36.【ท】兵隊のトー・アーティット【その3】
白い光でできた円柱の空間のなか、俺はクルムと共に黒いあずまやの屋根に立っている。
目の前では、半壊した焦げ茶色のジャンク船二つが重なっている状態だ。
ほとんど残骸とも言えるジャンク船は、奥行きも幅も高さも五十メート以上の金色のあずまやの屋根の下。
さらにそのあずまやのなかでジャムークがオーアーン(อ)の力によって大量の水を出した。
金色のあずまやには、見えない壁があるらしく水槽のようにその内部に水をためた。
援軍として駆けつけてくれた【อ】オーアーン・ジャムークや【ร】ロールア・プリアは水の上に浮く焦げ茶の残骸を足場にしてスーンと交戦中である。
* *
ここでプリアさんがなにかをかむようにあごを動かす。
さらに舌を出す。舌の先端から血がにじむ。
「……ジャルアット」
プリアさんがジャムークから少し離れ、血を二滴だけ水面に落とした。
一滴は紡錘形に膨張した。
その赤い液体に木目を浮かべ、赤茶色の木造潜水艦「ルアダムナーム」に変化した。
前に俺が見たときは二十メートほどだったが、今の全長はその半分くらいだ。
やはり、かたちはレモンに似ている。
出っ張った部分を軸にしてドリルのように回転し、プリアさんから見て右に膨らむ弧をえがきながら水面を進む。スーンめがけて突進する。
とはいえ当のスーンは余裕の表情だ。
「ポーサムパオ(ภ)のジャンク船の劣化版だな」
焦げ茶の残骸に立ったまま左人差し指をルアダムナームに向ける。
すると雪の兵隊がそのぼたん雪のような身を躍らせ、吹雪を発生させた。
(スーンのやつ、俺から奪ったユアックを……)
そうして水面ごとルアダムナームをこおらせる。
「プリア。君はよく見ていなかったようだが、さっき私を飲んだ食虫植物についてもユアックで冷凍させて対処したんだ」
ついでスーンは左手の人差し指以外の指も立て、手の平のゴーガイ(ก)を赤く光らせる。その光を帯びた手刀を振り下ろす。
鋭い光が斜めに走る。
凍結した潜水艦がぱっくりと断ち割られる。
しかしその隙に、ジャンク船の残骸を走ってジャムークがスーンに接近する。
当然のように両手で器のかたちを作っている。その器には透明な水が張っている。
両手の平で作られた小さな水面にスーンの顔が映し出される。
現在スーンはディアオの体を乗っ取っているのでその顔もディアオのそれである。灰色の混じった朽葉色の髪は整っており、かつ同色の目は力強い二重まぶただ。
器のかたちを崩さず、ジャムークが水面の顔に左右の親指を突き入れる。
「グラジョック」
ここで「鏡」を意味する言葉を唱えた。
俺も食らったことがある技だ。指で水面の顔をつついて波紋を作れば、そこに映った本人に激痛が走る。
当のスーンにも効いているようだ。
「……がっ……あ、あ……ッ!」
かなり痛かったらしい。
スーンが両手で顔を押さえ、ジャンク船の残骸の上でひざをつく。
加えて、スーンの向かって右手から――。
弓なりの弧を引き、プリアさんがスーンに接近していた。
プリアさんは緑のハスの葉に乗ってそれをサーフボードのように操作しながら水上を移動している。
「ルーク・ポーン……っ」
彼女の詠唱にともない、淡い黄色のレモンが宙に出現する。
そのレモンは風船に似た挙動を見せて飛行し、スーンの頭上に来たあと破裂した。
衝撃をまき散らす。
金色のあずまや内部の空気が揺れ、水面とジャンク船の残骸が震える。
レモン風船は次から次へとプリアさんのそばに現れ……スーンに近寄り、爆発していく。
スーンは顔を両手で押さえたまま、指の隙間から声を漏らす。
「ぐ……っ、君たちは寄ってたかって一人を攻撃して恥ずかしくないのか……ッ!」
「そういうセリフは」
ハキハキした少年の声が反響する。
半壊したジャンク船の後部甲板のかげから、全身に鎖を巻いたガムランが姿を見せる。
「お友達と仲よくゲームをやっているときか、オマエがなんにも悪いことをしていないのに不当なあつかいを受けたときにだけ言うんだな、スーン。だが都市を攻撃したのはやりすぎだ。ボクもかばいきれねえよ」
黒い鎖を右手で回して勢いをつけ、それを飛ばす。
「そもそもディアオの体を乗っ取ったオマエをサシで押さえられるわけねーだろ。もとの体のままでもオマエは存分に強かったんだから……」
「……ふん」
飛んできた鎖をスーンが右ひじではじき飛ばす。
「うれしいことを言ってくれるじゃないか。それと……私は私の意思で行動している。今さら君にかばわれる筋合いなどないぞ、ガムラン」
「……そうか」
ガムランは色あせた赤い瞳を細め、さびしそうに返した。
このタイミングでジャンク船の船首側の残骸のかげからネズミ色のマントをまとったキアが無音で飛び出す。
キアがサーベルを構え、死角からスーンを襲う。
ガムランが鎖を飛ばし、スーンの動きを念入りに封じる。
ジャムークがあたりの水をあやつり、鞭のようにして攻撃する。
プリアさんはレモン型の爆発物をぶつけ続ける。
スープパン、エーン、ジョットマーイも再び姿をさらす。
一斉に攻撃されないよう、まとまって行動せず互いに距離をあけながら戦う。
スープパンは紫色の筒状の箱を出現させ、なかから色あせた縄を撃ち出す。
エーンは赤いタコを浮かせ、スーンの手から発生した光をことごとく吸い込む。
ジョットマーイはペンギン型の精霊を船員として呼び出し、あたりの残骸をスーンめがけて投てきさせている。
ウォーウェーン(ว)の文字によって力を取り外されないよう、ヒットアンドアウェイでスーンにダメージを与えていく。
疲労したときはジャムークの両手にたまった水で顔を洗い、回復する。
当のスーンはディアオの肉体を使って彼らの攻撃をさばいていく。
全方位に注意を向けながら、左手からゴーガイ(ก)の光を発射する。右手のウォーウェーン(ว)で敵にふれようとする。俺から奪ったプルーンとユアックを使役して戦闘を支援させる。
(クルムの金色のあずまや「サーラー・トーン」によってスーンは弱体化しているはず。なのにまだここまで戦えるのか)
しかしスーンを囲む文字保有者たちは怖じずに立ち向かっている。
俺は黒いあずまやの屋根でその光景を観察しつつ、ため息をついた。
「そろそろ俺も復帰できそうだ。でも、どういうことなんだ……?」
「あら~、アーティットちゃ~ん」
右隣にたたずむクルムが俺に流し目を向ける。
「屋根の上でも自分の傷口がふさがったり骨がつがれたり体力もろもろが回復したりしているのが不思議かしら~。おばさんのあずまやは~、屋上であっても安らぎをプレゼントするのよ~」
「いや、そこはありがたいんだが不思議に思ったのは別のことだ」
俺は右手の指を折り、この場に助けに来てくれた文字保有者たちの名前を挙げていく。
「【อ】オーアーン・ジャムーク、【ภ】ポーサムパオ・ジョットマーイ、【ฬ】ロージュラー・エーン、【ร】ロールア・プリア、【น】ノーヌー・キア、【ศ】ソーサーラー・クルム、【ห】ホーヒープ・スープパン、【ซ】ソーソー・ガムラン……」
指の数が足りなかったので、五本を折ったあとに三本だけ立てる。
「文字保有者のなかでも、なんでこの八人がここに駆けつけてくれたんだ」
「それについては、わしが説明するのじゃ」
吐息を多く含んだ声が後ろから響いた。
声に気づいて振り向くと、ホーノックフーク(ฮ)が腰に当てた右手首と左手首をぱたぱたさせながら空中に浮いていた。
灰色の足袋も長袖の上着もロングスカートも血でよごれており、ところどころが破れている。
「ソーサーラー(ศ)のおかげで、だいぶ元気になったからのう」
ボサボサした銀色の長髪をなびかせ、髪と同色の瞳をきらめかせる。
幼さとりりしさが同居する十代なかばの女性のような顔を強気に引き締め、ホーノックフークが俺に吐息を吹きかける。
「ほー、ほー。このあずまやの屋根の下であお向けになっているモーマー(ม)もあと少しで回復するじゃろうしな。一時は絶望的と思われた戦況も、今ではわしら有利になりつつある」
「ジョットマーイがみんなを連れてきてくれたからな」
俺は金色の巨大あずまやのほうをちらりと見て言葉を続ける。
「だが人員の選定基準が不可解だ」
「とぼけておるのう、トータハーン(ท)。そのほうも察しておるだろうに……」
俺の左隣に移動し、ホーノックフークが淡々と口にする。
「あやつらがここに来られたのは、クマリーに文字をなぞってもらっていたからじゃ」
確かに、光の円柱で囲まれたこの空間に今いるのは――。
俺とサラサルアイとホーノックフークも含め、例外なくクマリー・トーンと直接ふれ合った者たちだ。
「当然わしはそれに関する真実をすでに閲覧しとる」
ホーノックフークがこほんとせき払いを挟む。
「……鎖を介してわしの窮状を把握したソーソー(ซ)はポーサムパオ(ภ)を呼んでロージュラー(ฬ)のもとに行った。ロージュラーは事態を重く見て文字保有者たちに緊急招集をかけてくれた。結果、二十人以上がジャンク船に集まったのじゃ」
「そんなに駆けつけてくれていたのか」
どこか俺はうれしかった。
「……だが円柱に限られたこの空間に現れたのは八名だな」
「スーンが発生させた光の円柱には外部からの侵入を防ぐ効果もあるのじゃ。よってポーサムパオ・ジョットマーイの力をもってしても普通は入れぬ。ただし円柱はゴーガイ(ก)の光をウォーウェーン(ว)の着脱能力によって空間に定着させたもの……ここが鍵になったのよ」
「鍵?」
「説明するのじゃ」
首をかしげる俺をホーノックフークがはすに見る。
「クマリー・トーンはすでにウォーウェーン(ว)の字とほぼ一体化しておる。このクマリーを文字ごとスーンは吸収した。よってスーンがウォーウェーンの力を行使する際、どうしてもクマリーの影響を受けることになる」
「なるほど、つまり」
俺はホーノックフークに視線を返し、言葉を引き取る。
「ウォーウェーンの力で実現した光の円柱も例外なくクマリーを無視できないってわけか」
「しかり。空間を限る円柱にはクマリーの一部も溶けておるのじゃよ」
ホーノックフークが左右に首を大きく回す。
「かつクマリーがスーンに取り込まれたのをよしとしないのであれば、助けてほしいと願うよなあ。では何者に助けを求める?」
「ここ数日で交流した文字保有者たちだな」
立てたままの指を俺は振った。
「彼らを選ぶのが一番自然だ。クマリーはどの文字も保有者も気に入っていたし、その力も見ていた」
「だからクマリーはスーンに吸収されてなお、その文字保有者たちへと光の円柱に入る許可を与えたのじゃ。ほとんど無意識のうちに抵抗したと言えるのう。ただし今の彼女はすべての文字を知らぬ。よってクマリー自身の学んだ文字……それらを保有する者にのみ空間への扉をひらいておるわけよ。ポーサムパオもこの空間に入る際、人員を選抜せねばならんかったようじゃ」
「……そんな経緯で俺たちの仲間のうち特定の八人だけがここに来られた、か」
「ありがたいことじゃ。とはいえ悔しくもあるのう」
左右の手を小刻みに動かし、ホーノックフークが少し前に出る。
「現状、わしがもっとも戦闘で役に立っておらぬではないか。このままではメンツが立たぬわ。というわけで、ちょいと行ってくる。あー、トータハーンはまだ休んでおれ」
言うやいなやホーノックフークが灰色の衣装をはためかせ、金色の巨大あずまやのなかに飛び込んだ。なお見えない壁は上空にないらしく、高所をとおって戦場に入る。
文字保有者たちの攻撃を受け続けるスーンの前で滞空する。
「そのほう、さんざんわしを痛めつけてくれたの。ほ~っ」
怒気と嘲笑と憐憫を吐息に込めつつ、名乗る。
「【ฮ】ホーノックフーク・ラートリー、つかさどる字はフクロウのホー」
頭部を左右に倒し、まばたきもせず凝視する。
「無能と思われてもシャクなんでのう。せめて仲間の攻撃に便乗してイキらせてもらおうか。……ロム」
唱えると同時に、周囲の水面とジャンク船の残骸が振動する。
どうやら彼女は風をあやつろうとしているようだ。
しかしスーンは口の端を上げ、一足飛びでホーノックフークのふところに飛び込んだ。
「――接近したのは間違いだったな」
スーンの右手の平がひらかれ、ホーノックフークの額をわしづかみにする。
「くらあぁッ!」
クラーとは「奪う」という意味。おそらくスーンがウォーウェーンの力を発動したのだ。
続いてホーノックフークがスーンの手から離れ、水面に落ち、沈む。
焦げ茶の残骸の一つに着地し、スーンが高笑いする。
「ははははっ! ホーノックフーク(ฮ)の権能を取り外し、私に――はめなおしてやった! これで私の前で過去と現在の真実が丸裸となる。さあ世界よ、すべてをさらけ出すがいいッ!」
口調からして、よほど気分が高揚したようだ。
だが――。
「……あ? こ、これはなんだ……っ! 全身が、毛穴の一つに至るまでグチャグチャになったようだ……ッ!」
直後、スーンが苦悶と混乱のさけびを上げる。
そして、のたうちまわる彼の目前の水面でホーノックフークの頭が浮上する。
「普段のわしの苦労が身にしみたじゃろう?」
今度は完全に嘲笑する声で「ほっほっほ」と愉快そうに頭を震わせる。
「視界に映るものには数えきれぬ真実が――情報が含まれておる。それに耐えられんかったか? いやちょいと違うか。無数の情報という『蔵書』が大口をあけて文字どおりこちらの全身をくまなく食おうとしてくるのよなあ? 常人も狂人も超人も等しく壊れる美しい体験じゃ」
この瞬間――痛みで転がるスーンを見つめるホーノックフークから、笑みが消えた。
首を右へと直角にかたむけ、真顔で言う。
「真実にふれたいなら出なおせ。……フクロウにでもなってのう」
「ぐ……ッ!」
ほかの文字保有者たちの攻撃もなんとか受け流しながらスーンがうなる。
「今まで秘密にしていたか、ホーノックフーク……」
「いや別に」
無感情にホーノックフークが言葉を返す。
「もともとわしは文字を刻まれる前からそういう生活しとったし……こんな状況、当たり前のことすぎて言及の必要も感じておらんかったわ」
「おのれ……っ!」
逆上したスーンは右手を大きく振り下ろした。
同時にホーノックフークが水面から体を引き抜き、水上に出る。
「結局、取り外すか。なら返してもらうぞ」
ホーノックフークは逆立ちで宙に浮き、今度はわざと額への一撃を食らった。
「……よしよし、わしに力が戻ったのう」
背中の文字が衣服越しに赤く光る。
「外したものをはめなおしてくれるとはお利口さんじゃなあ、スーン」
次回「37.【ท】兵隊のトー・アーティット【その4】」に続く!
今回出てきた単語の元々の意味は以下の通り
ジャルアット(จรวด)→ロケット
ルークポーン(ลูกโป่ง)→風船
ロム(ลม)→風
クラー(คร่า)→奪う




