21.蛇のンゴー(ง)【後編】
文字保有者たちがつどう大部屋のカドにて。
リアンゲが俺とクマリーにあごの裏のンゴーングー(ง)を見せつける。
「自己紹介が遅くなったが名乗らせてもらおうかね」
天井をじっと見つつ、リアンゲが細いのどぼとけを動かす。
「【ง】ンゴーングー・リアンゲ、つかさどる字は蛇のンゴー。わたしは蛇という動物が世界で一番美しいと思っていてね……細長いものがなんでも蛇に見えるほどこじらせている始末。ふふ……わたしの細い首とのどぼとけも蛇みたいじゃないかい」
リアンゲのあごの先が真上を向いている。
その状態でもンゴーングー(ง)の文字は上下逆さまにならず、正常にかたちをさらしている……。
クマリーがさけぶ。
「な……なんてイカした場所に字をっ!」
頭から両手を離し、興奮した声を出す。今まで頭をかかえていたが、少し元気になったようだ。
一方リアンゲはあご裏を見せたまま笑い、頭全体を震わせた。
「遠い国では蛇を……小賢しい知恵を有する悪魔と同列に語ることもあるらしい」
ガラガラの声を響かせる。
「わたしはその得体の知れなさを体現するために、ウォーウェーン(ว)に『わたしのあごの裏にンゴーングー(ง)を刻め』と頼んだのだ」
今、リアンゲの顔はほとんど見えない。
代わりに俺たちのほうを向くあご裏のンゴーングーの赤い字がしゃべっているようだ……。
「ともあれ、ずっとこの体勢では苦しくもある……早くなぞってくれないかね」
「は、はいっ。ただいまっ!」
せかされたクマリーが慌ててリアンゲのあごの裏側にふれる。
上部に時計回りに丸をえがく。
続いて縦線を下ろし、底まで達したら左上へと斜めに進む。
そのあと最初にえがいた丸よりも少し低い位置で線をとめれば、ンゴーングー(ง)の完成だ。
なぞり終わって、クマリーがバンザイする。
「やりました~。この字はどこか勢いがあって、何度も書きたくなるような衝動をクマリーにかき立てますっ!」
一回だけでなく何度もくりかえして宙にンゴーングー(ง)をしるす。
「とくに最後、跳ねる感じで動くところが気持ちいいですっ!」
「君にも分かるか、งの魅力が……!」
あごを引き、リアンゲが顔を再び俺たちに向ける。
「しかもンゴーングーの字は本物の蛇にかたちが似ている。最初の丸が頭部で、最後の先端部分がしっぽのようだ。なんと美しいフォルムじゃないかね!」
「熱く語りますねっ。文字とは、まさに魂を魅了するもの……っ!」
そしてクマリーは「リアンゲさん、ありがとうございました!」と言い、彼のそばから離れた。
俺も礼を述べておく。
「うちの精霊の勉強に付き合ってくれてありがとう」
「ふふ……いいんだよ、トータハーン(ท)」
緑がかったは虫類のような目をリアンゲが細める。
「無垢な存在が知恵を獲得していくさまはとても素晴らしいものだからね」
「……いい趣味だな」
そして俺はリアンゲと別れた。
クマリーのそばに近寄ると、浮いたまま彼女が左右の手にこぶしを作った。
「よ、よ~し! この調子でクマリー、はあ……文字をどんどこ覚えますよ~」
声を張り上げようとしたようだが、どこか覇気がない。
「はあ……せっかく、お兄さんのお仲間さんが集結してるんですから……はあ。こんなチャンス、なかなか来ないです……はあ」
「……クマリー? だいじょうぶか。さっきから、はあはあ言ってるが」
心なしか彼女のふにゃふにゃ声が、もっとふにゃふにゃしたなにかにグレードアップしている気がする。
「まさか文字がたくさん近くにあると意識して興奮しすぎてしまったんじゃ……」
「……う。そうかも、しれません……」
右手で白い上着のわき腹を、左手で布におおわれた腰を押さえる。
「なんか体がズキズキします……」
「無理することはないさ」
ずっと元気だったクマリーが不調ということで、俺もなぜか心配になる。
「今なぞれなくても――みんなには、また会えばいいんだから。回復するまで、へそで休んでろ」
「お言葉にあまえます……」
クマリーは力なく答えつつ、全身を縮ませる。豆粒以下のサイズになったところで俺の胴衣の裾から内部にもぐり込む。
クマリーがへそのなかに入ったことを確認し、俺は大部屋にいる黒いドレスの女に近づいた。
ソーサーラー・クルムである。彼女に再び話しかける。
「すまない、クルム」
「あららら~」
相変わらず演技めいた口調でクルムが答える。
「どうしたのかしら、アーティットちゃ~ん」
「ピーの回復に特化したあずまやを頼めないか」
俺は右手でへそをなでながら言った。
「クマリーが体調不良なんだ」
「分かったわ」
このときだけはクルムの声が間延びしなかった。
「サーラー・カーオ」
クルムは黒い衣装のレースの一枚を右手ではぎ取る。
それをフッと吹く。するとその黒い布地が白に変色し、宙を舞った。
ただしサイズは変わらないまま、レースの四つのすみからそれぞれ小さな柱が伸びる。
まさにミニサイズの白いあずまやのようなかたちとなった。縦・横・高さは五ミンリメートくらいだろうか。
これが俺の胴衣の裾から服の内部に入り込み、へその周囲に軽い衝撃を与えた。
左手でクルムが、自分のへそのあたりをつつく。
「アーティットちゃんはクマリーちゃんをおへそに休ませているんでしょ~。だから直接その場所にあずまやを設置したのよ~」
「……あ、ありがとな」
戸惑いつつも俺は胴衣をめくり、自分のへそを確かめた。
クルムの言ったとおり、俺のへそに横向きの小さな白いあずまやが貼りついている……。
「俺の腹に直接固定されているのか……。クマリー、調子はどんな感じだ」
「ど、どうにか……ラクになってきましたよ」
か細いふにゃふにゃ声が俺のへそを震わせながらのぼってきた。
俺は再度クルムに礼を言った。
彼女は「あららら~」と笑って、こう続けた。
「自力で外すのはたぶん不可能だから~、必要なくなったらおばさんにいつでも言ってちょうだいね~」
* *
こうして――。
体調不良のクマリーをへそに入れたまま、もうすぐ正午の時間に近づく。
(さてホーノックフーク(ฮ)の要請どおり文字保有者は全員集まるのか……)
俺は窓に近い壁際に寄り、腕組みをして立っていた。
また大部屋の赤い扉が左右にひらき、新たな文字保有者たちが姿を見せる。
最後に、亜麻色の髪と瞳を持つ女性が現れる。
白いタンクトップにオレンジ色のホットパンツを着た彼女の名は【ภ】ポーサムパオ・ジョットマーイ。水兵帽を左のわきにかかえ、扉を閉める。
(ジョットマーイも来たか。文字保有者たちを運ぶ仕事は終わったらしい)
大部屋を見回し、俺は人数を確認した。
(――えっと。俺も含めて三十九人いるな。意外と集まりがいい)
文字保有者のもともとの総数は四十二。つまり三人足りない。
殺されたウォーウェーン・スーンとまだ室内に現れていないホーノックフーク(ฮ)をのぞけば、ここにいない者は一人――。
その人物の名はディアオ。ゴーガイ(ก)の字を持つ男である。
(よりによって彼が最後まで現れないなんて……)
ここで、ボーン、ボーン! と鐘の音が鳴り響く。
コーラカン(ฆ)による正午の合図だ。
さらに俺から見て左側のゆかの一部がせり上がる。
せり上がったゆかが、面積四平方メート・高さ三メートほどの台座となる。
全員がその台座に視線を向ける。
すると台座の上から吐息を多く含んだ声がふってきた。
「ほうほう……」
天井から台座へと一つの影が舞いおりる。
「そのほうら、一名をのぞいてそろっておるの。ここまでノコノコわしの前に姿をさらすとは、さすが文字を刻んだ者たちじゃ」
灰色の足袋の裏側を見せる。ゆったりとしたロングスカートと上着を小さくはためかせる。
髪と瞳を銀色に輝かす彼女の名は【ฮ】ホーノックフーク・ラートリー。
足袋を台座の上にそっとふれさせ、着地する。
手を合わせてあいさつしようとする者たちをホーノックフークは制止し、すぐに本題を切り出す。
「もう全員、聞いておるよなあ。ウォーウェーン・スーンが殺されたことを」
両腕をだらりと垂らしたまま、銀色の瞳を見ひらく。
「そして十中八九このなかに、ウォーウェーン(ว)を殺害した不届き者がおる……」
足の指を台座のふちに引っかけ、首を左右に倒すホーノックフーク。
「――ほうほう、ほうほうほうほう、ほうほうほうほうほうほうほうほう」
およそ人とは思えない鳴き声と共に、大部屋全体を見渡す。
そして首を右に百度以上かたむけ――。
ある人物に目をとめる。
「ほう……」
ホーノックフークの鋭い視線の先にいるのは――。
俺――トータハーン・アーティットだった。
ホーノックフークと俺の目が合う。
ここに集まった者たちの視線が俺に集中する。
「なんで……こっちを見ている」
台座に立つホーノックフークから目を離さず、俺は組んでいた腕をほどく。
「俺の無実はあなた自身が――ホーノックフーク(ฮ)がすでに証明したことじゃないか……!」
「さえずるな、トータハーン(ท)」
まばたきをせず、ホーノックフークがその両目で俺を捉え続ける。
「わしの見抜いた真実は絶対なんじゃからのう」
そしてホーノックフークは……。
同時にさりげなく、左手を横に上げていた。
視線が俺のほうを向き続ける一方で、左手の中指がまったく別の方向を示している。
瞬間――。
人の首が、ぶつ切りにされるときの音がした。戦場で何度も聞いた、皮と筋肉と脂肪と神経と血管と骨が切断されるときの耳障りな響きだ。
大部屋のカドから血しぶきが舞い上がる。
深緑と黒で染められた長袖の上着をまとった男が、細い首から赤を噴いていた。
すでにその男の首より上の部位はない。
頭を失った男のそばで、ネズミ色のマントの女がサーベルを掲げている。
ノーヌー・キアだ。俺たちに背を向けながら、刃渡り十五センティメートほどの曲がった刀身を左手に逆手で持っている。
マントとそれに縫いつけられたフードに深紅がふりそそぐ。
白いゆかにも天井にも赤いまだら模様ができる。
男の体が倒れ、血の勢いが徐々に弱まる。
宙を飛んだ頭部もにぶい音を立ててキアの足もとに落ちた。
大きなあごだ。
あごの裏側に、蛇のかたちに似た字があった。
「ンゴーングー・リアンゲよ」
ホーノックフークが俺から目をそらし、今度は左に首を百十度以上かたむける。
ゆかに転がる男――リアンゲの体を凝視する。
「すでにわしはこの場にいる全員の真実を閲覧した。そしてウォーウェーン・スーンを殺した罪深き真実がそのほうのなかに眠っておるのを確認したゆえ、死んでもらった次第」
頭のない死体を左手で指差し続ける。
分離した頭部にも視線を向ける。リアンゲはやや口角を上げている。緑がかったは虫類のような瞳とホーノックフークが目を合わせる。
「でたらめではないぞ。わしに隠し事は不可能じゃからな」
次回「22.箱のホー(ห)【前編】」に続く!
ง←これが「ンゴーングー」の文字。意味は「蛇のンゴー」……字の形も蛇っぽいような気がしますね~。
今回出てきた単語の元々の意味は以下の通り
ングー(งู)→蛇
カーオ(ขาว)→白い
ミンリメート(มิลลิเมตร)→ミリメートル




