余白の白
なぜ、あの時、私たちはあんなに死にたかったのだろう。きれいに晴れた真っ青な空の下で、穏やかな、でもそれでいて鈍い灰色の風の吹いていた、あの時のあの感覚を思い出せないほどに、私は大人になってしまっていた――。
私たちは、二人いつも学校の屋上に仰向けに寝そべり、ほわほわと流れていく綿雲を見つめていた。
世界はいつも堪らなく傷ついているのに、雲は、いつだって傷ついていなかった。雲はいつもどんな時もほわほわとその形を変えながら大空を呑気に流れていた。
私だけ生き残ってしまった余白の人生に、色はなかった。色のない真っ白な人生を私は生きている。すべての色を失った、何もないということの白。そんな白を私は生きている――。
私たちが、誰もいない校舎の屋上で共有していた、陶磁器に滲む淡い乳白色のような、あいまいな生きるってこと――。そして、死にたいという思い――。
色のない世界に、でも、味だけはあって、それは、草を噛んだ時のような、生々しい苦味。口の中に広がるあの生きていくということとは反対の味。
あの時、確かにあった色は、浮世絵の霞む背景のようにもう遠く薄れてしまったけれど、あの時、色があったことだけは、今もはっきりと覚えている。
生きるっていうことの、本当に大事なことの九割をネットの動画で学んだ世代。何かがおかしくて、でも、それをうまく言葉にできない時代。本当に生きるってことが、八千メートル級の山のてっぺんの空気みたいに、人が生きていける限界濃度ギリギリにまで希薄になっているそんな社会。そして、関係性。
風花は、私のこの広大に、そして、永遠に閉ざされた世界で、たった一人の友だちだった。真っ暗な宇宙の冷たさの中で、奇跡のように出会った生命――。
桃の皮の産毛を撫でる心地よい肌ざわりのような心で、いつも風花は私の心と触れた。人の心がこんなに心地いいなんて、私は、多分生まれる前から知らなかった。
私にとって人は、パイナップルの皮みたいに分厚く攻撃的で刺々しい、触れる度に痛みを感じる、そんな存在でしかなかった。
気づいた時には、私は一人病院のベッドで寝ていた。
「・・・」
その時、なんとなく風花は死んだのだと分かった。
名前の通り、風に飛んで行く花のように、風花は一人、逝ってしまった。
南アルプスに降り積もる純白の雪の雪解けのように、あれほど透き通るように美しかった風花の真っ白い肌が、汚れたドブネズミみたいにどす黒く変色していた。その色の汚さが、現実の死なのだと、私はその時知った。
どんなに美しい言葉で修飾しようとも、実際の死などこんなものだと、あれほどに抵抗したその現実にあっけなく屈している自分にすら、もう何も感じはしなかった。
彼女のその死の色を見た時、私は大人たちの知っている現実に、通過すべきすべての経験と経過を飛び越え、一気に辿り着いてしまった。
生まれた日は違えども、死ぬ日は一緒だよ。そんな三国志の桃源の誓いみたいなことを真剣に誓い合って、私たちは友だちになった。あまりに不安定で希薄なこの時代の関係性の中に生き、それに慣れ過ぎた私たちの心は、そんな契りを結ぶという儀式を必要とした。
一緒に死ぬというかけがえのない同志という、揺るぎない絆によってうまれる高揚感と連帯感に、かんたんに酔ってしまうほどに、あの時の私たちは幼く、そして、そんなものに酔ってでしか不安定なこの世界の関係性を生きる術を知らなかった。
あの時、なんでそんなことにあんなに興奮していたのだろう。今思うと笑ってしまうほどに私たちの行為は、幼かった。
血まみれの夜を幾晩も幾晩も過ごして、今この時、私はこの場所に立っている。
生きるっていう症状にいつも苛まれて、私はいつも立ちどまる。
「もういいんじゃない?」
という私の中の誰かが囁く。
「もういいんじゃない?」
また、頭の奥で誰かが囁く。
「・・・」
もういいのかもしれない・・。本気でそう思う時がある。
豪華なフルーツポンチみたいな色とりどりの光り輝く夜景の光だけが、この無機質な街の中できれいだと感じるそんな堪らなく寂しい――、そんな身悶えるほどの切なさに包まれてしまう時――、世の中のすべてがこの夜景のようにただの人工的に作られた虚飾の色ように思えて、私のすべての世界が虚無に飲み込まれてしまう。
冒険家が、命と人生を懸けていくような、まだ誰も行ったことのない、誰も見たことのない、誰もいない、そんな世界の果ての、そこに辿り着いた者だけが見ることのできる、そんな真っ新な無色透明に輝く異世界の景色を見ることができたなら、私は、この世界に生きる私の苦しみとは全然別の人間になれる気がする。
悲しい大人になりたくなくて、でも、気づけばその悲しい、悲し過ぎる大人になっている私がいて、そんな私に気づいた時、誰もいない交差点の真ん中で、私は愕然と一人立ち尽くす。
黄ばんだ人生のスクリーンに映し出される私の人生の走馬灯――。
毎日毎日機械的なことの繰り返し。生きている色をまったく感じない日々。ほとんど同じ仕事をしながら、いや、むしろ正社員たちのやりたがらないきつい嫌な面倒な仕事をさせられていながら、ボーナスに浮かれる正社員たちのすぐ隣りで恨めし気に視線を落とす私たち非正規社員。年収は、同じ年の正社員の半分だった。
なんだか、真面目に生きていることのすべてがバカバカしくなって、その夜、私は、普段飲まないお酒を一人しこたま飲んだ。べろんべろんに酔っぱらって、その帰り道の駅前の公園で、一人静かにベンチに佇むホームレスのおじいさんの隣りに私は座った。
仙人みたいに白い髪と髭の伸びたおじいさんは、意識が一方向しか見ない銅像みたいに固まったまま、首をにゅーっと伸ばした亀と同じ筋を首筋に浮かべ座っていた。
「どうぞ・・」
しかし、お酒の缶を差し出すと、おじいさんは私の方を向き、驚くほどの素早い動作でそれを受け取った。
何がどうなったのか、時間と空間がところてんみたいにグニャリと歪んで、空気の透明がプルンプルンしていたそんな時――。
「死ねないから生きているだけだ」
何がどうなって、そんな話の流れの帰結を迎えたのか、まったく分からないまま、おじいさんのその沈殿した甘酒の底のように濁った眼の奥がそう言ったのを私は聞いていた。
「・・・」
私は、そのホームレスのおじいさんのその横顔のその奥のその濁った眼の奥を見つめる。その汗と人間の発する獣臭とがないまぜになった強烈な生臭い体臭の背中に、その言葉の重みがズシリと刻まれていた。それはこの世のすべての言葉に勝ってその時真実だった。
大学時代、人生でただ一人尊敬した哲学者は、ただの狂人だった。私はそれを知った時、言葉を捨てた。
それ以来、私の中ですべての言葉は、その重さと質量を失った――。
看取られなかった愛の数々のように、悲しく惨めに、ひっそりと死んでいった心の孤独。
人知れず山の中で、今も誰にも発見されず、一人腐っていく死体のように、私は孤独だった。
永遠に続く冬みたいに索漠とした世界。
「なぜ、あの時私は死ななかったのだろうか・・」
自殺などしなければよかったという後悔は微塵もなかったが、死ななかったことの慙愧は、あれから何年も経つ今も、発作のように湧き起こる。
『死ねないから生きているだけだ』
そう、私も、死ねないから生きているだけ。
「それって生きているの?」
多分、私は生きているってことの残骸。
春に咲き誇る色とりどりの花々の、その枯れ落ち、アスファルトの上に散乱するその醜い残骸の惨めさのような余生――。
美術館に行くと私は、見るっていうことがいつも分からなくなる。その価値のある美しさを見ようとして、でも、その見ているってことの価値を見逃すまいと思えば思うほどにそれが分からなくなり、私の世界は不安になる。
「見るって何?」
そのことを、風花に伝えたくて、でも、うまく言葉にできなくて、もごもごしている私を、風花は、でも、分かってくれた。
冷え切った体の芯に染み入る温かいスープのようなやさしさをふんだんに含んだ言葉を、風花はいつも私にたっぷりと与えてくれた。
思い出す彼女の匂い。それは甘く、生まれたばかりの赤ちゃんのようにやわらかかった。
彼女と交わした言葉の味わいが、今も舌先に微かな残り香のように漂っていた。
すべての心をシャットアウトして、シャッターを下ろして、ロックして、それでも怯え、暗く閉じこもった世界のその出口をやっと見つけた。それが風花だった。
「会いたい」
「風花に会いたい・・」
風花に会いたかった。堪らなく風花に会いたかった。涙が出るほど会いたかった。
「何で私を置いて行ってしまったの・・」
過剰なほどに、純粋に美しい存在を心の底から信じて、そうじゃない僅かな穢れをも憎んだ思春期の潔癖な意識。
美し過ぎる心は、時に人を、そして、自分を傷つける。
欲望されていく体。女というこの体。いつか穢れてしまうこの体。
血、流れる赤い血。血に染まった赤いハンカチ。
私たちは否応なく大人になっていく。
抵抗し、葛藤し、怒り、喚き、嘆き、嘆き、嘆き、しかし、結局、私たちは、大人になっていく。
私たちは、自らの体に薄い刃を当て、傷つけた。
滲み出る赤い血。薄赤い子宮の中の色。赤い血はそんな生温かい色をしていた。
傷は心に刻み込む戒めであり、癒しであり、やさしさであり、私たちの魂を守ってくれるお守りだった。
私たちは絶望していた。でも、それは清潔な絶望だった。
自分たちはどこまでも透明に輝く水晶のような美しい存在なのだと思っていたあの根拠のない自信。巨大な醜い怪物に犯され、汚されることを極端に恐れていた、あの実体のない確信。私たちは、世界で一番正しいのだと心の底から思っていた、あの揺るぎない絶対。この世界には完璧なものがあると思っていたあの疑う余地もない信頼。
未来は絶望でありながらそこに、でも、はっきりと絶望故の光が見えていた。
他の同級生たちの何の躊躇も葛藤もなく、そんなもんだろうとそんなことに対する抵抗すらなく、迷いさえなく、素直に大人たちの生きている、毒蛇のその身に纏った毒々しい模様が、グルグルと歯車のように渦巻く、矛盾だらけのあの誰も笑っていないまがい物の世界に順応していく姿に、拭いきれない違和感をずっと感じていた。
間違えないで生きる人生。正しい生き方。
一昔前のSFが現実化したような管理社会。
ただ、うんざりする日々。
私たちは美しい存在でありたかった。人の手がまったく入っていない大自然のように、ただ清く美しくありたかった。
教室に漂う、狭い養殖生簀のような閉塞し、窒息しそうなほどの息苦しいヘドロのように淀んだ空気。卵を産むことだけを生涯強制される鶏舎に閉じ込められた鶏のように本当に生きるってことを奪われた時間。実験動物のように管理しやすく画一化され集められた生徒たち。動物園の猿山の群れのように誰も本気で笑っていない戸惑いに満ちた白々しい死んだ関係性。狭い価値基準に合致しないその多くが排除され殺されるカラフルなその美しさだけを品評されていく錦鯉のように残酷に選別されていく露骨な格差。肥え太ることを強いられる食用豚のようにただ詰め込まれるだけの知識。狭い動物園の中で生き残る術だけを学ぶ教育。躾けられていく飼い犬のような従順。競走馬のようにただ勝つことだけを煽られる競争。家畜のように生まれる前から決まっている人生。
こけおどしのための学歴を身につけて、優越に浸るための地位を手に入れる。そんなことでしか自分を守れない弱さに私たちは冷めていた。
何百年も光のない深海で生きている魚のような死んだ目で、心に麻酔を打って生きている者たちばかりの中で、心に麻酔を打てるほど器用じゃない私たちは――、痛かった――。生きていることのすべてが痛かった。大人たちの嘘も矛盾も、そんな大人たちの生きているこの社会の汚さも絶望も何もかも――、すべてが痛かった。心に真っ赤な血が出るほどに痛くて痛くて堪らなかった。
私たちは、他の同級生や、大人たちのように、穢れていくことを恐れた。何か得体の知れない間違った存在にひれ伏し、従順し、何の疑問も持たずにその一部になっていくことが怖かった。
私たちは、どうかなってしまうそんな自分たちを恐れた。世間の言う正しい大人になることを私たちは堪らなく恐れていた。
白ではない白、色ではない色、そんな偽物の世界。
もう世界を何も見たくない。世界の何ものをも見たくなかった。
猫がとことこと呑気に道路を渡っていくような、のどかな時間。燕が空を切って飛んで行くように、清々しい空気。草花が落とす朝露のような、世界の輝き。
でも、私たちは、世界中のあの場所で行われている虐殺と同じ時間を生きている。
私たちはそれを知っている。私たちはそれを確かに知っている。
世界は何て残酷なんだろう。私たちはその残酷と同じ世界を生きている。何事もないみたいに、その残酷と同じ時を私たちは今平然と生きている。
氷でできた冷たい紙に、氷柱の痛みで書いた冷酷な文字。
二人、誰もいない放課後の図書館で、細胞レベルに刻まれた人間の残酷のありったけを、私たちはなぞるように、貪るように見つめた。
見つめ過ぎた人間の本質。見てはいけなかった人間の闇。知らなければよかった人間の業、人間のその先――。
そんなものすべてが目新しく、新鮮で、でも、それは、あまりに理不尽で醜悪だった。
一九四五年、八月六日、午前八時十五分四十秒。Bー二九戦略爆撃機エノラゲイから広島の市街地のど真ん中に落とされた原子爆弾リトルボーイに詰め込まれたウラン二三五は、世界中から集められた有能な物理学者たちが考え設計した理論通りに核分裂を起こし、臨界に達したその膨大な宇宙の熱と光は街を、そして、そこにいる人間を一瞬で覆っていった。その中心にいた人たちはその熱によって蒸発、消失し、その周囲にいた人たちはその熱と爆風によって、焼かれ、切り裂かれ、抉られた。そして、悪魔の灰が街に降り注ぎ、そのすべてが終わった後、その巨大な物理現象は、また、神の秩序の下に静かに帰って行った。
残された人間たちの剥き出された血と肉。そう、その恐るべきアメリカのした行為は、血と肉だった。何の言い訳もできない無惨に露出した血と肉だった。
あまりにも巨大な暴力によって傷つけられた人と街は、だが、あまりに大き過ぎる惨禍故にそのことをうまく認識できず、いったい何が起こったのか、戦中と戦後の混乱の中で、ただ疲れ果てた生活の今に苛まれ、そのことをうまくまとめられず時は過ぎていく――時の流れのその、そして、やっとそのことを語れるそんな平和な時が来て、しかし、今私たちはその行為を知る時、もう、そこには、あの熱帯に咲く毒々しい赤い花のそのジュクジュクとした生々しい熟れた赤のような血も肉もなかった。
あるのは記号化された言葉と、現実感のない物語だけ・・。
そこには実際にはあったであろう強烈な血と肉の匂いもなく、それは味気ない一度凍らせてしまった冷凍食品のように生身もなかった。
そして、最も恐るべき、人間の細胞レベル、分子レベルでその生命の秩序を破壊し、狂わせる原爆の遺物は、目で見ることはおろか、五感で感じることすらができなかった。
数えきれないほどの命と肉体と大切な人、家族、友人、恋人、その人生、関係性、心、生活、幸せ、未来、希望、明日・・、ありとあらゆるすべてを奪ったアメリカは、自らを正義という。
恐ろしいのは原子爆弾ではない。人間だった。
そう、真に恐ろしいのは人間だった――。
私たちは人間に戦慄した。そして、その未来に絶望した。
戦後の戦争のない平和な時代に、毎年何万人という自殺者が、自ら命を絶っていった。戦争よりも多くの人間が戦後の平和の中で自ら死んでいった。
まったく光の届かない深海の底の底の底に漂う真っ黒な色彩に彩られた絶望。なぜ人間が生きるとはここまで苛烈なのか。
しかし、この真実を共有できるのは、私と風花だけだった。大人すらが誰も分かってはくれなかった。
宇宙の炎は熱過ぎて、その炎で身を燃やすと冷たさを感じるという。ブラックホールの中は、強烈な引力によって光が集まり、猛烈な光で満たされているという。そんなことを作家の誰かが言っていた。
私たちは見た。
あの時、突然訪れた、まるで奇跡のような瞬間。
あの時、確かに世界は輝いていた。
あの時、世界中でたった二人きりで見たあの天国のような景色。青であり緑である翡翠色のように輝く生命。確かにあの時、世界を覆う光の輝きは、瑞々しい色に満ち、生きていた。
あの美しさは一体なんだったのだろう。天使の落とした真っ白な羽毛のような、白銀に舞う鶴のような、宮沢賢治の描く宇宙のような、この世から遊離した命の輝き。
世界から剥がれ落ちてしまった私たちの命の欠片たち。私たちはもう決してあの世界に戻ることはない。
私たちはそのことを知った。
カモを太らせてその肝を取り出し食うフォアグラみたいなグロテスクな残酷さとおぞましさにたじろぎながら、しかし、それは食べてみれば滅法うまいという堪らない快感と快楽に屈服する時の理性と本能の戸惑いと困惑の狭間に苦悩する精神の分裂。
それが、思春期の揺れ。
あの時、私は恋をしていた。あの人のすべてが美しく清潔だった。その人にこの世の完璧を見た。
風花も、もしかしたらあの人のことが好きだったのではないか。そんな不安が突如として私の頭に浮かび、あっという間に私の胸中を支配してしまう。
「・・・」
私だけが生き残ったのは、彼女の与えた罰なのではないか。
私は愕然とする。世界中の鉛色の空が、その質量すべてを持って私の上に落ちて来る。
「そんなはずはない」
だが、私はすぐにその考えを振り払った。
私と彼女の関係は、永遠に幼い子どもの純真な目の輝きのように、美しいはずだった。風花と私はそんなチープな感情の中に生きてはいなかった。私たちはもっと、美しい崇高な世界にいた。
赤いオレンジ色に染まった夕方を二人で歩いた放課後。おそろいの青に近いブルーの制服。私を見つめる薄いブラウンの風花の穢れのない瞳。老いなんかまったく知らない十代のピンク色の頬、乳色の肌。青リンゴのようなやさしい青に包まれた青春。道端に咲く名もない小さな紫の花。エメラルド色をした遠い景色。太陽色をした日向ぼっこの匂い。校舎の屋上で見た、雨上がりの虹色の空。白に映える緋色の鮮やかさのような明日。透き通ったグリーンに揺れるオーロラに見る永遠。すべてが黄金色に輝くかけがえのない時間だった。
私は風花という世界を通して世界と繋がっていた。
もう見ることのできない、あの時のあの色たちは今も生きているのだろうか。それとも私たちの心と共に死んでしまったのだろうか。
あの綿あめのような、光の粒に光り輝く靄のその向こうの人間の目には決して見えない色の向こうの色に手を伸ばし、手を伸ばし、手を伸ばして、辿り着けそうで辿り着けないその靄の向こうのその光を、その光を、あの時、私たちは掴もうとしていた。
大量の薬を飲んで、しっかりとお互いの手を強く、固く握り合い、制服のまま屋上のコンクリートむき出しの地面に仰向けに横になった――、そして、目をつぶったあの時――。
風花もあの光景を見ていることが私には分かった。私が見ていることも風花は知っていた。そのことも私には分かった。手を繋いだその向こうで、私たちは確かに二人であの世界を見ていた。そう、私たちは二人であの靄の中にいた。
あの時のあの光――。
私はもう一度手を伸ばす。そこに、その手の先にある光。誰も見たことのない光。そこにある色を、その色を見ることができたなら――。
あの時、私も死んでいたら、私たちの幼い純血な純粋は完成していたのだろうか。私たちの清廉な理想は成し遂げられたのだろうか・・。
もう鼓動を打たなくてもいい、ただの静物になれる安堵。私はそんな存在にずっと憧れていたのかもしれない。
私はもう一度あの場所に行こうと思った。もう一度――。
私はこの世界のすべてが見渡せる場所に立ち、世界いっぱいに両手を広げた。
『世界がもう少しやさしかったなら、風花は死ななかった気がする。私の心も死んでしまわなかった気がする――』
黒い光に対する白い光のように影のない真っ白な絵の中に広がる光の中の色を私は掴もうとする。
感情が高まって高まって、紅蓮の炎のように高まって、そのままに生きた感情を叫ぶ。
「うをぉおおおおぉぉぉああああぁぁぁ――」
叫ぶ叫ぶ。私は叫ぶ――。
まだ言葉のなかった時代。人間はその想いをそのまま叫ぶことができた。
私は全身で光の中に落ちていく。あの青空の向こうには宇宙の色があって、その果てしない色の先の先のその先の点のように光の凝縮したその世界に向かって、私は上り、落ちていく。そこに広がる、あるはずのあの色を掴むために――。