拉致の理由
この男は、ベルタが何も知らないとは流石に思っていない。無知だとは思っていない。無知ならば、今頃村で変わりなく働いているだろう。ベルタは姉の死を知ってすぐ村を飛び出し、身を削ってまで王都のプラトルボ学園に入学した。姉のことで何か知っていて、行動を起こしたと考えるのが自然だ。だからこそこうして、問答無用で拘束している。
ビリエルは言葉では優しくても、椅子に縛り付けている時点でもうだめだ。貴族らしい脅迫行為と言える。
その証拠に、問うように会話するのに一度も疑問形にならない。こちらの返答など、相手にとって何の意味もない。
ビリエルは、学園から帰宅中のベルタを秘密裏に拉致した。
何度か馬車を乗り捨てて、ベルタはビリエルの王都の別宅に連れ込まれた。地方の貴族が王都で利用する別宅。ベルタは復讐相手の資産を把握していたので、自分がどこに居るのかわかっていた。分かっていたけど、そこから一人で逃げ出せるわけではない。
だからと言って、この男の意のままになる気はない。
ベルタは我が身が可愛くないので、必ず目に物を見せてやるつもりだった。
ベルタが無言を貫けば、ビリエルは大仰に肩を竦める。その動作が苛立たしい。
「そうだベルタ、君は彼女からの手紙を持って村を出たろう。あんな大量の紙を持って移動するなんてどうかしている。下宿先に置きっぱなしにするのも大変だ。私が援助すればこの屋敷に部屋を設けよう。そうすれば手紙の置き場所にも困らない」
憎しみでギリギリしていたベルタは、急に話の風向きが変わったことに気付いた。
ベルタに頷かせるための詭弁にしては、なんともお粗末な言葉だった。
そもそもなぜここで、手紙の話が出てくるのか。
ベルタは村を出る際、全財産と姉の手紙だけを持って出た。姉の手紙は、自分と姉の繋がりを証明する証明書のようなものだ。伯爵邸で身分を問われたら、手紙の束を見せようと思って全部持って行った。
無駄にはなったが、姉の残した遺品。ベルタはあちこちを転々としながらずっと持ち歩いていた。今は下宿先の部屋に保管してある。
不意に、憎悪と嫌悪と憤怒で熱くなっていた頭が水を浴びたようにすっと冷静になる。
ビリエルが口にした手紙、という言葉で思考がクリアになった。
そもそも何故ビリエルが今更になってベルタを拉致したのか。
姉の不審死は3年前。その時村を出た12歳の妹を、幼い上に平民なので何も出来ないと高を括っていたのはわかる。そんなベルタがまさか、第二王子のいる学園に入学するなど考えもしなかっただろう。
だけど所詮ベルタは平民。同じ学園内に居ても身分差の為話しかけることなどできない。本来ならば交流できるはずのない方々だ。
少し調べればそんな雲の上の殿上人との交流が明るみに出るはずだが、となると逆にベルタを拉致するのは悪手。第二王子が不審に思い調べれば、伯爵もただでは済まない。
つまり伯爵は、ベルタが第二王子と交流があることを知らない。知らないでベルタを拉致して、援助の話など持ち出している。ベルタが頷くわけがないと分かっていながら。
ベルタが何を知っているのか、それを把握するためかと思ったけれどそれも違和感がある。
復讐相手を目の前にして熱くなっていた脳が、音を立てて違和感を追っていく。3年で知識を詰め込み、付け焼刃ながらプラトルボ学園で3位の成績を収めたベルタは、馬鹿ではない。冷静になれば不審点を問題視し、答えを導くことが出来た。
だから、ちゃんと気付けた。
ふと思い当たった事柄に、思わず口元が緩む。唇を噛んで出来た傷が痛んだが、それでも口端が上がるのを止められない。
自分が援助することでベルタが得る利点を語っていたビリエルが、ベルタの笑みに気付いて言葉を止めた。
少しずつ早口になっていた彼は、笑うベルタとは逆に無表情になっている。その事実がベルタの予想を裏付けた。
焦っている。彼は焦っている。
3年。いつだってベルタを秘密裏に始末できただろうビリエルが何故、3年経った今にベルタを拉致したのか。
ああ―――姉は彼に一矢報いることが出来たんだ!
3年前、ビリエルにとってベルタは取るに足らぬ存在だった。
ベルタが何処で何をしていても気にならない。むしろ存在を認識していたかも怪しい。とにかくビリエルにとってベルタはどうでもよかった。
だが、今はもうベルタしかいない。彼が欲しがっているものを持つ可能性があるのはベルタだけ。
そう、姉が開発した麻薬の調合を、知っているかもしれないのはベルタだけ。
そもそも何故、伯爵であるビリエルが姉に目を付けたのか。
姉が巻き込まれた騒動の原因はどこにでも生えていると思われたあの雑草。
独自の研究で、ただの雑草と思われていた草が調合すれば「薬」となると気付いた姉。しかしそれは、一部の人間たちには元から知れ渡っている事実だった。実は新発見でも何でもなかったのだ。
ただし姉の開発した「痛み止め」としてではなく―――「麻薬」として。
陶酔感があり依存性が強い。苦みはあるが中毒性も高く、貴族たちの間でひっそりと広まっていた「麻薬」は、小麦の成長を邪魔するただの雑草を原料にしていた。小さな花を咲かせる雑草は、昔から伯爵家で麻薬として利用されていた。
毒か薬か、それは量が決める。調合により、天秤はどちらにも傾いた。姉が痛み止めとして使用する調合は、薬として問題なく活用できる。更に姉は子供のベルタでも飲めるよう、薬の苦みを取り除く調合方法を編み出していた。
苦みが無くなる調合を、編み出してしまった。
そう、麻薬で同じ調合が出来れば、苦みで気付かれることなく麻薬を盛ることが出来る。
今まで苦みで多用出来なかった麻薬が、相手に気付かれることなく中毒者へと堕落させることが出来るようになる。
ビリエルはそれに気づき、姉を連れて行った。
誰にも気付かれない麻薬を作りだし、それを利用するために。
バックリーン伯爵家は、その麻薬を生成し売り捌くことにより、長年金銭を得ていた。時として自分たちが優位に立つため、その麻薬を利用しながら。
何でも豊かに育つ肥大な領地では、雑草の姿をした原料もすくすく育っていた。麻薬の製法も、麻薬の原料も、バックリーン伯爵家にしか伝わっていなかったので、無造作に生えている雑草を誰も疑問視していなかった。雑草単体に人体に影響を及ぼす毒はなく、調合することにより依存性を発生させるものだったからだ。
最初は痛み止めの改良をしていると思っていた姉も、自分が麻薬の調合を任されていると勘づいた。人殺しの手伝いをさせられていると気づいた姉は逃げ出そうとしたが、その頃には周囲を包囲され、研究室から抜け出すことすら困難だった。
すぐ音信不通になったのでは不審がられるからと、許されていた妹に出す手紙も内容を確認され、外に助けを求めることはできない。
だから姉は、一人で何とかするしかなかった。
姉は人殺しにならない代わりに、自分の命で全てを終わらせることを選んだ。
見張りの従僕が油断している間に研究室を抜け出し、雨の中町を走り―――追って来た従僕に怒りのまま殴り殺され川に捨てられた。
ベルタはあの日、あの生垣で、姉を殺した従僕を叱責する伯爵の声を聞いた。従僕は姉を殺して逃げて、その日伯爵に捕らえられたらしかった。だから三日かけてやって来たベルタが、伯爵の本性を知ることとなった。
何故殺した、何故生け捕りしなかった―――あの女にはまだ利用価値があったのに。まだあの麻薬には改良の余地があり、もっと飼い殺しに出来たはずなのに。女を操る方法など、それこそ麻薬を使ってでも沢山あったのに。
そんな怒鳴り声を、ベルタは聞いたのだ。
あの声は、あの言葉は―――今でもベルタの腹の底に巣食っている。
姉を死に追いやった者たちへの恨みは、ベルタの中でごうごうと燃え盛っていた。