35.【ท】兵隊のトー・アーティット【その2】
ジョットマーイを始めとする文字保有者たちの援軍が来てくれたおかげで、ホーノックフーク(ฮ)もサラサルアイも俺もスーンに殺されずに済んだ。
エーンがタコアゲによって今の状況をみんなに伝えてくれた。
また、スーンとの戦いで傷ついた俺たちをクルムがあずまやで癒やしてくれている。
俺はまだ動けない。
だが【น】ノーヌー・キアが暗殺者らしくスーンに奇襲をかけた。
さらに【ซ】ソーソー・ガムランがスーンを鎖で拘束した。
* *
ここでやる気のない声がスーンの右斜め上から響く。
「まんごーん……พูดสองครั้งเพราะมันสำคัญ(大事なことなので二回言ったよ~)」
かたむいたジャンク船の後部甲板に女の子が立っている。
格好は黒い長袖のダボダボシャツに白のマイクロスカート、赤茶色のモカシン。
白い棒を口にくわえ、クリーム色の目を半分閉じている。
目と同色の羊毛のような髪を腰の前後に垂らす。
そんな彼女が眠そうに右手を持ち上げ、口から棒をすっと抜く。
棒の先端部には紫色の筒状のアメがついている。
その立体が溶ける。
アメのなかから色あせた糸が飛び出す。
糸は宙を自力で泳ぎながら大きく太くなり、縄へと成長した。先っぽにシカのようなツノやナマズに似たヒゲが生じる。胴体から鋭い爪を持つ手足が生える。
そうして縄は、長さが三十メート・太さが一メート以上もある竜の姿をかたどった。
ただし体はあくまで色あせた縄であり、目と口を欠いた状態だ。
だが俺はそれ以上に――。
現在彼女が出している縄と、【ง】ンゴーングー・リアンゲが図書館塔の大部屋に仕込んでいた縄とが酷似していることが気になる。大きさはともかく、色あせた感じが妙に似ている。
「あれはリアンゲちゃんの縄をより合わせたものね~」
まだあずまやの下であお向けになっている俺の左隣でクルムが解説する。
「ほら、きのうリアンゲちゃんが死んじゃったあと~、大部屋でたっくさん縄を回収したじゃな~い? それをスープパンちゃんが~、自分の『箱』のなかにしまっておいたのよ~。今はそれを使ってるわけね~」
ともあれ太い縄でできた竜は空中を左右に旋回したあと、ガムランの鎖で縛られているスーンめがけて斜め上から急降下した。
すくい上げるようにしてスーンを空中に打ち上げ、竜が全方位から連撃をたたき込む。
ダイナミックに身をくねらせながら頭部、ツノ、手足の爪、しっぽだけでなくナマズのようなヒゲまでスーンに突き刺す。
甲板に立つ女の子は目を半分閉じたまま、シャツのポケットに両手を突っ込んでけだるく名乗る。
「【ห】ホーヒープ・スープパン、つかさどる字は箱のホー」
とはいえ竜に一方的に攻撃されているスーンに声が届いているかは定かでない。
ゆっくりまばたきしてスープパンがつぶやく。
「ปัง(やっば)」
大きく口をひらいてあくびをするスープパン。そのクリーム色の両目に涙がにじむ。
とはいえ竜の連撃にさらされているスーンもこのまま終わる男ではない。
「ンゴーングー(ง)のまねごとはやめろ! お子さまがッ!」
怒号をとどろかせ、上半身と両腕にからみついていた鎖を引きちぎる。
ついで左手のゴーガイ(ก)を赤く光らせる。
「アルン!」
手刀から曙光がほとばしり、刃物のように竜を切り裂く。
(ディアオの都市を破壊した技か! 威力の桁が違う)
曙光は縄の竜をズタズタに引き裂き、ジャンク船の甲板に立つスープパンにもせまる。
しかしスープパンは突っ立ったまま動かない。
そんな彼女の前に五本足の赤いタコが風船のように浮上してきた。
スープパンとは別のサバサバした女の声が聞こえる。
「……サイローファー」
詠唱と共にゴーガイ(ก)のすべての光が屈折し、一斉にそのタコに進路を向けた。
赤いタコに、スーンの放ったアルンの曙光が残らず吸い込まれる。
心なしかタコはゆで上がったようにさらに身を赤くし、湯気を立ちのぼらせた。
タコの下からは糸が垂れており、これにつながった棒を女が持っている。
棒を右手で持ち、かつ糸の一部を左手でつまんでタコと共に宙に浮いた状態だ。
赤茶色の髪と目を持つその女は日焼けしており、紺色の水着を身につけている。
「【ฬ】ロージュラー・エーン、つかさどる字はタコのロー」
エーンはいつの間にかホーノックフーク(ฮ)のそばから離れていた。
タコアゲによる情報共有を終わらせたということで、エーン自身も戦闘に加わるようだ。
「あ、ウチが水着なのは気にしないで。図書館塔から帰って島でくつろいでいるところにマーイちゃんがやって来てなんかラーちゃんたちがヤバいらしいことを知らせてくれてねー。そんでジャンク船に慌てて乗ったもんだから着替えるのを忘れたんよ」
「どうでもいい話だ……」
鎖から解放されたスーンが、地上のジャンク船の残骸に着地する。
対するエーンはタコの糸にぶら下がって話を続ける。
「じゃ、別のこと話そっか。ウチ、スーンさんのこと好きでも嫌いでもなかったけど……なんでディアオさんの体を乗っ取るなんていう回りくどいことしたん? 弱い者いじめしたいなら、最初から自分で自分にウォーウェーン(ว)以外の四十一字を刻めばよかったよね」
「のっぴきならない事情があってね、エーン」
右手のウォーウェーン(ว)をちらりと見て、スーンが苦々しく答える。
「もとの私の体では一字を保有するのが限界だったのさ。ゆえにウォーウェーン以外の文字を刻むことができなかった」
「ふーん、そうなん」
エーンは左手につまんだ糸をクイクイ引っ張りながら応じる。
「じゃ、今も無理してんじゃないの」
「ディアオの体を手に入れてからは余裕だよ――む?」
……ここでさらに戦いの場に変化が起こる。
現在は……白い光の円柱のなかのフィールドに、半壊したジャンク船二隻ぶんの残骸が散らばっている状況である。
ジャンク船を出現させた渦巻状の雲が上空に停滞している。
この雲が突如として消失した。
代わりに金色の建物がどこからともなく落ちてきた。
「サーラー・トーン」
まるで耳ではなく目のほうに入ってくるような、不思議な声があたりに響く。
スーンの頭上に落下してきたのは、金色に輝く「あずまや」だった。
切妻屋根の四つのすみからも金の柱が延びている。
しかもサイズは五十メートを超すジョットマーイのジャンク船以上。
その金色のあずまやが四本の柱を地に下ろし、ジャンク船の残骸のほとんどを屋根の下に収めた。
あずまやの天井も金色に光り輝いているため、屋根の下は明るいままだ。
「【ศ】ソーサーラー・クルム、つかさどる字はあずまやのソー」
俺とサラサルアイの横たわる黒いあずまやの柱を伝って屋根にのぼり、クルムがスーンに話しかける。
「この金色のあずまや『サーラー・トーン』はね~、そのなかにいるもっとも強い子を~、ちょっと、よわよわにしちゃうの~」
今の俺からはクルムの姿は見えないが、その演技めいた声を聞いていると黒いレースを重ねたようなドレスや角度によって色が違って見えるクルムの髪と瞳が強烈に連想される。
「……って言えば~、スーンちゃんも~、気持ち的にしょんぼりしちゃうかしら~」
「相変わらず、ふざけたしゃべり方をする女だ」
スーンが足もとの残骸を強く蹴り、走りだす。
金色のあずまやから出ようとしているらしい。そのまま俺たちのいる黒いあずまやに接近する。
「最優先につぶすべきはソーサーラー・クルム、君だな」
「あららら~」
依然としてクルムは語尾を間延びさせている。
「スーンちゃんってば、わたしが寿命を延ばせないからって私怨をいだいているんじゃないの~? これまでわたしが癒やしてあげてたのに、スーンちゃんったら急に湿地帯の奥に隠れ家を持ったりして~、わたしのこと嫌いになったのかな~。ま、それはそれでうれしいんだけどね~。わたし、恩をあだで返されるの大好きおばさんだから~」
「……そろそろ口を閉じろ」
スーンの右目近くに青筋が立つ。
クルムはふふっと笑い返す。
「わたしばかり見てると~、足をすくわれちゃうわよ~」
「ご忠告どうも――ぶっ!」
スーンは金色のあずまやから出ることなく、左方向に転倒した。
どうやら、足もとの「水」ですべったようだ。
その真後ろに、落ち着いた色合いの正装を着た青年が立つ。
薄い青の上着に、白いズボンと靴が見える。
短く整えられた清潔感のある髪も切れ長の瞳も黒である。
やせた長身のその青年は両手の小指をくっつけて上に向け、器のかたちを作っている。
その両手が合わさって、一つの赤い字を見せている。
青年が、冷たく上品な声を出す。
「【อ】オーアーン・ジャムーク、つかさどる字は洗面器のオー」
手の器からこんこんと透明な水が湧き出る。
あふれた水が地上に落ちる。
「残念ですよ、ウォーウェーン(ว)。一度はあなたさまが殺されたと勘違いしてわたくしも本気でおこっていたのですが……あなたさまが一般のかたがたを手にかけたとなれば話は別です。ディアオさまを器にして体のなかに入っているのも許しがたく思います」
ジャムークの上品な声と共に周辺が水で満たされていく。
「察するに……ディアオさまの体を乗っ取る際にクマリーさまも利用しましたね? せめて死ぬ前に、首でも洗ってくださいな」
水位が急上昇する。
ただし一滴も金色のあずまやの外に出ることはない。
(あずまやに、見えない壁があるようだ……)
巨大なあずまやを水槽にしてその内部で急激に水がたまっていく。
ジャンク船の焦げ茶色の残骸も浮き上がる。
ともかく戦いを観察しやすいよう、俺も柱をのぼって黒いあずまやの屋根に移動する。
(ちょっとは動けるようになったからな)
クルムの左隣に立ち、戦況を確認する。
焦げ茶の破片を足場にしてジャムークとスーンが対峙している。
「……偉そうにするなよ、ジャムーク。君も私の手の平で踊っていたにすぎないんだから」
「わたくしに頼んでいた定期の洗顔が、そもそもの仕込みだったわけでしょう?」
両手から水をこぼし続けつつ、ジャムークがスーンに答える。
「おまけにンゴーングー(ง)を使って遺体をタライのなかに寝かせることまで……したのですよね」
「事件捜査をかく乱したかったからね」
スーンが薄く笑う。
「なによりタライ(อ่าง)は『オーアーン(อ)』の君を連想させてくれるだろ?」
「少し、わたくしも見えていませんでした。ですので、こうして――」
水をためた両手を持ち上げ、ジャムークがパシャパシャと音を立てる。
「――顔を洗って出なおしてきたのですよ」
直後。
スーンの立つジャンク船の残骸が割れた。
すかさず真下から……外が緑で内側が赤いハエトリグサに似た食虫植物が出現し、放射状に口をひらいてスーンを飲んだ。
「ワッ……ワタシでも捕らえられた。ホントにクルムさんの力が効いてるんだ……」
遠慮がちな声を出しながら、ジャムークの近くの水中から少女が顔を出す。
雑に縛られた髪とよどんだ目は相変わらず青っぽい。
ジャムークが彼女に両手を差し伸べる。
少女は少しためらったあと、まだ水がちょろちょろ出ているその手を取った。
「あ……ありがとう……ございます……」
本人はジャムークが苦手らしく、口ごもりつつ礼を言う。
彼女の体が水中から引っ張り出される。前開きの水色の上着も丈の短い白いワンピースも濡れて体に貼りついている。
そして白のバレエシューズの靴底で焦げ茶の破片の上に立った。
続いて二人の足もとにパイプのかたちをした緑の潜望鏡が投げられ、転がった。
「これが食虫植物の正体だったわけか。成長したものだ」
浮いた残骸の一つにすがりついたスーンが、水から体を引き上げる。
「久しぶりだね、プリア……思い出すよ。君に対してだけは無理やり文字を刻んでみた。あのときは痛かっただろう?」
すくみ上がるプリアにスーンが笑みを向ける。
「それで従順なコマになるか試したんだ。だから君の記憶も奪わなかった。だが君は潜水艦に籠もって私との接触を完全に絶ってしまった。とんだ失敗事例だな」
「……コ、コマにしたかったなら」
潜望鏡を拾いつつ、彼女が震えた声で問う。
「ウォーウェーン(ว)のアナタには……もっと、いい方法があったんじゃないんですか……」
「文字保有者たちについて私への警戒心を取り外したうえで好意をはめ込む――という方法も考えたが」
スーンがかぶりを振る。
「さすがにそこまで分かりやすく動いてしまうと、こちらの真意が露見するに決まっているからな」
「……ぞっとします。ディアオさんの体でしゃべっているのも気持ち悪い……! ワタシはアナタが許せません。……百パーセント個人的に……っ!」
左手の平の赤い文字をなぞり、彼女が涙目でスーンをにらむ。
「【ร】ロールア・プリア、つかさどる字は船のロー」
カタカタ肩を震わせて、あえて口上を言いきった。
「よりによってロールア(ร)の字はアナタの字(ว)に似ているし……ウォーウェーンを早く別の誰かが継承してくれることを願います……っ」
次回「36.【ท】兵隊のトー・アーティット【その3】」に続く!
今回出てきた単語の元々の意味は以下の通り
プート(พูด)→言う
ソーン(สอง)→2
クラン(ครั้ง)→○○回
プロ(เพราะ)→なぜなら
マン(มัน)→それ
パン(ปัง)→やばい
サイローファー(สายล่อฟ้า)→避雷針




