表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
33/33

33.【ว】指輪のウォー・スーン【その5】

 (おれ)腹這(はらば)いの状態で両腕(りょううで)を前に出した。

 うつ()せのスーンにわしづかみにされているクマリーを(かれ)の右手から引き(はな)す――。


 引き離――。

 

(――引き離せない)


 クマリーのうなじをスーンの右手がガッチリつかんだままなのだ。

 そしてスーンの頭部が持ち()がり、俺のほうを向いた。


「やるじゃないかね、アーティット」


 二重(ふたえ)(ひとみ)を細め、聞き心地(ごこち)のいい低音でささやく。


「さすがトータハーン(ท)の文字を刻んだ男だ」

「さっきの連撃(れんげき)()えたのか……っ! 焼け、冷やせ!」


 反射的に俺は炎の兵隊(タハーン・プルーン)雪の兵隊(タハーン・ユアック)攻撃(こうげき)の指示を出す。


 しかしスーンはすぐに立ち()がった。

 立つ(さい)に発生した風圧により、プルーンの(ほのお)もユアックの雪もしりぞけられた。


 スーンはクマリーをわしづかみにしたまま俺から距離(きょり)をとり、軽く舌打(したう)ちした。


「やはり(きみ)厄介(やっかい)だな」


 言いつつ、左足を横に出して(また)を広げる。


「よって都市を壊滅(かいめつ)させる前に君を先にどうにかしよう」


 右足を(じく)にして時計回り方向に左足をぶん回す。

 地面に生えていた薄緑(うすみどり)の雑草がブーツのかかとによって()られ、色あせた赤土(あかつち)露出(ろしゅつ)する。


 その場でスーンは一回転(いっかいてん)した。

 結果、スーンのまわりの地面が円のかたちに()()()()()()()


「アーティット。この字(๐)がなにか分かるかい?」


 (たの)しむように声を上げるスーン。

 ()いつくばった状態から上半身(じょうはんしん)を起こしつつ、俺は答える。


「知っているに決まっているだろう。その丸(๐)はゼロの数字だ」

ถูกต้อง(トゥークトン)(当たりだ)……本当に君は優秀(ゆうしゅう)な子だよ」


 子どもでも分かる答えに対し、スーンがわざとらしく拍手(はくしゅ)する。

 ただし右手がクマリーでふさがっているので、左手で自分のほおをパチパチたたく。


「ゼロの数字(๐)――これを(わたし)たちは『スーン(ศูนย์)』と発音するわけだが……この字のかたちは」


 スーンが右足を上げたのち、地面にえがいた円の中心を()みつける。


「指輪のリングのそれに似ている。まさに『指輪のウォー(ว)』に選ばれたこの私……ウォーウェーン・スーンにふさわしい字形(じけい)と言えよう」


 刹那(せつな)――。

 地面に刻まれた円が白い光を発した。


 円周上に露出した赤土がまばゆく(かがや)く。一方(いっぽう)で円の内部は(ひか)っていない。


 この光の円が草を()らしながら大きくなり、俺の体をも(とお)()ぎる。

 ある程度(ていど)広がったあとで膨張(ぼうちょう)を終えた。


 ただしグラーン(がわ)は光の円の内側に(はい)っていないようだ。


(円の直径は百メートほど)


 内側の原っぱにはスーンとクマリーと俺とホーノックフーク(ฮ)とサラサルアイがいる。


 続いて、水平方向への膨張(ぼうちょう)完了(かんりょう)した光の円が今度は鉛直(えんちょく)上向(うわむ)きに()び始めた。


 白い光が(かべ)のようにせり()がり、俺たちを丸く包囲した。

 光による壁の向こう(がわ)はまったく()えない。グラーン川のせせらぎも、ディアオの都市の炎上(えんじょう)(とら)えられなくなった。


 プルーンで照らさなくとも、まわりが明るい。

 しかも壁は高高度(こうこうど)までせり上がった段階で内側に曲がって屋根を作り、空を(かく)した。


 俺たちは白い光の円柱に閉じ()められたようだ。

 左のつま先で地面をつつきながら、スーンが深呼吸する。


「……ふう~っ」


 左肩(ひだりかた)上下(じょうげ)させる。


「これで君たちは絶対に()げられない。地中にも光は(およ)んでいるから穴を()っても無駄(むだ)だ」

「まだ、分からない……」


 俺は両ひざに手を置きながら、なんとか二本足(にほんあし)で立つ……。

 無表情でスーンは自分のうなじを左手でトントンする。


「しつこいな。それじゃあ心をへし折ろう」


 スーンはつぶやいたあと、わしづかみにしているクマリーを左右に(はげ)しく()らした。


 すると今まで目を閉じていたクマリーのまぶたがあいた。

 彼女(かのじょ)は俺に気づいて(くち)を動かそうとした。


「お……いい……あ……う」


 ――首を強くつかまれているせいだろう。うまく発音できていない。

 クマリーの少し垂れた目がゆがみ、ピクリピクリとけいれんしている。


(あの状態じゃ自分のサイズを変えることもできないだろう)


 思わず俺は、ガクガクする足で地面を()っていた。

 が、スーンに接近した途端(とたん)、あっさりと足払(あしばら)いを受けて地面にまたもや()いつくばった。


 この状態の俺を左足でスーンが蹴飛(けと)ばす。

 俺は(ちから)なく()ね、あお向けになった。

 ここでスーンが自分の上着の左袖(ひだりそで)をくわえ、それを肩までまくり上げた。


「さっきから私はクマリーの飲み込んだウォーウェーン(ว)の文字を回収しようとしているんだが……どうも手間取(てまど)ってしまっている。私も、ただ(たて)にするためだけにクマリーをわしづかみにしていたわけじゃないんだよ。実は右手に持った状態で体内のウォーウェーンを探していたんだ。しかしこれではラチがあかないらしい」


 冷たい声を出しながら、左手の五本の指を小刻みに動かす。


「そこでだ」


 つかんでいるクマリーの顔を少しだけ自分のほうに向け、スーンが()みを()かべる。


「こうする――ッ!」


 言うやいなや、スーンが左手をクマリーの(くち)()()んだ。

 ゆがんだままのクマリーの垂れ目が見ひらかれる。


「あ……! むぐ、うう……う……」


 両の眼球から(なみだ)が散った。

 大きなこぶしがクマリーの口内(こうない)をさぐる。


 次第(しだい)に手首まで(はい)り、ほどよく太い(うで)(なな)め上からズブズブと突っ込まれていく。


 さらにスーンはうなじをつかんだ右手を動かし、クマリーの顔を斜め(した)から()くように()し上げた。

 ひじ……()()がった筋肉を持つ()の腕……しまいには肩までもがクマリーの口内に侵入(しんにゅう)する。


 そのたびにクマリーが涙をこぼし、両目と全身をけいれんさせる。


「さっきの怒濤(どとう)攻撃(こうげき)……ガーオラーオとアスニバートの反動でほとんど動けないんだろ、アーティット。今の君の心情は察するに余りある」


 肩を(ふる)わせつつ、口内に()れた左腕を動かすスーン。


「君の()()んでいる精霊(ピー)が目の前で苦しんでいるのに、なにもできない。おまけに彼女を苦しめているのは君のいのちの恩人ときている。その恩人も君の(たよ)れる仲間の姿をしているわけだ。――どうかねっ、なかなかっ、そそる状況(じょうきょう)だろうっ」


 手さぐりするように左肩から(した)の腕を上下させる。


「むむう……しかし、なかなかウォーウェーン(ว)の字が見つからんな。……こっちか。いや、別のところをつねってみれば、あるいは……?」

「あ、あううう……っ!」


 クマリーの静かな悲鳴がこだまする。

 しばらく同じような挙動をくりかえしたあと、スーンが首をかしげた。


「おかしい。……どこにもない。こうして私がゴーガイ・ディアオへと(たましい)をはめることに成功しているのだから体外に出したというわけでもなさそうだが。……もしや、すでにウォーウェーンの字とクマリーは一体化(いったいか)してしまったのかな。となると――」


 この瞬間(しゅんかん)、クマリーの口内に入っていた左腕が一気(いっき)に引き()かれた。


 クマリーは目をギュッと閉じ、えずくようにせき込んだ。

 一方スーンは彼女をわしづかみにしている右手に(ちから)を込める。


「――このピーごと、ウォーウェーン(ว)の字を吸収するまでだ。……グルーン」

「あ、あえ……え」


 クマリーは青ざめ、その身を小さく振動(しんどう)させた。


 途端(とたん)、クマリーの体が輪郭(りんかく)をゆがめ、氷菓子(こおりがし)のように()けていく。

 白っぽい衣装(いしょう)もバナナの(ふさ)が重なったみたいな茶髪(ちゃぱつ)も例外なく。


 スーンの右手の平が、溶解(ようかい)するクマリーを取り込んでいく。

 彼女(かのじょ)の頭部から始まり、徐々(じょじょ)(した)の部位が彼の手の平のなかに入っていく。


 クマリーを飲むたびにスーンの手首が()()()()()よろしく()()がった。


 じきにクマリーのつま先まで右手の平のなかに消え、彼女の姿は完全に消失した。


 代わりにスーンのその手の平に赤い文字が()かび上がった。

 スーンがそれ(ว)を俺に向け、左手でなぞってみせる。


 右斜め下に丸をえがき、上に向かって(たて)の線を引く。

 そのあと反時計回り方向にカーブを作って左上よりも少し(した)の位置でとめる。


「ああ……やはりゴーガイ(ก)もいいが、私にはこの文字が――ウォーウェーン(ว)こそが一番(いちばん)いとおしい。しっくりくる……」


 うっとりとして何回も同じ字をなぞる。


 ついで俺に近寄り、しゃがんだ。――いや、腹這いになり、あお向けの俺と目線の高さを合わせてきた。

 俺の左右のほおにスーンの両手がふれる。


「私は君を評価しているんだ。そこで……君の失望といった都合の悪い真実を()き、新しく恩義を感じられるように別の都合のいい真実をはめてやろう。แล้วก็(レーオゴー・)ผม(ポム・)จะ(ジャ・)จ้าง(ジャーン・)น้อง(ノーン・)เป็น(ペン・)ทหาร(タハーン・)ของ(コーン・)ผม(ポム)(そして私の兵隊(タハーン)にする)」


 文字が刻まれた左右の手の平はとても熱かった。

 だが……とくに俺に変化(へんか)はない。


「……おや」


 目を丸くし、スーンが(くち)をすぼめる。


「まだディアオの体にウォーウェーンがなじんでいないせいで君に真実を着脱(ちゃくだつ)することはできないか。では、いたしかたない」


 ため息をつき、スーンが両腕(りょううで)()ばす。

 そこにタハーン・プルーンとユアックが飛んでいた。


「君の兵隊(タハーン)を取り外し、私が装着する」


 プルーンとユアックはスーンの手につかまった。プルーンの炎は右手に、ユアックの雪は左手に()らわれた。


 スーンは腕をクロスさせ、二体の精霊(ピー)を自分の肩に押しつけた。

 するとプルーンの火とユアックの雪が俺から離れ、スーンのまわりを飛び始めた。


「よしよし。ウォーウェーン(ว)の(ちから)は健在だ」


 満足げにうなずいたあと、再び俺の頭部を両手でつかむ。

 内側に向かって(ちから)を加える。それを回転させ、首をねじ切ろうとする。


 そんな間一髪(かんいっぱつ)のところで――。

 スーンの身が突然(とつぜん)えび()りになり、真後ろに()っ飛ばされた。


 無理に(しぼ)り出したような野性味あふれる声が俺の頭上で(ひび)く。


「アーティ。無事か」


 サラサルアイが真正面(ましょうめん)からスーンに頭突(ずつ)きを()らわせたのだ。

 とはいえ彼も無理して起きたらしく、俺の右横の地面に(しず)んでうつ伏せのまま動かなくなった。


 そしてスーンは後ろ歩きを連続させて激突(げきとつ)衝撃(しょうげき)を吸収しつつ、自分の足で書いた円の中心に戻った。


「しつこいねえ、サラサも」


 草を()ってできたゼロ(๐)の数字のなかに立ち、まくり上げていた左袖を引っ張ってもとに(もど)した。


 ついで両腕を天にかかげた。

 頭上で左右の手を合わせる。


 手の平から巨大(きょだい)な赤い曙光(しょこう)がまばゆく()れ出す。

 さきほど俺から(うば)ったプルーンとユアックの(ちから)も混じっているせいか、曙光の赤が濃淡(のうたん)模様(もよう)を持つようになっている。


 彼の黒とオレンジの混ざった上着が光を吸って(かがや)き始める。朽葉色(くちばいろ)(かみ)(あらし)を受けたように乱れる。


「アーティット、サラサ……ホーノックフーク(ฮ)。夜明(よあ)けを待たずに(ほろ)んでもらうぞ」


 スーンの両手から漏れる熱と光が円柱の空間を満たす。


「正直、君たちを殺すかどうか(まよ)ったが……ウォーウェーンの(ちから)がまだ万全じゃないならしょうがない。なあに、君たちが死んだら今度こそ使えそうなコマに文字を刻むさ」


 光につつまれた彼が左右の手をひらきながら高らかに名乗りを上げる。


「さようなら。これから世界に理想の真実をはめてやろう……ただし、私の理想と真実をね。【ว】ウォーウェーン・スーン、つかさどる字は指輪の――」


 しかし口上(こうじょう)途中(とちゅう)で……。

 スーンとその周辺に大きな(かげ)がおおいかぶさり、頭上から巨大な()()()が落ちてきた。


「――うぉおおッ!?」


 (きょう)がくの声をスーンがはいた。

 その「なにか」は圧倒的(あっとうてき)な質量を持つ()げ茶色の物体だった。


 スーンは焦げ茶色のそれに押しつぶされた。

 轟音(ごうおん)(ひび)く。地面が()れる。結果、スーンの手にたまっていた赤い曙光もかき消えた。


 焦げ茶色の物体は船首から船尾(せんび)までが五十メート以上もあるジャンク船のかたちをしていた。その船底(せんてい)にスーンはつぶされたのである。

 ジャンク船の甲板(かんぱん)からは(みっ)つの帆柱(ほばしら)が延び、白い()を張っている。


 光の円柱に囲まれたこの空間に雲が(うず)を巻いて現れ、そのなかからジャンク船がスーンめがけて落下したのだ。


 左舷(さげん)の上に(だれ)かが立っている。

 格好は()いオレンジ色のホットパンツに白いタンクトップ。

 異様に大きなオレンジ色の(くつ)をはき、そして白と黒を組み合わせた水兵帽(すいへいぼう)をかぶった女性だ。


 左右に垂らした亜麻色(あまいろ)()つ編みをなびかせながら、髪と同色の(ひとみ)(かがや)かす。


「――緊急(きんきゅう)事態につき、今回のチケットは()らないから」


 そこに立つ女性が水兵帽のつばを右手でつまみ、はつらつとした声を出す。


「【ภ】ポーサムパオ・ジョットマーイ、つかさどる字はジャンク船のポー」


 同時に船底から船全体に大きなヒビが(はい)り、ジャンク船が(くず)れ始める。

 そんな事態にも動じず、崩壊(ほうかい)する左舷に立ったままジョットマーイが胸をそらす。


「もうだいじょうぶ! アーティットさん、サラサルアイさん、ホーノックフーク! (たよ)れる仲間を運んできたよ!」


 ついで崩壊する焦げ茶色の船体から――。

 七つの影が飛び出した。

次回「34.【ท】兵隊のトー・アーティット【その1】」に続く!(2月7日(土)午後7時ごろ更新)


今回出てきた単語の元々の意味は以下の通り

トゥークトン(ถูกต้อง)→正しい

グルーン(กลืน)→吸収する

レーオゴー(แล้วก็)→そして

ポム(ผม)→私

ジャ(จะ)→○○するつもりだ

ジャーン(จ้าง)→雇う

ノーン(น้อง)→君

ペン(เป็น)→○○として/以前紹介した「○○である」とは違う用法。英語の「as」に近い使い方。

コーン(ของ)→○○の/所有を表す単語のようです。「ทหาร(タハーン)」+「ของ(コーン)」+「ผม(ポム)」で「私の兵隊」という意味になります。


スーン(๐)はタイの数字の「ゼロ」です。アラビア数字のゼロ(0)と比べて縦長ではないようですね~。

ゼロから12までを順に書くと以下のようになります。トータハーン(ท)やホーノックフーク(ฮ)のような子音字ではなく数字の記号です。

0→スーン(๐)

1→ヌン(๑)

2→ソーン(๒)

3→サーム(๓)

4→シー(๔)

5→ハー(๕)

6→ホック(๖)

7→ジェット(๗)

8→ペート(๘)

9→ガーオ(๙)

10→シップ(๑๐)

11→シップエット(๑๑)

12→シップソーン(๑๒)

あとタイの「九九」は12の段まであるらしいですね~。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ