺はそのえび色の柄に靴裏を乗せて跳躍した。
「ムーパー・ピアック」
俺がそう唱えると共に、引き裂かれたボックの体が小さなイノシシの群れに分裂する。
全長二十センティメートほどの体で体当たりし、レックの下半身のバランスを崩す。
さらに俺は両手に剣を持ち、レックの頭めがけて振り下ろした。
「アスニバート!」
雷のようなジグザグの軌道をえがいて刀身が落ちる。
だがレックは臼の先端でイノシシたちを払ったのち地面にその先端を当てて直上に飛翔し、すぐにひし形の先端を俺に突き上げた。
ひし形の先端はまだ膨らんだままである。
「……パンヤップユーン」
静かにレックは唱えた。突き棒が加速する。
勢いよく振り下ろした俺の剣がひし形の先端と接触する。剣の切っ先から柄の根もとに至るまでの部分が一瞬にしてコナゴナになる。
そのとき突き棒はまったく俺を押し返さなかった。
反動を生じさせない、ただ破壊のみを目指した刺突だった。
対する俺はウォーウェーン(ว)の字のように身を反らした。
同時に体の正面に持ってきていた両手をひらき、先端をギリギリでかわす。
落下しつつ、両手をジグザグに走らせて右のこぶしと左のこぶしをレックの頭部に斜め上からたたき込む。
「アスニバート・マットッ!」
レックの突き棒の柄は俺の両腕に挟まれている。
そこで俺はすぐに左こぶしを引っ込め、右のこぶしでもう一度打撃を入れた。
俺から見て左のほうへとレックは吹っ飛び、側転に似た軌道をえがいて赤い円の外に押し出された。
右手に突き棒の柄を持ったまま、左半身を下にしてレックが倒れた。
あたりの薄緑の雑草に合わせてそのチュニックが赤から薄緑へと変わっていく。
俺は呼び出した兵隊の精霊に消えるよう命じたあと、レックに近づいて右手を差し出した。なお俺の出した武器は砕かれてから霧のように消滅している。左手の平のトータハーン(ท)の輝きもすでに収まっている。
「タハーン・ペート」
俺は白いトカゲの姿をした医者の兵隊を呼んだ。
ペートがレックの体を這い、自切したしっぽを患部に落とす。しっぽが溶けて白い光を発する。
「これでさっき俺がこぶしをたたき込んだ君の頭も治る」
「ありがとう、クン・アーティット。それと、トカゲの姿をした君も」
レックはペートにも礼を言ったあと上半身を持ち上げた。
突き棒を背中に固定してあぐらをかく。
「最高の突き合いだったよー! この勝負、オレチャンの負けさ」
「ようやくこれで、俺の一勝十三敗だな」
俺は笑って、レックの左横に腰を下ろした。
「俺も楽しかったよ、レック」
「クン・アーティット……」
少し言いよどみ、レックがえび色の視線を俺にやる。
「本当はオレ……気持ちの整理をつけたかったんだ」
すっかり薄緑に染まったチュニックをたくし上げ、腹部に刻まれたトーパタック(ฏ)をさらす。
「今回の戦いで大活躍した君と突き合いたかったのもウソじゃない。でもオレは……オレも、クン・スーンが悪者だったっていう事実が受け入れられなかった」
「レック……」
「クン・スーンが死んだと聞いたときはもう年だからしょうがないかって感じであっさり受け入れられたのにな。オレさ……文字保有者になる前はひたすら犯罪者を突き殺すばかりの人生だった。そういう家系に産まれたから。けれどクン・スーンはオレにトーパタック(ฏ)を与えてオレを解放してくれた。クン・ジョットマーイやクン・サラサルアイも同じ心境だと思うけどオレはオレを救ってくれたクン・スーンが悪いやつだと信じたくなかった。そのモヤモヤをぶつける意味も込めて、クン・スーンにとどめを刺した君に突き棒の穂先を向けたんだと思う」
「そうだったのか……君が少しでもスッキリできたのなら俺もうれしい」
レックはスーンとの決戦に直接参加していない。だからかえってジョットマーイやサラサルアイや俺に比べてスーンとの折り合いをつけづらかったのだろう。
俺は仕事を終えたペートにふれてその姿を消させた。
ついで自分の肩を上下させる。
「ただ……確かにスーンにとどめを刺したのは俺だが、本当は大活躍したってほどでもない。実際にスーンを追い詰めたのは文字保有者のみんなだから。今回のことは君だけでなく……もちろん俺だけでもなく、俺たちみんなで背負っていくことだ」
「ああ、そうだな。クン・アーティット。これは……オレチャンだけの思いじゃないよな」
歯を見せてレックは子どものような笑顔を俺に向けた。
俺も笑い返し、聞いてみる。
「どうする? まだ突き合うか?」
「もっとやりたい……と言いたいところだけど」
レックは俺の左横を見上げた。
そこにクマリーが浮いている。
クマリーにもほほえみかけ、レックがゆっくり立ち上がる。
「これ以上、君たちの旅路を邪魔できないよ。きょうはありがとう、クン・アーティット。クン・クマリー」
続いて背中の突き棒の位置を調整したあと俺とクマリーを見つめる。
「オレチャンになにか協力できることはあるだろうか」
「あの……でしたらレックさん!」
クマリーがレックの前に回り込む。
「えっと……トータオとヨーヤックを持つかたがどこにいらっしゃるかご存じですか。お兄さんの名前を書くのに必要なので」
「ヨーヤック(ย)は……クン・ナーグルアはクン・ガムランに図書館塔まで呼び寄せられていたけれど今はすでにそこを離れたと思う。ただトータオ(ต)を持つクン・ユアユの居場所はオレチャンも知っている」
そして、立ち上がる俺のほうも見てレックが提案する。
「クン・ユアユの居場所までオレチャンが連れていこうか」
これに対してクマリーは「ありがとうございますレックさん、よろしくお願いします」と答えた。俺も「ありがとう、よろしく」と返した。
ここで――。
俺たちの声に加えて、酒焼けしたような女の声が響く。
「おーおー、それならアタシも連れてってよ。突き棒く~ん」
薄緑の原っぱに、俺たち以外のだれかがいる。
頭に金色の帽子をかぶった小柄な女が右斜め前から歩いてきた。
帽子は深い皿をひっくり返したような形状だ。
おまけに幅広の円筒形のパーツが上に載せられている。
女の髪は群青色だがところどころに白髪が交じって波のようにも見える。
その瞳も白くにごった群青色で染まっている。
幼げな顔は紅潮しており、笑みが貼りついている。
小柄な体をつつむのは、丈がかかと近くにまで達する白い上着と灰色の胴衣、太ももの途中まで延びた赤紫のスカート、さらにすねの大部分をおおう赤紫のブーツである。
上着のポケットに両手を突っ込んだまま、女が俺たちのそばを過ぎて赤い円を踏みつける。
「【พ】ポーパーン・プラトゥ、つかさどる字は供物台のポー。兵隊くんに突き棒くん、あっつい戦いごちそうさまだわ」
続いてクマリーの目に、白くにごった群青色の視線を投げる。
「それと新しい指輪ちゃ~ん、なんか困ったことがあったら相談してねー。アタシ、精霊とも知り合いが多いから力になれることもあるかもよ?」
次回「45.供物台のポー(พ)【後編】」に続く!
พ←これが「ポーパーン」の文字。意味は「供物台のポー」……英語の「W」にも似てますね~。
今回出てきたタイ語の元々の意味は以下の通り
ユアユ(ยั่วยุ)→あおる
プラトゥ(ประตู)→ドア
パーン(พาน)→供物台
クウィット(ขวิด)→ツノで突く
ムーパー(หมูป่า)→イノシシ
ピアック(เปี๊ยก)→小さい
パンヤップユーン(พังยับเยิน)→壊れてグチャグチャになる
マット(หมัด)→拳




