29.【ว】指輪のウォー・スーン【その1】
俺とホーノックフーク(ฮ)とサラサルアイは、図書館塔への招集に応じなかったゴーガイ・ディアオのもとを訪れた。
ディアオはゴーガイ(ก)の文字保有者にして一つの都市を治める男でもある。
夜、その都市の外れにあるグラーン川のほとりで俺たちは話した。
そして真実を読み取るホーノックフークの力により、ディアオはウォーウェーン・スーン殺害の事件に関与していない事実が明らかとなる。
ではリアンゲがウォーウェーン(ว)を殺した今回の事件の裏にはなにがあるのか?
それについて話し合ったあと――。
クマリーがディアオのゴーガイ(ก)の文字をなぞる流れになったのだが、このタイミングでディアオの様子がおかしくなった。
左腕を振り下ろし、ホーノックフークを殺そうとした。
明らかに、俺たちに敵意を向けている。
現在ホーノックフークは俺の空の兵隊と共に宙に逃げている。
なおサラサルアイは気絶させられ、薄緑の原っぱにあお向けの状態だ。
* *
しかもディアオ……いやディアオの姿をした者は右手でクマリーの首をわしづかみにしている。
そんな彼の正体こそ――。
「……ウォーウェーン・スーン」
矢を弓につがえたまま、俺はその名を口にした。
(今一番にやるべきことは……)
ディアオの顔をしたスーンの姿がタハーン・プルーンの炎によって夜に浮かぶ。やや灰色の混じった朽葉色の髪と二重の瞳が闇に揺らめく。
このとき俺は、ウォーウェーン・スーンの髪と瞳が灰色だったことを思い出していた。
「……乗っ取ったな」
向こうから攻撃が来てもギリギリよけられるほどの間合いをあけて、俺は「敵」を見据える。
「考えられる可能性は一つ。……スーン、おまえの魂はクマリーのなかに潜んでいたんだろう? その魂を取り外し、指輪をつけるみたいにディアオの体に――はめたんだ」
「魂?」
ディアオの姿をしたスーンが両手を挙げる。
「เหลวไหล ไร้สาระ……荒唐無稽な話だね」
「現実的さ」
俺は、スーンの右手につかまれたクマリーを見上げた。
「ピーという精霊すらもいるこの世界で今さらなにを言っているんだ。それに、おまえの刻んだ文字もある。ウォーウェーン(ว)の文字はあらゆる力を指輪のように着脱するはずだ。魂だって力の一種。だから他者にはめ込むこともでき――」
瞬間、言葉を切った。
スーンがこちらの話をすべて聞くことなく、俺めがけて突進してきたからだ。
(間合いを詰めるスピードも速いな)
とっさに俺は矢を放つ。
するとスーンが右手を前に出し、クマリーの体を盾にした。
(……弓から離れたタヌーの矢を消せることを、さすがにスーンも知らないか)
あらためて俺は弓を構える。
すると飛ばした矢はクマリーに当たる直前に消えた。
俺の手もとに新しい矢が現れる。
さらに、ずっとあたりを照らしていた炎の兵隊がスーンの背中を炎で襲う。
地面を蹴ってスーンは向かって左に回避した。
彼が間髪いれず跳躍する。
空の兵隊にかかえられたホーノックフーク(ฮ)めがけて左腕を伸ばす。
ぶ厚い空気の層を発生させてアーガートはホーノックフークをくるんでいたが――。
それをものともせずスーンのこぶしが空気を突き破り、ホーノックフークの顔面を殴り飛ばした。
衝撃にともない、アーガートのコウモリの姿が破裂するように霧散する。
かつスーンは、やや振り下ろすかたちでパンチを放っていた。
よってその殴打を受けたホーノックフークは斜め下に吹っ飛んだ。
原っぱの地面に激突した。
雑草を血で濡らしつつ、彼女の体が転がり跳ねる。
「く……ほおっ」
横向きに倒れたホーノックフークが左半身を地面につけたまま弱々しくあえぐ。
スーンの立場から考えれば俺よりも彼女を優先してねらうのは当然。
ホーノックフーク(ฮ)は相手の弱点や能力をも真実として閲覧できるため、敵としては厄介すぎる存在なのだ。
とどめを刺そうと、スーンがホーノックフークに走り寄る。
(やはりそう動くか)
俺は体の向きを変え、再びスーンめがけて矢を飛ばす。
スーンが左手で矢をはじく。
この瞬間。
彼の足もとから鋭い歯を並べる大きな「口」が出現した。
「丸飲みにしろ」
俺が、灰色のワニのかたちをした天幕の兵隊をスーンの真下に呼び出したのだ。
そしてグラジョームのあごが勢いよく閉じ、クマリーごとスーンを飲み込んだ。
スーンとクマリーの姿が消えたあともグラジョームの口は上あごと下あごをぴったり合わせ、隙間なく閉じられている。
「ごめん、クマリー。いったん我慢してくれ」
さすがに彼女だけを助け出す余裕はなかった。
(でもクマリーが俺の推測どおりウォーウェーン(ว)の文字なら、スーンも危害を加えないはず)
ひとまず、倒れたホーノックフークに俺は駆け寄る。
あかりの役割を果たしているタハーン・プルーンを近くに呼ぶ。
俺は弓を左手の平のトータハーン(ท)の文字にしまう。
そばに横たわるグラジョームの頭を右手で軽くなで、ホーノックフークの前でしゃがむ。
「……タハーン・ペート」
ペートは軍医の精霊である。白いトカゲのかたちをしている。それを兵隊として呼んだ。
医者の兵隊は自分のしっぽを切り落とし、対象の患部に当てる。
するとしっぽが溶け、白い光を発する。その光を受けた患部は外傷や骨折から回復する。
二年前の戦場でスーンから文字を刻まれたとき、瀕死の俺はトータハーン(ท)の字の力を用いてこのタハーン・ペートを呼び出した。
それで助かった。
だからスーンは俺のいのちの恩人なのだ……。
(ペートの光を受けても、たちどころにケガが治るわけじゃない。こういうのに関してはソーサーラー(ศ)を持つクルムの得意分野だろう。だが俺の兵隊も、いのちを救うには充分だ)
トカゲのかたちをしたペートがホーノックフークの上を這う。
さきほど殴打を受けた右のほおが盛大にはれている。地面を跳ねた際に骨もいくつか折れただろう。
その各患部にペートがしっぽを落としていく。
なおペートのしっぽは自切後すぐに生えてくる。
患部にペートの光を受けたホーノックフーク(ฮ)は小さくせき込んだあと、あお向けになって銀色の目をひらいた。
「すまん……トータハーン。じゃが、わしは……ほどほどでよい」
ついで彼女はサラサルアイが倒れているほうに視線を向ける。
「モーマー(ม)の治療を優先してくれよ……あやつは、まともに食らっとる……」
「まだあなたも調子が戻っていないみたいだな」
しゃがんだ姿勢からさらに身を低くして、ささやくように俺は答えた。
「――サラサの治療なら、もうやってるよ」
タハーン・ペートから落ちたしっぽが単体でのたうちながらサラサルアイのほうに這っていく。
しっぽは、スーンの攻撃を受けたあお向けのサラサルアイの腹部に寄った。そして溶けて光を漏らす。
その光景を遠目で確認し、ホーノックフークが安堵のため息をつく。
俺は声を抑えたまま今後の方針を確認する。
「サラサが起きたら、背中に乗せてもらってすぐにここから遠くに離れる。グラジョームもスーンをずっと封じておけるわけがないからな」
「それが、いいじゃろう」
ホーノックフークが上半身をゆっくり起こす。
「モーマー(ม)にはにおいをたどってロージュラー(ฬ)のもとに向かってもらう。ウォーウェーン・スーンの魂が健在だったことを明かし、文字保有者に再招集をかける。そしてゴーガイ・ディアオの体を乗っ取ったスーンをふくろだたきにする」
「最善の方法だな」
ここで俺は上体をひねり、後方に浮かぶ都市のあかりを目に入れた。
「ディアオの治める都市はどうする? せめて伴侶のジュットジョップさんには事情を話すか」
「……いや」
かぶりを振り、よごれた銀髪をホーノックフークが揺らす。
「ゴーガイ・ディアオが乗っ取られたとなると都市の住民の混乱は必至。その情報が拡散すれば、これを機に戦争をしかけるところもあるやもしれぬ。せめて都市に被害が出ないよう、いったんわしらは川の向こうに行こう」
「ああ」
俺はうなずき、ホーノックフークをおんぶする。
彼女は後ろから俺の胸に左右の腕を回した。
続いて俺はサラサルアイに近づき、彼を両手でかかえた。
せせらぎの音がするほうに歩く。ワニ型のグラジョームと小鳥型のプルーンとトカゲ型のペートも俺についてくる。
(とくにグラジョームは、クマリーごとスーンを飲んでいるからこのまま放置するわけにはいかない。せめてディアオの都市から遠ざけておこう)
ほとりの原っぱの先にある、グラーン川に限りなく接近する。
「タハーン・ルア……」
シャチ型のピーである海の兵隊を俺は水上に呼び出す。
グラーン川の流れはゆるやかなのでルアも泳ぐのに支障はなさそうだ。
ホーノックフークとサラサルアイをささえたまま、ルアの背中に俺はまたがる。
なおグラジョームは口をしっかり閉じた状態でワニ型の体を動かし、ルアの右横を自力で泳ぐ。プルーンは俺の頭上を飛び、ペートはホーノックフークとサラサルアイの体を這って追加の治療をおこなう。
そして俺たちを乗せたルアが、東から西に流れる川の向こう岸を目指して北に泳ぎだす。
グラーン川はなかなか大きい。対岸に達するまで少々時間がかかりそうだ。
(この時間を使ってホーノックフークと情報を整理するのがよさそうだな。なぜスーンの魂はディアオの体を乗っ取ることができたのか、それに関してクマリーはどのような役割を果たしていたのか――正直なところ俺にも分からない点はまだ多い)
次回「30.【ว】指輪のウォー・スーン【その2】」に続く!
今回出てきた単語の元々の意味は以下の通り
レオライ(เหลวไหล)→でたらめ
ライサーラ(ไร้สาระ)→くだらない




