貧乏伯爵子息から見た義妹
現実が追い付いていないベルタを眺めながら、マティアスは少し冷めた紅茶に口をつける。それは今まで節約してきた安い茶葉と違い、かつて彼が親しんだ高級なもの。
マティアスが、ルンベック伯爵家が再びこのお茶を飲めるようになったのも、ベルタのおかげだ。そのことをベルタはまだ知らないけれど…今ベルタが着ているドレスも、彼からの贈り物。
何故自分がと呆然としているベルタだが、彼女は彼女が思っているより、周囲に影響を与えていた。
主に仲人的意味で。
まず第二王子ベネディクトと婚約者のマルガレータ。
この二人、実は学園入学時、不仲で有名だった。マルガレータは高飛車で浪費癖があり、高圧的な態度だったので、どちらかと言えば穏やかで大人しいベネディクトに嫌厭されていた。
マルガレータが平民のベルタに接触したと聞いた時は、ベルタがマルガレータに虐められていると思った。しかし様子を窺えば、上から目線だがマルガレータはベルタの世話をせっせと焼いていた。ベルタもまた、抵抗せずそれを受け入れていた。
どうやら嫌味を言ってもベルタには効果が無く、それどころか思っていた以上に困窮しているベルタの様子を見て不安になったらしい。マルガレータは商人以外の平民に近づいたことが無い。まさか平民が、これほど貧しいとは思ってもみなかったのだ。
平民が皆貧しいわけではないが、話で聞いていた「食べ物に困る生活」を直で見て、思うことがあったらしい。
主に、小動物を保護するような感情が。
マルガレータがせっせとベルタの世話を焼くので、その様子がベネディクトの興味を引いた。今まで他人を思いやることをしなかった婚約者が構うのはどんな人間かと。初対面のお茶会乱入は、そんな興味から始まった。
…思いっきり距離を取られてきょとんとしたベネディクト。今までマルガレータからベネディクトに逃げて来た人間は何人もいたが、その逆はあれが初めてだった。マルガレータも、ベネディクトがいるのに自分の方に寄って来た人間は初めてだった。マルガレータの頬が喜びで綻んで、ベネディクトは彼女の年相応の笑顔を初めて見た。
それからはもう、今までの長い年月で出来上がっていたはずの溝などないように。
ベルタという名の緩衝材を挟んだ結果、今まで気付かなかったお互いに気付き、今では穏やかに肩を寄せ合う良き婚約者となっていた。
続いて、相互不理解でこじれていた各婚約者たち。
ベルタが特待生としての責務を果たし、価値があると判断されたころ。身分の低い女性と手軽に遊ぼうとした令息たちは、勉強しか頭にないベルタにバッサリ切り捨てられた。普通それでは反感を買うだけだが、ベルタは違った。
「ここで私とお話しするより、婚約者様の領地で新しく始めた事業を手伝うべきです」「婚約者様ならあちらにいらっしゃいますよ」「この問題なら私より婚約者様が得意です」「婚約者様なら」「婚約者様が」「こっちくんな」
取りつく島もなく婚約者の所に放り投げた。
―――誰かの権力を欲しがっていたベルタは、とにかく勉強した。勉強した。あらゆる知識を。相手の影響力を。
借りた虎の威が使えなければ意味がない。伯爵の客の可能性だってある。ベルタはとにかく勉強したのだ。その結果、どこの貴族がどこでどう関わっていて何に困り何を必要としているかがなんとなくわかるようになっていた。きな臭い貴族もなんとなく。
なりふり構わず勉強したベルタは、かなりの情報通になっていた。
それとベルタは、婚約者のいる相手にはそもそも、近づこうと思っていなかった。
だってマナー違反だ。権力は欲しいが問題を起こしたいわけじゃない。だから婚約者持ちの令息に声をかけられたら、とにかくその婚約者に相手を押し返す気持ちで話題に出し続けた。
話題に出されれば気になるし、ベルタが交ぜた声をかけやすい話題もあり、令息たちは婚約者の令嬢に歩み寄ることが多くなった。
会う機会が増えれば会話も増える。会話が増えれば理解も深まる。
相互不理解だった彼らはいつしか仲睦まじい男女仲、もしくは同じ目標へ向かう同志として手を取り合っていた。
ちなみに伯爵以下の婚約者のいない相手には、ちょうど良さそうな相手へ押付けた。それは互いの利害が一致しそうな者から、似た趣味を持つ者同士など、ベルタが独断と偏見で「私とお話しするより有意義」と判断した組み合わせだった。
結果80%の確率でカップルが成立した。
そう御膳立てされれば、反感を覚える者も減る。むしろ恋のキューピッド。婚約者と関係が深まった者。新しい関係を築いた者たちはベルタの采配に感謝した。カップル揃ってベルタを擁護する者が多い。
実はレンナルトもその一人で、不敬を多発させるベルタにしつこく注意していたレンナルトは、ベルタに勉強の邪魔だと元気の有り余っている子爵令嬢(遠乗り大好き)を紹介され、交流し、無事婚約が成立した。
それからというものベルタを本気で愛を運ぶ小妖精と思っているようで、ベルたんベルたんとカップルで煩い。ベルたんってなんだ。もともとの堅物キャラをどこに置いて来た。
そんなわけで、ベルタは多大な影響を周囲に与えていた。良縁を振りまき、多数の貴族に恩を売ることに成功した。もうそれだけで人材として有益だ。
あとは単純に―――貴族が平民に負け続けるわけにはいかなかった。
特待生として十分な実力を叩き出したベルタ。だがそれは、貴族が今まで築いて来た知識で平民に負けたことを意味する。
特待生として正しいあり方だが、誇り高い貴族が平民に負け続けるわけにはいかない。平民がなりふり構わず頑張っているのに、貴族である自分たちが胡坐をかいていて良い訳が無い。
邁進するベルタに感化され、今学期の生徒たちは真面目に勉学に励みテストの平均点が軒並み上がった。生徒の質がガンガン上がり、学園の評判もうなぎ登り。学園長はベルタの将来の為、必ずいい家に養子に出すと決めた。
生徒たちが奮起しだしても、ベルタは不動の上位を保ち続けた。
ベルタは自分の知識を付け焼き刃と表現したが―――一時凌ぎの鈍らだって、打ち付け続ければ鋭くもなる。繰り返せば研磨され、それはいずれ本物になるのだ。
誰もが上を目指し始めても転落しなかったベルタは、その場凌ぎなどではない知識を身に付けていた。
だから貴族として、これから成長する有能な芽を保護し、慈しむことにした。
何も不思議なことはない。
養子にしたら貴族だから、テストで負かされても傷が浅くなるとかそんなことはない。
何もおかしいことじゃない。
―――尤も、それ以上を目論んだ者もいたわけだけど。
さてどうしようか。マティアスは呆然とするベルタに視線を向ける。
今の今まで取りつかれたように本を読みペンを握っていたベルタは、三日前から魂が抜けたように静かだ。以前ならば、もっと早く現実に戻ってきて大きな菫色の瞳をこちらに向けていたのに、今は全然別の所を見ている。
今までメラメラと燃えていたのに、まるで燃え尽きてしまったかのように静か。
養子縁組へと至った彼女の知らない功績を語って聞かせることは簡単だが、聞かせたところで納得するとは思えない。呆然としている義妹を引き戻すのは、おそらく自分では無理だろう。
とりあえず、おかしなことをしないよう見張りもかねて見守る体勢を維持するしかない。
待ち人が来たのは、マティアスがお茶のおかわりを飲み干した頃だった。