表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/34

03.洗面器のオー(อ)

 スーンさんを殺害した犯人はまだ近くにいるはず――。

 そう()んだ(おれ)斥候の兵隊(タハーン・ラート)(はな)って夜の湿地帯(しっちたい)をさぐった。


 結果、ぬかるんだ湿地のひらけた場所で見知らぬ青年と顔を合わせた。


 だが(かれ)は誤解しているようだ。

 ウォーウェーン(ว)の文字を持つスーンさんを殺したのが、俺であると……。


* *


(だま)そうとしている感じもしない。とすると、(かれ)は犯人じゃないのか)


 ともあれ誤解をとくのが先決だ。


「俺はスーンさんを……『ウォーウェーン(ว)』を殺していません」


 本来ウォーウェーン(ว)とは「指輪のウォー」を意味する文字の名称(めいしょう)だが……その字を体に刻んだ本人を指して直接「ウォーウェーン」と呼ぶこともある。異名(いみょう)のようなものだ。

 トータハーン(ท)を持つ俺もほかの文字の保有者も、この例に()れない。事実、俺も「アーティット」ではなく「トータハーン」と呼ばれたりする。


 俺は、青年の黒い(ひとみ)をじっと見る。


「スーンさんをウォーウェーンと呼ぶことから察するに、あなたも文字の保有者ですね。俺もそうですよ。スーンさんに文字を返しに来たんです。でも俺がこの湿地の(かく)()に来た時点で、スーンさんは手の平の文字をはぎ取られて息絶えていました。あとは本人の残していたメモに(したが)い、彼の遺体を燃やしたんです」

「……メモ?」


 やせた男はくっつけた両手で(うつわ)のかたちを作ったまま、首をかしげる。


「それは、どこに」

「スーンさんの隠れ家に置いてきました」


「――お兄さんの言ってることは本当ですよっ。クマリーもメモを見ましたもんっ!」


 ふにゃふにゃ(ごえ)と共に、茶髪(ちゃぱつ)で白い衣装(いしょう)をまとった少女の精霊(ピー)が俺の背後のしげみから飛んでくる。


「ごめんなさい、お兄さん。隠れてろって言われたけど、さすがにお兄さんが誤解されているのを(だま)って見ているわけには……いきませんっ!」

「……お話になりません」


 目の前の男は俺とクマリーに向かってため息を落とした。かしげていた首をもとに(もど)す。

 その手の器から、ゴボッゴボッと透明(とうめい)な水があふれる……。


「わざわざホタルのようなピーを見のがし、ウォーウェーンの隠れ家から(はな)れたここまであなたさまを誘導(ゆうどう)したわたくしの意図が分かりますかね。ウォーウェーンの住まいを……()し流したくなかったのですよ」


 手からあふれた水が足もとのぬかるみに落ちる。

 次第(しだい)(たき)のようにゴウゴウと(おと)を立てながら、水があたりに満ちていく。


 この湿地帯の水位はもともと人の足の(こう)が隠れる程度のものなのだが……その水位がどんどん上昇(じょうしょう)し、ついには俺のひざくらいの高さに達した。

 こけ色だった湿地の水が、男の透明な水を混ぜて色を(うす)める。


 一瞬(いっしゅん)のことだった。俺の兵隊(タハーン)を呼び出すひまもなかった。


 しかも水には勢いがある。

 ひざ裏に水流が(おそ)いかかる。

 バランスを(くず)した俺は後ろに(たお)れ、背中から水面(すいめん)激突(げきとつ)した。


「お兄さん!」


 空中に()くクマリーが俺に手を()ばす。しかし小さな手は(くう)をつかんだ。


 俺は()し流されていく。

 水流は()をえがく。やせた男を中心に、(うず)の形状をなしている。


「タハーン・アーガート!」


 俺は水面から(くち)を出し、さけんだ。

 すると(むらさき)のコウモリに似た精霊(ピー)が頭上に出現した。


 その体には二対(につい)の羽がある。

 うち一対(いっつい)で俺の体を引っ張り上げる。もう一対をバタバタ動かし、宙にとどまる。


 やせた男が手から水をこぼしつつ、俺を見上げる。


「ピーを兵隊のように使役(しえき)するとは……」


 少し()を置いたあと、納得(なっとく)したようにうなずく。


「なるほど、あなたさまは『トータハーン(ท)』でしたか」

「……そうだ」


 空の兵隊(タハーン・アーガート)の一対の羽は俺のわきの(した)に後ろから差し()まれている。

 この状態で、月光に照らされた男を見返す。 


「【ท】トータハーン・アーティット、つかさどる字は兵隊のトー。あなたが俺の話を聞かないっていうなら、いったん戦闘(せんとう)不能にさせてもらう」

「できるものですか。とはいえ正式なあいさつには正式なあいさつを返すのが礼儀(れいぎ)ですね」


 水のたまった手の器を持ち上げ、彼はそれを顔面にパシャリと当てた。

 そうして顔を(あら)い、(するど)い視線を向ける。


「【อ】オーアーン・ジャムーク、つかさどる字は洗面器(せんめんき)のオー。あなたさまの顔も、きれいに(あら)ってあげますよ」


 暗い湿地が、月の光につつまれる。

 そのなかで俺とジャムークの目が合った。


 ジャムークは内部の水をかき混ぜるように手の器を()らす。

 瞬間(しゅんかん)、周辺に渦巻いていた水が()()がった。

 風のように(かろ)やかに回転し、竜巻(たつまき)となる。


(まるで一個(いっこ)巨大生物(きょだいせいぶつ)……!)


 勢いを増す。立ちのぼる。

 そのまま竜巻が大口(おおぐち)をあけ、上空の俺を飲み込もうとする。


()っ込め」


 俺の体を(つばさ)でかかえたコウモリ型の精霊(ピー)……空の兵隊(タハーン・アーガート)に俺は命令する。


 アーガートは即座(そくざ)に竜巻の大口に侵入(しんにゅう)した。

 内部は薄いこけ色の水で激しくうねっていた。まっすぐ飛ぶことはできない。


 それでもアーガートは身をひねりつつ、竜巻内部の(おく)を目指す。


 ついに竜巻の中心に立つジャムークを視界に(とら)える。


 当然、向こうも俺たちに気づく。

 ジャムークの上品な声が、水音にかき消されることなく(ひび)く。


「グラジョック……!」


 ――それは「鏡」を意味する言葉。

 彼の両手にたまった水の表面(ひょうめん)変化(へんか)する。


 水面に俺の顔が映し出される。ジャムークは左右の親指を動かし、その表面に波紋(はもん)を作る。

 同時に、俺の顔面に激痛が走った。

 加えて――思わず悲鳴をこぼす俺の体の真下から、水の柱が(やり)のように立ちのぼる。


「投げろ!」


 とっさに俺は命令した。

 すぐにアーガートは反応し、かかえていた俺を前方にはじき飛ばすと共に消滅(しょうめつ)した。


 真下からせまっていた水の柱をよけ、俺はジャムークめがけて突っ込む。

 彼は手の器を勢いよく上に動かした。この動作により、たまっていた水が一挙(いっきょ)にこぼれる。


 こぼれた水が広がってタライのような形状となり、ジャムークを守る(たて)と化す。

 俺はつぶやく。


「ゲーン・タハーン。……ホーク」


 言葉と共に、左手の平に刻まれたトータハーン(ท)の文字が赤く(かがや)く。

 この手の平に右手を近づけ、俺はそこから(ホーク)を引っ張り出した。


 槍を軽く回して構え――水の盾をうがつ。

 盾を貫通(かんつう)した槍が、ジャムークの手にせまる。


 即座(そくざ)にジャムークはくっつけていた両手同士を分離(ぶんり)させ、左右に()がした。これにより、彼の手で作られていた器の形状が(くず)れた。


 竜巻が収まり、周囲の水位が()がる。


 あたりは、浅いこけ色の湿地に戻った。

 俺は槍の穂先(ほさき)をジャムークのみぞおちの前でとめた。


「もし俺がスーンさんを殺した犯人なら、俺を疑うあなたをここで始末するだろう。ほかに見ている人もいないしな」

「ふむ……そうしないということは、アーティットさまは下手人(げしゅにん)ではないと」


 そう言って彼は、左右の(うで)を真横に()ばした。


「これぞわたくしの降参の合図です。もちろんあなたさまのことを完全に信じたわけではありませんが、これ以上(いじょう)言い争っても水()け論になりかねないのでね」

「助かるよ、ジャムーク」


 槍をひっこめ、俺は穂先を左手の平に突き()す。

 すると槍が手の平に入っていく。反対側の甲から飛び出ることもない。()先端(せんたん)つまり石突(いしづ)き部分までをすべて押し込めたのち、トータハーン(ท)の文字の輝きが収まる。


「信用してもらいたいから、もう(ひと)つ言っておく。俺のトータハーン(ท)の(ちから)精霊(ピー)の兵隊をあやつるだけじゃなく俺自身を兵隊の一人(ひとり)として運用することも可能なんだ」

(おろ)かな」


 冷たい声を出しつつ、ジャムークが目を細める。


「それが分かったからには今度はわたくしが勝利しますよ」

「だからこそ教える意味があったんだ。俺がジャムークと敵対する気があるなら、力に関する情報も()せていたはずだ」


 現在、俺はそれなりに消耗(しょうもう)している。ジャムークと再戦して次も同じように勝てるとは限らない。


 そんな緊張感(きんちょうかん)のある空間に、例のふにゃふにゃ(ごえ)(もど)ってくる……。


「よかったですっ」


 クマリーが手をたたきながら俺の右隣(みぎどなり)を飛ぶ。


「お兄さんも、ジャムークさんも無事でっ! お二人(ふたり)が仲直りできて、クマリーも大喜びですよ~」


 ついでクマリーはバナナの(ふさ)みたいな(かみ)()らして、()いたままジャムークに近づく。


「ジャムークさんっ! あなたの文字をよく見せてくださいっ!」

「……どうぞ。ピーのお(じょう)さま」


 真横に伸ばしていた左右の腕を曲げ、再びジャムークが両手をくっつけて器を作る。

 また攻撃(こうげき)してくるんじゃないかと俺は少しだけ警戒(けいかい)したが、ただ彼は両手の一部(いちぶ)をふれ合わせ、手の器を再びかたちづくっただけだった。今度は水も出ていない。


「トータハーン。あなたさまもご覧になりますか」


 そんなジャムークの提案に従い、俺は彼のそばに寄る。

 クマリーと共に、器のかたちの両手をのぞき込む。


 見た途端(とたん)、クマリーが拍手(はくしゅ)する。


「すごいですっ! (ふた)つの手をそんなふうにくっつけたときに、文字が現れるんですねっ! なぞっていいですか、ジャムークさんっ!」

「お好きなように」

「やったー!」


 ジャムークの同意を得たクマリーが、小さな人差し指を彼の手の平に当てた。

 一つの赤い文字が、左右の手の平にまたがって刻まれている。


 左の真ん中あたりで丸をえがいたあと、短い線を下ろす。

 そこから右に向かって線を引いたのちに真上に向かう。

 右上に到達(とうたつ)したら左に線を動かしつつゆるやかなカーブをえがいて左上でとめる。


「ありがとうございます! やっぱり、この字もイカしてますよっ!」

「わたくしのこれは、『(オーアーン)』の文字ですよ。『洗面器のオー』を意味します」


 ジャムークの声は相変わらず上品だったが、一方で冷たさが少し()け落ちていた。


「……そして失礼。少し水を出します。攻撃する気はありませんので、ご安心を」


 透明の水がジャムークの手の平に()く。

 彼の両手でできた器が、またもや水でいっぱいになる。


「よく考えますと……ウォーウェーン(ว)殺害の(けん)に関してアーティットさまもわたくしを(うたが)っているはず」


 ジャムークが俺に向かってまばたきする。


「よって、こちらも信用のために動いておきましょう。トータハーン。この水で顔を洗いなさいな」

「どうも」


 ここでためらえば、またジャムークが俺を疑いだしそうだった。


 俺は彼の器から水をすくった。それを自分の顔に持っていき、パシャパシャと洗った。

 水は冷たかった。さわやかだった。しかも水にふれることで――。

 さきほどの戦闘で生じていた痛みが、すべて残らず()き飛んだ。


(ジャムーク……。「洗面器のオー(อ)」の字を持つだけのことはある。こういう直接的な痛みは俺の軍医である医者の兵隊(タハーン・ペート)でも治せないからな)

次回「04.ジャンク船のポー(ภ)【前編】」に続く!(本作は土~水曜更新なので次回は12月27日(土)午後7時ごろの更新になります)


อ←これが「オーアーン」の文字。意味は「洗面器のオー」あるいは「タライのオー」……トータハーン(ท)といいウォーウェーン(ว)といい、なんかタイ文字には小さな丸が多いですね~。


今回新しく出てきた単語の元々の意味は以下の通り

ジャムーク(จมูก)→鼻

アーガート(อากาศ)→空

ペート(แพทย์)→医者

ゲーン・タハーン(เกณฑ์ทหาร)→徴兵する

ホーク(หอก)→槍

アーン(อ่าง)→洗面器

グラジョック(กระจก)→鏡

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ