18.あずまやのソー(ศ)【前編】
図書館塔に帰ってきた俺はノーヌー・キアに協力を求められた。
キアはスーンさんを殺害した犯人を暗殺する予定らしい。その際に邪魔が入らないよう動いてほしいとのことだ。
それに俺は了承の意を示した。
そしてキアとの会話後、塔の館長室に入った。ホーノックフーク(ฮ)と対面した。
話題はロールア・プリアのこと。俺も事前に本人から聞いていたが、プリアさんは同意なくウォーウェーン・スーンにロールア(ร)の文字を刻まれたそうだ……。
* *
スーンさんはすでに殺されているし、俺のいのちの恩人でもある。
(どうも頭が混乱しそうだ)
現在、俺は机をはさんでホーノックフークと向かい合っている。
机の上には砂の敷き詰められた板が置かれている。
すでにホーノックフークの書いた一文が砂に浮かび上がっている。俺も右の人差し指でそこに文をしるす。
【俺がプリアさんに今回の件を伝えたとき、彼女は笑った。自分と同じ文字保有者……しかもみんなに文字を与えたウォーウェーン(ว)が殺害されたのに――「なぜだ?」と俺は思った】
指につく砂をいったん落とし、俺は文を続ける。
【プリアさんに理由を聞くと「ウォーウェーンを恨んでいた」と返された。彼が同意なく自分にロールア(ร)の字を刻んだとプリアさんは言ったんだ】
ホーノックフークが見抜いた以上、スーンさんが無理やりプリアさんに字を刻んだのは確定した。
字を刻まれる際、本人の心身は想像を絶する痛みに襲われる。
不同意でこれをやったとすれば、ただの傷害行為でしかない。
文字保有者になること自体、幸せなこととも限らない。
人には過ぎた力を持っているということで差別される場合もある。
そもそも文字が体から分離した時点で本人は死ぬ。
俺やサラサルアイとは違って望んでいないのに文字保有者にされたプリアさんは、確かにスーンさんを恨むだろう。尊厳を踏みにじられたも同然なのだから。
自分の文字が大嫌いとも……言うだろう。
【でも俺たちのほとんどはスーンさんを慕っていた。その関係性を壊すのが怖くて、ずっと潜水艦に籠もっていたと彼女は打ち明けてくれた】
【とくにわしには会いたくなかったようじゃの。以前プリアはよくこの図書館塔に来ていたんじゃが文字保有者になってからはまったく来んようになったし。それと潜水艦……ルアダムナームを水ごとすくわれるかもしれんから、オーアーン(อ)との接触もさけていたと思われる】
さきほど自分で書いた文字列を左手で消し、ホーノックフークが砂の上に新しい文を作る。
【ウォーウェーン(ว)をかばっていたのではなく、真実を知られれば現状がもっと悪い方向に行く可能性がある……という恐れをロールア(ร)は持っていたわけじゃ。誰かに話したり、わしに姿をさらしたりしたら報復を受けるかもしれんし】
【しかしきょう、スーンさんの死を知った】
俺も自分で書いた文を消しながら文字による会話を継続する。
【だからプリアさんはウォーウェーン・スーンの恐怖から解放された。彼が死んだのなら、真実を知られても俺たちの関係性を壊すリスクは最小限で済む。だから潜水艦に籠もるのをやめて、ホーノックフークの前にも姿をさらした】
【ロールア(ร)もずっと解放されたかったのじゃろうな】
ホーノックフーク(ฮ)が顔を上げ、俺に目配せする。
【そのほうは、このロールアの件とウォーウェーン殺害事件とに関係があると思うか】
【真相を知ったやつがプリアさんを助けるためにスーンさんを殺したと……? いや、ないな。もしプリアさんを助けたいと思うなら、一人で動こうとせずにホーノックフークと情報共有したほうが確実に決まっている】
続いて俺は疑問点も示しておく。
【ところで、あなたの情報に間違いがないことは確実だがここには矛盾がないか】
【ほう】
【ずっとプリアさんとは会えなかったかもしれないが、そのあいだホーノックフークはスーンさんと何度も顔を合わせているはずだろう。彼が湿地帯の隠れ家に籠もる前にスーンさんの悪事を見抜けなかったのか】
【そこなんじゃよな……。わしがウォーウェーン(ว)と対したとき、ロールア(ร)に文字を無理やり刻んだという真実は読み取れなんだ。この不一致をどう説明するかが、事件解決の鍵になりそうじゃの】
首を左右に倒し、ホーノックフークが目を細める。
【まあロールア・プリアについては、これくらいにして……。そのほう、ここに来る前にノーヌー(น)に暗殺を手助けするよう依頼され、それを受けたじゃろう】
【ああ】
俺は左手で机を小突いた。
【暗殺についてはホーノックフークがノーヌー・キアに命じたことで間違いないな】
【さよう。ノーヌーの身も潔白じゃしなあ】
向かって右へと直角に曲げた顔を震わせ、ホーノックフークが俺を見つめる。
【みなを大部屋に集め、犯人がいたら指差してノーヌー(น)に殺させる。仲間殺しへの罰は死以外にありえぬよ。無論、犯人はもう仲間ではないゆえにわしやノーヌーが仲間殺しとなるわけではない。ただし文字に罪はないから、その部分だけは切り離して大切に保管させてもらう。反対意見があるなら聞くが】
【意地が悪いな。ないと分かっているだろうに】
俺は人差し指を引っ込め、小指でさっと最後の文を書いた。
【ともかく筆談はここで終わりだ】
【ほっほっほ、そうじゃの】
ホーノックフークは砂の敷かれた板を机の引き出しに戻した。
(それにしても、もやもやする……。俺は、いのちの恩人であるスーンさんのかたきをとろうと思っていたのに、その前にプリアさんの一件が明らかになるとは。スーンさんがプリアさんに無理やり文字を刻んだなんて信じたくないな)
なにかの間違いじゃないかという疑念も、ホーノックフーク(ฮ)の前に打ち砕かれた。
「ウォーウェーン・スーン……。あなたは何者で、どうして死んだんですか」
手の平のトータハーン(ท)の文字を見て、俺はつぶやいた。
誰も答える者はいない。目の前のホーノックフークすら黙っている。
* *
俺は館長室をあとにして図書館塔のバルコニーの一つに出た。
灰色の柵をつかみ、下にある別のバルコニーのほうに目をやる。
ジョットマーイの焦げ茶色のジャンク船が浮上し、渦巻く雲に入るところが見えた。
船体がすべて雲に隠れると、こちらからはまったく捉えられなくなる。
じきに、その雲さえ霧散する。
あたりは、やや暗くなっている。
さきほど一瞬だけジャンク船のペンギン型の精霊たちがぼんやり発光しているのが視界に入った。
(ジョットマーイも招集のかかったみんなを運ぶのでいそがしいだろうな。だけどそれがポーサムパオ(ภ)……「ジャンク船のポー」の使命なんだろう)
そして俺はトータハーン(ท)……「兵隊のトー」か。
(いったい俺の使命はなんだろうな。悪夢にさいなまれるのが嫌になって文字を返そうとしていたのに……気づけば目的がスーンさんのかたき討ちにすり替わっていて……)
だが結局スーンさんのことも分からなくなってきた。
もちろん彼が俺のいのちの恩人である事実に変わりはない。だからかたきをとるという目的は揺らいだりしない。
(とはいえ俺はそれ以外のことにも目を向けるべきなんだろうか)
今まで俺はどうしていた……? ずっと兵隊として金を稼いでいただけだ。
ただ、その日を生きるために。
「本当の俺には、なにもないんだろうか……」
「どうしたんです、お兄さん」
オレンジの混ざった茶色の髪が俺の左隣で揺れる。
いつの間にかクマリーが俺のそばに浮遊し、ふにゃふにゃの小声を発していたのだ。
「クマリーは今までうたた寝しちゃってました。お兄さんのおへそが、あまりにも気持ちよかったから。ふかふか具合がたまりませんっ!」
それから目をこすって俺の左手をギュッと握る。
「お兄さんは、なにもなく……ありません」
どうやらさっきの俺のひとりごとを聞いていたらしい。
「……クマリーはお兄さんと一緒になってから、ここ三日間でさまざまな人に出会いました。それぞれ違う文字を持っているけれど、みんな素敵なかたでした」
俺の手をつかんだクマリーの両手がもぞもぞ動く。
「ノーヌー(น)のキアさんはクールで、ロールア(ร)のプリアさんは親しみやすくて、モーマー(ม)のサラサさんは雄々しくて、ロージュラー(ฬ)のエーンお姉さんは安心感があって、ホーノックフーク(ฮ)のホーさんはあたたかくて、ポーサムパオ(ภ)のジョットお姉さんは芯が強くて、オーアーン(อ)のジャムークさんは礼儀正しくて……っ。本当に出会えてよかったってクマリーは思いますっ!」
ついで髪と同色の垂れ目を俺に向ける。
「でもクマリーの一番は、お兄さんなんです」
「分からないな」
俺はごまかすように言葉を返す。
「そんなに俺のへそが好きなのか」
「もちろんおへそも大好きです。でも、ほかにも好きなところはあります。お兄さんと一緒に食べるバナナはおいしいんです。お兄さんと一緒に文字を知っていくのが、楽しいんです」
しんみりと言いつつ、クマリーが俺の左手を小さな両手でゆっくりひらく。
「お兄さんの持っているこのイカしたトータハーン(ท)の文字から、クマリーの世界が広がったんですよ……クマリーがお兄さんと出会って、お兄さんがクマリーに文字を教えてくれたから……。これから四十二個の文字を学んだりクマリー自身の名前を書いたりできると思うと、とっても幸せです……」
クマリーは俺の左手を持ち上げ、自分の丸っこい顔に軽くふれさせる。
彼女の右のほおに当たった俺の手の平が動く。
最初に小さな丸をえがき、ついで真下に線を引くように移動させる。
さらに右上に向かって斜めに動かす。
その後また縦線を下ろす。
右下でとめ、一筆書きを終える。
トータハーン(ท)の書き順だ。
その動きは俺の視点だと左右逆になっていたが、クマリー自身は間違えずに文字を書ききった。
「文字を手放すかは……お兄さんの自由だと思います」
そっと両手を離し、クマリーが言う。
「でもクマリーは、お兄さんのトータハーン(ท)の文字もお兄さん自身も大好きです……」
「……タハーン・グラジョーム」
なんと答えていいか分からず、俺は灰色のワニ型の精霊を呼んだ。
バルコニーに出現したワニの大口のなかに入り、炎の兵隊も呼び出してなかを照らす。
ついてきたクマリーに、とりあえず俺はバナナをやった。
雪の兵隊に冷やしてもらっていた白い箱からバナナを取り出す。それをむいて木の皿に載せ、ココナッツミルクをかけた。
ゆかに置いた皿のまわりをクマリーが飛ぶ。
「こ、これは……! ごくり……! 見た目からして濃厚です……っ!」
「サラサルアイが言っていた組み合わせだな」
俺はクマリーに白いスプーンとフォークも貸した。
皿やスプーンなどは氷室の箱の上に載せていたものだ。なお俺の使役する兵隊のなかには医者の兵隊という精霊も存在する。このペートが消毒してくれるので、衛生上の問題はない。
ともあれクマリーは今までスプーンもフォークも使ったことがないらしく、おたおたしていた。
しかし俺が同じものを用意し、腰を下ろして食べ始めると、クマリーもマネして全部をたいらげた。
「とろけるような口当たりっ!」
両手でほおを押さえ、クマリーが首をぶるぶる振った。
「バナナとココナッツミルクの組み合わせも最高です~。それに……このすぷーん? とかを使って上手に食べられました。クマリー、おとなになりましたよっ!」
「そうかもしれない」
そしてバナナのついでに、俺はスティック状の茶色い携行食もかじっておいた。
食べるどうかクマリーにも聞いたが彼女はことわった。そもそも人間ではなくピーなので、栄養補給自体必須ではないらしい。
すべて食べ終わってから俺は、目の前に浮くクマリーを見た。
「……ありがとな、クマリー。君のおかげでちょっとだけ迷いが晴れた気がする。俺にも、なにかあるかもしれないって思えた」
「どういたしましてですよ~」
照れながらクマリーは、バナナの房みたいな髪を揺らす。
「まさかお兄さんもクマリーのことが大好きなんて知りませんでしたっ!」
「そこまでは言ってないが……」
俺は軽く笑っていた。
次回「19.あずまやのソー(ศ)【後編】」に続く!(1月17日(土)午後7時ごろ更新)




