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虎に囲われた仔猫は、



「御機嫌ようベルタ。着飾ったところを初めて見ましたが、とてもお綺麗です。朝露の精みたいですね」

「村娘です」

「今は伯爵令嬢ですよ」


 やってきたのは、ハンネスだった。

 ベネディクトもレンナルトも、マルガレータもいない。

 一瞬不思議に思ったが当然だった。学園では一緒に過ごす機会の多い彼らだが役割が違う。そもそもハンネスは第一王子の補佐で、学園で第二王子のベネディクトと共に居るのは将来互いに第一王子を支える補佐となる為、だ。


 王太子である第一王子の派閥と第二王子の派閥が余計な争いを生まぬよう、第二王子は王位に関心はなく、将来は補佐として活躍する見通しで居ると周知させる意味もある。将来の同僚と仲良くしているぞと、言葉なく牽制していたのだ。ハンネスは第一王子の派閥なので。


 ハンネスがルンベック伯爵家に訪れたことも不思議に思ったが、おそらく何かしらの説明に来たのだろう。ありがたいが、情報量が多くて処理が追いつかない。


 ベルタはなんだかとても疲れてしまっていた。


 ハンネスはまっすぐ歩いてきて、何故かベルタの隣に座った。同じソファに座られてぎょっとする。今まで座って来たどのソファより柔らかいソファだと、着慣れないドレスであることもあり、まったく動くことが出来ない。なので思ったより近くに座られても、いつかのように自分で移動することが出来ないのだ。

 ベルタは助けを求めて正面のマティアスを見たが、彼はお茶をおかわりしすぎてちょっと気持ち悪くなっていた。退席しようとしていたので視線で必死に引き止める。苦笑して座り直してくれた。

 ほっとしたベルタだが、その隣でひんやりした微笑を浮かべながらマティアスを見ているハンネスには気付かなかった。マティアスは苦笑して、空気になることにした。使用人がいると言っても、未婚の男女を二人きりにすることもできないし。疲れている義妹の要望には応えてやりたいので居座ることにする。

 ハンネスはマティアスから視線を外し、手荷物から丁重に包まれた小包を出した。包みを外して、ベルタに渡した。


「こちらをお返しします」


 そう言って渡されたのはぼろぼろの手紙。

 ベルタは見慣れた封筒にはっと顔を上げ、手紙を受け取った。

 それは、証拠品として押収された姉からの手紙だった。


「確認させて貰いました。麻薬の不当な製造、売買の告発文として十分な証拠になります」


 姉の死を知り、伯爵の思惑を知り、村に帰らず復讐を誓ったベルタが改めて手紙を見返して気付いた、姉からのメッセージ。

 姉が妹へと送った、誤字だらけの3通の手紙。

 それこそが伯爵の罪を告発する暗号であり、麻薬のレシピだった。


 一目見ただけでは気付かない。気が触れたかのような誤字だらけの文章。

 伯爵の手の者が見ても、手紙の書き手の気が触れたとしか思わないだろう書き方。

 しかしその誤字を正して繋げると、文字となり文章となる。


 例えば「こんにちわ」と誤字があれば、「こんにちは」と直して「は」の部分を抜き取る。次の誤字も同じように入れ替えて抜き取れば、伯爵への告発文となった。同じ方法で、麻薬のレシピも読み取れる。

 この告発文があれば、訴えれば、伯爵を糾弾することが出来たかも知れない。しかしそれをするには、ベルタは弱過ぎた。

 長年続く、伯爵家。領地も豊かで表向きは問題のない領主。ただの村娘でしかないベルタが、子供の遊びのような暗号文での告発書を持って行っても、鼻で笑われて追い返されてしまうだろう。何より、気付いた伯爵によって告発文を押収されて握りつぶされることを恐れた。言い逃れの出来ない決定的な証拠が無ければ、平民の声は貴族によってかき消されてしまうものだ。


 だからベルタは、権力を求めた。伯爵よりも上に立つ、もっと偉い貴族に取り入ろうと決めた。その為だけに、格式高いプラトルボ学園へ入学した。大人より子供同士の方が、興味を持ってくれるかも知れないと思って。あと、子供だからこそ大人の偉い人に会いに行くには障害が多かった。

 何とか権力者に取り入って、その権力を借りて伯爵に復讐してやる心積もりだったのに…伯爵は、ベルタがよくわからないまま勝手に自爆した。伯爵への鬱憤も怨念も怨讐も、何なら拳に乗せてぶん殴ることすらも出来ないまま。


 …伯爵令嬢となったベルタへの暴行、それ一つであっさり謹慎されて悪事が暴かれて、結果だけを見ればざまぁないと高笑いの一つでもしたいところなのに。

 ベルタの与り知れぬところで彼らが動いた結果なので、ざまぁと笑うことも出来なかった。


 それでも、姉の最期のメッセージだけは、何とか彼らに託すことが出来た。

 この手紙は、三日前にベルタがマティアス経由でベネディクトへと渡した物だ。ベルタの荷物が届くより先に、彼らは処理へと戻ったので、直接渡せなかったのだ。


 戻って来た手紙を抱きしめる。証拠品として提出したから、戻って来るとは思ってもみなかった。

 そう伝えると、ハンネスはにっこり笑った。相変わらず胡散臭い笑顔だった。


「複写は取らせて貰いましたし、現物は貴方にとって形見でしょう。保管先を書き換えましたので厳重に保管するなら問題ないです」

「ハッ、これが職権乱用…」

「権力者の特権ですね」


 笑顔で言われて戸惑った。大変よろしくない。よろしくないが、手放したくはない。

 しかしこれは、ばれたら怒られるどころではない。証拠品は事件の真相に重要な役割を果たすからこそ証拠品なのだ。隠滅されたり捏造されたりするのを防ぐための押収。それを形見だからと保管先をあっさり変更できるものではない。一応、麻薬のレシピでもあるので、安全面からの懸念だって抱いた。

 ベルタ個人としては手元に置きたいが、これがばれたら彼らの信頼が揺らぐ。貴族関係は何だかんだ信用が第一。利害の一致だとしても信用が無ければ契約は出来ない。それを脅かすような真似は、ベルタには出来かねた。


 勉強したベルタは、貴族が契約を大事にすることを学んだ。

 学んだからこそ、ベルタは虎の威を借る狐にはなれなかった。

 戸惑うベルタに、ハンネスは笑う。胡散臭い笑顔で、いつものように。


「問題ありません。殿下…王太子殿下には私がしっかり説明、説得を真正面から何の捏造もなく正々堂々と済ませています」

「な、なんでそんな。伯爵令嬢って言っても私は養子の立場だし、ですし、こんな特別扱いが許されるわけ」

「許してくださいましたよ。今後これまで以上の忠誠と功績を条件に、私の婚約者の手元に姉の形見を返還することを」


 なんて?


 ぽかんとするのは何度目か。

 何度宇宙に打ち上げるつもりか。

 ベルタは間抜けにも口を開けたまま、ハンネスを見上げた。


 ハンネスは笑っていた。

 にんまりと、口端を吊り上げて。


「貴方の立場を確認しましょう、ベルタ」

「は?」

「貴方はもうただのベルタではなく、ルンベック伯爵家に学問へ打ち込む優秀さと人脈を評価され、養子として迎えられたベルタ・ルンベック伯爵令嬢。貴族令嬢の婚期は早く、15歳のデビューと同時に婚約者を持つ令嬢は少なくありません。そして貴方は現在15歳。ルンベック伯爵家は現在困窮していますがもともと王家の覚え目出度き格式高い伯爵家。縁を結びたい貴族は膨大です。そこに令嬢として迎えられたベルタの婚姻は、そんな貴族たちにとっていい獲物です。どこの家と縁を結ぶのか、その判断は現伯爵様の管轄となります」


 ここまではいいですか?

 そう問いながら、視線が笑っている。真っ直ぐこちらを見つめる瞳は、それこそ獲物を見つめる捕食者のものだった。ベルタはぽかんと口を開けたまま、その目を逸らすことが出来ない。


「言ってしまえば伯爵令嬢ですが元平民ですし、今回のことは醜聞扱いとなりますので、相手によっては妾扱いとなる可能性もある。伯爵家は困窮していますが、第二王子とその婚約者と友好関係にある貴方を売り払うつもりはない。ルンベック伯爵は真面な相手を探してくれました。ええ、ルンベック伯爵家への援助が出来て、友好関係にある第二王子の権威目当てでもなく、平民だからと貴方をぞんざいに扱わないそれは真面な相手を」


 大仰に、大げさに、隣に座っていたハンネスが立ち上がる。視線は逸らされないままベルタの前に立ち―――恭しく、その膝を折り跪いた。白い手袋に包まれた手が、皸やペンだこでぼろぼろでこぼこした手を包む。


「イェフォーシュ侯爵家の跡取り、ハンネス・イェフォーシュ…私が貴方の婚約者です」


 末永くよろしくお願いします。


 そう言って、ハンネスは赤みのあるベルタの手に、口付け





マティアス「ガタッ」


途中で終わっているのは仕様です

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 本文に15歳のデビュタント時とありますが、デビュタントとは社会(社交界)にデビューする若い女性のことを指す言葉です なので15歳のデビュー時が言葉的にはあっていると思います
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