番外編01.化け物係・パネークサットプララート(แผนกสัตว์ประหลาด)
スーンを倒したアーティットがグラーン川のほとりで眠っているころ……。
そのグラーン川の下流にある小さな三角州の屋敷で男女二人がなにかを話し合っていた。
「――以上が今回の事件の顛末だ」
ドスの利いた声を響かせ、若草色の長髪と瞳を持った女が目の前の男を見上げた。
男は壮年と老年の中間くらいの年ごろだ。目の下にクマのようなシワが走っている。灰色の上着を羽織り、黒のズボンと白い靴をはいている。
彼は赤い長椅子に腰を下ろし、右手と左手に流れる夜の川面に視線をやった。
「そうか。スーンとリアンゲは死んだのか」
震える声でそう言ったのち、薄茶のゆかを軽く踏む。
ついで天井にぶら下げたランプをはかなげに見つめた。
「で、ムアンガイの住民やほかの一般人に被害は出ていないと」
「まあな。図書館塔への帰還途中だったラートリーにも聞いたことだし、わたし自身もおまえと会う前にディアオの都市を訪ねて確かめている」
やや声を抑え、女が答えた。
なおムアンガイとはディアオの治める高床式都市の正式名称である。
男は深呼吸をして背中を丸めた。
「よかったあ~。一人でも死傷者がいたらオレの首が飛ぶとこだったわ~」
「いのちを拾ったな、グリアム」
若草色の髪の女が黒い布でつつまれた両足を愉快そうに振る。黒い布の先端は五つに分かれており、それぞれに足の指を入れている。
「そして確認しとくが、スーンとリアンゲを私刑に処したとはいえわたしらは国の法律的に無罪でいいんだよな?」
「そうだよ、おとがめなしさ」
グリアムと呼ばれた男が視線を落とし、女の若草色の瞳と目を合わせる。
「つーか、てめえが文字保有者による文字保有者への私刑を国にみとめさせたんだろうが。そもそもてめえら化け物をまっとうに裁くことなんてできねえっつうの」
「はっはっは。化け物ときたか」
女が黒い手袋でおおわれた右手でゆかをたたく。
「まあ文字保有者のなかでまともなのはわたしだけだしなあ」
「残念だがてめえも化け物だ」
あらためて男は女の全身を見る。
白いシャツに長袖の黒い上着、左右に深い切れ込みのあるあずき色のロングスカートという服装だが――。
女は手袋をつけた両手の平をゆかにつけて立ち、両足を真上に突き上げている。
つまり、最初から女は逆立ちしたまま男と話していたわけだ。
体の前面は男に向いている。しかし奇妙なのは、若草色の長髪もあずき色のロングスカートもいっさいずり落ちないことだ。
まるで天井が女に対してだけ地表とは逆の重力を働かせているかのようだ。
女は足を揺らして笑う。
「おいおい、グリアム。なめまわすように見んじゃねえよ」
「なめてはねえよ。ただ、怖えんだっつの」
クマのようなシワをピクピク震わせ、グリアムが声を荒らげる。
「てめえら文字保有者や厄介な精霊と折衝を図るうちの部署……オレらのあいだでなんて言われてるか知ってっか、カヤン」
「超越存在対策部?」
逆立ちした女――カヤンはとぼけるように言った。
対するグリアムが両手で自身のひざをたたく。
「パネークサットプララート……『化け物係』だ。こないだ首都に行ったらその名前でからかわれた。『いやあ~、やっすい給料なのに大変ですね~』ってな」
続けて、二度も三度もひざにバシバシ手を打ちつける。
「機密情報まで見抜いてペラペラ話すラートリーとかいう歩く爆弾みたいなやつと要人を接触させないよう毎日骨を折っているわけだし……ほかの連中も怖すぎんだよ。とくにナーグルア。あの暴力イカレ女があちこちで暴れ回っているって報告が連日届いてんぞ」
「つってもナーグルアがボコるのは明確な悪人と合意のもとケンカに応じたやつだけだしな」
カヤンが左手をゆかから離し、それをあごに当ててニヤつく。
グリアムはため息をつき、右手で額を押さえる。
「そうだ、おかげでオレたちじゃなんもできねえ。あのイカレ女を始めとするてめえらがいつ問題を起こすかずっとヒヤヒヤしてる状態だ」
逆さになったカヤンの顔を、疲れた表情で見つめる。
「あと……あの赤髪の傭兵と四つ足の女と旗をかかげた顔色の悪い子ども――アーティットとサラサルアイとファだったか? あいつらも戦場に出させんなっつーの。過剰戦力ってことで軍縮条約に違反したらどうしてくれんだ」
「三人に関しては敵兵に対してトータハーン(ท)の力もモーマー(ม)の力もトートン(ธ)の力もほとんど使っていないはずだが。もしまともに使っていたら国の一つや二つはとっくに消えてる」
続いてカヤンが左右の足をこすり合わせた。
「それとサラサルアイは女じゃない。本人が自分のことを男と思っているわけだからな」
「……そうか。それは悪かった。すまん」
額から右手を離し、グリアムは肩をすくめた。
「ともあれオレはてめえらに問題を起こされるのが怖くておちおち昼寝もできん状態だ」
「そりゃつれえな」
「でだ……カヤン。てめえのとこもスーンとリアンゲが死んでけっこう危ねえんじゃねえか。ラートリーのやり口に反発しているやつらもいるだろうし、文字を刻んだスーンという大黒柱を失った今、仲間同士で争いも起こるかもしれんぞ。てめえらが潰し合うこと自体は大歓迎だが結果として一般人にも被害が出たらオレが困るしな」
「わたしもそこは心配している」
右ひじを屈伸させ、カヤンがまばたきする。
「いい案でもあんのか、グリアム」
「敵をあてがってやる」
座ったまま自身の胸をひざと接触させ、グリアムがカヤンに顔を近づけた。
「集団を結束させるものはいつの時代も共通の敵と相場が決まってんだろ」
「なるほどな。そして同時に、ナーグルアの加害衝動やアーティットの労働意欲といったものを凶暴な精霊に向けさせるというねらいもあるわけか」
「確かにはけ口にしてもらうつもりでもあるが……なんで敵がピーって分かった、カヤン」
「おまえはパネークサットプララート……化け物係じゃねえか。わたしらだけでなく厄介なピーにも対処しなくちゃならんのだろう。そのために、それらしい理由をつけてわたしら文字保有者を使おうって腹なわけだ。いいよ。持ち帰って検討してやる。だが確認せにゃあなあ……」
ここでカヤンの両ひざが曲がり、その脚がグリアムの後頭部にそっと下ろされた。
ドスの利いたささやき声が夜の屋敷に反響する。
「給料は出んのか、おい? グリアムくんよお……」
* *
こうしてグリアムと話し終わったカヤンは三角州の屋敷から出て橋を渡り、南側の岸に両手をつけた。
地面の小石の感触を味わいながら、逆立ちのままグラーン川に沿って東へと歩いていく。
背中も東に向ける。前方が見えるようにあごをめいっぱい上げている。
今は月が雲にあまり隠れていない。
川面に月光が反射しているため、夜であっても進むのに支障はない。
カヤンの視界の左側で、ゆるやかに水が手前に向かって流れてくる。
そして彼女は屋敷から一ギローメートほど離れたところで右横から声をかけられた。
少々高めの男の声だ。
「これはこれは、トープータオ(ฒ)。会いたかったです」
「あん?」
不機嫌そうにカヤンは手をとめてその場で停止した。
右横には太くて白い木が立っている。どうやら声のぬしはその木のかげからカヤンに話しかけたらしい。
「聞き覚えのない声だな。なぜおまえはわたしがトープータオであることを知っている」
「やだなあ、そうツンケンしないでくださいよー。俺も字を体に刻んでいるだけですって」
男の声はどこまでも軽かった。
「きょうは提案に来ました」
「どんな?」
カヤンは若草色の目を細め、白い幹を凝視した。
いや……よく見るとそれは木の幹ではない。幹は枝分かれしておらず、葉っぱもつけていない。表面は白いガラスのようにテカテカしている。
さらに先端はすぼまって細くなっている。
どうやら木に見えたそれの正体は、巨大な「ビン」であるようだ。
そのビンに隠れたまま、軽い男の言葉が続く。
「ちょっとホーノックフーク(ฮ)を殺しませんか?」
「ふーん、それはそれは」
左手の甲を口もとに当て、カヤンが笑いをこぼす。
「くだんねえ~。帰ってバナナの皮でも食ってろ若造」
次回「番外編02.廃字との接触・パチューンガップアクソーンラーラン(เผชิญกับอักษรล้าหลัง)」に続く!(2月21日(土)午後7時ごろ更新)
今回出てきた単語の元々の意味は以下の通り
カヤン(ขยัน)→真面目な
ファ(ฟ้า)→空
グリアム(เกรียม)→焼けている
パネーク(แผนก)→課
ムアン(เมือง)→都市
ギローメート(กิโลเมตร)→キロメートル




