39.【ท】兵隊のトー・アーティット【その6】
霧におおわれたような白く輝く空間のなか、左手の平のトータハーン(ท)を光らせながら俺は右手に槍を構える。
炎の体を持つ小鳥の炎の兵隊、無定形でぼたん雪の雪の兵隊。
灰色のワニの天幕の兵隊、ホタルの光の斥候の兵隊、白いトカゲの医者の兵隊。
緑のイノシシの陸の兵隊、シャチの姿をした海の兵隊、紫のコウモリの空の兵隊。
総勢八体の兵隊の精霊を引き連れ、進む。
この光の空間に入ったせいか、また俺の体力はけずられている。もう「ガーオラーオ」の連続攻撃は使えない。
それでも俺にはタハーンがついている。
八つのピーの存在を感じながら、この空間に逃げたスーンを捜し求める。
ラートの黄緑色の光が分裂し、四方八方を照らす。
すると前方のもやのような光が左右に分かれ――。
向こう側から一糸まとわぬスーンが姿を現した。
「アーティット……ここまで追ってくるとはな」
ディアオの肉体をさらしつつ直立し、右手の平のウォーウェーン(ว)と左手の平のゴーガイ(ก)を見せて俺をにらむ。
足をとめずに俺は返す。
「終わらせようか」
スーンの返事を聞く必要性すら感じない。
(すでに……あなたのかたきをとるという話は破綻した。ただ俺たちは一個の兵隊として、人の生命をおびやかすおまえをとる)
灰色を帯びた朽葉色の瞳に俺の姿が映る。
赤い長袖の上着に黒い胴衣とズボンと靴。
乱れた髪は、俺自身の目と同様の赤。
そうだ。そんなまごうことなきただの兵隊の姿をおまえは見ている。
(そして――おまえが吸収したクマリーも返してもらう。体を乗っ取られたディアオも救う。おまえに消された文字保有者たちの存在も取り戻す)
トカゲのペートが俺の頭部にすがりつき、その白いしっぽを落とした。
白い光と共にしっぽが溶け、俺の視界がクリアになる。
同時に俺は右手で槍を回してスーンめがけて飛び出した。
「ユックヤック……」
槍にプルーンの火とユアックの雪をまとわせて攻撃する。
赤黒い炎と青白い雪が槍の柄を軸にして螺旋のような渦を巻く。太ももや肩、首や心臓をねらって俺は連続で刺突を入れた。
その攻撃のすべてをスーンの両手が無言でさばく。
ついで左手から赤い光を放出する。
光は収束し、束になった。
引き結ばれた光の束が俺に向かって発射される。
だが俺の前にワニのグラジョームが立ちはだかり、大口をあけて輝きを残らず飲み込んだ。
さらにスーンの背後からイノシシのボックが突進を食らわせる。
転げたスーンの真下からシャチのルアが頭突きを撃ち込む。
打ち上げられた彼の頭上からコウモリのアーガートが二対の翼をたたきつける。
悲鳴を上げ、スーンが俺の目の前にあお向けの状態で落ちる。
俺は斜め上から槍で心臓を突こうとする。
瞬間スーンが向かって右に体をひねり、穂先をかわした。
右手で槍の柄をつかむ。
途端、俺は槍を操作できなくなった。どんなに力を加えてもビクともしない。
ウォーウェーン(ว)の力により、スーンが俺から槍を奪い取ったようだ。
しかもスーンの左手が曙光のようにきらめく。さきほどグラジョームが飲んだ光の束よりも数十倍はまぶしい。
「――アルン」
赤い光が撃ち出される。
その直前――。
俺は右手の平を広げ、それを槍の柄にすべらせた。
右手は斜めにかたむく柄をガイドにして加速した。
俺の全身をまるごとスーンのふところに運ぶ。
プルーンの火によって溶けたユアックの雪が柄にまとわりついており、摩擦は限りなくゼロに近い。
あお向けのスーンの左手から光が放たれるよりも早く。
俺は左手を伸ばし、スーンの額をつかんだ。
それを浮かすように少し持ち上げたのち、白く輝く地面めがけて勢いよく押し込んだ。
彼は一瞬だけ耐えてみせるが――。
俺の左手の甲にグラジョームのあごとボックの鼻先とルアのひれとアーガートの翼とペートのしっぽとラートの光とユアックの雪とプルーンの炎が瞬時に集まり重なって、同時に力を加えた結果。
スーンの後頭部が、輝く地面に音を立てて激突した。
「ぐう……ッ」
にぶく、やや高い音が空気中に響く。
スーンの左手から光が消える。
奪った槍を右手からこぼす。
俺は股をひらいてスーンの両腕を左右の足で踏みつけた。
その両腕は脇腹の近くに投げ出されている。なお踏んだのは、手首とひじの中間くらいの部位だ。いや……どちらかと言えばひじに近い部分に黒い靴底を押しつけている。
ひざを曲げ、スーンの額に当てた左手の平にも力を込める。
その全身を固定し続ける。
俺の左手の平の文字はまだ赤く光っている。八体の兵隊が俺とスーンを取り囲む。
ゆがむスーンの顔を見下ろし、俺は右手をかかげて開閉させる。
「吸収したクマリーを解放してディアオの体から出ていけ。でないとこのまま左手から剣と斧を出し、頭をたたき割る」
「くく……」
身動きのとれない状況でスーンが笑みを作る。
「君に私は殺せないよ。もし殺されそうになっても私は魂とウォーウェーン(ว)の力を取り外し、再起のときを図るだけ――」
「だろうな」
ため息をつき、俺は首を回した。
「おまえを確実に殺せるのは一人しかいない」
そう言うと同時に。
スーンの右腕を踏んでいた俺の左足をずらし、その腕をスーンの頭に向かって蹴った。
右腕は斜め下からスーンの側頭部に当たった。
大きな右手が赤い光を発する。
スーンが目をカッと見ひらく。
「な……右手が勝手にうご……っ」
当の右手がなにかをつかむ仕草をする。
ついで向かって左に動き、スーンの右の側頭部から一個のかたちを引っ張り出す。
そのかたちは九十を超す老年の男の輪郭をかたどっていた。
俺が湿地帯で焼いたもとのスーンの姿に間違いない。ただしそのかたちには輪郭しかなく、髪や瞳、肌の色や衣服の有無などは判然としない。
輪郭は灰色の光でできている。まぶしくもなく、淡くもない。
もとのスーンをかたどる光が右手によってズルズルと引き抜かれたわけだ。
「ああッ!」
光の輪郭が震え、驚きの声を上げる。
しわがれた男の声である。
俺はスーンに乗っ取られていたディアオの体から手と足をどけた。
「やはりな、ディアオ。君もそろそろ復活すると思っていたよ」
「ああ、感謝しよう。トータハーン(ท)」
落ち着きと品と力強さを兼ね備えた低い声を響かせ、ディアオの体が起き上がる。
朽葉色の髪と瞳から灰色が抜け落ちる。
その状態で灰色の輪郭を見据える。
「これが【ว】ウォーウェーン・スーンの魂のかたちか。もとの体にそっくりだな」
「ディ、ディアオ……!」
スーンの頭部の輪郭は、体を取り戻したディアオの右手に捕らわれている。
「君が私の魂を取り外したというのか! それもウォーウェーン(ว)と私を切り離して……ッ!」
「貴様が弱っていたから、できたことだ。トータハーン(ท)を始めとする文字保有者たちのおかげだよ」
ついでディアオがスーンの輪郭を高くかかげる。
右手の平のウォーウェーン(ว)がにぶく光っている。
「スーン。貴様も知ってのとおり通常なら文字と本人が分離した時点で文字保有者は死ぬ。だが今のわたしにはウォーウェーンの力も半端に宿っているため無理やり文字から引きはがしたかたちにならず、貴様は輪郭として生き残っているというわけだ」
「さしものディアオも」
頭部の輪郭のほおにあたる部分がゆがむ。
「このスーンを殺せないか……!」
「いいや殺せる」
ディアオが粛々と言う。
「貴様自身が言っていただろう」
「なにを……」
「わたしも体の奥で聞いていた。ニワトリの力とは――一つの世界を始めると共に、もとの世界を終わらせる権能にほかならない……と」
この瞬間、顔なき光の輪郭が確かに青ざめた。
「【ก】ゴーガイ・ディアオ、つかさどる字はニワトリのゴー」
ディアオは輪郭の頭部を右手で持ったまま、その首の部分を左手でつかむ。
「この文字の保有者としてウォーウェーン・スーンを処理する。スーンの世界は終わり、それ以外の者の世界があらためて始まる」
「ま――」
「――貴様は都市の住民たちを殺した」
スーンの魂がおそらく「待て」と言いかけたところで、ディアオは容赦なく言葉を刺した。
「言い訳も泣き言も過去の事情も聞く気はない。反省も改心も後悔も要らん」
ディアオの左手の平のゴーガイ(ก)が虹色の光を発する。
「ただみじめに散れ。……ガムヌート」
赤、灰色、黒、亜麻色、銀色、赤茶色、栗毛の色、青、金色、黄色、緑、クリーム色、色あせた赤、朽葉色……あらゆる色の光が混ざり合い、超小規模の乱反射を起こす。
豪快な音をまきながら、魂の輪郭が裂かれて壊れる。
さけび声を聞きつつ俺は、ウォーウェーンの力から解放された槍を右手で拾った。
じきにディアオの乱反射が終わる。
最後にスーンの頭部の輪郭だけが残った。
それが後頭部を向けてこの場から逃げようとした。
しかし俺は回り込み、槍を右斜め上から振り下ろした。
「あああぁッ! なんだッ! なんでッ!」
錯乱した魂がこの期に及んで問いを発する。
「私が弱者であるはずがないッ! 私を倒すのは強者であらねばならぬッ! 今、私の前に立ちはだかるのは誰だッ! 君には私を殺す資格があるのかッ!」
ほとんど呂律が回っていない。
「誰だッ! 私を殺す者なら名乗れえッ!」
「おまえを死に追いやったのは俺じゃない」
槍を振り下ろしつつ、俺は返す。
「文字保有者たち一人一人の力だよ。俺はとどめを刺すだけだ」
「知るものかあぁっ!」
「あっそ、じゃ、最後の恩返しだ。俺は――」
右斜め上から左斜め下にスーンの灰色の輪郭を切り払ったあと、槍の穂先を左手の平に当てる。
「【ท】トータハーン・アーティット、つかさどる字は兵隊のトー」
右手の平に槍の柄の石突きを当て、穂先を左手の文字に差し込んでいく。
「プルーン」
炎の兵隊に命じる。
「焼き清めろ」
小鳥の姿の炎が翼を広げ、斜めに二分された頭部をいだく。
そうして俺の右手の平が左手の平に重なったとき――。
スーンの魂の輪郭が赤く燃焼し、線も残さず光に散った。
燃えつきる際、スーンのしわがれた声がかすれて響いた。
「ふふ、ふふふ……結局、私も終わりか。だがアーティット……やはり君も弱い者いじめは楽しかっただろう……」
「見当違いのことを言う」
俺は左手の平のトータハーン(ท)の赤い字を見つめて答えた。
「あなたは強かった」
「ふん……本当に生意気な兵隊め……」
最後の声は、少し笑っているようにも聞こえた。
次回「40.クマリー・トーン(กุมารีทอง)【前編】」に続く!
今回出てきた単語の元々の意味は以下の通り
ガムヌート(กำเนิด)→誕生




