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24.鎖のソー(ซ)【前編】

 ウォーウェーン・スーンを殺したリアンゲの首が落とされたあと、図書館塔(とう)に招集(しょうしゅう)されていた文字保有者たちは帰途(きと)についた。


 ただしホーノックフーク(ฮ)の命(めい)により、図書館の館長室に八名が居残(いのこ)った。

 みずからの被害(ひがい)経験を明かしたプリアさんとその事実をみんなに伝えたエーンは先に退室したので、現在部屋にいるのは俺(おれ)、スープパン、キア、クルム、ガムラン、ホーノックフークの六人と精霊(ピー)のクマリー・トーンだけだ。


 そしてクマリーに対するホーノックフークの疑念を払拭(ふっしょく)するべく――。

 俺はガムランとスープパンに、それぞれの持つ文字をクマリーになぞらせてやってくれと頼(たの)んだ。そうすれば不調のクマリーに元気が戻(もど)り、ホーノックフークと対面できるようになると考えたからだ。


 ホーノックフークは真実を閲覧(えつらん)する力(ちから)を持つ。

 あらためてクマリーと対面すれば、彼女(かのじょ)が無実であることをもう一度(いちど)読み取ってくれるだろう。


* *


 スープパンはクマリーにホーヒープ(ห)の字をなぞらせたのち、キアの前を過(す)ぎてクルムの隣(となり)に戻(もど)った。


 ここでガムランが全身の鎖(くさり)をジャラリと鳴らし、クマリーのそばに寄る。

 館長室の机(つくえ)に背を向けているクマリーに左手の平をさらす。


 ガムランの指にも手の平にも黒い鎖が引っかかっているものの、その赤い文字はくっきり見(み)えた。


「【ซ】ソーソー・ガムラン、つかさどる字は鎖のソー。今回の事件じゃ役に立てなかったけど……一応(いちおう)みんなの警察みたいなことやってる」

「落ち込(こ)んでいるんですか……?」


 やや気落ちした様子のガムランに、クマリーが心配そうな目を向ける。


「元気を出してください……」

「励(はげ)ましてくれてありがとう」


 軽く笑い、ガムランが手の平のソーソー(ซ)をトントンたたく。


「あ、そうそう。ซ(ソーソー)を書くときは上に曲がるカーブの真ん中にきっちり『くぼみ』を作ってな。じゃねえと、別の字になっから」

「肝(きも)に銘(めい)じますっ!」


 ガムランの注意にうなずきを返し、クマリーがソーソー(ซ)の字をなぞる。


 左上のやや低い位置で時計回りの丸をえがいてから、丸の上にカーブを続ける。

 ただし、そのカーブの途中(とちゅう)で少しだけ右斜(なな)め下に折れる。

 そのあとすぐに右斜め上へと短い線を引っ張り、軌道(きどう)を修正したのちにカーブを再開する。


 すでに書いた丸の右下あたりに来たタイミングで、線の流れを時計回りから反時計回りに変更(へんこう)する。

 縦長のだ円に似た袋(ふくろ)のかたちをえがいていく。


 そして右上に来たところで線を左のカーブにやや近づけ、また離(はな)す。

 残りは右斜め上に向かって短い線を続けてとめる。これでソーソー(ซ)の完成だ。


「わあぁ……っ!」


 クマリーが慎重(しんちょう)にソーソー(ซ)の字を宙にも書く。


「今までで一番(いちばん)難しい字でした……それだけに書ききったときの達成感もひとしおです……っ」

「これを乗り越(こ)えりゃあ」


 色あせた赤い瞳(ひとみ)を細め、ガムランが左手を引っこめる。


「残りの文字も楽勝かもしんねーな」

「ガムランさんにも感謝!」


 バナナの房(ふさ)のような髪(かみ)をクマリーがふんわり揺(ゆ)らす。


「しかもクマリーは気づきました……ソーソー(ซ)の音(おと)は、ソーサーラー(ศ)の音と同じですねっ」


 クマリーは首を右へと動かし、机をはさんだ向こう側(がわ)にいるクルムを見た。

 ほほえむクルムと目を合わせたのち、視線をガムランのほうに戻(もど)す。


「たぶんソーソー(ซ)とソーサーラー(ศ)もホーヒープ(ห)とホーノックフーク(ฮ)のように声の出し方が異(こと)なるのでしょう……っ!」

「そうそう」


 愉快(ゆかい)そうにガムランが返す。


「基(・)本(・)的(・)に(・)……声調記号(ワンナユック)がないときボクのソーソー(ซ)の音は平坦(へいたん)だがクルムのソーサーラー(ศ)の音は尻上(しりあ)がりになる」

「同じように聞こえても、それぞれで個性があるんですね……!」


 クマリーが自分の左手にソーソー(ซ)とソーサーラー(ศ)の二(ふた)つの文字を書いた。 


「文字単体だけでなく、その関係性までイカしてますっ!」

「いいこと言うねえ」


 左腕(ひだりうで)に巻いた鎖をガムランが軽く引っ張る。


「そう……文字は一(ひと)つだけでは成り立たねーんだわ。言葉っていうのは鎖に似てるんだよ。一個だけでは無意味な輪っかをつなぎ合わせて鎖はできあがる。それと同じで、一個だけでは意味をなさない文字をつなぎ合わせて言葉も初めて完成する。文字は単独では存在しねえわけだ。クマリーの言うとおりイカした関係性がねーと、ボクたちもバラバラになっちまうだろうな」


「どういうことです……?」

「ひとりごとさ」


 きょとんとするクマリーに微笑(びしょう)を返し、ガムランが彼女のそばから少し離(はな)れる。


* *


 さて館長室の机の上には相変わらずホーノックフーク(ฮ)が浮(う)き、クマリーを背後から見下(みお)ろしていた。


 視線に気づいたクマリーは首を真後ろに倒(たお)し、ホーノックフークに話(はな)しかける。


「ホーさん。どうしてさっきからクマリーに熱い視線を送っているんです?」

「そのほうの真実を見極(みきわ)めるためじゃが……」


 顔を左右にかたむけ、ホーノックフークがまばたきする。


「ほほう……? 何度(なんど)読んでもクマリーにあやしいところは見当(みあ)たらぬのう。最近湿地帯(しっちたい)で生まれ、トータハーン(ท)と会って今この場にいる。それだけじゃ」

「……ホーさん?」


 クマリーとホーノックフークが互(たが)いに首をかしげ合う。

 いつまでも続きそうだったので、俺は別の話題を切り出した。


「ところでウォーウェーン(ว)の字はどこにあるんだ」


 ホーノックフークによると、スーンさんを殺したリアンゲが文字をはぎ取ったあとでな(・)く(・)し(・)て(・)し(・)ま(・)っ(・)た(・)ようだが……。


 俺はスープパンに声をかける。


「ホーヒープ(ห)。君はリアンゲの頭部と胴体(どうたい)を『箱』にしまったよな。リアンゲ自身はウォーウェーン(ว)の文字を持っていたのか」

「ไม่ใช่(まいちゃい)〔いいや〕」


 眠(ねむ)そうにスープパンがまぶたを上下(じょうげ)させる。


「調べたけど胴体にも身につけている衣服にもウォーウェーン(ว)の手がかりはなかった」

「そうか……ありがとう」


 俺は考え込む。

 室内のほかのみんなも、なかなか発言できずにいる。


「アーティット」


 ガムランが目を細め、斜め前から俺を見る。


「ラートリーから聞いてるぞ。オマエ、スーンの遺体(いたい)を燃やしたんだろ? たとえ遺言(ゆいごん)に従(したが)ったことだとしてもオマエのその行動はどうかと思うが……まあ今はいい。ともあれそのときにウォーウェーンの文字までまとめて灰にしたわけじゃねーよな」

「つまりスーンさんの手の平から奪(うば)われたウォーウェーン(ว)の字が、死んだ本人のもとに戻っていた可能性があるってことか?」


 俺は湿地帯で遺体を焼いたときのことを思い出す。


「だが俺はタハーン・プルーンに命じて、一瞬(いっしゅん)で遺体を焼きつくさせた」

「オマエはときどきこ(・)え(・)ー(・)よ(・)、アーティット。だが……いや待てよ」


 ガムランが鎖をつまぐりながらつ(・)ぶ(・)や(・)く(・)。


「もしスーンの体や服にウォーウェーン(ว)の字がまぎれていたら……その力(ちから)が働いて、さすがに一瞬(いっしゅん)で焼亡(しょうぼう)するなんてことはあ(・)り(・)え(・)ね(・)ー(・)な(・)」


 言いつつ、ガムランはホーノックフーク(ฮ)の顔色をうかがった。


 果たしてホーノックフークは顔を左右に倒すのをやめ、ガムランに対して首を縦(たて)に振(ふ)った。どうやら彼女自身の認識も「ウォーウェーン・スーンは遺体になった時点でその文字を身につけていなかった」というものであるらしい。


 続いて俺はホーノックフークに質問する。


「リアンゲがウォーウェーン(ว)の文字をなくしたのは、スーンさんの隠(かく)れ家(が)がある湿地帯だな?」

「しかり」


 ホーノックフークの銀色の瞳が光る。

 なお彼女の持つ真実を閲覧する力も万能ではない。閲覧対象のリアンゲ自身が意識せずに文字を紛失(ふんしつ)したとすればその明確な場所までは分からない。


「リアンゲは湿地を出たときに、奪(うば)った文字をなくしたことに気づいたようじゃ」

「だったら探しに戻ったのか」


「いや、結局戻(もど)れずじまいじゃて。この時点ですでにトータハーン(ท)とオーアーン(อ)が湿地にいたから、戻るに戻れんかったのよ」

「……ジャムークと俺がジョットマーイのジャンク船に乗ったあともリアンゲは湿地を探さずウォーウェーン(ว)を回収しなかったっていうのか」


「オーアーン(อ)のおかげでな。あやつは湿地を離れるにあたって、湿地帯一円(いちえん)を透明(とうめい)な洗面器(せんめんき)で囲っていたのじゃ。あやしい人物がいた場合に、すぐ察知できるようにな。それを見抜(みぬ)けぬリアンゲではないからもう回収のために動くことができんようになったのじゃ」

「……俺の知らないところでジャムークはそんなことをしてたのか」


 俺は右の人差し指で、目の前の机を軽くたたく。


「とはいえジャムークはその透明な洗面器で湿地帯の様子を確認してたわけだろ。とすれば、あたりにウォーウェーン(ว)の文字が落ちていないかす(・)で(・)に(・)探索(たんさく)して確かめたはず」

「ご明察のとおりじゃ」


 ホーノックフークが小さく息をつく。


「オーアーン(อ)の洗面器にすくわれた水はすべて彼の思いどおり。遠隔(えんかく)操作(そうさ)でそれを手や目とし、湿地帯のすみずみまで調査しておるよ。じゃがウォーウェーンはどこにもなかったわけじゃ。言わんでも分かるということで……オーアーン自身が口頭(こうとう)でわしに伝えたわけではないがのう」

「ともあれ湿地帯をさぐる必要はないな。だったら今は、あいつのところに行(い)くしかない」


 指を机に這(は)わせて、とある一字(いちじ)を俺は書いた。

 この字(ก)は、きょう唯一(ゆいいつ)図書館塔に姿を現さなかった人物の保有する文字である。


「……ゴーガイ・ディアオ」


 当の文字保有者の名を俺はつぶやく。


「どうして彼が招集命令を無視したのか、かつ事件についてなにか知っていることはないか、俺が今から聞いてくる」

「ま、それが最善じゃろうなあ」


 ホーノックフークが口角(こうかく)を上げる。


「わしもついていく」

「ちょっと待て」


 俺は机から指を離(はな)した。


「ホーノックフークは図書館塔を離れられないんじゃなかったのか」

「もちろんじゃよ。わしの本体はここに眠(ねむ)っており、いわば塔こそがわしを現世にとどめる墓標(ぼひょう)じゃからの」


 ホーノックフークが自身の顔面を両手の平で軽くたたく。

 その顔は、やはり十代なかばのそ(・)れ(・)にしか見えない。


「されどソーソー(ซ)の鎖があれば、なんとか外出も可能でのう。わしと図書館塔を、ソーソー・ガムランの鎖の有線でつなぐんじゃ。そうすればわしは塔から墓標の恩恵(おんけい)を受け続けることができる」

「そんな抜(ぬ)け道があるのか……」


 俺はガムランの顔を見た。彼は黙(だま)って首肯(しゅこう)した。

 ついで俺は確認する。


「じゃあディアオのところまではサラサルアイに連れていってもらおう。まだ馬小屋にいるらしいからな。ただし無理をさせないよう俺とホーノックフークの二人(ふたり)で乗る」


 なおジョットマーイのジャンク船で運んでもらう手もあるが、やはりそ(・)れ(・)は(・)やめたほうがいいだろう。

 文字保有者たちを図書館塔から帰(かえ)さなければならないので、彼女はまだまだいそがしいはずだ。

次回「25.鎖のソー(ซ)【中編】」に続く!


ซ←これが「ソーソー」の文字。意味は「鎖のソー」……複雑に曲がっているところが本物の鎖みたいですね~。


今回出てきた単語の元々の意味は以下の通り

ソー(โซ่)→鎖(くさり)

マイチャイ(ไม่ใช่)→いいえ

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