表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/19

ベルタの復讐先



「随分と探した。君一人で一体どこまで行っていたんだい」


 黒曜石の瞳を歪めて男が笑う。ベルタはじっとりとした目つきで男を睨みながら、きゅっと唇に力を込めていた。


 三十代半ばのこの男は、かつてベルタが住んでいた村周辺を治めるビリエル・バックリーン伯爵。

 バックリーン領は王都から離れた場所にあり、国道から逸れている辺鄙な田舎だ。それでも小麦の生産量が多く、農作物が育ちやすい豊かな土地である。都会染みた娯楽はないが、飢えることのない穏やかな領地と言える。


 そう、かつてのベルタは信じていた。


「…私が何処へ行こうと、伯爵さまには関係のないこと、です」

「そんな他人行儀な言い方はよしてくれ。私と君の仲じゃないか」

「覚えがありません」

「悲しいな。私は君のお姉さんの後見人なんだ。その妹の君のことを気配って当然だろう」


 その言葉に、椅子の背もたれの裏側に縛られた両手がぎしりと軋んだ。


「そうそう、そのお姉さんのことだが…知らせを受けてすぐ村を飛び出したと聞いたから、ベルタも知っていることだろう。とても残念だった」


 咄嗟に蹴りを繰り出そうとした足は、両足とも椅子に縛り付けられている。


「彼女には期待していたのだが、急な環境の変化にストレスもあったのだろうね。でもあの日は土砂降りだったから、外出を止めなかった私も悪かったと思っているよ」


 全身を使って移動しようともがいても、小さなベルタに豪奢な椅子はとても重くてびくともしない。男の言葉を聞かず行動しようともがく様は不敬だが、男は気にしなかった。涼しい顔をして、従僕が用意した紅茶を口にしている。

 ベルタの横にも同じ紅茶が並べられていたが、両手が塞がっている状態で飲めるわけもなかった。ただカップから立ち上る湯気がゆらゆらとその存在を主張している。


 ふつふつと湧き上がる憎悪で目の前が眩む。椅子に縛り付けられていなければ、不敬罪を覚悟で殴りかかっていただろう。我が身が可愛くないベルタは、出来ることならこの手でこの男を嬲り殺したいと、何度も何度も夢見ていた。


 姉の後見人だって?

 その妹のことを気配って当然だって?

 外出を止めなかった自分も悪いだって?


 なんて、なんて白々しいのだろう。

 そんなことこれっぽっちも思っていない癖に。

 姉のこと―――最初から殺すつもりだったくせに!



 ベルタには、年の離れた姉が一人いた。

 両親は流行り病で早逝し、ベルタを育てたのは姉と近所の世話焼きなおばさんたちだ。

 農業で生計を立てていた小さな村は、バックリーン伯爵領地の農村の一つ。村全体が家族のようだった。

 全員で小麦を育てて、助け合って生活していた。ベルタも姉も、彼らに助けられながら育った。


 姉は身体を動かすより頭を使う方が得意な人で、村の為に植物の研究をしていた。そして農作物の邪魔をする複数の雑草を調合すれば痛み止めの薬になると気付いた。

 雑草が薬草であったこと。調合すれば痛み止めとして役立つことを、村長は領主である伯爵に報告した。今まで捨てていた雑草が資源になると報告を受けた伯爵自ら確認のために村までやって来た。


 それが、ビリエルだった。


 彼は姉の調合師としての才能を褒めたたえ、是非自分の所で研究を続けて欲しいと願った。恐れ多くもお貴族様からのお願いだ。ただの村娘でしかない姉にとっては命令に等しい。幼い妹を気にしながらも、姉はそのまま伯爵と共に馬車に揺られて村を出た。必ず手紙を書くと約束を残して。


 姉が本を読む人だったため、真似たベルタも文字の読み書きが出来た。姉からは週に一度手紙が届き、ベルタはそれを大事に箱にしまった。

 それから数か月、週に一度、手紙は必ず届いた。大変だがやりがいのある仕事だと、少ないけれどお給金を貰ったから生活の足しにして欲しいと、時々少ない金銭が仕送りとして送られてきたりした。ベルタはしっかり、それも手紙と一緒にしまって貯めた。姉が帰ってきた時に、御馳走を買いに行くためだった。


 しかし手紙は二週間に一度になり、月一になり、どんどん間隔が開いてついには届かなくなった。


 最後にもらった三通ほどは内容が支離滅裂で誤字だらけ。それでも筆跡は姉のモノだから、手紙が満足に書けないほど忙しいのだと思った。違和感を覚えながらも、届いた手紙はすべて箱にしまった。


 しかしその後、手紙は一切届かず、それから半年後…。


 訃報が届いた。

 姉が誤って川に落ちて溺死した。


 ベルタは全財産と姉の手紙が詰まった箱を鞄に詰めて村を飛び出した。

 姉の訃報が信じられず、確かめるため村を出た。

 馬車を乗り継いで三日かけて辿り着いた伯爵邸のある町では、数日前に足を滑らせて川に落ちた女の話が少しだけ噂になっていた。土砂降りの中、酒に酔った女が川に落ちて溺れ死んだと嗤う男もいた。

 ベルタは信じられなかった。それが姉の話だなんて思えなかった。


 だって姉は、酒が飲めない。

 下戸で、一口だって口に出来ない。自分から酒を口にするはずがない。


 しかし真実を確かめるため向かった伯爵邸に、ベルタのような村娘が入れるわけがない。

 それでも姉のことを聞きたくて、使用人を掴まえることが出来ないかとベルタは伯爵邸の裏へ廻った。

 丁度中庭の生垣が生い茂り、もしかしてここから入れないかともぞもぞ潜れば、中庭でティータイム中だったらしい伯爵の怒鳴り声が聞こえた。

 姉が死んだのに優雅なものだと苛立ったベルタは、次の瞬間怒りで真っ白になる。視界が、世界が爆発したのかと思った。むしろどうして爆発しなかった。何故空は晴れ渡り、誰もが当たり前の顔をして過ごしている。


 ベルタは生垣から抜け出して走った。

 奥歯を噛み締めて、口内から血の味を覚えるほど噛み締めて、良く晴れた空を睨んだ。青空の下、やけにくっきり見える煌びやかな屋敷を焦がさんばかりに睨みつけた。


 許さない許さない許さない許さない。

 忘れるものか。色褪せさせてなるものか。姉の無念を、私の憤怒を、ちっぽけで無力な私たちの嘆きを、なかったことに等するものか。


 この恨み、はらさでおくべきか。


 絶対に、復讐してやる――――!!


 そうしてベルタはその足で、生まれ育った村ではなくプラトルボ学園のある王都を目指した。

 必要だった。権力が必要だった。

 ただの村娘の言葉が受け入れられるため、身分差で踏み潰されないため、伯爵以上の権力者が必要だった。

 ベルタの持つ証拠をもみ消されないために。


 復讐を目指して粉骨砕身し、3年が経った。

 あの日復讐を誓った相手が今、目の前にいる。


「それよりベルタ。私は驚いたよ」


 憎悪と憤怒で叫びたいのに叫びだせないベルタのことなど気にも留めず、紅茶を楽しんだビリエルはカップを音もなくソーサーに戻す。殺意の籠った菫色の目に睨まれて尚、ビリエルは好青年の仮面を外すことはない。


「あれから君が村に戻らず、まさか王都であの学園に入学しているだなんて…確かに君の姉は優秀だったけれど、君までそんな才女だったとは思わなかった」


 そうだろう。思うわけがない。

 姉は奇跡だった。興味のあるものに集中して、偶然それが新しい発見につながった。村中の書物を制覇して、誰に教えられるまでもなく研究を開始した。あの平凡な村で、姉は奇跡だった。だから、瞬く間にいなくなってしまった。神様に愛され過ぎてしまったから、あんな試練を与えられたのだ。

 そんな姉に比べたらベルタは平凡だ。文字の読み書きは出来たが、姉に教わってこそだった。計算は姉の研究を手伝って身についた。村に居たベルタはその程度だ。それ以上のことは、村を出ないと身につかなかった。


 ベルタには目的があった。

 目標があった。

 欲しいものがあった。

 成し遂げねばならないことがあった。

 だからこそ死に物狂いで勉学に励んだ。自分の寿命を削る勢いで知識を吸収した。生きていくため仕事もしたけれど、それ以外の時間はすべて勉学につぎ込んだ。それが今のベルタを作り上げた。


 効率の悪い行動だっただろう。それでも、効率よく時間をかけて理解を深める余裕などなかった。ただ記憶に知識を刻み続けた。ベルタは知識を得たけれど、それを使いこなせているかと聞かれればそうではない。

 知識を扱うことに長けていれば、こんな時だってビリエルを罵倒する言葉が一つでも出てきたはずだ。だけど今のベルタは興奮しすぎて、罵る言葉の一つも出てこない。口は自由なのに、出るのは唸り声ばかりだ。


「君の知識は称賛に値する。だけど、夜の食堂の下働きで生計を立てているそうじゃないか。一体いつ寝ているのかと、周囲に心配をかけていると聞いたよ。折角の才能も、それでは十分に発揮できないだろう…それでどうだろう。お姉さんのように、君も私から援助を受けないか。金のことは気にしなくていい。君一人の授業料なんて微々たるものだ。私が君を助けてあげよう」


 そう言ってビリエルは立ち上がり、もがくベルタに近づいた。手も足も拘束されているベルタは、どれだけもがいてもビリエルに危害を加えることはできない。それが分かっているからこそ、明確な敵意を向けられてもビリエルは優雅に笑っていられる。ひたすらに憎らしい。

 ベルタの目前に立つビリエルは、悠然とした微笑を崩すことなく佇んでいた。


「ここで頷くなら、この縄を解いてあげよう」


 反吐が出る。



平民女子を椅子に縛り付けながら優雅に茶をしばく貴族男性ェ…。

なにしてんのこいつ?なにしてんのこいつ?

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ