31.【ว】指輪のウォー・スーン【その3】
ホーノックフーク(ฮ)とサラサルアイをかかえた俺が海の兵隊と共にグラーン川の対岸に達した瞬間。
横を泳いでいた天幕の兵隊が破裂し、なかから人影が現れた。
黒とオレンジの混ざった上着を川面にひたす。
朽葉色の髪と瞳が灰色にかげっている。
俺の頭上を飛ぶ炎の兵隊が彼の顔を照らす。
人影の正体はディアオの体を乗っ取ったスーン。
相変わらずの肉体美を誇る。いまだに右手でクマリーの首をつかんでいる。
(思ったよりも早く俺のグラジョームから脱出したな。สัตว์ประหลาดพอดี……バケモノが)
さらにスーンは水上に上半身を出したまま無言でホーノックフークに左手を伸ばす。
いや正確には、彼女の文字が刻まれた背中をねらっている。
(背中のホーノックフーク(ฮ)にはガムランがつないだ鎖が連結されている。それを切るつもりか!)
現在ソーソー(ซ)の鎖は外部からの干渉を受け付けていないが、ディアオの力を掌握したスーンであれば断裂させることも可能だろう。
(ホーノックフークと図書館塔とをつなげるこの鎖が切れたら彼女が死ぬ)
攻撃をさけるために俺はタハーン・ルアを真下に沈めた。
いったん水中にもぐり、スーンから離れる。
(プルーンも連れていけないし、さすがに夜の川のなかは暗いな。しかし対岸はすぐそこだ)
が、スーンは水面から左腕を振り下ろしてきた。
彼の左手から――左手の平のゴーガイ(ก)からまばゆい光が発生する。
曙光のようなひらめきが衝撃となって斜め上から俺たちを襲う。
ここで、俺のかかえていたサラサルアイが目を覚ました。
大量の泡をはき、栗毛と同色の瞳をひらく。
ホーノックフークの襟首をくわえる。
そのまま四つ足を大きく動かし、左前の岸に向かって泳ぎ去る。
そしてスーンから放たれた閃光が俺に直撃しそうになったとき、ルアが斜め上に飛び出した。
俺をかばうようにして代わりに攻撃を受けた。
結果、ルアのシャチの姿がはじけ飛んで消滅する。
痛みが俺の頭をつらぬくが、ルアのおかげで致命傷はさけることができた。
二撃目が来る前に俺は浮上する。
近くの岸から川のほとりの原っぱに上がり、プルーンを呼び寄せて状況を確認する。
ホーノックフーク(ฮ)を背中に乗せたサラサルアイが地面を蹴って川から離れた場所へと走っていく姿が見えた。
(サラサのやつ、起きたばかりなのに自分のやるべきことを本能で理解しているな。そう、今は事態をほかの文字保有者たちに知らせるためにホーノックフークをエーンのもとに運ぶのが最優先だ)
一方、スーンも俺の右手でグラーン川から陸に上がる。
逃げる二人を見据えつつ、その左手を光らせた。
左腕を真上にかかげたのち、一気に振り下ろす。
直後、左手から朝焼けのようなまばゆい光が飛ぶ。
超小規模の赤い曙光がホーノックフークとサラサルアイめがけて発射され、二人を飲み込もうとする――。
俺はとっさに駆けた。その光の射線上に割り込んで唱える。
「ゲーン・タハーン。……ロー」
赤く光らせた左手の平のトータハーン(ท)から青緑の小さな盾を引っ張り出す。
攻撃を受け流しやすいよう、かたちは丸くなっている。その盾を構える。
すると盾が俺の身長以上のサイズに膨張し、巨大化する。飛んできた光の衝撃を受けとめる。
盾の裏には取っ手がついている。
それを右手に持ったまま首だけを右後ろに向けて俺はさけんだ。
「サラサ! 俺のことはいいから、とにかくホーノックフークをエーンのところに連れていけ! 事情は走りながら聞けばいい!」
「――がってんッ!」
サラサルアイは少しもためらわずスピードを上げる。
猛ダッシュで川からさらに離れ、あっという間に闇に消えた。
(医者の兵隊の治療もきちんと効いているようだな)
現在ペートは俺の左肩に乗り、白いトカゲの姿を見せている。
(このあとサラサルアイとホーノックフーク(ฮ)はロージュラー・エーンのところに行く。ディアオの体を乗っ取って明確な敵になったウォーウェーン・スーンの情報がみんなに伝達されれば、駆けつけた文字保有者たちの数の暴力で……やつも倒せる)
俺は盾を構えながら前を向いた。スーンによる光の攻勢はまだ継続しており、丸い盾にぶつかった閃光が左右と上に受け流されていく。
直後、にぶい衝撃が背中を襲った。
(え……)
骨の硬さと肉のやわらかさが混ざった感触だ。
(間違いない……人間が当たったんだ)
それも二人ぶんの重量がある。
のけぞった俺はよろめいて、構えている盾の裏側に激突した。
首を左後ろにかたむけ、なにが飛んできたのかを確かめる。
「……は? ウソだろ」
俺の真後ろの地面の上に、さっき遠くに消えたはずのサラサルアイとホーノックフークがあお向けの状態で転がっていた。
しかも奥の闇から、右手に少女の精霊を持つスーンが現れ出る。
「ちょっと殴っただけでここまで飛ぶとは――」
ディアオの姿をしたウォーウェーン・スーンが荒い息を整えつつ言う。
「――まだ二人とも回復しきっていなかったと見えるね」
「スーン……?」
俺は盾を構えたまま彼をにらんだ。
「どうしておまえが盾の後ろにいるんだ。おまえが放った閃光を、まだ俺の盾が真正面から受けとめているんだが」
「別に変じゃないだろうよ、アーティット」
ゆっくりとスーンがこちらに歩み寄ってくる。
「いったん『曙光』を出したあとは私が特別なことをしなくても光は継続する」
低音の声で空気を震わす。
「これがディアオのゴーガイ(ก)……『ニワトリのゴー』の力の一端。ニワトリとはその鶏鳴で新たな光の訪れを告げ知らせる存在。しかしニワトリが鳴くのをやめたあとも日の光は届き続けるものだろう?」
ついで純黒のブーツで地面を大きく蹴り、スーンが一瞬で俺との間合いを詰めてきた……。
俺の頭部を左手でわしづかみにして盾の裏側に押しつける。
途端、盾が割れ砕けた。
光の束が赤を強め、亀裂から侵入する。向こう側から俺を襲う。
極太の熱が俺を焼く。
同時に光が消滅し、スーンが高笑いする。
「ははははッ! さしものトータハーン・アーティットもこれで戦死と相成った!」
「……そうでも、ない」
なんとか俺は地面に立ち、スーンに向きなおった。
俺の赤い上着も黒い胴衣もズボンも靴も焦げた。
ただでさえ乱れている赤い髪も少し燃えた。
それだけでなく内外から体が焼きつくされた感覚がある。
ただし俺のまわりには、ぼたん雪の姿をしたタハーン・ユアックが飛んでいる。
すぐにスーンもユアックに気づいた。
「ふむ……。冷やす力を持つ兵隊を呼び出し、光のダメージを軽減したようだな。――だが」
スーンの顔が愉快そうにゆがむ。
「こっちのピーの軍医は守れなかったねえ」
いつの間にか彼は左手にトカゲ姿のペートをつかんでいた。
それを容赦なく握りつぶし、霧散させた。
「タハーン・ペート……ふふ。そういえばアーティット、君は戦場で私にトータハーン(ท)の文字を刻まれたあと、このペートを呼び出して瀕死から回復していたね。私がいなければ君はそこで死んでいたわけだが、恩義はまだ感じてくれているかな」
「……もちろん。ホーク」
発光を続けている左手の平から俺は槍を取り出す。
「どんな事情があってもウォーウェーン・スーンが俺のいのちの恩人であるのは真実だ。そして助けてくれたあと、あな――おまえはバナナを食べさせてくれたっけな。もともと俺はバナナが好きだったが……それ以降もはやバナナは俺にとっての神になった」
続いて槍の柄を回し、穂先をスーンに向ける。
「ただしおまえが今回の事件を起こした張本人である以上もはや手心を加える理由もない。リアンゲをそそのかし、ディアオの体を乗っ取り、クマリーを利用してその首をいつまでもわしづかみにしている時点で言い訳できると思うなよ」
彼の右手がつかんでいる目を閉じたままのクマリーにも俺は視線をやった。
「もともと俺はウォーウェーン・スーンのかたきをとろうと考えていたが……今までのスーンを殺した黒幕が目の前のスーン自身であるのなら、俺がおまえをとるまでだ」
「なるほど、その口ぶりからしてホーノックフーク(ฮ)から全貌は聞いたようだな」
足もとに倒れているホーノックフークをスーンが見下ろす。
「ふ~む。それにしてもラートリーはどうあつかうのが正解なのかな。よく考えれば真実を閲覧できるホーノックフークには充分な利用価値がある。ここに来て迷うものだね。手なずけて従順なフクロウにするのも一興かもしれん」
にやりとして左足を上げ、あお向けの体を何度も何度も踏みつける。
対する俺は前方に踏み込み、槍でスーンの太ももを突こうとした。
しかしすべての刺突がスーンの左手によって簡単にあしらわれる。
「素晴らしい肉体だ……」
本人はそうつぶやき、俺の槍の柄をつかんだ。
片手だけで柄をぶん回し、俺ごと槍を放り投げる。
俺は左に飛ばされ、グラーン川にざぶりと落ちた。
(このままだとホーノックフークが壊れる)
急いで岸のへりに取りつき、再び川のほとりに上がる。
俺のそばを飛ぶプルーンの炎を頼りに視界を確保し続ける。
そんな俺のほうを見やってスーンが右足を大きく後ろに振り上げた。
間髪いれず、ほどよく太いその部位がホーノックフークにたたき込まれる。
彼女のわき腹につま先が直撃する……!
――と思いきや。
近くに倒れていたサラサルアイが飛び起き、ホーノックフークをだきかかえた。
彼の背中が代わりにキックを受ける。
サラサルアイがホーノックフークをかかえたまま薄緑の原っぱを転がっていく。
スーンは焦ることなく二人のあとを追う。
次回「32.【ว】指輪のウォー・スーン【その4】」に続く!
今回出てきた単語の元々の意味は以下の通り
サットプララート(สัตว์ประหลาด)→化け物
ポーディー(พอดี)→ちょうど
ロー(โล่)→盾




