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28.ニワトリのゴー(ก)【後編】

 今は日が(しず)んだ時間帯。

 グラーン(がわ)のほとりで(おれ)とサラサルアイとホーノックフーク(ฮ)とディアオが車座(くるまざ)になっている。


 ディアオはこぶしを作り、(うで)を組む。


「つまりスーンはリアンゲに殺される前に『ウォーウェーン(ว)の(ちから)』そのものを協力者に譲渡(じょうと)した。リアンゲがスーンを殺したあとは、協力者が動いてリアンゲの真実を()き取った。ホーノックフークに閲覧(えつらん)されても不自然になりすぎない程度にね」

「その際にリアンゲからウォーウェーンの文字を(うば)い返したってわけか」


 サラサルアイが地面に両手をつけたまま上体を少し持ち上げる。


肝心(かんじん)の協力者が(だれ)かは分からねえが……」


 ついでかぶりを()り、栗毛(くりげ)(かみ)を大きく()らす。


「しかしやっぱりまだ変じゃねえか? スーンじいちゃんにそんな協力者がいたとしたら、まるで『自分が殺されるのが事前に分かっていた』みてえな話だろう」

「あるいは、スーン自身がリアンゲに自分を殺してもらったか」


 冷静ではあるものの、やや熱を(ふく)んだ調子でディアオが述べる。


「リアンゲは人に同調しやすい性格だ。そこに付け()まれ、スーンがリアンゲに自分を殺してくれと(たの)んだとしたら? そしてリアンゲはスーンの意思を尊重した。スーンを確実に殺すために文字を(ほっ)した。ホーノックフークが読み取ったのがその表面的(ひょうめんてき)な動機だけだったとすれば話に矛盾(むじゅん)もない」

「……スーンじいちゃんがそんな手の込んだことをする意味が分からねえよ」


 サラサルアイが()し目がちに応じる。


「そもそも、なんでリアンゲに殺してもらわなきゃならないんだ」

「死を望んでいたのかもしれない」


 ディアオはあくまで冷静に返す。


「かつ、ウォーウェーン(ว)の文字を(だれ)にも受け()がせたくなかった――と考えるしかないな」

「だ、だがよおディアオ……」


 それでもサラサルアイはなんとか反論しようとする。


 サラサルアイはモーマー(ม)の文字をスーンさんによって刻まれた。それで()つ足のまま自由に動き(まわ)れるようになった。

 ウォーウェーン・スーンに対する恩義の感情は人一倍(ひといちばい)なのだ。スーンさんをいのちの恩人と思っている俺以上に、サラサルアイはスーンさんを思っている。


「まだ分からねえことも、あんだろ。たとえばウォーウェーンの文字が今も見つかってないのは、どうして――」

「くだんの文字は協力者が持っているはずだ」


 ディアオは容赦(ようしゃ)なくサラサルアイに答えをぶつけた。


 俺は軽く手を挙げ、話に割り込む。

 実際のところ、スーンさんを殺害した黒幕がスーンさん自身だったとホーノックフークから聞かされて俺も動揺(どうよう)しているが、その感情をどうにか(おさ)える。


「協力者というのはやっぱり文字保有者か。自分が協力者であるという真実を自分から取り外して、図書館(とう)でのホーノックフークの目をごまかしたってわけだな」

「いいや……そうとも言えぬのじゃ」


 (ひたい)から左手を下ろし、ホーノックフークが慎重(しんちょう)に言葉をつむぐ。


「さすがに誰かが文字を(ふた)つ以上所有していたとしたら、それは異常事態じゃ。その真実だけは取りのぞこうとしても取りのぞけぬ。この場合わしは絶対に二重(にじゅう)保有の真実に気づく」

「それが本当だとすれば」


 俺は、遠くに()かぶディアオの都市の光を見た。


「協力者は文字保有者以外の一般人(いっぱんじん)ってことになるな。もしくは、すでにそいつはウォーウェーン(ว)の文字を体に()りつけて(ちから)を手にしたのかも……」

精霊(ピー)が協力者という可能性もあろうて、トータハーン(ท)」


 ホーノックフークの銀色の(ひとみ)がわずかに細められる。

 視線を(もど)した俺は、そばに浮く炎の兵隊(タハーン・プルーン)にちらりと目をやった。


「確かに。そういえばホーノックフークはクマリーも(うたが)っていたよな」

「わしとしてはスーンの協力者が文字保有者とは思えぬ」


 ホーノックフークが「ほ~」という長いため息をつく。


「思い出してみよ。スーンはオーアーン(อ)の(わた)した大きなタライのなかで死んでいた。これは黒幕としてスーン自身がリアンゲに命じたことじゃろう、文字保有者に疑いの目を向けさせるために」

「……ウォーウェーン・スーンは自分の遺体(いたい)即座(そくざ)に燃やしてほしいというむねの遺書(いしょ)を残していた」


 俺は自分のすねに(すわ)るクマリーの頭頂部に視線を落とした。


「その指示に(したが)って俺は遺体を燃やし、結果的にジャムークと戦うことになった。遺書さえ、身内同士の疑心暗鬼(ぎしんあんき)を誘発させるための材料だったわけか」

「無論ホーノックフーク(ฮ)のわしによって遺体から余計な真実を読まれるというリスクを考慮(こうりょ)したからでもあったのじゃろうよ」


 左前の俺に向かってホーノックフークが首を(たお)す。


「ともかくスーンは文字保有者に疑念を生じさせるように殺害現場をセッティングしていたわけじゃ」

「スーンさんが文字保有者に注目させるよう誘導(ゆうどう)していたとすれば、(かれ)(しん)(かく)したい協力者の正体は文字保有者以外の存在……と考えることができるな」


 しかしウォーウェーン・スーンの協力者をつきとめるのも難儀(なんぎ)だ。


(一般人や精霊(ピー)も容疑者に含まれるとすれば……極端(きょくたん)な話、世界じゅうのすみずみをホーノックフークが見てまわらないといけなくなる)


 いや……たとえホーノックフークがじかに協力者と対面できたとしても、その前にウォーウェーン(ว)の文字の(ちから)によって「力があるという真実」そのものを取り外されたらお手上げだ。


(ようやく真実が分かりかけてきたのに、ここで手詰(てづ)まりなのか……?)


 そう思ったときだった。

 サラサルアイが、なにかを思いついたように明るい声を出した。


「待った。おれ気づいたんだけど、やっぱりラートリーばあちゃんたちの考えにはまだ納得(なっとく)できねえことがあんぜッ!」

遠慮(えんりょ)なく指摘(してき)するのじゃ、モーマー(ม)よ」


 どこか期待を()めた目で、ホーノックフークがサラサルアイの姿を見返す。


「あるいはそのほうの考えが、これまでの仮説をウソたらしめるかもしれぬ。あるいはそのほうの気づきこそが、真実にたどりつく道しるべになるやもしれぬ……!」

「おうッ! スーンじいちゃんは『真実を着脱(ちゃくだつ)する力』がバレないよう、ラートリーばあちゃんと会う前に『その力があるという真実』自体を外してたってことだけどよ……」


 できる限り興奮を(おさ)え、サラサルアイがゆっくりと語る。


「外した真実はそのあと()()()()()回収するんだ? 無理じゃねえの? だってその真実があったことそのものを本人が忘れている状態なわけだろ? なくしたことすら分からなくなったものは放置されたまま本人の手もとに(もど)ってこないはずだ」

「……ほう。おもしろい着眼点じゃな」


 考え込んだのち、ホーノックフークは右手の指を立てた。

 数は四本だ。


「真実回収の手段は(よっ)つあると思うのう。(ひと)つ目は協力者に(たの)むパターンじゃ。『自分が真実を忘れたときは、それを返しに来てほしい』と事前に伝えておくわけよ」


 彼女(かのじょ)が小指をクイクイと動かす。


「とはいえ協力者はできる限り使わんほうがいい。裏切られる可能性があるからの。今回のような大きな事件を起こす際は誰かに(たよ)ったとしか思えんが……普段(ふだん)からわしの目をかいくぐるために協力者を使っていたとは考えにくい」

「じゃあ回収手段の(ふた)つ目は……」


 右手の人差し指と中指で原っぱの雑草をかきつつ、サラサルアイが言葉を()ぐ。


「本人が忘れても、真実が自然に自分のもとに戻ってくるようにしとくってとこか」


 ついで彼は右手で前髪をかき上げ、(ひたい)のモーマー(ม)の文字に手を()えた。

 すると文字が赤く発光した。


 サラサルアイが文字に右手を()っ込む。

 そのなかから黒ずんだ「蹄鉄(ていてつ)」を引っ張り出す。


「つまり……」


 蹄鉄を上に投げる。


「この時点でおれが蹄鉄を忘れたとしても――」


 空中で回転運動したのちに当の蹄鉄は落下し、サラサルアイの頭に当たった。


「事前に上に投げていたら、いずれ頭とぶつかって(いや)でも蹄鉄のことを思い出す。この蹄鉄を『真実という力』に置き()えりゃあ分かりやすい」


 サラサルアイが新たに出した蹄鉄は軽いものらしく、当たった本人は平気そうだ。


「ただし、このやり方も安定しねえな……。だって」


 もう一度(いちど)彼が蹄鉄を投げ上げる。

 直後、今度はその場にとどまらず()つ足で後ろにジャンプする。


 結果として蹄鉄はサラサルアイに当たることなく原っぱに落ちた。


「こうやって本人の位置がずれたら結局は蹄鉄を――真実のことを思い出せなくなる。スーンじいちゃんはこんな方法を採用するほど()けてねえ」


 (はな)しつつサラサルアイはもとの位置に戻り、蹄鉄を(ひたい)の文字に収納しなおした。

 続いて俺が(くち)をひらく。


「流れに乗って俺も言っとくか。真実を回収する(みっ)つ目の方法――それは自分にメッセージを残しておくことだ」


 バナナの(ふさ)のようなクマリーの(かみ)見下(みお)ろしながら俺は続ける。


「紙に書いておくのがいいだろうな。たとえばそのメモを、自分がよく使う引き出しにしまっておく。こうすればメモに書いた真実の内容を忘れてもいずれ引き出しのなかのメッセージを読むことができる。ただしその前に誰かに見つかればアウトというのが欠点だ」

「とすれば残るは四番目の方法か」


 ゴーガイ・ディアオが俺の言葉を引き取る。


「真実を、自分が必ず確認する場所に(かく)しておけばいい。ここまではトータハーン(ท)の言及(げんきゅう)した手段と同一(どういつ)だが――ここに、自分以外の誰にも見つからないような工夫を加える。一種の(かぎ)をかけるのだ」


 ついでディアオが、こんなことを言いだす。


「わたしは妻が大好(だいす)きでね。自分でかいた妻の絵を額縁(がくぶち)()れて自室に(かざ)っている」


 困惑(こんわく)する俺とサラサルアイに構わずディアオがにやける。


「毎日(つま)の絵を見ることもわたしのルーティーンだ。しかしその美しい絵を入れた額縁がぶざまに曲がっていたら絶対に気になる。ほかの者は気にしないほどのかたむきでも、わたしだけは(なお)そうとする。()()によってね」


 ディアオが両手を動かして、絵のかたむきを修正するジェスチャーをおこなう。


「この動作がトリガーとなって秘密の部屋への(とびら)があくわけだ。ここでわたしは『そういえばこんな部屋があったな』とすべてを思い出す。つまり本人が必ず確認するものに、本人にしか解錠(かいじょう)できない鍵をかけておく……これなら無理なく真実を回収でき、かつ流出の危険も少なく安全だ」

「それが一番(いちばん)ありえそうじゃのう」


 ホーノックフークが首を左右に(たお)し、身震(みぶる)いする。


「う~ん、なんじゃろなあ。問題は、ウォーウェーン(ว)の文字をリアンゲから(うば)い返したスーンの協力者がおのれの真実を取り外していた場合。……この外れた真実を、なんらかの行為(こうい)をトリガーにして、再びはめなおすわけじゃろう?」

「文字保有者全員で、協力者っぽいやつをひたすら探すしかないな」


 俺がそう言うと、ホーノックフークはまだ首を倒してうなり続ける。


「ほ~、ほ~。なんか……わしの(かん)()げておるんじゃよ。そこまでする必要はないと……」


 ここで俺たちはしばらく沈黙(ちんもく)に飲まれた。

 (よる)の川から安らかな()()()()が聞こえてくる……。


 そんな静寂(せいじゃく)のなか、声を上げる者があった。


「あの……っ! ディアオさん!」


 ふにゃふにゃ(ごえ)である。

 あぐらをかいた俺のすねの重なった部分に(すわ)ってずっとおとなしくしていたクマリーが()つん()いになり、対面のディアオに顔を近づけたのだ。


「こんなときに空気を読めてないって言われるかもしれませんが……ゴーガイの文字をなぞらせてください……っ!」

「……ディアオ、そうしてやってくれ」


 静かに俺はクマリーの小さな背中を見下(みお)ろした。


「クマリーは好奇心(こうきしん)旺盛(おうせい)なピーなんだ。俺たちの文字をなぞりたがっている。とくにクマリーの名前を書くのに必要な子音字(しいんじ)が、あと(ゴーガイ)一字(いちじ)だけなんだ」

「ああ、構わないよ。(はな)し合いも一段落(いちだんらく)したところだし」


 あっさりとディアオが左手の平をクマリーに差し出す。ゴーガイ(ก)の赤い文字を見せる。

 クマリーがサラサルアイのように四つ足で進み、ディアオにさらに接近する。


「ありがとうございます~」


 笑顔(えがお)で礼を言うクマリー。

 そんな彼女にディアオが微笑(びしょう)を返す。


 ホーノックフーク(ฮ)の招集(しょうしゅう)に応じなかったことから察するに、ディアオは本来用心深(ようじんぶか)い人物と思われる。一方で精霊(ピー)と子どもと伴侶(はんりょ)への警戒心(けいかいしん)(うす)いようだ。


 クマリーは少女の姿をしたピーだからディアオも警戒していないのだろう。

 ディアオの手の平に刻まれたゴーガイの赤い文字をクマリーが間近(まぢか)で見つめる。


「これは……!」


 ディアオの左隣(ひだりどなり)に移動して彼と体の向きを合わせる。


「ジョットお姉さんのポーサムパオ(ภ)に似ていますねっ! でもディアオさんのゴーガイには左下の丸――タマゴがありませんっ!」

「そうだ。タマゴをかかえていないニワトリかな」


 ディアオのゴーガイ(ก)は四十二ある文字のなかでも「一番目」という印象が強い。

 子どもが文字を習うなら、普通(ふつう)このゴーガイから覚え始める。


 クマリーの右の人差し指がディアオのゴーガイ(ก)の上をすべる。


 左下から上に向かって線を引く。

 その途中(とちゅう)で少し右に折れ、すぐ左に戻す。


 あとは上方向に湾曲(わんきょく)するカーブをえがいたのちに縦線(たてせん)を下ろし、右下でとめる。それでゴーガイ(ก)の字は完成だ。


 すでにポーサムパオ(ภ)の字を知っているクマリーにとってはバナナの皮をむくよりも簡単な書き順と言えるだろう。


(それにしても、ほほえましい光景だな)


 ディアオの大きな手のなかでクマリーの小さな指が文字のとおりに動く。


(まるで字を学ぶ子どもみたいだ)


 が――。

 瞬間(しゅんかん)、俺は別のことにも気づいた。


 ふとホーノックフーク(ฮ)のほうに目を向けると、彼女がこれ以上ないほどに目を大きくあけてディアオとクマリーのほうを凝視(ぎょうし)していたのだ……。


「え……あ! もしや!」


 多くの吐息(といき)をこぼしつつ、ホーノックフークがさけぶ。


「そのほうら……っ! いったん、とめよ!」


 言葉と共に飛び出す。

 ゴーガイ(ก)の手の平に向かってホーノックフークの右腕(みぎうで)()びる。


()()()()()()()()()()()()()()()!」

「な……!」


 俺とディアオが戸惑(とまど)いの声を同時に上げる。

 一方サラサルアイは四つ足で原っぱを()り、ディアオの頭上に飛び()がっていた。


 その直後――。

 サラサルアイの腹部に、()()()()()()左腕(ひだりうで)が真下から()()さった……。


「ぐがッ!」


 この世のものとも思えない悲鳴を上げてサラサルアイが真上(まうえ)()っ飛ぶ。


 彼を左腕で攻撃(こうげき)したのは――()()()()()()()

 続いてディアオは突き上げた左腕を、近づきつつあったホーノックフークに勢いよく()り下ろす。


「……タハーン・ボック!」


 俺はさけび、陸の兵隊(タハーン・ボック)を呼んだ。

 すると緑色をしたイノシシ型のピーが出現し、ディアオに突進(とっしん)を食らわせた。


 この(すき)に俺はホーノックフークを右わきにかかえ、後退した。

 原っぱにたたずむディアオをにらむ。


「ディアオ……なんのつもりだ。サラサへの反撃(はんげき)は正当防衛でとおるかもしれないが、ホーノックフークに対しては明らかに殺すつもりで攻撃(こうげき)しただろ」

「……ディアオねえ、ちょっと(ちが)うな」


 ディアオ――いや彼らしき男が、どこか挑発的(ちょうはつてき)な声を出す。

 男がタハーン・ボックを太い脚部(きゃくぶ)()る。


 ボックは一瞬(いっしゅん)にして姿をとどめておけなくなり、消え去った。

 もちろんボックは死んだわけではない。普段(ふだん)宿っている俺の頭に戻ったのだ。


 しかしダメージが大きい。脳にズキリと痛みが走る。

 その裏で俺は小鳥型の炎の兵隊(タハーン・プルーン)を動かし、ディアオの背後に接近させていた。


(これまで俺たちが車座で話しているあいだ、プルーンにはずっとあかりをともさせていたわけだからな……)


 しかしディアオらしき男が右手をかかげて俺に言う。


「これは……なんだと思うね?」


 男は右手で、白っぽい衣装(いしょう)をまとった茶髪(ちゃぱつ)の少女を持ち上げている。


(……クマリー!)


 クマリーの首をわしづかみにして、まるでその姿をさらしあげるかのように彼女の体を左右に揺らす。

 目を閉じ、ぐったりと(ちから)なく両腕(りょううで)を垂らしたクマリーの姿が俺の目に映った。


「ピーを人質にとったつもりか……ふざけている」


 俺の左手の平がトータハーン(ท)の文字ごと(ふる)える。


「誰だ、おまえ……ディアオじゃないな」

「ふ、そのとおりだよ。アーティット」


 全身を小刻みに揺らし、男が笑う。


「ホーノックフーク(ฮ)がいるのであれば(かく)しておく意味もないな。『(わたし)』の正体は――」

「――言わんでいい」


 かかえていたホーノックフークを原っぱに下ろし、俺は数歩だけ前に出た。


「さすがに俺も()()()()にぶくない。ディアオの姿をしたおまえの正体は、これまでの話からして――『あなた』だとしか考えられないんですよ」


 左手の平を上空に向けながら俺は言った。


「……スーンさん」

「ふふ、ふふふ。正解さ、【ท】トータハーン・アーティット」


 ここで――。

 (そら)()っていたサラサルアイが、クマリーを持つ男のそばにドサリと落ちた。


「私は……【ว】ウォーウェーン・スーン」

「どういうことですか、あなたがどうしてディアオの姿を……」

「そういう三文(さんもん)芝居(しばい)はやめるんだね」


 刹那(せつな)、ディアオのかたちをした彼が原っぱを蹴った。

 一瞬で俺とホーノックフークの背後に回り込み、宙に手刀を(はな)った。

 彼の手刀が(とら)えたのは、ホタルの光に似た俺の斥候の兵隊(タハーン・ラート)だった。


(こいつ……! 真っ先にラートをつぶしやがった。分裂(ぶんれつ)する時間さえ(あた)えずに……まずい、図書館(とう)への連絡(れんらく)手段が()たれた)


 またホーノックフークをかかえ、すぐに俺は男から(はな)れる。

 彼はクマリーをわしづかみにしたまま、ディアオの顔をほころばせている。


動揺(どうよう)する様子を見せ、私にいろいろ聞こうとする――なるほど、君の行動はもっともらしい。でも、その当然らしき反応の裏でタハーン・ラートをほかの文字保有者のもとに飛ばそうとしていたね。まあその相手はガムランあたりなんだろうが……読めないとでも思ったか? ()()()()()()()()()()()()()

「やはりウォーウェーン・スーンで間違(まちが)いないんですね。……ゲーン・タハーン。タヌー」


 手の平のトータハーン(ท)の文字を光らせ、なかから俺は弓矢を引っ張り出した。

 同時にコウモリ型のピー「タハーン・アーガート」を出現させ、その(つばさ)でホーノックフークをかかえてもらう。


 俺はのどに(ちから)()めた。さけびそうになるのを(おさ)えるためだ。


(冷静でいろ……熱くなりすぎて状況(じょうきょう)()えなくなったら終わりと思え……)


 異常に口角(こうかく)()がったディアオらしからぬ笑顔を視界の中心に(とら)える。


「……いのちの恩人のあなたには感謝しています。しかしクマリーは解放してください。いや解放しろ」

「できないんだよ」


 男が(かた)をすくめる。


「なぜだと思うね?」

「ホーノックフーク(ฮ)に聞くまでもない。今は、(みょう)に頭がさえている」


 弓につがえた矢を、俺は「敵」の顔に向けた。


「クマリーこそが、ウォーウェーン(ว)の文字だったんだろ……スーン」

次回「29.【ว】指輪のウォー・スーン【その1】」に続く!(1月31日(土)午後7時ごろ更新)


ก←これが「ゴーガイ」の文字。意味は「ニワトリのゴー」……ポーサムパオ(ภ)の丸を書かなければゴーガイの字になるようですね~。


今回出てきた単語の元々の意味は以下の通り

ボック(บก)→陸/※タハーン・ボック(ทหารบก)で「陸軍」という意味になります。

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