04.ジャンク船のポー(ภ)【前編】
俺はトータハーン(ท)の力を使って、オーアーン(อ)の文字の保有者ジャムークをおとなしくさせることに成功した。
しかし話を聞く限り、スーンさんを殺害した犯人はジャムークではなさそうだ。
* *
月が雲に隠れ、再び湿地帯が暗くなる。
ひとまず、きょうのところは眠りたい……。
「タハーン・グラジョーム」
俺がそう唱えると、灰色の大きなワニの姿をした精霊が湿地に出現した。
天幕の兵隊の上あごが持ち上がり、口がほぼ直角にひらく。
俺はグラジョームの下あごの歯をまたぐ。
灰色の口内に足を踏み入れたのち、ジャムークに言う。
「よかったら、きょうはこのなかで休んでくれ」
「ありがとうございます」
ジャムークは素直にうなずき、俺のあとに続く。
彼がのどの奥まで入ったところで天幕の兵隊の口が閉じた。
ここで俺たちは靴を脱いだ。
俺は炎の兵隊を呼び出す。
プルーンが頭上を飛行する。その小鳥に似た炎が、周囲を照らすあかりとなる。
グラジョームの奥は胃袋ではなく、一個の居住空間となっている。
二十五平方メートほどの広さを持つ丸い部屋だ。窓はない。内装は灰色で、表面にはわずかな弾力がある。
そのすみに取り付けてある直方体の小型倉庫から黒い円筒形の寝袋を二つ取り出す。
(これに入ってスーンさんと眠ったこともあったな……)
俺はジャムークに寝袋の一つを渡したあと上着を脱ぎ、自分の寝袋のなかにもぐり込んだ。
ジャムークも薄い青の上着を脱いできれいに畳む。
それから、あっさりと寝袋のなかに入った。
二人の男があお向けの状態で横に並んでいる状態だ。
(俺に対して無警戒にも見えるが、ジャムークほどの実力があれば寝首をかかれる心配もないということか)
俺は頭の上に浮くプルーンに命じ、光を弱める。目を閉じる。
外に広がる湿地帯から、水牛やサギの夜鳴きが聞こえてくる。
「……トータハーン(ท)」
暗闇のなか、ジャムークが俺に話しかけた。
「あなたさまのそばに浮いていた少女のピーは、どこに消えたのですか」
「クマリーのことか」
俺は、バナナの房のような彼女の茶髪を思い出す。
「そういえばいつの間にかいなくなってるな。まあクマリーは精霊。いきなり姿が見えなくなっても不思議じゃない」
「……このごろわたくしはウォーウェーン(ว)つまりスーンさまに『洗顔』を頼まれてこの湿地帯に出入りしていました。しかしクマリーさまを見たのは初めてです」
ついでジャムークの声に冷たさが混じる。
「おまけに……さきほどあなたさまと戦ったときわたくしの力は少々増していました。おそらくアーティットさま自身もそうだったのでしょう?」
「ああ。クマリーが近くにいたからだろう」
「まあ調子がよくなる程度ですので特別に意識しないと分かりませんが。ともあれクマリーさまには人に力を与える力があるようですね」
「案外、特別な精霊だったりしてな」
そこまで話したあと俺たちは眠った。
* *
「――起きてくださいっ! 朝ですよ~」
耳もとで、ふにゃふにゃ声が俺にささやく。
目をあけると真正面に、クマリーの丸っこい顔があった。どうやら俺の上に浮いているようだ。
時間経過と共に、天幕の兵隊の内部は少し明るくなっている。
あくびをしつつ俺は聞く。
「きのうジャムークの字をなぞったあと、君はどこに消えていたんだ」
「ふふんっ!」
クマリーはあお向けの俺に体の前面を向けた状態で胸を張る。
「なにを隠そう、お兄さんの『おへそ』のなかにっ!」
「え……なんて?」
ひとまずクマリーの隣に浮くタハーン・プルーンに命令し、光を強めてもらう。
もとから垂れている目をさらに垂れさせてクマリーがうっとりする。
「いやあ~。勝手に使わせていただきましたがお兄さんのおへそ……とっても寝心地よかったですよっ」
両手をほおに当て、バナナの房が重なったような茶髪と腰に巻いた白い布とを揺らす。
「クマリーは小さくなっておへそに入ったんです。普段からお兄さん、精霊との距離が近いわけでしょ? そのおかげでクマリーもお兄さんのなかにスッともぐり込めましたっ!」
確かに俺はトータハーン(ท)の力によって精霊を兵隊として使役している。だからピーであるクマリーとの親和性も高い……ということか。
「温度的には涼しくて、気持ち的には温かい――最高のおへそですよ~」
茶色い目をうっとりさせたまま、クマリーが俺の腹部のほうを凝視する。
どう反応すればいいか、まったく分からない。
二十数年生きてきて、へそに入り込まれたのは初めてだ。
(しかし昨晩は兵隊たちに反乱を起こされる悪夢は見なかったな。わりと気分はスッキリしてる)
俺は寝袋から出て上着を引っかけ、小型倉庫のそばに置いてある白い箱をあけた。俺の身長と同じ高さの、三段に分かれた扉付きの氷室である。
水と食料をこの箱に入れている。普段は箱のなかに雪の兵隊を常駐させて冷やしてもらっている。なおユアックはぼたん雪のような無定形の精霊だ。
「朝ごはんですね、お兄さん。どれどれ~」
クマリーが飛んできて、俺の後ろから箱をのぞき込む。
「って、わあ! 黄色ばっかりじゃないですか!」
上から数えて一段目のなかはバナナでいっぱいである。
うち一本を俺はつかみ、クマリーのほうを見た。
「おいしくてすぐ食べられて満足感もあって栄養も豊富で見た目も完璧……」
左手で皮を三つに裂き、中身をくわえてかみちぎる。
「つまりバナナは神なんだよ」
「これ、バナナって言うんですかっ」
上下する俺のあごを見つつ、クマリーがゴクリとつばを飲む。
「クマリーも食べたいですっ」
「外側が厚い皮になってる。むいてから中身を食べろよ」
箱のバナナを一本、クマリーに渡す。ついで箱の扉を閉める。
すでに起きて顔をパシャパシャ洗っているジャムークにもバナナを手渡した。
彼は両手で洗面器をかたちづくり、そこから水を生じさせていた。
ジャムークは左右の手を離したあと俺からバナナを受け取る。
礼を言って皮をむく。
その動作を見て、クマリーもバナナの皮を先端から裂く。
「へえ~。外は黄色なのに、なかは白っぽいんですねっ。……あむ」
すぐにかじりつく。
しばらくかんで、目を輝かせる。
「わあ~、ふかふかのあまさと冷たさが口のなかで溶けて広がって……幸せっ!」
「だろ? バナナはすべてを救うんだ」
ふにゃふにゃ声を聞きながら、俺もバナナをほおばった。
* *
腹ごしらえを済ませたあと俺とクマリーとジャムークは天幕の兵隊の外に出た。
すでに朝が来ている。きょうは雲が少ない。太陽が照っているため、湿地のこけ色の水面がまぶしい。
「消えろ」
俺がそう言うと共に、タハーン・グラジョームもタハーン・プルーンも姿を消す。
まず俺とジャムークは湿地のぬかるみを歩き、スーンさんの隠れ家に戻った。
スイレンに囲まれている焦げ茶の木造の建物だ。
目的はスーンさんの書き残したメモの回収である。
スーンさんを殺害したのが俺ではないかと疑うジャムークの誤解を解消するためにも、そのメモは必要だ。
外に取り付けられた階段をのぼる。玄関の前で靴を脱ぎ、なかに入る。
部屋の様子はきのう俺が確かめたときと変わらない。中心に大きな白いタライが置かれている。ただしタライのなかで死んでいたスーンさんの体はすでに俺が焼却したが。
室内にある机の引き出しをあけ、俺はジャムークにメモを見せた。
自分が死んだときにその体を即座に燃やすよう指示した、例の遺言だ。
メモを凝視してジャムークがうなる。
「……確かにウォーウェーン(ว)の筆跡ですね。偽物とも思われません。アーティットさまは、この文面に従ってスーンさまの遺体を燃やしたのですか」
「そうだ」
俺は机に右手を置き、うなずいた。
「……ただしあなたからすれば『ウォーウェーンを殺したあとでその遺体を焼いたんじゃないか』と疑うことは依然として可能だろうな」
「もちろんそういう話になります。とはいえあなたさまにしても、わたくしに対する疑念は払拭できていないはず。――そこで」
メモを俺に返し、ジャムークが言う。
「お互いに『ホーノックフーク(ฮ)』に見てもらいましょう」
「俺もそれがいいと思ったところだ。彼女なら真実を見抜けるからな」
なおホーノックフークとは「フクロウのホー」を意味する文字のこと。または、その保有者自身を指す。
「ただしジャムーク。あなたには、もう一つ聞きたいことがある」
スーンさんの部屋の中心に置かれたタライに俺は視線を向けた。
「あの大きなタライに見覚えはないか? スーンさんの遺体はあのなかに入っていた」
「……あれは、わたくしが洗顔用としてウォーウェーンにあげたものですよ」
ジャムークが自身の黒い瞳を少し伏せる。
「数か月前スーンさまは『肌をきれいにしてくれ』とわたくしに依頼したのです。それに従い、わたくしは定期的にこの隠れ家を訪ねていました。しかし毎日来られるわけではありません。だから自分で肌をケアできるようにと渡したのです」
続いて「タライにはオーアーン(อ)の力を込めた」とジャムークは説明する。
「わたくしのタライで顔を洗えばお肌はピチピチのツルツルになります」
「だったら」
俺は机から右手を離した。
「そのタライだけをスーンさんに渡せばよかったんじゃないのか」
「わたくしはウォーウェーン(ว)ではないため、ほかのものにずっと力を与えておくことはできません」
顔を上げ、ジャムークが俺と目を合わせる。
「タライの効能も時間と共に劣化します。よってウォーウェーンの洗顔依頼に応えるためにも定期的な訪問が必要だったわけです」
「分かった。話してくれてありがとう。ひとまずここでの用は済んだな」
俺はスーンさんの遺言のメモを上着のポケットに収めて玄関から出た。
クマリーも浮いたまま黙ってついてくる。ジャムークも続く。
靴をはきなおしたあと階段をおりる。
こけ色のぬかるみに立ってから俺は口をひらいた。
「ところでジャムーク。『チケット』の回数は余っているか」
「余裕ですよ、トータハーン」
ジャムークが左手でひさしを作って空を見る。
俺はバシャリと音を立て、スーンさんの隠れ家に背を向けた。
「なら、ホーノックフーク(ฮ)のところへはジャンク船で行こう。すぐに見てもらいたいからな、真実を」
次回「05.ジャンク船のポー(ภ)【後編】」に続く!
今回出てきた単語の元々の意味は以下の通り
グラジョーム(กระโจม)→テント
ユアック(เยือก)→かなり寒い
メート(เมตร)→メートル




