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40.クマリー・トーン(กุมารีทอง)【前編】

 文字保有者たちとの(たたか)いの果てに【ว】ウォーウェーン・スーンの(たましい)は死んだ。


 (おれ)がスーンにとどめを()すと同時に、あたりの白い光の空間が消え去る――。俺の兵隊(タハーン)も消えていく。


 光がもやのように晴れていき、もとの色あせた赤い地面が現れる。

 正確には、俺の立つ場所を中心にして直径(ちょっけい)百メートほどの地面は赤いがその外側には薄緑(うすみどり)の原っぱが広がっている。


 (よる)()ぎて明るくなりかけた(そら)から赤っぽい日差しがおりる。

 東から西に流れるグラーン川が俺の南で(あわ)(かがや)く。


 川の向こうに、(こわ)れた赤茶色の高床式(たかゆかしき)都市が小さく()える。

 立ち(のぼ)っていた赤い(ほのお)()い灰色の(けむり)はすでにない。


 俺は赤い地面の中心――ゼロ((スーン))の数字のかたちにえぐれた場所に立った。

 体の垂直(じく)を回転させ、その場で三百六十度(まわ)る。


 周囲の赤い地面に横たわっている者たちがいる。

 それぞれがピクリと(ふる)え、動き始める。


(よかった……サラサルアイの言ったとおり、スーンが(たお)されたから取り外されていた「存在」という真実がみんなのもとに(もど)ってきたんだ……)


 俺の視界に文字保有者たちの顔が映し出される。


 【ม】栗毛(くりげ)(かみ)とそれと同色の(ひとみ)を持つモーマー・サラサルアイが()つん()いでいななく。


 【ศ】観察する角度によって緑にも青にも黄色にも()える黒い髪と瞳を持つソーサーラー・クルムが黒いドレスの土を(はら)う。


 【ฮ】銀色の髪と瞳を持つホーノックフーク・ラートリーがゆっくりとその身を宙に()かす。


 【อ】純粋(じゅんすい)な黒い髪と瞳を持つオーアーン・ジャムークが両手の小指をふれ合わせて手の平を天に向ける。


 【ร】少し青っぽい髪と瞳を持つロールア・プリアが(くちびる)(ふる)わせながらあたりをおそるおそる見回す。


 【ซ】色あせた赤色の髪と瞳を持つソーソー・ガムランが全身の黒い(くさり)をジャラリと鳴らして川向こうの都市に視線をやる。


 【น】金色(きんいろ)の髪と瞳を持つノーヌー・キアがマントに()いつけられているネズミ色のフードをかぶりなおす。


 【ฬ】赤茶色の髪と瞳を持つロージュラー・エーンが五本足の赤いタコを風船(ふうせん)のように持ってそのタコからジューという(おと)と油のような気泡(きほう)を生じさせる。


 【ภ】亜麻色(あまいろ)の髪と瞳を持つポーサムパオ・ジョットマーイが赤い地面のそばに待機している()げ茶のジャンク船に対して両手を()る。


 【ห】クリーム色の髪と瞳を持つホーヒープ・スープパンが大きなあくびをしてアメのついた棒をくわえる。


 そして俺……【ท】赤い髪と瞳を持つトータハーン・アーティットのそばに朽葉色(くちばいろ)の髪と瞳を持つ【ก】ゴーガイ・ディアオが産まれたままの姿でたたずんでいる。


 俺は体を一周(いっしゅう)させたあと、ディアオの右手に視線をそそいだ。

 (かれ)は直立した状態で右腕(みぎうで)を前方に()ばしている。


 その手の平をゆるやかなグラーン川に向けている。

 ウォーウェーン(ว)の赤い文字がくっきりとそこに()かぶ。


「わたしの体に吸収されたクマリーはウォーウェーンと完全に一体化(いったいか)しているようだ」


 ディアオが俺の視線に気づき、言った。


「よって文字ごとクマリーをわたしの体から取り外す。『指輪のウォー(ว)』の(ちから)を使って――」

ขอบคุณ(コープクン)(ありがとう)」


 俺は手を合わせて礼を返した。


(実際のところディアオは自分の治める都市にすぐにでも(もど)りたいはずだ)


 スーンに(こわ)された都市に()き、生き残っている住民を助けたいと思っていないわけがない。

 なにより都市にはディアオの(つま)のジュットジョップさんもいる。彼女(かのじょ)安否(あんぴ)もいち早く確かめたいだろう。


 にもかかわらず、ディアオは精霊(ピー)のクマリーをも心配してくれている。


(本当に高潔な男だな。目の前の……いや体のなかの無垢(むく)ないのちも見捨てない……か)


 俺はディアオの右腕の近くに寄った。

 見ると、彼の右手の平に刻まれたウォーウェーン(ว)の文字が皮膚(ひふ)ごと外側に張り出してきた。


 ついでウォーウェーン(ว)の右下の丸の部分が小さなへそのようにへこんだ。


 いや、実際にそこをへそとして――。

 腹部に赤いウォーウェーンの文字を浮かべたクマリーの体がディアオの右手の平から少しずつ現れる。


 ディアオの手の平の表面(ひょうめん)が少女のかたちに変化(へんか)していく。

 胴体(どうたい)から四肢(しし)や頭部が生える。

 手の平に合わせたサイズであるため、やや小さめの状態だ。


 オレンジの混ざった茶色の髪がバナナの(ふさ)のように重なる。

 細い体と丸っこい顔が輪郭(りんかく)を取り(もど)していく。


 クマリーの全身が完全にかたちづくられたところで彼女の体がディアオの右手と分離(ぶんり)した。

 直後、白っぽい(きり)がクマリーの体をおおう。その霧が衣装(いしょう)変化(へんか)する。

 銀色に縁取(ふちど)られた七分袖(しちぶそで)の白い上着が上半身(じょうはんしん)をつつんで腹部のウォーウェーン(ว)を(かく)す。膝丈(ひざたけ)の白い布が(こし)に巻かれる。


 一方、ディアオの右手の平からはウォーウェーンの文字が消え()せた。

 ウォーウェーン(ว)はスーンの左手の平からディアオの右手の平に移ったのち、結果としてクマリーの腹部に刻まれたかたちとなった。


 そしてクマリーとその衣装が(ふく)らむ。俺と出会ったときと同じサイズに(もど)る。俺の腰から足までの長さとほぼ同等の身長になった。


 ディアオの右手から(はな)れたクマリーが頭から落下する。


 そんなクマリーを俺は両手で受けとめた。

 ひざ裏に左手を、背中に右手を()える。


 クマリーがオレンジの混ざった茶色の瞳を俺に向ける。

 やはり彼女の目は少し垂れている。


「お兄さん……っ」


 ふにゃふにゃした声を出しつつ、けいれんするようにまばたきする。


「ありがとうございます……。これまでのことは、スーンさんのなかで見ていました。今こうしてクマリーが話せているのは……文字を持つみなさんのおかげです……」

「俺たちは君を助けるためだけに戦ったんじゃない」


 思わず俺は地にひざをついた。


「でも、またクマリーの顔を見ることができて……よかった」

「それは……クマリーもですよ。だけど……ごめんなさい……お兄さんも、ディアオさんも……」


 彼女の目からしずくが流れた。


「クマリーがなにも考えずディアオさんの文字をなぞったせいで……スーンさんがみなさんにひどいことをする流れになったんですよね……っ」


 しゃっくりに似た(おと)を混ぜ、静かにすすり泣く。


「なのにクマリーはずっと……自分のことばかり考えて、能天気(のうてんき)に文字をなぞるばかりで……っ! クマリーは悪いピーです……っ。クマリーが文字を学ぼうとしなければ……お兄さんたちが傷つくこともなかったのに……」

「君は、その好奇心(こうきしん)を利用されただけだ」


 そっと俺はささやいた。


「クマリーは、俺のトータハーン(ท)の文字が好きと言ってくれた。……それだけで俺は、少し心が軽くなったんだ……。君のおかげで、もう兵隊(タハーン)たちに反乱を起こされる悪夢にさいなまれることもないだろう。それにクマリーはスーンの攻撃(こうげき)からも、俺を守ってくれたじゃないか」


 感情的になりすぎないように声を(おさ)える。


「そんな君が……悪いピーであるはずがない。だから君は……生きたいように生きていいんだ」

「お兄さん……お兄さん……っ」


 クマリーが体をかたむけ、俺の胴衣を両手でつかんだ。

 ここでディアオがクマリーに顔を近づけ、(やさ)しく言う。


精霊(ピー)(うやま)われるべき存在だ」


 聞き心地(ごこち)のいい低い声が鼓膜(こまく)に届く。


「悪が宿るとすれば、それは人の心のなかだ。人は心に(したが)ってピーたちを善と悪に勝手に分類する。その基準に従ってあえてピーの君を(ひょう)するなら――」


 わずかに()を置いて、ディアオが自身の言葉を()ぐ。


「君は、いいピーだよ。わたしは君をよく知らないが、トータハーン(ท)は君のことをみとめている。それだけで君を肯定する理由としては充分(じゅうぶん)だ」

「ディアオさん……っ。クマリーには、もったいない言葉です……」


 ふにゃふにゃ(ごえ)で泣きながらクマリーは、その垂れ目をやわらかく(ほそ)めた。


「お兄さんにもあらためて感謝します……」


 しゃっくりのような音とすすり泣きが収まっていく。


「クマリーの心も、ちょっと軽くなりました……」


* *


「――ではわたしは都市のほうを見てくる」


 ディアオはそう言ってグラーン川の向こうの赤茶色の都市に向かって()け出した。

 サラサルアイがそれに気づいてディアオを背中に乗せて走る。


 直後、俺とクマリーのそばでやる気なさげな声がする。


ขอโทษ(こーとーと・)หน่อย(のい)(ちょいごめん)」


 羊の毛のような髪を持つ女の子……スープパンがテクテク歩いてきたのだ。

 クマリーのそばに近寄り、聞く。


ขอ(こー・)ดู(どぅー・)สะดือ(さどぅー・)ของ(こーん・)คุณ(くん・)ได้(だい・)ไหม(まい)? (おへそ見ていい?)」

「は……はい……っ」

ถ้างั้น(たーがん・)ดู(どぅ~)(んじゃ拝見(はいけ~ん))」


 うなずくクマリーを確認したスープパンは、クマリーの白い衣装のトップス部分を引き上げた。


 まだ俺はひざをついてクマリーをかかえていたが、瞬間的(しゅんかんてき)になんとなく目をそらした。

 スープパンのひとりごとが耳に(はい)る。


「おなかのウォーウェーン(ว)、君と完全にくっついてる。これじゃホーヒープ(ห)の『箱』にも移せない」


 トップス部分をもとの状態に戻したスープパンはクマリーだけでなく俺のほうにも視線をやって言う。


「しばらく、そのままにするしかない。預けとく。じゃ」


 それだけ伝えてスープパンは去っていった。

 腰の前後に垂れたクリーム色の髪を()らし、原っぱに着陸したジョットマーイのジャンク船のほうに歩いていく。


 左舷(さげん)を向けた船の甲板(かんぱん)には、今回(こんかい)光の円柱のなかに(はい)れなかった文字保有者たち十数名がいた。彼らが俺たちに手を振っている。


 俺も感謝の意を伝えるために手を振り返す。

 だが一方(いっぽう)()に落ちないこともある。


(……おかしい。ディアオの都市が炎上(えんじょう)して崩壊(ほうかい)しているのはみんな見ているはずだよな。それにしては悲愴感(ひそうかん)がないような……どういうことだ)


 ともあれスープパンはジャンク船の階段状のタラップをのぼり、船内に消えた。

 次の瞬間(しゅんかん)吐息(といき)を多く(ふく)んだ声があたりに(ひび)く。


เฮ้ย(フーイ)(お~い)、スーンと(たたか)ったみなの(しゅう)~、集まれるなら集まってくれんかの~」


 空中に浮いたホーノックフーク(ฮ)が両手をぶんぶん振り上げながら俺のそばに飛んできた。

次回「41.クマリー・トーン(กุมารีทอง)【中編】」に続く!


今回出てきた単語の元々の意味は以下の通り

コープクン(ขอบคุณ)→ありがとう

コートート(ขอโทษ)→すみません

ノイ(หน่อย)→ちょっと○○してください

コー(ขอ)→させてください

サドゥー(สะดือ)→へそ

クン(คุณ)→あなた

ダイ(ได้)→○○してもいい

マイ(ไหม)→○○ですか

ターガン(ถ้างั้น)→それでは

フーイ(เฮ้ย)→おい

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