34.【ท】兵隊のトー・アーティット【その1】
ディアオの体を乗っ取ったスーンはウォーウェーン(ว)の文字と共にクマリーも吸収した。
俺とサラサルアイとホーノックフーク(ฮ)はスーンの常軌を逸した力の前に敗れ去ろうとしていた。
だが――この土壇場で焦げ茶色のジャンク船が上空より現れ、スーンを押しつぶしてしまった。
現在、俺のいる直径百メートほどの原っぱは光の円柱で限られている。
この空間にジャンク船を持ってきたのは、【ภ】ポーサムパオ・ジョットマーイ。
すぐに船体は崩壊を始めたが……。
ジョットマーイは、この場に文字保有者たちを連れてきてくれたようだ。
* *
ジャンク船の中心から亀裂が上に向かって走った。
結果、船の中央が崩れ去る。木材の破片が重なり、原っぱの上に積もる。
ただし後部甲板と船首付近の船体は完全には崩壊せず、ややかたむく程度で済んだ。
ヒビが入り崩れたジャンク船の下から男が顔を出す、
ディアオの肉体を得たスーンが、自分の上に落ちた船の残骸を手で払う。
灰色の混じった朽葉色の瞳で、崩れた木材の上に立つジョットマーイをにらんでいる。
ジョットマーイは物怖じせず、水兵帽のつばを右手でつまんだまま亜麻色の瞳をスーンへと向け返した。
(スーンは健在か。でもジョットマーイがなんでここに……? いや、まずは彼女に今の俺たちの状況を説明しないと)
そう思って俺は、あお向けのまま声を出そうとした。
が、その必要はなかった。
口内にからあげが出現したからだ。
タコのからあげである。それを食べると今の状況が一瞬にして頭に入ってきた。
【スーン殺害の黒幕はスーン自身だった。スーンこそがリアンゲをそそのかしてもとの自分を殺させた張本人。現在スーンの魂はディアオの体を乗っ取っている。この乗っ取りこそがスーンの目的だったのだ。ウォーウェーン(ว)の力で真実を取り外し、ホーノックフーク(ฮ)さえもスーンはあざむいていた】
さらに、からあげによる味覚言語は次のように続く。
【ディアオの体を乗っ取ったスーンとはすでに交戦状態にある。ゴーガイ(ก)の光は即死級なので注意。かつ、さまざまな力を着脱できるウォーウェーン(ว)も厄介。力を奪われないよう非接触で戦え。さきほどスーンはディアオの都市に攻撃し、人々の半数以上を殺した。容赦なく右手のウォーウェーンの字を切り落とせ】
からあげを飲み込んだ俺は頭を持ち上げ、ホーノックフーク(ฮ)の倒れているほうに目を向けた。
いつの間にか、そこに黒い「あずまや」が建っている。
あずまやのなかでホーノックフークが上体を起こしている。
ホーノックフークの向かって右に日焼けした女がいた。
ボリュームのある長い髪もその瞳も赤茶色。格好は紺色の水着姿である。
白い糸をまとめた棒を左手に持ち、五本足の赤いタコを風船のように宙に浮かせていた。
タコからは泡のようなものが生じている。ジューという音も聞こえる。
また、四つあるあずまやの柱の一つに別の人影が背を預けている。
俺から見て左側の手前の柱にその女性がいる。
黒いレース生地を何枚も重ねたようなドレスを着こなす、穏やかな顔をした長身の女性だ。黒いガラスの靴も特徴的である。
派手にカールした髪も瞳も黒いが、見る角度によってその黒は別の色にも見える。
日焼けした女は【ฬ】ロージュラー・エーン。
黒い衣装の女性は【ศ】ソーサーラー・クルム。
クルムはあお向けの俺と目を合わせる。そばでうつ伏せになっているサラサルアイにも視線をやる。
あずまやの柱から離れ、駆け寄ってきた。
「サーラー・ダム。アーティットちゃんもサラサルアイちゃんも死なせないわよ~」
甲高い声と共に自身のドレスからレース生地をはぎ取る。
レースが大きくなり、変形する。縦・横・高さ三メートほどのあずまやが俺たちのそばにできあがる。
おととい図書館塔の大部屋で用意してくれたものと同じ構造だ。屋根は切妻である。
クルムは俺とサラサルアイを軽々と両手にかかえ、切妻屋根の下に移した。
あお向けの状態で俺はサラサルアイの左隣に横たわる。
足はジャンク船のほうを向いている。
あずまやのゆかは固く寒いが、心地よさと安らぎも感じさせる。
心身がゆっくり回復していくのが分かる。
にこやかな表情のクルムがしゃがみ、俺の左目に口もとを近づける。
「ここに駆けつけたみんなはおばさんも含めてもう状況を把握してるわ~。おばさんのあずまやで回復したラートリーちゃんからエーンちゃんが真実を聞いて~、オハコの『タコアゲ』で情報をこの場の味方全員に送ってくれたのよ~」
相変わらずの演技めいた話し方とはいえ、妙に安心できる声である。
(やっぱり、さっきのからあげは……そういうことだったか)
俺は再び頭を持ち上げる。
戦況を確認すべく、ジャンク船のほうを見る。
スーンと対峙しているジョットマーイもあごを動かし、なにかを飲み込む。
そのままスーンをにらみ返す。
「スーンさん。覚えていますか」
水兵帽をさわりつつ、ジョットマーイがまばたきする。
「前に乗っていた船が沈んであたしが生きる気力を失っていたとき……あなたはあたしにポーサムパオ(ภ)の字を刻んでくれました。だからあたしはジャンク船で空をも自由に駆けることができるようになったんです。それで、沈んだみんなのぶんも航海しようと決意できたから……あたしは今も生きているんです」
「だったら私のコマになってくれよ、ジョット」
右手の平のウォーウェーン(ว)と左手の平のゴーガイ(ก)を見せつつ、スーンが言う。
「君は私に不意打ちを食らわせたが……アーティットもサラサもホーノックフークも私との交戦中に君を呼ばなかった。チケットをかかげてクンクルアンビンと言えば済むのにね。三人がそれをしなかったのは、君が最初から頼られていなかったからだ。しかし私は君の価値を充分に分かっている。だから――」
「その言い分は見当外れです。敵対する人間の前であたしのジャンク船を堂々と呼んだら撃墜されるリスクがあります。そのためアーティットさんたちはジャンク船を呼べなかったんです。それからコマの件ですが」
ジョットマーイが水兵帽から右手を離す。
「無理ですね。ジャンク船をあやつれるのはコマじゃなく、船長のあたしだけだから」
――そう断言し、なにも持っていない両手で時計回りの弧をえがく。まるで舵輪を回すように。
「プーム・トゥーム」
すると、新たな雲が渦巻きながら上空に出現した。
雲のなかから二隻目のジャンク船が飛び出した。
船首から船尾までが五十メートを超す焦げ茶色の物量が再びスーンめがけて落下する。
スーンは余裕の表情で船底をあおぐ。
「来るのが分かっているのなら――」
彼が左腕を突き上げる。
こぶしから光の柱が立ち、ジャンク船の底に穴をあける。
船の破片が雨となって地上にそそぐ。
――ここで破片の一部からなにかが姿を現した。
ネズミ色のマントを羽織った小さな体だった。黒のマフラーで顔の下半分を隠している。カーキ色の靴にズボン、白いシャツがマントの下にのぞく。
フードでおおわれた頭部からは、長さの不明瞭な金髪が見える。金色の瞳が鋭く光る。
マントの人影は刃渡り十五センティメートのサーベルを持っていた。
その切っ先が後ろからスーンの首にせまった。
「があ……っ!」
うなじをはすに切られたスーンが苦痛の声を漏らす。
声を出しつつ、現れた人影に右こぶしを放つ。
こぶしには俺から奪ったプルーンの火が宿っており、殴打に合わせて炎が散る。
だが人影はマフラーをほどき、燃えるこぶしにそれを投げた。
すると火の勢いが弱まった。その隙に人影が後退する。
俺はその様子を観察しながらリアンゲ暗殺後の彼女のことを思い出していた。
(そういえば、彼女の服は燃えにくい素材。炎の兵隊によっても燃えなかったっけな)
距離をとった人影が、首を押さえるスーンを見据える。
「【น】ノーヌー・キア、つかさどる字はネズミのノー」
マフラーがなくなったことでキアの顔が明らかになる。その容貌は麗しく整っている。
少々あまったるく、語気の鋭い声をはく。
「ウォーウェーン(ว)、早く貴様のいのちを散らせ」
「今のは完全に首を落としにかかっていたな……」
スーンが左手を患部にあてがう。サーベルで切られたうなじからは血が漏れ出している。
「ところでキア。あわれなリアンゲは君が殺したんだろう? 私のために、ご苦労だったね」
「貴様のためだと?」
右手のサーベルを回し、キアが無感情に答える。
「われはホーノックフーク(ฮ)専属の暗殺者。ホーノックフークのために動くことはあっても貴様のためになど断じて動かん。ゆえに貴様にも死んでもらう」
「ちょっと怖いぞ」
余裕ぶってスーンが返す。
「でも本気でかかると私が乗っ取っているディアオまで死ぬかもしれないよ」
「心配なら出ていけ」
キアは冷たく言い返し、ジャンク船の残骸のなかに消えた。
半壊した二隻の船が重なっている状態なので、隠れる場所はいくらでもある。
そもそもキアは二隻目のジャンク船から現れたようにも見えたが、実際は最初から一隻目のほうに乗船していた。
スーンに奇襲をかけるまでは、壊れた一隻目のかげに潜んでいたわけだ。
(そして……それはほかの文字保有者たちも同じだ)
一方、スーンは患部を押さえた左手から淡い光を放つ。
ここでキアに代わってジャンク船のかげから新たな人物が現れた。
「――傷口をふさごうとしてるな?」
ハキハキとした少年の声が響く。
スーンの真正面に、全身に黒い鎖を巻いたガムランが姿を現したのだ。
背の低い少年の体をおおう鎖以外のものは、袖のない白シャツと群青色のズボン、先のとがった靴。
耳を隠す程度の髪と水平に引かれたような両目は色あせた赤に染まっている。
鎖の一つを右腕から飛ばし、スーンの左手に巻きつける。
「【ซ】ソーソー・ガムラン、つかさどる字は鎖のソー」
巻きつけた鎖を引っ張り、スーンの左手と患部とを引き離す。
「ボクも今回の事件に関して猛省してるよ。だから、せめて捕り物は成功させねーとな。しっかしオマエがディアオの姿だと違和感すげーな、スーン」
「ガムラン……文字保有者たちがここに来られたのは、君のせいか」
首から血を流し、顔をゆがめながらスーンが舌打ちする。
「君がホーノックフークの背中と図書館塔とを鎖でつないでいたようだが……その鎖は彼女を外で活動させる以上の意味を持っていたと見える。鎖を通じて彼女の体調を塔から把握していたな?」
「もちろんラートリーのことはチェックしてたよ……逐一な」
ガムランも不敵に顔を崩す。
「だからラートリーがディアオの都市の近くで危機に瀕しているのもすぐに分かった。にもかかわらずアーティットの精霊からも連絡がねえからこれは一大事だと確信したね。そんでジョットマーイのジャンク船を呼んでみんなを運んでもらったわけさ。ちなみに図書館塔の留守は合流してくれたナーグルアに任せてある」
ナーグルアとは、ヨーヤック(ย)の文字保有者の本名である。
ともあれスーンの左手とつながった鎖をクイクイ動かし、ガムランが不気味に笑う。
「鎖から相手の温度も心音も伝わってくる。……一方的に連結したって感じで興奮するわ。スーン、オマエの焦りも手に取るように分かんだよ」
「私が焦っている? たいした洞察力を持っているな」
静かにスーンが右手を持ち上げ、鎖をつかむ。
「ウォーウェーン(ว)は特定の力を取り外して私自身にはめなおすこともできる。君の鎖とて例外じゃない」
スーンの右手に握られたガムランの鎖がゆるむ。
もともとガムランの体に巻きついていたその一本が自分からガムランのもとを離れ、スーンのほうに飛んでいく。
「こうなることすら予想できないとは、君はまだ浅い――」
「それじゃあオマエはもっと浅い」
ガムランはスーンが言い終わらないうちに言葉をかぶせた。
そして奪われた鎖が、とぐろを巻くように回転する。
鎖が伸び続ける。スーンの上半身全体にからみつき、両腕ごと縛る。
「なに……! この鎖は私のものになったはずでは」
「だからだよ」
全身の鎖をジャラリと鳴らし、ガムランが声をはずませる。
「鎖が縛るのは他人だけじゃない。自分自身も束縛する。しろうとがボクの鎖を巻こうとしたら――自縄自縛になるってこった」
これだけ言ってガムランも身をひるがえし、ジャンク船の残骸に身を隠した。「似合ってんよ、ボクほどじゃないけど」という言葉を投げながら。
スーンは上半身に力を込め、鎖を引きちぎろうとする。
「……まんごーん」
瞬間、やる気のない声が右斜め上から落ちてきた。
次回「35.【ท】兵隊のトー・アーティット【その2】」に続く!
今回出てきた単語の元々の意味は以下の通り
ナーグルア(น่ากลัว)→恐ろしい
プーム・トゥーム(เพิ่มเติม)→補充する
マンゴーン(มังกร)→竜




