19.あずまやのソー(ศ)【後編】
今は、夜が広がり始めた時間帯……。
天幕の兵隊のなかで俺はクマリーと共に腹ごしらえを終えた。
その後クマリーは小さくなり、俺のへそのなかに入って休んだ。
俺も早めに眠ろうと思ったがちょっと目がさえている。
(あしたは文字保有者がつどう日……ノーヌー・キアに協力するためにもちゃんと寝ておかなきゃな。いったん場所を変えてみるか)
俺は炎の兵隊を連れ、ワニ型のグラジョームの大口から図書館塔のバルコニーに出た。
外はもうすっかり暗い。塔の灰色の外観も闇におおわれている。代わりに窓から白色の光が漏れている。
バルコニーから館内に続く小さな扉をあけ、なかに入る。
その際グラジョームとプルーンを消した。
館内は夜でも明るい。
本に宿った精霊たちが、白っぽい光を放つからだ。
俺はらせん状のスロープの柵を越え、塔中央の空洞に身を投げ出す。
下降気流に乗り、下の階へと移動する。
三十メートほど下降したところで近くの柵をつかみ、スロープに着地する。
そのスロープの壁側に館長室の扉よりもよほど大きな扉が見える。表面が赤いクッションでできた、高さ五メート幅四メートほどの左右にひらくタイプの扉だ。
ホーノックフーク(ฮ)の要請により、あしたの正午俺たち文字保有者はこの扉の先の大部屋に集まることになっている。
俺は銀色の取っ手をつかみ、扉の右側と左側を手前に引いた。
室内に入り、扉を閉める。
部屋を見回すと、白い大部屋のなかにたたずむ黒い建造物がいくつも視界に飛び込んできた。
いずれも「あずまや」と呼ばれる建造物だ。
一つの切妻屋根をささえるように、各建造物の黒いゆかの四つのすみから円柱が垂直に延びている。壁はない。
(あずまやの高さも横幅も奥行きも、三メートといったところか)
それぞれのあずまやの中心には人のシルエットが映っている。
全員、ホーノックフークの招集に応じた文字保有者のようだ。
(数は十一……どうやらこの大部屋を休憩所として使用しているようだな)
壁はないが、あずまやの外から内部をうかがい知ることはできない。
黒っぽいシルエットがぼんやり分かる程度だ。
なお、あずまやにはカーテンも取り付けられているのでシルエットを隠すこともできる。
カーテンは防音機能も有しており、静かに休みたいときにも重宝する。
ともかく俺が大部屋を見渡していると――。
「あららら~、アーティットちゃんじゃないの~」
――後ろから、甲高い声で話しかけられた。
振り向き、俺は小声で応じる。
「ちょうどよかった、クルム。俺にもあずまやを頼む」
「何色をご所望かしら~」
そこに立っているクルムは、穏やかな表情をした長身の女性だ。
肩甲骨まで届く髪の毛先は派手にカールしている。髪も瞳も黒いが、観察する角度によって緑にも青にも黄色にも見える。
黒いレースを何枚も重ねたようなドレスに身をつつんでおり、その衣装のほうは角度によって色を変化させることがない。なお靴は黒いガラス製である。
クルムの声を聞くと不思議な気分になる。彼女の甲高い声は、耳ではなく目のほうに入ってくる。しかもその穏やかな顔を認識するのは、俺の視覚ではなく聴覚なのだ。
(まるで目で聞いて耳で見ているようだ。正直、意味の分からない感覚。でも、そう表現するしかないんだよな……)
ひとまず俺は、クルムに希望の色を伝える。
「ほかのみんなと同じ黒で」
「サーラー・ダム」
クルムは自身のドレスから一枚のレースをはぎ取った。
それをフッと吹き、黒い布地を近くに飛ばす。
布地は大きくなった。一辺三メートほどの正方形に成長したあと切妻屋根のかたちに変化した。その四つの頂点から下向きに円柱が伸びる。そうして三メートの長さに達した四本の柱がゆかにつく。柱の根もとから黒い物質が生じ、正方形の新しいゆかを作成した。
「はいっ。アーティットちゃんのあずまや、できあがりよ~」
「助かるよ」
ここで俺は、少し自分のへそを揺すってみた。
「クマリー……起きてるか? ศの文字をなぞるチャンスだぞ」
「ふああ……ホントですか~。起こしてくれて、ありがとうです、お兄さん……」
目をこすりながらクマリーが俺のへそから這い出てくる。
夜になる前にうたた寝していたから、眠りも浅かったのだろう。
もとのサイズまで膨らんだクマリーが、黒いレースの衣装を着たクルムに話しかける。
「ただならぬ雰囲気のおかた、あなたの文字もなぞらせてください……っ! なにを隠そう、クマリーは文字修行中の身なんですっ!」
「あららら~、かわいらしいピーちゃんね~」
クルムは右手を自分のほおに当てた。ただし穏やかな顔は崩れない。
「でもあんまりかしこまらなくてもいいのよ~。おばさん……君を食べたり飲んだりしないから~」
「た、食べるのはともかく――飲むんですかっ?」
「そう、おへそにストローをぶっ刺して~、ちゅー、ちゅーっとね~」
「ひ……ひええ」
「――クルム、うちのクマリーを怖がらせないでくれ」
クルムは優しげな表情をしているが、話しているとどこか不安になってくる。
そんなクルムが「ごめんなさいね~」と間延びした声を出し、左手の平をクマリーに見せた。
「【ศ】ソーサーラー・クルム、つかさどる字はあずまやのソー。おばさんはね~、無償の奉仕というのが大好きで~、とくに恩をあだで返されることに快感を覚えちゃうの~」
「それで、みなさんにあずまやを提供しているんですね……。なんという深遠な哲学!」
続いてクマリーがクルムの左手に顔を近づける。
「むむ……っ。見た感じ、これ……一筆書きじゃ無理なのでは?」
「二回に分けて書いてみなさいな~」
「はい!」
元気よく返事をし、クマリーが右の人差し指でクルムの手の平に刻まれた赤い文字をなぞる。
中心に反時計回りの小さな丸を書いたあと、線をやや斜め下に持っていく。
続いて上に折り返す。縦長のだ円の弧をえがくように大きいカーブを作る必要がある。
左側から上側に盛り上げる。
右側に達するまでカーブをしっかり引き、線を下ろす。
ここまで終わったら、いったん線を途切れさせる。
さきほど作ったカーブの右上に、右斜め上に向かって短い線を付け加える。
こうして、ソーサーラー(ศ)の字のできあがりだ。
「お……おお~」
クマリーがクルムのそばで宙に字を書く。
「これでクマリーは十個のイカした文字をマスターしました。しかも記念すべき十字目が、今までの一筆書きと違うものとは……なにかとても運命的! クルムさんにも感謝します!」
「ふふ、どういたしまして~」
にこにこして、クルムがクマリーを見返す。
「ついでにクマリーちゃ~ん、おばさんのことはクルムって名前じゃなくて、おばさんって呼んじゃってもいいのよ~」
「け、検討しておきます……!」
さすがのクマリーもソーサーラー・クルムにはタジタジのようだ……。
スーンさんが殺された今の状況でもクルムの態度だけはいつもと変わらない。
薄情なのではなく、演技めいたしゃべりの奥でクルムは誰よりも強い心を持っているのだと思う。
* *
……ともかくクルムと話すのもこれくらいにしておく。
クマリーはあくびをし、再び俺のへそに侵入する。
当の俺は、さきほどクルムが用意してくれた黒いあずまやのなかに入ろうとした。
そのとき下のほうから見覚えのある物体がニュッと生えてきた。
緑のパイプのような形状で、丸い切り口をこちらに向けている。
(ロールア・プリアの潜望鏡か)
その潜望鏡はゆかに生えているのではない。ゆかに出現したハスの葉にたまった水の表面からパイプが突き出しているのだ。
ついで潜望鏡がせり上がる。パイプの下から、なにかが現れる。
水面から出てきたのは、白いワンピースに水色の上着をまとった少女。
右手でつかんだ潜望鏡を垂直に立てている。濡れているため、青っぽい髪のボサボサ具合は目立っていない。
彼女――ロールア・プリアがおどおどした声を出す。
「アーティットさん、びっくりさせてすみません……」
プリアさんがハスの葉っぱから足を出し、ゆかにおりる。しかし、ゆかは濡れなかった。
「昼にワタシが話したことが真実であるとホーノックフーク(ฮ)からもう聞きましたよね……?」
「まあな。俺にとっては信じたくない話だが」
今プリアさんが言っているのは、ウォーウェーン・スーンが無理やりプリアさんにロールア(ร)の文字を刻んだ件である。
「ところでプリアさんは、それをホーノックフークに知られてだいじょうぶなのか」
「いえ……精神的に、めっちゃキツいですよ……。だからワタシ、館長室から出たあとクルムさんのところに真っ先に行きました。ホーノックフークによると、すでにクルムさんが図書館塔に来ているとのことだったので……しばらく、あずまやでずっと横になってたんです……」
「そうか。お互い、きっちり休んどこうな……」
「お、おやすみなさいアーティットさん。ワタシの無駄な報告に付き合ってくれてどうもです……っ。それにしても、ずっと足もとが揺れている感覚があります……。ひさしぶりの地上ですもん……あ~、あしたが怖いな~……っ」
プリアさんはきびすを返し、ハスにたまった水に飛び込んだ。
彼女の全身が水中に消える。残されたハスがボールのように丸まり、遠くに転がっていく。
あらためて俺は黒いあずまやに足を踏み入れた。
靴を脱ぐ。カーテンを下ろし、内部を暗くして横になる。
奇妙な感覚に支配される。ソーサーラー(ศ)のあずまやは、そこに宿る人をつつみ込むのではなく、むしろ放り投げる感じがする。
この突き放されるイメージがなぜか心地よさと安らぎを提供する。
ゆかは寒く、固い……。
しかしどこまでも懐かしい。
そんな意味の分からない気持ちをいだかされたまま、俺は眠りに落ちていった。
やはり悪夢を見ることもなく……。
次回「20.蛇のンゴー(ง)【前編】」に続く!
ศ←これが「ソーサーラー」の文字。意味は「あずまやのソー」……トータハーン(ท)やホーノックフーク(ฮ)とは違って一筆書きでは書けない文字ですね~。
今回出てきた単語の元々の意味は以下の通り
サーラー(ศาลา)→あずまや
ダム(ดำ)→黒い




