32.【ว】指輪のウォー・スーン【その4】
ホーノックフーク(ฮ)をかかえて川のほとりを転がるサラサルアイ。
彼に追いついたスーンがその背中を右足で踏み、動きを封じる。
「もう勝ち目はないよ、サラサ」
靴の裏に力を込めつつ、ほほえむ。
「ホーノックフークを渡せば君は助ける。観念してくれ」
「いんや……勝ち目は、あんぜ……ッ!」
痛みを無理に押し殺したような声でサラサルアイが臆さず言う。
「おまえはディアオじぇねえだろ。においからしてスーンじいちゃんだ」
サラサルアイはホーノックフークから今の状況について充分な説明を受けていないはずだが、それでもディアオの体をスーンが乗っ取ったことなどを本能的に察しているようだ。
「過程は知らんが、じいちゃんがディアオの体を奪ったんだな。だがまだ十全にあやつれているわけじゃねえ……。ディアオの力を百パー持つなら……とっくにラートリーばあちゃんの鎖を切ってるはずだし、やべえ光も惜しまずバンバン撃っているにちげえねえんだからよ」
続いて顔の向きを少し変え、スーンを右目だけで見上げる。
「しかしなんでじいちゃんが……みんなを痛めつけようとしてやがる? おれたちに文字を刻んでくれたのは、スーンじいちゃんじゃねえか。おれだってモーマー(ม)の字をもらった。だから四つ足で自由に走れるようになったんだぜ……」
「――もともと」
スーンが口をひらきかける。
このタイミングで俺は再度スーンに接近し、槍を構えた。もう一度脚部をねらう。
それでもスーンは右手でクマリーをわしづかみにしたまま、相変わらず左手だけで攻撃をいなす。
ため息をつき、苦笑する。
「もともと私が君たちに文字を刻んだのは、コマにするためさ。とくに精神や肉体が危機的状況にある者を優先的に探して文字保有者にしてやった。私に恩義を感じてもらうためにね。それで私だけの軍隊を構築しようと思っていたのだが、ちょっと君たちは自我が強くてあやつれなかった。まったく私としたことがもうろくしていたよ。見通しがあまかったのは当時の私の反省点だな」
涼しい顔で言葉を続ける。
「おまけに君たち四十一人に文字を刻んだ時点で私はあと少しで死ぬ年齢になっていた。だからゴーガイ・ディアオの素晴らしい体と力を乗っ取る計画に切り替えたんだ。――これにウォーウェーン(ว)の力を合わせれば一国どころか世界すら私にひれ伏すだろうよ」
「世界を滅ぼしたいのか」
俺は槍の刺突と打撃を連続でくりだしながら聞いた。
それに対してスーンはあきれたように首を横に振る。
「弱者をいじめたいんだよ」
「あ……?」
「そんなにまぬけな声を出すほどでもないだろう、アーティット」
灰色の混ざった朽葉色の瞳が輝く。
「私はウォーウェーン(ว)の字を覚醒させた。世界じゅうの誰も持っていない力だ。この力を使って人々も精霊も蹂躙できるなら、やるだろう。とても気持ちがいいんだから」
「มึงมีโรคจิต(おまえは病んでいる)」
「単なる『病気』のひとことで片付けてくれるなよ。君も人間心理への理解が足りないと言わざるを得んな……」
瞬間、スーンの左のこぶしが俺にたたき込まれる。
それを槍の柄で防ぎ、俺は問いをくりかえす。
「過去になにかあったのか」
「いいや」
前に出した左手を開閉し、ゴーガイ(ก)の赤い文字を見せながらスーンが答えた。
「……これは本能だよ。君たちだって、わけも分からずこの世に生まれたあととりあえず生きようとするだろう? そういうのと同じだ。意味の分からないこの世界に生きる自分と他者の存在に気づいたときとりあえず弱者をいじめるのが人の本能なのさ」
右足でサラサルアイの背中をさらに踏みつける。
「ま、手垢のついた理論だが『弱者にも優しくしましょう』なんて道徳は人が自分の身を守るために作ったものにすぎないわけだからね。しかし相応の力を手にすればそんなわずらわしい道徳など気にしなくていいわけだ。当然ながらホーノックフーク(ฮ)と対面するときはこの気持ちを私の真実から取り外していたがね」
くつくつと笑い、スーンが左腕をかかげた。
その手の平が瞬時に「曙光」につつまれる。
「君たちはニワトリの恐ろしさを知っているか」
散乱するように光が飛び散る。
「……今から九十年も前の話だ。学校で文字を初めて習ったとき私の友達がぼやいていたよ。『なんで一番目に習う文字が「ニワトリのゴー」のゴーガイ(ก)なんだよ、ニワトリってダサいじゃん!』……ってね」
赤い光が稲妻のように彼のまわりを飛び回る。
妨害しようとした俺の槍も、質量を持ったその光によってはじかれた。
「しかしニワトリは朝を告げる。それは同時に、夜の終わりを知らせる行為でもある」
かかげた左手をスーンが徐々に前方へとかたむける。
「つまりニワトリの力とは、一つの明るい世界を始めると共にもとの暗い世界を終わらせる権能にほかならない。夜から朝へ! 闇から光へ! 死から生へ! その時空間上の境界線にニワトリは存在する! ダサいどころか、すごくシビれる生物じゃないか……!」
ここで、一挙に左腕を振り下ろす。
「アルン」
という詠唱と共に――。
手刀のかたちをした左手から「曙光」が撃ち出され、水平方向に突き進んだ。
朝焼けを思わせる赤い光は俺の左肩をかすめたあと、そのまま背後のグラーン川を越えた。
光にしては遅い。
が、川を通過すると共に突如として光の束が膨張し、太くなった。
(く……! この一瞬で一つの都市と同程度のサイズにまで膨らみやがったな……まさか)
極太の超巨大光線の先には、ディアオの治める都市の薄赤いあかりがまたたいていた。
赤い光がそこに直撃する。
直後、川の向こうが震えた。都市にぶつかった極太の光があらゆる方向に跳ね返った。
耳を焼く爆裂音と共に、都市のあかりが落ちていく。
代わりに赤い炎が鮮明に立ち上る。濃い灰色の煙が都市の上空で躍り狂う。
俺は、どなることすらできなかった。
「……やりやがったな、スーン。今の一撃で都市に住む人の半数以上は死んだ」
「だろうな。気持ちよくて、たまらんよ」
サラサルアイを踏みにじり、スーンが顔を大きくゆがめる。
「かたや理不尽な大量死。かたや私は一方的な生を謳歌する。この対比こそ美しい。くくッ。無論、まだ都市破壊は続けるさ。大好きな住民と最愛の妻を失えばディアオも絶望して完全に体を明け渡すに違いな――」
「ガーオラーオ」
スーンの話の途中で俺は唱えた。
すると、槍を持った俺の動きが加速した。
(無理をしてでも二撃目は阻止する)
刺突ではなく、柄で殴打する要領で槍を動かす。
案の定向こうはクマリーを盾にしてきたが……俺は稲妻のようなジグザグの軌跡を槍の柄でえがき、確実にスーンの全身に殴打を浴びせた。
詠唱を重ねる。
「ユックヤック」
この呼びかけを受け――。
俺のそばに浮いていた炎の兵隊と雪の兵隊が槍にまとわりつく。
槍に宿ったプルーンの超高温とユアックの超低温が一つの打撃のなかで交互にスーンの体をむしばむ。
そしてスーンがサラサルアイを踏むのをやめ、いったん俺から離れた。
槍を地面に捨て、俺は「タヌー」と言って弓矢を手の平の文字から出す。
即座につがえ、矢を放つ。
矢が弓のツルを離れた瞬間すかさず「クワーン」と唱え、今度は斧を出して構える。
斧をブーメランのように投げる。
その斧が、右に張り出す弧を引いて矢よりも速く敵の背後に回り込む。
「ダープ」
ついで俺は、赤く輝くトータハーン(ท)の字から剣を引っ張り出した。
さきほど捨てた槍が地面に刺さり、立っている。その槍の先端――石突き部分めがけてジャンプする。
天に向いた石突きを思いきり蹴り、さらに跳躍。
放物線をえがいて真上からスーンに接近した。
肉迫したところで、剣を振り下ろす。
「アスニバートッ!」
真上からは剣。
背後からは斧。
正面からは矢。
スーンは同時に三方向からの攻撃を受けた。
すべての武器がジグザグの挙動で加速し、彼の防御態勢を打ち崩す。クマリーの盾すら間に合わない。
剣と斧と矢が、スーンの頭頂と背中と腹部をえぐる。
加えてプルーンとユアックの力により、各患部にて超高温と超低温が交互にスーンへと苦痛を与える。
「うおおおおッ! ええええんッ!」
最後にふざけた悲鳴を上げて――。
クマリーを右手に持ったままスーンがよろめき、ひざをついた。その場にうつ伏せになって倒れた。
俺も勢い余って地面に転がる。
雑草が妙にチクチク皮膚を刺す。
ついで、持っていた剣が砕け散った。左手の平の輝きが消えた。
「ぐっ……クマリー……ディアオ……」
立てなかったので、右手を使って這っていく。
炎の小鳥であるプルーンとぼたん雪の姿をしたユアックが俺についてくる。
うつ伏せのスーンのそばに寄る。
あたりには、砕けた斧と矢の残骸が散らばっている。
次回「33.【ว】指輪のウォー・スーン【その5】」に続く!
今回出てきた単語の元々の意味は以下の通り
ムン(มึง)→おまえ
ローク(โรค)→病気
ジット(จิต)→心
アルン(อรุณ)→あけぼの
ガーオラーオ(ก้าวร้าว)→攻撃的になる
ユックヤック(ยึกยัก)→矛盾している
アスニバート(อสุนีบาต)→天罰




