10.タコのロー(ฬ)【後編】
平べったい孤島の広場で、俺とジョットマーイとクマリーがハンモックの上のエーンと対面している。
ここでジョットマーイが一歩前に出て、畳まれた紙をエーンに差し出す。
「ホーノックフーク(ฮ)からエーンちゃんへの手紙。読んでみて」
「え? なに」
赤茶色の髪をエーンが揺らす。彼女のそばには、タコ糸につながれた五本足の赤いタコが浮いている。
「ラーちゃんからって時点で、けっこうビビるんだけど……」
……ホーノックフーク(ฮ)の本名は「ラートリー」である。「ラーちゃん」というのは、それを短縮した呼び名のようだ。
ハンモックに横たわったまま、エーンが右手で手紙をひらく。
「ふ~ん。スーンさんが殺されてウォーウェーン(ว)の文字が奪われたから、みんなに招集をかけるとな? で、文面のとおり図書館塔に二日後集まるようウチがみんなに知らせればいいわけね……」
彼女の口調は軽かったが、一方で手紙を持つ手が震えていた。
タコ糸を巻いた棒を持つ左手までが激しく揺れ、五本足のタコが踊り狂う。
「さっきのウナギとサソリのミックス精霊も、犯人がマーイちゃんやティットくんをねらって差し向けたんじゃ……? そいつ、ほかの文字も奪う気なのかもよ?」
確かに、言われてみれば犯人はスーンさん以外も標的にしているかもしれない。
その行動目的にしてもまだ不明瞭である。
(犯人は単純にスーンさんに恨みをいだいていたのか。ウォーウェーン(ว)の文字だけがほしかったのか。あるいは俺たちの持つトータハーン(ท)やホーノックフーク(ฮ)といった字も求めているのか……)
ここまで考えて、俺はエーンに言う。
「犯人の身柄を取り押さえるまで、俺たち文字保有者はなるべく単独行動を控えたほうがよさそうだな」
「ウチも同意見だよ、ティットくん。じゃ、さっさと『タコアゲ』しますかね」
エーンが、棒にからまったタコ糸をほどいていく。ついで唱える。
「……ジュラートート」
すると、宙に浮く五本足のタコから泡のようなものが出てきた。
しかもジューという音が聞こえてくる。
(本物のタコを高温の油で調理しているときみたいだ)
そして――タコのからあげが俺の口内に出現する。
俺がみずから口に入れたわけではない。熱いからあげが、いつの間にか口に入っているのだ。
こうばしい蒸気が内側から鼻に抜ける。
俺はそれに歯を立てる。ころもの部分はサクッとしており、ジューシーな中身にはかみごたえと弾力がある。
このタコのからあげは、ロージュラー・エーンの「タコアゲ」によって生じたものだ。
味、形状、食感、温度、大きさ、におい――それらを細かく組み合わせることで、実食する者に情報を届ける。
ロージュラー(ฬ)のタコのからあげは、それ自体が一つの言語体系を持っている。文字言語でも音声言語でもなく「味覚言語」とでも言うべきものだ。
言語の詳細な解析はロージュラー(ฬ)の保有者であるエーンにしかできない。だがからあげを食べてみると、エーン本人でなくともなぜかそのタコの伝える内容がすべて分かってしまうのだ。
かみ始めた時点で、もう脳内で情報が言語化されている……。
タコのからあげが口のなかで語る。
スーンさんが殺害されたこととウォーウェーン(ว)の文字の紛失とを伝達する。「犯人をつきとめるため、二日後の正午までにホーノックフークの図書館塔に集まれ」と要請する。さらに「しばらくは単独行動をつつしむように」と注意した。
見ると、俺の左隣に立つジョットマーイのあごも動いている。
彼女もタコのからあげを食べ、情報を共有しているようだ。
エーンのからあげ自体にカロリーはない。口内に出現したそれを飲み込んでも満足感があるだけで栄養は補給できない。
情報媒体とも言えるタコのからあげは、エーンが座標を捕捉した文字保有者の口内へと直接送り届けられる。相手が遠隔の地にいても問題ない。対象者が寝ていたり別のものを食べていたりする場合は、からあげの届く時間が少しだけ遅くなる。
俺もジョットマーイも充分に味わったのち、ロージュラー(ฬ)のタコを飲み込んだ。
「よし、これでみんなに伝達完了っと」
相変わらずハンモックに横たわった状態で、エーンが右腕で額の汗をぬぐう。
「ウチのタコ、またまたおいしくなったっしょ?」
五本足のタコから出ていた泡とジューという音が少しずつ消えていく。
ここで、俺の右隣に浮くクマリーが自身のほおを両手で押さえ、ビクッと上下した。
「わああっ! 急にお口のなかにサクサクしたものがっ!」
続いて左手で口を隠し、ハフハフ言う。
「でも、おいし~。なかもあったかくて、もきゅっとしてます~」
どうやらエーンは「おいしい」という情報だけを乗せてクマリーの口内にもタコのからあげを送り込んだようだ。
(文字保有者でないクマリーに対する、エーンなりのサービスというわけか)
エーンがタコ糸をくるくる回し、宙に浮く五本足のタコをさらに自分に近づける。
「気に入ってくれたかな、クマちゃん。まだ食べたいならいくらでも出していいよ~」
「ありがとうございます」
クマリーが手を合わせる。
「ではクマリーはエーンお姉さんの文字をなぞりたいです」
「それがクマちゃんの食欲みたいなものなんだね。はい、ウチのฬだよ」
もはやクマリーが文字をなぞるのも見慣れた光景になりつつある。
エーンがハンモックの上で上半身を起こし、ほとんど日焼けした左手をひらく。
その手の平にロージュラー(ฬ)の文字が浮かび上がっている。俺のトータハーン(ท)やジョットマーイのポーサムパオ(ภ)とは異なり、赤い字ではない。
手の平の日焼けしていない部分がそのまま字の形状をなしている。
クマリーが右人差し指を走らせる。
左側に小さな丸をかいて線をしっかり下ろす。
続けて線を右斜め上に持っていき、ある程度上がったところで右下に折れる。
ついで左下にできている鋭角のカドと同じ高さに線が達してから真上に進む。
右上に来たら反時計回りで円を結んだのちに少し突き出す。
「おおっ!」
クマリーがエーンの左手から指を離し、空中にロージュラー(ฬ)をもう一度書く。
「これで、イカした文字を五つ覚えました」
さらにクマリーは今までなぞった文字も宙にえがく。
「トータハーン(ท)、オーアーン(อ)、ポーサムパオ(ภ)、ホーノックフーク(ฮ)、ロージュラー(ฬ)……。スーンさんのウォーウェーン(ว)も合わせれば六つです! 四十二文字中、あとは三十六字! コンプリート目指してがんばりますよ~」
クマリーの声は、やっぱり元気なふにゃふにゃ声だ。
スーンさんが殺されている状況なので見ようによってはクマリーの態度は不謹慎だが、精霊にそんな人の常識を押しつけたところで無意味である。
(なにより元気なクマリーのおかげで俺も暗くなりすぎないで済んでいる。そういう意味で彼女には、こっそり感謝しておくか)
次回「11.馬のモー(ม)【前編】」に続く!
それと……今回のロージュラー(ฬ)の書き方なんですが、ちょっと微妙なところが二点あります。
「二つの丸の高さは同じなのか、それとも右側の丸のほうが高い位置にくるのか」
「真ん中のカドは左の丸よりも低い位置にくるのか、それとも同じ高さにするのか」
……この二点が正直分かりません。
この小説家になろうの画面における「ฬ(ロージュラー)」の書体は右側の丸のほうが高く、かつ真ん中のカドは左の丸と同じ高さなんですが……書き方を調べてみると二つの丸の高さをそろえ、かつ真ん中のカドを左の丸よりも低い位置に持ってくるほうが正解かもしれないんですよね~。
どちらも正解なのか、あるいはどちらかの書き方が間違いなのか……最近タイ語を学び始めた私には判断がつきませんでした。申し訳ありません。
本編には影響ありませんが、なんかモヤッとしますね~。
今回出てきた単語の元々の意味は以下の通り
トート(ทอด)→揚げ物




