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12.馬のモー(ม)【中編】

 なにを考えているかは知らないが、図書館(とう)の館長室でホーノックフーク(ฮ)はクマリーに「自分だけの文字を持ちたくはないか」と問うた。


 宙に()くクマリーが下降し、(つくえ)に両手をつく。


「えっ! クマリーも()()()()()()()()()()なれるんですかっ?」

(ちから)のある文字を(あた)えることはウォーウェーン(ว)にしかできぬ」


 あいだに机をはさんだ状態でホーノックフークがクマリーをじっと見る。


「されど、あらゆる生き物も無生物も精霊(ピー)も本来的に独自の文字を持つことが可能なのじゃ」


 銀色の(ひとみ)を見ひらき、口角(こうかく)を上げる。


「方法は簡単。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「えっと、クマリーの名前はクマリー・トーンだから……」


 クマリーが背を丸め、首をひねって考える。


「……ありゃ? どう書けばいいか分かりません……。せっかく文字もいくつか覚えてきたのに……クマリーは頭よわよわピーなんでしょうか……」


 しょんぼりとして肩を落とす。

 なぜか……いたたまれなかった。


 (おれ)は紙と鉛筆(えんぴつ)を上着のポケットから取り出した。


「ちょっと机を借りる」


 ホーノックフーク(ฮ)にことわって、机の上に紙を置いた。


「……クマリー。君の頭は関係ない」


 目をうるうるさせているクマリーに右横から視線をやる。


「字を書けるかどうかは、本人が字そのものを知っているか知っていないかの(ちが)いでしかないよ。知っていれば書けるし読める。知らないと書けないし読めない。それだけなんだ。文字を使える人が特別に(えら)いわけでもないし、字を知らないからといって自分を()じることもないんだ」

「お兄さん……」


「それとクマリー、きのうのことを(あやま)りたい。トータハーン(ท)を知らなかった君のことを俺は『こんなの子どもでも知ってる』と言ってバカにしただろ。すまなかった」

「い、いいんですよっ。クマリーは気にしていませんしっ」


 ついでクマリーは両手の平で目もとをぬぐい、笑った。


「だけどお兄さん、ありがとうございますっ! クマリー、元気が出てきました!」

「そうか」


 俺は右手の鉛筆をクルリと回した。


「……君の名前である『クマリー・トーン(กุมารีทอง)』は()()()()書ける。その名前を書くために現状の君が使用できる文字は二つ。オーアーン(อ)とトータハーン(ท)だ」

「クマリーの名前にジャムークさんの字とお兄さんの字が入ってるってことですか」


 クマリーが机の上に右の指をすべらせ、オーアーン(อ)とトータハーン(ท)の文字を書いてみせる。


「二番目に目にした字と初めて知った文字がクマリーに(ふく)まれているなんて……とても素敵(すてき)奇跡(きせき)ですっ!」

「……かもしれないな」


 俺は机に()せた紙に六つの四角を横並びに書く。

 左から数えて四番目と五番目の四角を鉛筆の(しり)でたたく。


「今、クマリーが書けるのは『クマリー・トーン(กุมารีทอง)』の『トー(ทอ)』の部分だ。ここの左からトータハーン(ท)、オーアーン(อ)の順に書いてみればいい」

「えっと、それぞれの文字のかたちは……」


 クマリーが俺から鉛筆を借り、四番目と五番目の四角をうめる。


 まずは左にトータハーン(ท)を記入する。

 左上に小さな丸をかいたあと、真下に線を引っ張る。

 ついで右(なな)め上に線を上げ、右上に来たら真下に下ろす。


 右のオーアーン(อ)は左真ん中の小さな丸から始める。

 真下、右横、真上(まうえ)の順に線を走らせたのち、()()がる()を反時計回りに追加して左上でとめる。


「か、書けました。……やりましたよっ! お兄さんのおかげですっ!」


 鉛筆を右手に持ったまま、何度もクマリーがバンザイする。

 俺はうなずき、「うまいじゃないか」と返した。

 空白のままの残り四つの四角をクマリーが順に指差す。


「あと四つそろえばクマリーの名前である『クマリー・トーン』の完成なんですね! ……でも」


 ここでクマリーが首をかしげる。


「クマリーの『リー』の部分は、エーンさんの文字のロージュラー(ฬ)でいけるんじゃないんですか? なんか(ひび)きが似てますよ」

「そこ、ややこしいけど……ロージュラーだと発音がちょっと(ちが)うんだ。クマリー(กุมารี)の『リー(รี)』は巻き(じた)っぽいけど、ロージュラー(ฬ)の発音のほうは舌を巻かない」


 俺は巻き舌の発音とそうでない発音で「ロー」と二回だけ(くち)に出す。


「クマリー(กุมารี)のリー(รี)に対応する文字は『ロールア(ร)』だな。こっちはちゃんと巻き舌の発音になる」


 ついで俺はクマリーから鉛筆を返してもらい、空白の四つの四角を順にたたく。


「クマリー・トーン(กุมารีทอง)という自分の名前を書くために君が集めるべき残りの文字は『ロールア(ร)』に加えて『ゴーガイ(ก)』『モーマー(ม)』『ンゴーングー(ง)』の三つだ。トータハーン(ท)とオーアーン(อ)はすでに手に入れているわけだしな」


 あえて残りの四角は空白のままにしておく。


「……それと『母音(ぼいん)記号』というのも少々付け加える必要がある。これについては六つの子音字(しいんじ)をコンプリートしたあとで教えるよ」

「楽しみです」


 バナナの(ふさ)が重なったような茶髪(ちゃぱつ)をクマリーが俺のわき腹に()しつけてくる。


「イカした文字全部に出会うだけじゃなくてその文字を使ってクマリーを作り上げること……これも夢になりましたっ!」


 そう言って、はしゃぎながら飛び回る。


 その様子を、ホーノックフーク(ฮ)が机にひじをついて見ている。

 鉛筆と書きかけの紙を俺はポケットにしまった。


(今の俺の目的はスーンさんのかたきをとること。そのことにクマリーは関係ない……。とはいえホーノックフークからは「休め」と言われたし、休憩(きゅうけい)がてら()()()()()俺たちの使う文字についてクマリーに教えたいとも思ってしまった)


 左手の平のトータハーン(ท)の文字を見つめる。


(……俺たちは文字によって生きている。だからクマリーにも知ってほしかったんだろうか)


* *


 それから俺とクマリーはいったん館長室をあとにした。


 図書館塔のバルコニーの(ひと)つを借り、ワニ型の精霊(ピー)である天幕(タハーン・)の兵隊(グラジョーム)を呼び出す。その灰色の大口(おおぐち)のなかに入る。


 内部の氷室(ひむろ)の箱からバナナを取り出す。

 それを炎の兵隊(タハーン・プルーン)に焼いてもらって、俺たちは文字どおりの焼きバナナを食べた。


 クマリーがほおをふくらませつつ、顔を赤らめる。


「あったかいです~。とろとろであまくて……こんな食べ方もできるんですねっ。お兄さんの言っていたとおり、バナナは神ですっ!」

「分かってもらえるとは――」


 部屋の(かべ)に背を押しつけながら、俺は自然に笑っていた。


「バナナ信者として感無量だな」


* *


 グラジョームのなかで一夜(いちや)を明かしたあとは、モーマー(ม)に会うために図書館塔からおりた。


(きのうのホーノックフーク(ฮ)の助言どおり、ロールア・プリアのもとまで連れていってくれるようサラサに(たの)まないといけないからな。あすの集合に向けてジョットマーイは文字保有者を運ぶのでいそがしいだろうし、ジャンク船に乗るのはやめておこう)


 ちなみに俺は、おとといに続いて昨晩(さくばん)兵隊(タハーン)に反乱を起こされる悪夢を見なかった。

 しかもクマリーはまた小さくなって俺のへそで()ていたという……。


「いや~、お兄さんのおへそのなか、あまりにも快適すぎて()みつきになっちゃいましたっ!」


 その発言だけは、どうも理解できそうにない。


 ひとまず図書館塔の中央を(たて)につらぬく空洞部(くうどうぶ)から下降気流に乗り、地上一階(いっかい)まで移動する。


 一階の(とびら)は左右にあけっぱなしになっていた。象でも悠々(ゆうゆう)と通過できる大きさの扉だ。


 そこを()けて(そと)に出る。

 左に折れる。塔の横にある馬小屋に向かう。


 図書館塔と馬小屋は灰色の石畳(いしだたみ)の道路でつながっている。

 よって道なりに進むだけで小屋にはすぐ着ける。


 その馬小屋は薄茶色(うすちゃいろ)の木材でできている。

 俺は管理者の壮年(そうねん)男性に声をかけてなかに入った。クマリーの同行も許された。


 馬小屋の内部はいくつもの部屋に分かれており、それぞれに馬が一頭(いっとう)ずついる。

 木材の素朴(そぼく)なかおりに混じって、ツンと鼻を()すようなすっぱいにおいも(ただよ)う。


 一番奥の部屋まで歩いていく。その部屋にだけは扉があった。

 俺は扉をノックした。


「……サラサルアイ。俺だ、アーティットだ」


 ヒビの入った扉に(くち)を近づけて、少し声を(おさ)える。


(たの)みごとがある。ピーの少女もついてきてるが、なかに入ってかまわないか?」

「あん? アーティットだと?」


 扉の向こうから野性味(やせいみ)あふれる声がとどろく。

 それを聞いたクマリーが俺の後ろで「わあっ!」という(おどろ)きの声を()らす。


 しかしこの馬小屋にいる()()()()がサラサルアイの大声で驚くことはない。さきほどの声を耳にしても馬たちは鳴き声(ひと)つ上げなかった。


「アーティ。おまえ、三か月前おれを戦場(せんじょう)に連れ出して死なせかけといて、よくノコノコ会いに()れたな。ま~」


 扉の向こうの男――サラサルアイが動物の鳴き声のように「ま~」といななく。


「……ま~、()()そういうところに連れていってくれるなら、許してやるがよっ!」

次回「13.馬のモー(ม)【後編】」に続く!


今回出てきた単語の元々の意味は以下の通り

サラサルアイ(สละสลวย)→美しい

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