38.【ท】兵隊のトー・アーティット【その5】
白い光でできた円柱の空間のなか、俺と一糸まとわぬスーンが目を合わせる。
崩壊した黒いあずまやのガレキの上でスーンの両腕が俺の首を押さえる。
そしてスーンは顔をゆがめた。
「ああ……まるでニワトリを絞め、自分のものにするような感覚……いいぞ」
口と鼻から荒い息を出す。
「これだから弱い者いじめは興奮する……たまらないよ。ふふ、ふふふ。君をやったあとはまだ生き残っているディアオの都市の住民を皆殺しにしてスッキリするとしよう」
「ぐ……スーン……」
俺はうめいた。
さらにこの瞬間――。
足もとの黒いガレキが盛り上がった。
残骸の下から四つ足の影が姿を現す。
影は俺のすぐ右横に出現し、スーンに臀部を向けていた。
左右の前足で全身をささえながら後ろ足で蹴り上げる。
二本の足はスーンの両腕のあいだを抜け、そのあごに直撃した。
野性味あふれる声がとどろく。
「じいちゃんだろうが謝らねえぜッ!」
うなじと額を隠す栗毛の髪が雄々しくなびく。
右斜め下から彼が俺に顔を向け、髪と同色の瞳を光らせた。
俺の目の前では筋肉質で引き締まった両のはだしがそのかかとを見せている。
彼の全身をつつむ毛羽立った栗毛の上下が躍る。腰の後ろについたしっぽのような毛のかたまりも生き物のようにのたうった。
四つ足の彼が二つの後ろ足をかかげたあと、即座にひざを曲げて脚部をひっこめる。
「【ม】モーマー・サラサルアイ、つかさどる字は馬のモー」
二つの手……いや前足を地面のガレキにつけたまま、折り曲げた脚部を再度後ろに伸ばす。
ただし今度はあごではなく、スーンの土手っ腹めがけて撃ち込む。
「おれのことは恩知らずだと恨んでくれな! じいちゃん。モーマー(ม)ありがとうッ!」
両足の裏による蹴撃をスーンはほとんど真正面から受けた。
俺の首から手を離し、そのまま声も上げずに吹っ飛ぶ。
栗毛の髪の男――サラサルアイに俺は礼を言った。
「助かった……サラサ。おかげで殺されずに済んだ」
「いいってことよ。おまえだってずっとがんばってたんだろ、あんがとな!」
……ずっとサラサルアイは黒いあずまやの屋根の下で眠っていた。
しかしスーンの青白い光によって黒いあずまやが崩壊して残骸となったことで、そのガレキのなかにサラサルアイがうもれるかたちとなった。
この状態でクマリーが俺の前に立ちふさがってスーンの攻撃を防いでくれたわけだが、おかげで足もとの残骸に潜んでいたサラサルアイも無事だった。
そのあと俺がスーンに対して「ขี้โกหก(ウソつきめ!)」という大声を浴びせたのは、その声でサラサルアイを起こすため。
起きるという確信はあった。
(サラサルアイはこの状況で、いつまでも眠っている男じゃない)
四つん這いの状態でサラサルアイは体の向きを百八十度転回させ、スーンが吹っ飛ばされたほうに視線をやる。
「おまえの力は奪われてねえよな、アーティ」
「問題ない、トータハーン(ท)は無事だ」
俺は中腰になり、サラサルアイの栗毛についている黒い破片を落とした。
「ここに駆けつけてくれた文字保有者たちを相手取ったせいでスーンもかなり弱っているようだ。今、やつは思うようにウォーウェーン(ว)の力を使えていない」
「そうか……みんなが来てくれたわけだな。道理で残り香があると思ったぜ」
サラサルアイは身を低くし、俺に背中を差し出す。
「乗りな、アーティット」
「ああ」
小さくうなずき、俺はサラサルアイの背にまたがった。ついで見えない手綱を握る。
サラサルアイが黒いガレキを蹴って飛び出し、四つ足で赤い地面を走りだす。
前方の視界には、地面に倒れるスーンが映る。
ちょうど彼はゼロ(๐)の数字のように丸くえぐれた地面のそばに横たわっている。
ここで――。
あたりの空間を限っていた光の円柱が収縮を始めた。
俺たちを丸く囲っていた光がゼロのかたちの地面を目指して一気に小さくなっていく。
追い越されないようサラサルアイは走るスピードを上げたものの、じきに光に抜かれそうだ。
「アーティ、ガレキの下から聞いてっぞ」
落ち着いた声でサラサルアイが言う。
「ラートリーのばあちゃんも含め、ほかのみんなは『存在』っていう真実を外されちまったんだよな」
「そうみたいだ」
見えない手綱を両手で握ったまま、俺は答える。
「スーンを倒せば、みんな戻ってくるだろうか」
「だいじょうぶだ」
力強くサラサルアイが返した。
「……おれ、言ったろ? 蹄鉄を上に投げて手放しても、じきに蹄鉄は自分のもとに落ちてくる。スーンじいちゃんがその蹄鉄を――みんなの真実をキャッチする前におまえがじいちゃんをぶっとばせばいい。そうすりゃ『存在』っていう外れた真実がその場にいるみんなのもとに落ちてきて、全員復活さ」
「俺もそれを信じるよ」
栗毛の髪を見下ろし、俺は小さく笑った。
「でもスーンに対してサラサがそこまで言うとは……恩義があるからつらいだろうに」
「そりゃ、おまえもだろ? 本当はじいちゃんが生きているってことで喜びたかったのにな……」
サラサルアイが乾いた声で「ま~」といななく。
「どんな事情があろうと恩を感じているのはくつがえらねえ。別に恩を否定したいわけじゃあねえ。むしろ恩を返すために恩人を追い詰めるのさ」
スーンめがけて走りつつ、サラサルアイがさけぶ。
「だからこそ――恩さえ踏みしめ、倒してこいやッ!」
白い光が俺たちのすぐ後ろにせまった瞬間――。
サラサルアイの後ろ足が地面を蹴り上げた。
一方の前足は地面をしっかりつかんでいる。
そのままサラサルアイは背中を前方へと急速にかたむけ、またがっていた俺を真正面へと一気に飛ばす。
さらに――振り上げた後ろ足を瞬時に地に戻す。
四つ足で踏ん張ったあと俺めがけて斜めに跳躍した。
ちょうど目の前に来た俺の背中に頭頂部をぶつけ、俺を勢いよく押し出す。
「じゃ任せたぜ! そしてピーのお嬢ちゃんと一緒に帰ってこい!」
この言葉が発された直後、後ろからせまっていた光がサラサルアイを抜き去った。彼の姿も見えなくなった。
サラサルアイのおかげで俺は宙を超高速で飛び、スーンの横たわる場所に着地する。
同時に、光の円柱の壁が追いついてきた。俺とスーンを飲み込むように収縮する。
白くまばゆい光が俺たちを溶かす。
* *
次に気づいたとき、俺は白く輝く空間にいた。
光は強いが目は痛くない。
熱さも感じない。
天井は見えず、まわりには果てがない。足もとの地面も含め、霧におおわれているようにも見える。
(収縮した光の円柱に閉じ込められた先でこんな空間に放り出されたってわけか。別にそれ自体に違和感はない。俺のタハーン・グラジョームの腹にしても外見以上の空間を有するからな。しかしスーンはどこにいる)
見回しても人影は目に映らない。
(……やつも俺と一緒に光に溶けたのは確実。必ずこの空間内に潜んでいる)
だが厄介なことがもう一つある。
体が――妙に重い。
夢のなかにでもいるようだ。たとえるなら「明晰悪夢」とでも言えばいいのだろうか。
(そういえばプルーンやユアックはスーンから解放されたのか? ピーを使役し続けるのもなかなか疲れるからな。ダメージが蓄積した以上、手放さざるを得ないんじゃないか)
そう思って俺はひとまず「タハーン・プルーン」と呼びかけてみた。
案の定、小鳥のかたちをした火のピーが俺の前に現れた。
――が。
そのプルーンが翼をひるがえし、俺に襲いかかってきた。
本当に悪夢のようだ。
とっさに俺は「タハーン・ユアック」と口に出し、ぼたん雪の姿をしたピーをそばに呼び戻した。
しかしユアックもプルーンと同様、俺を守ることなく吹雪と化し――その力でもって攻撃してくる。
(ゲーン・タハーンと唱えて俺自身を兵隊にし、武器で屈服させるべきか。……いや)
続けて俺は「タハーン・グラジョーム」と唱えた。
詠唱にともない、大口のワニ型のピーが出現する。どうやらスーンにやられたピーたちもすでにその身を回復させているようだ。
ただしグラジョームは口を閉じる。しっぽを振り回し、俺にぶつけようとする。
続いて……ホタルの光のような「タハーン・ラート」とトカゲに似た「タハーン・ペート」がグラジョームの背中にどこからともなく落ちてきた。
さらに俺の背後にも三つの影が加わる。
……「タハーン・ボック」と「タハーン・ルア」と「タハーン・アーガート」が俺にじりじりせまっている。
それぞれイノシシ、シャチ、コウモリのかたちだ。シャチに似たピーであるルアは、白い光の地面に半分うもれている。
計八体のピーの兵隊――タハーンたちが俺に攻撃を浴びせようとにじり寄る。
「そうか。クマリーがへそに宿っていたおかげか、このごろ俺は君たちに反乱を起こされる悪夢を見ていなかった。その反動で……クマリーが離れた今、君たちは俺を襲おうとしているわけか。対価を求めず協力してくれる君たち兵隊を俺は恐れていた。その不安が悪夢としてあらわれていた……」
無抵抗のまま、俺は話しかける。
「本当のところ君たちは兵隊として、俺になにを求めるんだ」
しかし誰も人の言葉を発さない。
「いい加減、兵隊長として俺が向き合わなきゃいけないな」
クマリーと会う前は兵隊たちを恐れ、トータハーン(ท)の文字を手放そうとしていたのに……。
今はトータハーンと俺を、切り離して考えられない。
俺に文字を刻んだスーンの本性を知ったせいで、その文字を返すのがくだらないことのように思えてきたのか。
恩以上の意味をトータハーンの字のなかに見いださなければ……ならなくなったのか。
それともクマリー・トーンというピーと過ごしたおかげで、自分のピーたちと向き合う勇気が芽生えたのか。
(……分からないさ)
だけど俺はトータハーンとして今を生きたくてたまらない。
兵隊たちに語りかける。
「君たちは『兵隊のトー』すなわちトータハーン(ท)の文字によって生きる兵隊の精霊……タハーンのピーだ。金銭とか食料とか安心とか友情とか――そんな、ぬるいものは要らないよな。だから明確な『命令』を与える。それが君たちの存在意義なら」
俺の体にタハーンたちが、すがりつく。
それに身を任せつつ、俺は静かに言う。
「トータハーンとして俺は今までどおりに『命令』する。ただしこの命令は、もう『恐怖』や『迷い』を含んでいない。ただ純粋な『命令』だ」
プルーン、ユアック、グラジョーム、ラート、ペート、ボック、ルア、アーガート……全員の姿を順に見て伝えた。
「――俺と共に戦え」
すると……俺の体を攻撃しようとしていた八体のピーが俺からそっと離れた。
俺のまわりに並び、俺と同じ方向を見る。
「ただし存在意義を与えてもらっているのは俺もだ。君たちがいるから、俺は『兵隊のトー(ท)』なんだ。ゲーン・タハーン……ホーク」
俺は左手の平のトータハーンの文字を赤く光らせ、そこから槍を引き抜いた。
次回「39.【ท】兵隊のトー・アーティット【その6】」に続く!(2月14日(土)午後7時ごろ更新)




