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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

元サヤとは死ぬことと見つけたり




「来世も一緒になろう……」




「……       」




-----




王家開催の夜会、近衛騎士のスタン・ノリスは闇討ちから国王を守り深手を負ってしまった。

すぐに救護室へ運ばれ治療を受けたが、身体は重いまま、まぶた以外を満足に動かすことができない。


負った傷の深さ、白魔道士や医者たちのスタンを見る目つき、救護室の空気の重さ……。長年の騎士としての経験からわかってしまう。自分はもう助からない。


つい先ほどまで付きっ切りだった医者たちが少し離れたところに移動し、代わりに、夜会に参加していた妻トリニティがスタンの枕元へ来て青く強張った顔でスタンの手を握りしめた。


「旦那様……」


トリニティはスタンと同じ42歳。花盛りの時期は遠に過ぎたとはいえ、愛する妻は今日も美しい。


19歳で結婚してから23年、いや、10歳で婚約してからは32年。トリニティとは長い年月、苦楽を共にしてきた。二人の間に生まれた3人の子供たちは皆成人し、つい先月、末娘が結婚してノリス家を出たばかり。

子供たちの手が離れたのだからこれからは夫婦二人で出かけたりしようと思っていた矢先で、己の命が風前の灯となってしまうとは、スタンは神様から嫌われているのかもしれない。


残された時間はわずか。もう、口を開けることすら辛い。スタンはトリニティへと、最後の言葉を伝えるために声を振り絞った。


「トリニティ、愛している。来世も一緒になろう……」


トリニティは目を見開き、驚いたような顔をした後、なぜかキョロキョロと周囲を伺っている。思った反応と違うことを不思議に思っているスタンへ、トリニティは返事をする。


「……絶対に、嫌です」


きっぱりと力強いその返答に、今度はスタンの方が驚きで目を見開いてしまう。


「え、ぇぇ……」


声を出すのも辛い中でも、思わず声が漏れてしまったほどだ。


これまで、トリニティはスタンの願いならばと、どんなことでも文句を言わず受け入れてくれていた。トリニティがスタンのことを拒絶したのは、もしかしたら、出会ってから32年でこれが初めてかもしれない。


スタンだけでなく我がノリス伯爵家や子供達のためにと、妻として、伯爵夫人として、母として、完璧なトリニティ。いつもスタンの全てを肯定してくれていたのは、ひとえに、スタンへの愛ゆえだろうと思っていた。そんなトリニティと自分は相思相愛なのだと疑ってもいなかった。


……それなのに。


「あなたは魔力が強いから、言霊の力で本当になってしまったら困ります。ちゃんと断っておかないと」


控えめで、慎ましくて、従順で、スタンの後ろを三歩下がって付いて来るような良妻だったトリニティからの明け透けな言葉が信じられなくて、スタンは思わず呼吸を忘れてしまいそうになる。


「ここには人も少ないし、あなたが来世も夫婦になると願って死なないように、最後に言わせてもらいますね。……昔から思い込みが激しい方だなぁとは思ってましたが、私があなたを愛してると勘違いしていたなんて。ありえません。心底呆れてます。そもそも、私、あなたから『愛してる』なんて今初めて言われましたよ」


はっきりと”トリニティがスタンを愛してるという考えは勘違いだ”と言われ、今負っている身体の傷だけでなく、心までズキズキと痛む。トリニティの言う通り、思い返してみれば”愛している”と言葉にしたことはなかった、かもしれない。子供の頃に婚約し結婚することが当たり前だったトリニティに、改めて、”愛している”と言う機会が無かっただけだ。ちゃんと言葉にして伝えていれば良かったと、心の底から悔やむ。


無口な方だという自覚はある。そんな自分と同じように寡黙で内向的だと思っていた妻の、耳を疑うような遠慮のない語り口に、スタンの胸の内は追いつかない。


「本当の私はこっちですよ。控えめで従順だったのはあなたに、というより、ノリス家に逆らえなかっただけです。私は実家からノリス家へ売られたようなものですからね。あなたに捨てられたら、エロ爺の後妻にされるか身一つで家を追い出されるかの2択でしたし。……はぁ、今知ったって顔ですね。あなたはそれを承知の上で”好き放題”していたのだと思っていました。知らずに”好き放題”していた方が、なんか、腹が立ちますね。不思議だわ」


そういえば、出会った頃のトリニティは自分の意見をはっきりと言う、飾り気のない令嬢だった。取り繕うことなく本音を話す今のトリニティに、婚約したばかりの10歳の頃の姿が重なって見える。


……どうして忘れていたのだろう。


トリニティは、いつのまにか、スタンの話に控えめな笑顔で頷くばかりの慎ましい令嬢になっていた。それはいつからの変化かと記憶を辿り、15歳で貴族学園へ入学してからだと気付くと共に、トリニティの言う”好き放題”にも思い至る。


スタンは貴族学園に入学した15歳の時、一人の少女と運命的な出会いを果たした。


その少女は貴族学園の入学式の日、猫を助けるために高い木に登っていた。そのせいで木から落ちたところを偶然通りがかったスタンが受け止めたのが二人の初対面。

木登りなどという令嬢としてありえない行動をしていたその少女は、王国に存命しているたった一人の聖魔法の使い手として聖女になったばかりの平民だった。


貴族学園に在学中のスタンは、頼まれてもいないのにまるで護衛騎士のように聖女へ侍っていた。

聖女へ侍っていた令息はスタンだけではなく、聖女の取り巻きと化していた令息たちの中には、聖女との親密な仲を理由に幼い頃からの婚約を解消されてしまう者までいた。

その、婚約を解消された中に王太子もいて、聖女は添い遂げる相手として取り巻きの令息たちの中で一番身分の高い王太子、つまり、現国王を選んだのだ。


貴族学園を卒業した次の年に王太子と聖女は結婚し、そのすぐ後にスタンとトリニティも結婚した。


在学中の3年間、スタンは婚約者だったトリニティの存在はすっかり忘れてしまっていた。学生時代のトリニティとの思い出は一切ない。

あの頃の自分はどうかしていたのだ。そのせいで学生時代のトリニティには寂しい思いをさせてしまった。本当に申し訳ない。


……でも、


「25年も、前の、学生時代のことじゃないか。……ゴホッ」


やっとのことで声を出したスタンは、血を吐いてしまった。


まさか、トリニティが20年以上前の学生時代のことを未だに根に持っているとは思ってもいなかった。確かに、当時のスタンはトリニティのことを放置してしまっていたが、スタンが勝手に聖女の護衛をしていただけで、スタンと聖女の間に何もやましいことはなかった。


そう考えているスタンの口元に付いた吐血を、ハンカチを取り出し優しく拭うトリニティは、その優しい手つきとは裏腹に口撃を緩めない。


「ジュリア……」


「ケホッ、ケホッ」


思わぬ名前にスタンは咳き込み、追加で血を吐いてしまう。


”ジュリア”とは、学園を卒業してから雇ったスタン専属の侍女の名前で、聖女と同じピンク色の髪に赤い瞳でどことなく聖女に似ていた令嬢だった。新婚のスタンはジュリアを愛人とすることで、聖女に失恋した心を癒していたのだ。

そんなジュリアとの関係だが、結局1年も持たずに破局し解雇していた。

ジュリアと別れた理由は、結婚してすぐにトリニティが妊娠したため。身重のトリニティを気にかけているスタンの目に、ジュリアのことなど入らなかった。その頃には聖女への想いもすっかり忘れていたように思う。

そして、ジュリアと別れてから20年以上経った今のスタンは、彼女の存在すらすっかり忘れていた。


学生時代の若気の至りのような聖女への恋心も、新婚時代の気の迷いのようなジュリアとの関係も、トリニティには気づかれていなかったとつい先ほどまで思っていた。

それは、これまでトリニティからは聖女のこともジュリアのことも言及されたことはなかったからだ。


「その顔、聖女様のことも、ジュリアさんのことも、私には知られていないと思っていたのですね。……薄々気づいていましたけど、あなた、本当は能天気で呑気な良い性格をしてますよね。巷では寡黙でクールな騎士だとか言われてますが、実際にはただ何も考えずに放心しているだけでしょう。はぁ。ため息しか出ませんよ。……私は3番目の子供だからと安易に”トリニティ”と名付けられたんですけどね、まさか、親が押し付けてきた婚約者からも女として”3番目”にされるとは思っていませんでしたね」


いつもは”旦那様”と呼んでくれるのに、吐き捨てるように”あなた”と言われて、トリニティとの心の距離を感じて悲しくなる。

でも、何も考えていないスタンの無神経さが、若い頃のトリニティを傷付け、20年経った今までその傷は癒されることは無く放置されていたのだ。そんなトリニティがスタンの心から距離を取り自分の心を守るのは当然。


もう、まぶたが重くなってきた。スタンは目を開けていることすらできない。


せめて、ジュリアと破局した22年前からは一度も浮気をしたことなどないと伝えたいが、それも叶わない。


「あなたが聖女様の金魚のフンをしていた学生時代、私は父に婚約を解消したいと言ったんです。そうしたら、ノリス伯爵家からの援助がないと我が家は没落すると脅かされましてね、あなたと結婚できなかったらエロ爺に売るからと、嫁いだ後に出戻って来ても居場所はないからなと、あなたの機嫌を損ねるなと、あなたの後ろを三歩下がって歩けとまで言われたんですよ。それが、これまでずーっと続いていただけ。……それを呑気に私から愛されてると思っていたと。しかも、保身のために忠犬のフリをしていただけの私を愛していたとか、呆れて何も言えません」


今際の際、愛し、愛されていると思っていた妻の本音を聞いてしまった。

それでも、たとえトリニティがその本性を隠していたとしても、婚約してから32年のノリス家への献身と、子供たちへの惜しみない笑顔や深い愛情は事実。

感謝しかないし、スタンがトリニティを愛しいと思う気持ちは変わらない。


「これまでは自分を殺してあなたに付き従っていただけです。それを来世までとかありえないわ。来世は、ただの顔見知りになるのもお断りよ」


……トリニティが嫌がっているから、来世への約束は諦めよう。でも、せめて、『それでも俺は愛してるよ』と、『これまでありがとう』と伝えたい。


でも、もうスタンは口を開けることができない。声どころか息を吐くことも、もう、辛い。


最後に、トリニティの幸せを願うことだけは許して欲しい。


スタンの命の灯火が消えていく……。



「聖女様からエリクサーが届きました!」


救護室へ慌てて入ってきた部下が、その勢いのままエリクサーをスタンの身体へかけた。見る見るうちにスタンの傷は塞がり、怪我が治っていく。


奇跡的に一命を取り留め、瞼を開けたスタンが一番最初に目に入れたのは、喜怒哀楽のどれとも言えない複雑な表情でスタンを見ているトリニティだった……。


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「おばあ様!おじい様が目を覚ましたわ!」


領地にある別荘の寝室、元近衛騎士のスタン・ノリスは眠りから目を覚ました。スタンは1ヶ月前に病に倒れてからすっかりベッドの住人になってしまっている。

久しぶりに目を覚ましたものの、まぶた以外を満足に動かすことができない。


長年の騎士としての経験からだろうか、スタンにはわかってしまう。自分の命はもう長くない。この目覚めが最後の覚醒。もうすぐこの命は尽きる。


スタンは42歳の時に一度死の淵から舞い戻っている。その時に使ったエリクサーは”奇跡の薬”と呼ばれているが、怪我は直せても病を治すことはできない。そもそも、エリクサーは聖魔法の使い手にしか作れず、王国唯一の存命している聖魔法の使い手である聖女は、姦通罪が発覚した40年前からずっと幽閉されている。幽閉されてからの聖女はエリクサーを作っていない……。


スタンの顔を覗き込んでいた孫娘が枕元から移動し、代わりに、妻のトリニティがスタンの枕元へ来て穏やかな顔でスタンの手を握りしめた。


「スタン……」


トリニティはスタンと同じ84歳。顔には皺が増え肌の潤いは無くなってしまったが、愛する妻は今日も美しい。


19歳で結婚してから65年、いや、10歳で婚約してからは74年。トリニティとは長い年月、たくさんの苦楽を共にしてきた。

二人の間に生まれた3人の子供たちは皆成人し、たくさんの孫が産まれた。そして、今ここにいる孫娘のお腹には二人の初の曽孫がいる。

来月、初めての曽孫が生まれようとしている。そんな矢先で、己の命が風前の灯となってしまうとは、スタンは、やはり、神様から嫌われているようだ。


自分の命は残りわずか。もう、口を開けることすら辛い。スタンはトリニティへと、最後の言葉を伝えるために声を振り絞った。


「トリニティ、愛している。……やっぱり、来世も一緒になりたいんだけど、どうかな?」


トリニティは目を見開き、驚いたような顔をした後、唇をほころばせた。きっと驚いたのは42年前の願いをスタンがまだ諦めていなかったことにだろう。そして、その微笑みはどういう意味だろうかと思うより早く、トリニティから返事を貰った。


「もしも来世でまた会ったら、曽孫が男の子と女の子のどっちだったか教えてあげるわね。でも、一緒になるかは来世のスタン次第よ」


きっぱりと力強いその返答に、今度はスタンの方が驚きと嬉しさで目を見開いてしまう。


「ありがとう、トリニティ……」


その反動からか、まぶたが重くなってきた。もう、スタンは目を開けていることすらできない。


「こちらこそ、ありがとう。曽孫の顔を見れるまで不自由のない生活を送れたのは、スタンのおかげよ。42歳で死に掛けた時に、可愛くない本性を晒したのに、それを受け入れてくれたことも嬉しかった。……10代の時の浮気をずっと根に持っていたけど、それはね、私は出会った頃からずーっとスタンのことが好きだったから。だから、本当に辛かっただけなの」


最後の最後になってからのトリニティの告白。

その想いに応えたいのに、もう、スタンは口を開けることができない。声どころか息を吐くことも、辛い。


スタンの心残りは、トリニティを悲しませた過去への後悔だ。


スタンの命の灯火が消えていく……。




「最後、おじい様は大好きなおばあ様に来世は顔見知りからってフラれたのになんで喜んでたの?」


「実はね、42年前にスタンが死にかけた時にも同じことを言われて、その時は来世で会うこともお断りしたのよ。……スタンは魔力が強いから、きっと、来世でもまた会えそうね」


「なんか意外だわ。おじい様とおばあ様はずっと仲良しだったもの」


そう言って孫娘は涙を流しながら、大きなお腹を撫でていた。



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「なーんて、言ってたのに、これ、来世じゃなくて今世のやり直しじゃない!絶対に能天気なクソボケスタンのせいだわ!なのに肝心のスタンには84歳まで生きた記憶がないし!」


と、10歳のトリニティは声に出さずに内心で叫ぶ。


今日のトリニティは、婚約者スタンとの初顔合わせのためにノリス伯爵家へと訪問していた。

ノリス伯爵家の屋敷の玄関ホールを入った時、はじめて来たはずなのに妙な懐かしさを覚えたあたりから不穏な気配はしていたのだ。


同じ10歳なのにトリニティより頭一つ背が高いスタンを見上げ、その顔を見た瞬間、トリニティの頭の中に85歳で老衰で亡くなった時までの記憶が蘇ってくる。

まるでスタンの顔に見惚れているかのように、そのまま動かなくなってしまったトリニティの背を父が乱暴に叩き無理矢理覚醒させた。


こうして、トリニティは来世に生まれ変わるのではなく、今世をもう一度やり直していることに気付いた。


婚約者同士でと二人きりにされた今、目の前には無表情でお茶を飲んでいる10歳のスタンがいる。


本当に初対面だったトリニティならカッコいいと思っただろうクールなその表情も、実際には内心ポヤポヤでなーんにも考えていないだけだと今のトリニティには分かってしまう。


きっと、今際の際のトリニティの告白を聞いたスタンは、今世をやり直したいと願ってしまったのだろう。


今のトリニティにはかつて生きていた時の知識がある。未来に流行るものを買い占めるだけでもお金は稼げそうだ。


思春期にあの淫乱聖女の金魚のフンになってしまうスタンに、ノリス伯爵家にこだわる理由などない。


気がかりなのは子供たちや孫やひ孫たちの魂の行方だけだが、きっと、違う人生でもたくましく生きていける。


今のトリニティは10歳。まだまだ時間はある。どうするかはゆっくり考えたらいい。


……今世は3番目になどには絶対ならない!


トリニティはそう決意し、ボーッと黙ってお茶を飲む10歳のスタンに笑いかけた。


あの後産まれた曾孫は、スタンにそっくりだけどとても可愛い女の子だったと伝える日が、いや、その曾孫をもう一度抱く未来は来るのだろうか。


それは、トリニティにすらわからない。



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― 新着の感想 ―
浮気とか不倫とか言ってる場合じゃなくてスタンに来世も一緒になりたいとか思わないくらいのそこそこの女性あてがわないと無限ループなのでは。
スタンが再び聖女の金魚のフンをやるのかどうかが分岐点になりそうですね。 スタンが早いうちに記憶を取り戻せたらスタンの理想の婚約&結婚生活が送れそうですがどっちになるやら…。 トリニティ的には好きだった…
いや~、笑った。面白かった。 タイトルを読んで、どういうこと?と思ったらこの展開。 さて、今世はどうするかな? どうしようもない実家は見限って、新たな道を進むのか、それともうまく操って好きにするのか。…
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