あの時の梯子から君が降りてきてくれたなら
ー今日はやけに嫌な日だった。
課題は終わってなかったし。小テストは不合格だし。弁当は忘れるし。
早退すればよかったかな。
でも唯一楽しみなことがある。
最近昼休み、屋上で見るようになった男の子だ。
割と可愛い。結構かわいい。やっぱりかなりかわいい。
最近になってみるようになったので、おそらく新1年生なんだろう。
1年生の頃を思い返し、嫌いだった新入生オリエンテーションを思い出す。
う…あの怒鳴られた行進練習はいつ使うんだよ…
最近は暑いため体育祭での入場もなくなったらしく、
いよいよ使う機会は全くなくなっていた。
今の一年生もあれ、やってんのかな。
なんとなく思いを馳せていると、予鈴が鳴った。
ーお腹空いた…
そういえば朝から何も食べていなかった。
帰りにコンビニで何か買おうかな。今日は丁度部活が休みの日だ。
意識を飛ばしながら7限までの授業を終わらせ、友達と少し談笑した後、
帰路に就いた。
ーあ、そういえばコンビニ。
気付けばコンビニはとっくに過ぎていた。
しょうがないか…どこかのカフェに寄ろう。そう思い、いつもの道から外れ、
少し歩いてみることにした。歩くことは嫌いではないのだが、
如何せんローファーを履いているせいで足が痛い。
カツカツと歩く音が、そのまま踵に響いているようだった。
ーそろそろ限界だなぁ…
そう思っていると、角を曲がったところに小さいカフェがあった。
どっちにしろもう歩けなかったし、中に入った。
店内は古めではあるものの、丁寧に手入れされているようだった。
ーいい匂い。
コーヒーの匂いは好きだ。香ばしくて少し苦みのある匂いが昔から好きだった。
でも何故か飲んだら頭が痛くなるという体質で、味はともかく飲めなかった。
「ココア下さい」
最近は暖かくなってきたが、やはり明け方と夕暮れは冷え込む。
今年になって新制服として採用されたズボンが羨ましかった。
タイツは足が締められるような感じがして、あまり好きではなかった。
名前も知らないジャズが流れているような店内で、
しばらく時間を潰すことにした。
ーあの男の子何組なんだろう
ふと昼休みに見る男の子が頭に浮かび、いろんな疑問が浮かんだ。
何委員なんだろう?どこに住んでるんだろう?好きな事とかあるのかな?
考えてもキリがないようなことばかり思い浮かぶ。
去年から長年禁足地だった屋上が解禁され、
昼休みは人がよく集まっていたのだが、
一年たってしまうと皆の足は遠のいてしまった。
今や屋上に来るのは、一人になるのが好きな私と、少しの新入生だけだった。
最近の流行りについていくのが苦手な私にとっては、
誰も来ない屋上は絶好の場所だった。
ふと外に目をやると、いつの間にか雨が降っていた。
ーげ、傘持ってきてないよ…
天気予報を見ると、しばらく雨は止みそうになかった。
家族と交わす言葉を減らすため、出来るだけ濡れたりはしたくなかった。
昔から家族はあまり好きではなかった。
姉が一人いる4人家族だが、大学の先生を務める両親と、
大学受験が終わり、有名な大学へ進学した姉。
勉強が嫌いで努力が苦手だった私にとって、正直相性は最悪だった。
ー帰りたくないな。
とは言っても頼る友達がいるわけでもない。
帰ろうとしていた時、ふと雨が止んだ。
今のうちだ。帰ろう。
そう駆け出した時、空には一筋の光が差していた。
聞いたことがある。たしか…
「天使の梯子…」
私の足はいつの間にか止まっていて、
瞳はそれから焦点をずらすことはなかった。
十分ほどしただろうか。
光の筋がふっと消え、私も我に返った。
ーあ。帰らなきゃ。
その日はもう何をするにもやる気が出ず、倒れるように眠った。
そんなこんなで当たり障りのない日常を過ごしていた。
「ーあの、割り箸持ってませんか?」
「…えっ」
ぼーっとしていて完全に不意を突かれた。
いつものように昼休みに屋上で弁当を食べていた時だった。
「…あっ、持ってます」
いきなり話しかけられたせいで、脳は話すモードになっていなかった。
しどろもどろになりながら、いつも持っていた予備の割り箸を渡した。
「横、お邪魔してもいいですか?」
そう言われて私は焦った。
いつも遠くからちらっとしか見ないあの子だった。
「私でよければどうぞ。」
特に好きだったとか、仲良くなりたかったとか、下心は全くなかったのだが、
口はそう勝手に動いていた。
ーどっちにしろ断る理由もなかったのだけれど。
「いつもここでご飯、食べてますよね」
「うん…そうだね。クラスであんまり馴染めなくて。」
「そうなんですね」
彼は優しく笑って応えた。
「君もよく来てるよね。」
そう聞くと、少し考えた後、
「空が好きなんです」
と答えた。
「晴れてるから今日は空が映えるね」
と言うと彼は
「今日は星がきれいに見えるかもしれませんね。」
と顔を少し伏せながら言った。
それから、彼が屋上へと来るたび、少しずつ話すようになった。
そんな彼は本が好きらしい。いつも分厚い本を持っていた。
たまに私が意味を知らないことも言って先輩の面子丸潰れなんだけれど。
そのうちに私は、彼の優しい微笑みに魅入られていった。
彼と話しているうちは勉強のこと、家族のことを忘れられる気がして。
そして彼と出会って半年ほど経ったころ、私もついに3年生になった。
「ごめんけど、私、受験するから暫く昼休み屋上に来れなくなっちゃうんだ」
そう言うと彼は一瞬驚いた顔をした後、
「…そうなんですね。分かりました」
といつもの優しい微笑みを見せた。
今日が最後になるのかもしれないと思うと、やはり寂しかった。
予鈴が鳴ると、私は振り返ることなく屋上を後にした。
これ以上話すと、また受験の間もここに来たくなってしまうだろうから。
あまり認めたくなかったが、やはり私は彼のことが好きなのだろう。
「受験が終わったらまたここに戻ってきてくれますか?」
私の背中に彼がそう言葉を投げたが、私は
「わからない」
としか言えなかった。
彼は皆から好かれる才能があると思うし、彼がずっと昼休みあそこにいたら、
同じ学年の仲良くなるはずだった人ともなれなさそうだったから。
受験期間中は、とにかく地獄だった。
増え続ける勉強量、親や先生からのプレッシャー、
本番が近づく共通テスト。
何をするにしても胃がキリキリと痛んだ。
けれど、彼と話した時のことを考えると、
受験で冷え切った心が少し温まるような感じがした。
いよいよ迎えた本番は、努力の成果か、緊張することもなく突破できた。
ーいや、緊張はしたかも。
屋上に行くか迷ったが、屋上に行っても彼が居るのか分からなかったし、
もしいなかったらもっと寂しい気持ちになるだろうから、
ついに卒業するその日まで屋上に行かなかった。
そして大学一年生になり、あれだけ嫌っていた家族とも別れて、
独り暮らしをすることになると、新しいことばかりで忙しく、
彼と話していたことや、今どうしているかなど、
もはや考えることはほとんどなくなっていた。
だが、私は昔からの癖で、ほとんど毎日大学の屋上に上っては、
平べったいだけの無機質なコンクリートの床と、
鮮やかに青色を映し出す空をぼーっと見ていた。
大学生になって飲み会などに参加することもあったが、
3年生になるまではお酒が飲めないため、正直楽しいものではなかった。
二年生になって少し落ち着いたところで、
少しずつそういった類のものにも顔を出すようになっていた。
ある日、学年を跨いだ大規模な飲み会があるらしく、
私は行く気はなかったのだが、
友達にどうしてもと誘われてしぶしぶ参加することになった。
当日は小雨くらいの天気だった。やっぱり辞めとけばよかったかな。
時間があったので少しカフェに寄った。
いつの間にか私も変わり、コーヒーも飲めるようになった。
「コーヒー下さい」
コーヒーを飲みながら昔のことを考えていると、
雨がほとんど止んだ。いい時間になっていたし、会場に向かった。
道中、私の足はまた止められた。
ー天使の梯子だ
私は高校生の時に見たあの景色が忘れられず、空をよく見るようになった。
しかしタイミングが悪かったか、見れたのはその一回のみだった。
一気に高校であったことがフラッシュバックし、なんとなく寂しくなった。
その寂しさを埋めようと、会場へ歩みを早めた。
会場にはいろんな人が居て、髪が派手な人、モデルみたいにスタイルがいい人、
びっくりするくらい体格がいい人、とにかくお酒を飲み続ける人。
会場の隅でいろんな人を見ると、馴染めない自分がなんとも惨めだった。
どんちゃん騒ぎで夜が更けてきたころ、やはり私は人が多いところが苦手で、
先ほどの寂しさもにぎやかさで埋まることなく、ぽっかりと開いていた。
休憩に、丁度あった宴会場の大きなベランダに出ていた。
昼の空も好きだけど、いくつもの星が並ぶ夜も好きだった。
寂しさを満天の星と月が埋めてくれるような気がした。
中に戻ろうと思ったとき、扉が開いた。
ーえ?
そこには高校生の時話していた彼がいた。
彼も珍しく驚いたような声を出した後、
いつもの優しい笑顔を私に見せた。
何故か分からないが、とにかく目頭が熱くなって、
ぼろぼろと涙がこぼれ落ちてきた。
本当になぜかは分からない。
会えて安心したのか、卒業前に屋上に行かなかった後悔からなのか。
ただただ涙が絶え間なく流れてくる。
その間彼は隣にずっと居てくれた。
やっと落ち着いてきて会話ができるようになると、彼が
「ずっと待ってたんですよ?」
と笑いながら言った。
私が受験期の時もずっと屋上に行っていたらしい。
ーじゃあ受験終わった後屋上行けばよかった。
色々な言葉がよぎっては消え、よぎっては消え、
私は何を喋ればいいのか分からなくなっていた。
「久しぶりですもんね。ゆっくり息、整えて下さい。」
泣いているのを見られるのが恥ずかしかった。
ー何か言って気を逸らせないと
「…今日は月が綺麗だね」
とっさに出てきた言葉がそれしかなかった。
後から気付いて慌てて、
ーあ、そういう意味じゃない
そう言おうとした時、
彼はいつもよりさらに優しく、また少し意地悪そうに笑い、
一言だけ言った。
「月はずっと昔から綺麗でしたよ」
読んでいただき、ありがとうございました。
今回初めてすごく短い物語を一つ書いてみました。
やっぱり小説を書く方って凄いですね。
やる気につながるのでどんなことでも評価、感想よろしく願いします。