15.船のロー(ร)【中編】
俺はプリアさんの緑の潜望鏡に向かって攻撃をやめるよう言った。
しかし赤茶の部屋全体を満たす巻き舌の「ロー」という音は依然として続いている。
(俺の声はこの音にかき消され、ロールア・プリアに届かない……か)
そのあいだも炎の兵隊が室内に炎をまき散らす。
それに対し、新たな詠唱が潜望鏡から発される。
「ルア・ダップ・プルーン」
その言葉が示す意味は「消防艇」――すなわち消火をおこなう船である。
赤っぽい巨大な水草が天井に出現し、落ちる。上からプルーンの火におおいかぶさる。
(……やはり形状はハスに似ている)
水草は湿っているようで、水滴を多分にまとっている。
それが室内全体に広がり、プルーンの飛ばした火すべてにのしかかった。
結果、あっという間に部屋の火は消しとめられた。
ただしプルーンはあちこちに焦げ跡をつけていた。
その焦げ跡に沿うように、四方の壁に縦の亀裂が走る。どの亀裂もゆかから一メート以上の高さにできている。
向こう側が見えるほどの傷ではないが――。
左右の亀裂から水が浸入してくる。ゆかが水びたしになり、徐々に水位が上がる。
(おそらくプリアさんの潜水艦が沈んでいたとおぼしき泉の水だろう。ほとりで見たとおり、水はにごった緑だな)
消火を終えた赤い水草たちが四方八方から俺に飛びかかる。肉食獣さながらだ。
俺はプルーンを消し、別の兵隊たちを呼び出す。
「タハーン・ルア……」
すると一匹のシャチ型の精霊だけが姿を見せ、水位の上がった室内にバシャリと落ちた。
そして俺は空の兵隊のコウモリの翼にかかえてもらって飛翔する。
移動の邪魔になるとはいえ息が続くか分からないので、俺をくるんでいる空気の層は解除しない。
部屋の高所に逃げる。
水面に浮く海の兵隊に指示を出す。
「かみちぎれ」
兵隊に対して俺は魂を介して命令を下している。
よって周囲の音に指示がかき消されることはない。
これを聞くと同時にタハーン・ルアが身を躍らせた。
暴れる水草に鋭い歯を立て、裂いていく。
ついで部屋のすみに浮いている潜望鏡にルアがねらいを定める。
俺も攻撃を援護する。
「ゲーン・タハーン。……タヌー」
左手の平のトータハーン(ท)を赤く輝かせ、そのなかから弓矢を引っ張り出す。
矢を弓につがえ、引きしぼり、発射する。
が、この瞬間――潜望鏡は水中に沈んだ。
水がにごっているため、どこに逃げたか分からない。俺の矢もタハーン・ルアの突進も空振りに終わった。
「……だが。ああ、そうか。居場所が分かったか」
俺はつぶやき、再び弓矢を構える。外した矢は消え、新しい矢が手もとに現れる。
水の出ていない壁の亀裂の一つに向けて放つ。直後、弓を手の平に押し込み、詠唱を重ねる。
「クワーン」
弓の代わりに手の平から斧が出てくる。あまり大きくないものの、重量はある。
さきほど放った矢の刺さっている亀裂の前にアーガートと共に移動し、斧を振り下ろす。
赤茶色の木材でできた壁が崩れる。
向こう側は水中――ではなく、別の部屋。
にごった水がそちらの室内へと流れ込む。流水と共にタハーン・ルアも侵入する。
ここで、部屋に響いていた巻き舌の音が弱まる。
「さっきの矢は、ルアへの方向指示でもあったわけだ」
新しく現れた部屋にたたずむ人影に、俺は話しかけた。
そこにいたのはロールア・プリアとおぼしき少女。身長は百五十センティメートにも届かないだろう。
丈の短い白いワンピースに、前開きの水色の上着をまとっている。
靴は白のバレエシューズ。
髪も瞳も少し青っぽい。ただし目はよどんでいる。ボサボサの髪を雑に縛っている。
そんな彼女が、おどおどした声を出す。
「ええっ……ウソ……」
「――ルック・カート」
少女の次の詠唱が来る前に、俺は王手を宣言した。
斧を相手に向かってぶん投げる。タハーン・ルアも少女にせまる。
このときすでに例の潜望鏡が俺の背後で放射状に大口をあけていた。俺をくるんでいた空気の層さえ切り裂いていた。
が……すでにタハーン・ルアもその身を斜めに立て、少女の首の近くで口をひらいている。
少しでも動けばルアのほうが先に少女の「のどぶえ」をかみ切るだろう。
(それを分からせるためのルック・カート宣言だったが、うまくいってよかった)
斧が足もとのゆかに刺さった瞬間、比較的浅い水位のなかで少女が尻もちをつく。
のどもとのタハーン・ルアとゆかに刺さった斧とを交互に見る。
少女――ロールア・プリアが青っぽい瞳を俺に向ける。
「アーティットさん、なんでワタシがここにいるって……?」
「君自身の発言をヒントにした」
真後ろの潜望鏡のプレッシャーを感じつつ、俺は説明する。
「俺がここに連れ込まれたとき『この部屋は潜水艦の一室』とプリアさんは口にしていた。『一室』って表現がどうも気にかかったんだ。まるで、ほかにも部屋があるような言い方じゃないか」
「……う」
「それで俺はプルーンで部屋の壁を焼き、四方に亀裂を入れた。結果、浸水が始まったが実は二箇所、水が生じていない亀裂があった。その先に君が隠れているかもと俺は思った」
そして俺は右手を揺すった。
すると、ホタルに似た黄緑色の光が俺の近くを飛び始めた。
「このタハーン・ラートは斥候の兵隊。姿を隠すこともできる。ラートについてはタハーン・ルアと同時に呼び出した。こいつを分裂させ、二箇所の亀裂のなかにこっそり送り込んだ。そのあいだ俺はプリアさんに悟られないよう、ルアと共に潜望鏡のほうをねらう演技をしていたってわけだ」
ここで俺はラートの光を右手でそっと握った。
「あとは……プリアさん本体を発見したラートが俺のもとに戻ってきてから、君の部屋へと一気に攻め込んだんだ」
「そ、そんな」
顔を青ざめさせながら、プリアさんが首を斜めに振る。
「……いえ、アナタがトータハーン(ท)に選ばれたわけが少し分かりました……。戦闘センスがおありなんですね……。ピーを的確に使役するだけでなく、みずからも兵隊のように動くんですもん……」
彼女が力なく言うと、俺の背後の潜望鏡のプレッシャーが消えた。
潜望鏡はもとのパイプのように小さくなった。ついで宙を浮遊してプリアさんの髪の上に乗っかった。
「完敗です」
「俺は君に話を聞いてほしいだけだ。……ルア、アーガート。消えろ」
そう命じると、シャチ型のタハーン・ルアは水に溶けるように、コウモリ型のアーガートは空気に混じるように消えた。
プリアさんは髪に乗った潜望鏡をつかみ、それを振った。
「負けたからには観念しました。もう、どうでもいいです。ちゃっちゃと話してください……」
直後、ツルのある濃い緑の水草が二つの部屋のゆかから生えた。
いくつものツルがぐんぐん伸び、ゆかや壁などの破損箇所をおおう。
続いて、各部の赤茶色の木材がまるで人の皮膚のように徐々に修復されていく。亀裂もふさがり、焦げ跡も消え失せる。
俺の背後の壁も、もとの状態に戻った。もともと俺がいた部屋のほうは見えなくなった。
部屋に広がっていた水を吸いつくしたあと水草は枯れ、灰のように散った。
次回「16.船のロー(ร)【後編】」に続く!
今回出てきた単語の元々の意味は以下の通り
ルア・ダップ・プルーン(เรือดับเพลิง)→消防艇
※ダップ(ดับ)は「消す」という意味。タイ語は名詞を後ろから修飾するっぽくて「船/ルア(เรือ)」+「消す/ダップ(ดับ)」+「炎/プルーン(เพลิง)」で「炎を消す船」つまり「消防艇」という意味になるようです。
タハーン・ルア(ทหารเรือ)→海軍
※これも「兵隊/タハーン(ทหาร)」+「船/ルア(เรือ)」で構成された複合名詞ですね~。直訳すると「船の兵隊」でしょうか。ちなみにタハーン・アーガートは「タハーン」+「空/アーガート(อากาศ)」で実際は「空軍」の意味になります。
タヌー(ธนู)→弓矢
クワーン(ขวาน)→斧
センティメート(เซนติเมตร)→センチメートル
ルック・カート(รุกฆาต)→チェックメイト




