輝かしすぎて目が灼けそう
ベルタはそっと、本から視線を上げて自分を囲む煌びやかな人々を確認する。
授業終わりの放課後、プラトルボ学園の教室で本日の復讐…ではなく復習をしていたところをきらきらした方々に強襲された。そのまま連れ去られ、ベルタはお茶会の名目で学園の中庭に居た。
学園は学園だが貴族たちが通う学園だけありとても広く、中庭も技巧が凝らされている。季節の花々が咲き誇り、学生たちが休めるようベンチや離れに東屋が数か所に点在していた。薔薇の美しい庭園の一角にある東屋で、ベルタは咲き誇る花々や輝かしい人々に囲まれながら有名な焼き菓子やお茶、ジュースなどに向き合っている。
広げられたのは、果物やナッツがたっぷり練り込まれた焼き菓子。頭がすっきりするような爽やかなジュース。そしてホッとするような温かいお茶。
これらを用意したのは、いつの間にかベルタの傍にいるようになった、尊き身分の令嬢だ。
ベルタの前に突然現れた、ワインレッドのドレスが似合うマルガレータ・リードホルム公爵令嬢。現在は学園なので白と紺色の制服姿だが、銀髪をまとめるワインレッドのリボンが彼女らしさを引き立てていた。
ニコニコと、連れている侍女たちが紅茶の用意をしているのを眺めている。本来ならば座る席だってとんでもなく離れるべきなのに、何故かベルタの隣にペッタリ隙間なく座っている。おかしい。
彼女はベルタの一つ上の十六歳。ベルタが特待生を維持しているのを確認して、ある日突然関わるようになった御方だ。よくわからないが凄い構われている。多分意地悪しようと思って近づいてきたと思ったのに。
しかしベルタの勉強方法…というより生活状況を目にしてスンッとなり、休憩が必要だとお茶会という名のエネルギー補給時間を確保するようになった。高圧的で高慢な態度を取りながら、つんつんベルタを構い倒す。素直になれないお姉さんだった。なのにいつの間にか、ベルタに激甘な世話焼きお姉さんになっている。
なんで。
次に現れたのが、第二王子御一行。
まず第二王子であらせられるベネディクト・ヨルム・グランフェルト殿下。
彼はマルガレータの婚約者で、彼女が最近ベルタばかり構っているので興味を持ったらしい。
マシュマロのようにふわふわした笑顔で当たり前のように茶会中のベルタとマルガレータの間に座った。その頃はまだ、マルガレータとの間には誰かが間に入る隙間があった。突然現れた王子様にマルガレータは石像のように固まった。ベルタは不敬にも王族に対する態度がなってなかった。自分で椅子を持ち上げ彼と間隔を空けて座り直した。だって近すぎて邪魔だったから。
現在はベルタとマルガレータの向い側に座り、距離の近い二人を微笑ましそうに眺めている。
なんで。
そんな第二王子に付き従っていたのが、護衛騎士のレンナルト・ラーション。
一応十七歳で学園の生徒であるが護衛業が優先の為、青い鞘の剣を佩いている。外見は静かそうなのに声が煩く、初対面の時に王子からあからさまに邪魔そうな顔をしながら距離を取ったベルタに「不敬だぞ!」と大声で注意して来た。鼓膜が破けるかと思った。
ひたすら不敬だ不敬だと騒ぐ護衛騎士があまりにうるさかったので、同じ声量で語り合える、同じように元気な令嬢を紹介した。清楚なご令嬢では彼の勢いに儚くなってしまいそうだと思ったのだ。当初真っ赤になって「余計なお世話だ!」と叱られたが、交流を重ねる度口数が少なくなっていった。最終的に怒鳴られることは無くなったが、その分愛玩動物を眺めるような熱烈な視線を向けられるようになる。
なんで。
苦笑しながら怒れる騎士を宥めたのが王子の乳兄弟のマティアス・ルンベック伯爵令息。
柔和な顔つきの気が弱そうな彼は王子たちの乳母の息子。つまり乳兄弟で第二王子の二つ年上の十八歳だ。一応、彼らの中で一番の年長者である。
数年前領地で水害が起こり、その対処中に資金が尽きて現在では貧乏伯爵となってしまった薄幸の青年。唯一彼を彩る深緑のペンダントが、かつて裕福だった名残と言える。
彼は常に周囲を窺っているが、的確な助言をくれる頼れるお兄さんなのでベルタも安心して会話が出来る。レンナルトの愛玩動物を愛でる視線から、一歩引きながらもベルタを守るよう遮ってくれるので、とても頼りになる…けれど、たびたび子供を相手にするように頭を撫でられることが解せない。
なんで。
そしてそんな彼らをまとめてじっと観察してきたのが、次期宰相と噂されるハンネス・イェフォーシュ侯爵令息。
本来なら第一王子の側近候補だけど、第一王子は成人して学園も卒業済みの二十三歳。十七歳のハンネスは第一王子を支えるべく、同じく将来兄を臣下として支える同年代の第二王子たちと親交を深めているのだという。常に周囲を窺うような茶色の細目がとても胡散臭いとベルタは思っていた。
初対面も、それこそ第二王子たちと一緒にマルガレータのお茶会に乱入して来た集まりだが、一歩離れて胡散臭くこちらを眺めるだけだった…それが現在、ベルタを挟んでマルガレータと逆の席にちゃっかり座っている。こっちも距離が近い。紳士な貴族令息の距離感ではない。
なんで。
気付いたら、第二王子御一行は何かとベルタを構うようになっていた。
なんでだ。
理解不能な現状に、ベルタはきゅっと小さな唇に力を籠めたが、すかさずマルガレータが焼き菓子を押し付けてくる。ドライフルーツとナッツがふんだんに練り込まれたマフィン。鼻孔を擽る甘い香りに、思わず口元が緩んで一口齧ってしまう。
やはり高貴な方々の持つ嗜好品は格別で、ベルタなどが口にできる品ではない。それを無造作に押し付けるとは、なんて慈悲深いことだろうか。お茶会している時間など無いと思いつつ口が動くのを止められない。むぐむぐ咀嚼した。
「どう?美味しい?」
「ふぁい」
「うふふふふ」
満足げなマルガレータの笑い声を聞きながらむぐむぐ口を動かせば、とても微笑ましそうな表情でベネディクトがベルタを眺めていた。居た堪れなくて視線を逸らせば、頬を染めてガン見するレンナルトが見える。なんだか怖気を覚えたので更に視線をスライドさせた。その先にはレンナルトにドン引きするマティアス。相変わらず常識人っぽい彼に、身分は全然違うが同じ貧乏(雲泥の差だが)という共通点から思わずホッとしてしまう。
ホッとした瞬間、隣からにゅっと伸びて来た大きな手に顎を掴まれて、無理やり向きを変えられた。
「口の中がパサつくでしょう。このジュースもお飲みなさい」
「んぐぅ」
胡散臭いにこやかさでハンネスがベルタにグラスを押し付ける。今度はぶどうジュースだった。溢してはならないと一生懸命飲み干す。顎を支えられながらグラスを傾けられるのは飲み辛くてならない。キッとハンネスを睨むが、彼は胡散臭く笑うだけだ。それを見ていたマルガレータがむっとした表情でハンネスを睨めつける。
「ちょっとハンネス。無理強いはよくなくてよ」
「おや、親切心のつもりでしたが…どなたかがひたすら口の中を乾燥させようとマフィンを押し付けていたので」
「ベルタはこの店の焼き菓子が好きなのよ! 押し付けていたわけでないわ! なにより葡萄より林檎の方がベルタに似合うの!」
「ベルタは林檎より葡萄が好きなんです。ですよね? ベルタ」
「そんなことはないわ! わたくしが間違えるモノですか!」
「ベルタは私の選んだ葡萄の方が好きですよね?」
「どっちが好きなのベルタ!」
「どっちも好き」
「わたくしのほうがベルタを好きですわ!!」
「マルガレータ…果物の話だからね?」
争うような二人に対し、呆れたようにベネディクトが笑う。マティアスに差し出されたナプキンで口元を拭きながら、ベルタはなんでここまで好かれたんだろうかと不思議で堪らない。流石に、マルガレータからものすごく好かれているらしいことは察することが出来た。なんで。
ハンネスはよくわからない。全てが胡散臭い。
ベルタは勉強していただけだ。マルガレータにお茶会に引っ張られても本は手放さなかったし、ベネディクトに良くわからないお礼を言われた時だって視線を上げなかったし、不敬だと怒鳴るレンナルトにも態度を変えなかった。
貧乏仲間のマティアスには食べられる草や薬草の情報を流したけどそれだけだし、胡散臭いハンネスには極力近づかないようにした。彼らと親交を深めるには、ベルタには圧倒的に時間が足りなかった。とにかく現状に満足せず、遅れているだろう百歩の為に勉強する必要があった。
そう、権力を得るためにこの学校に来たのに、勉強が出来ないからと追い出されるわけにはいかない。
尊い人とのお茶会だろうと、勉強時間を削るわけにいかないのだ。
ベルタは大真面目だった。
大真面目に、本来の目的と手段がずれていた。
此処は、目的達成の為に勉強から目を背けて権力者に全力で媚を売って取り入るところである。
それが目的だったのに、学園にいるための手段以外がすっかり疎かなベルタだった。
そんなベルタだが、ぐいぐい来る彼らとのお茶会回数が二桁になる今、流石に悟った。
もしかして、目的である「権力」は今、とても身近にあるのでは―――ベネディクト、マルガレータ。レンナルトにハンネスと選り取り見取りではないか―――と。
マティアスは、残念ながら除外である。ベルタの望む復讐に手を貸す余裕がなさそうなので。
かなり今更になるが、ベルタはやっと本来の目的達成が案外可能そうな現状に気付いた。
「ベルタ、どうかした?」
咀嚼を終えて動かなくなったベルタに気付いたベネディクトが声をかけてくる。
流暢な語彙でお互いを煽り合っているマルガレータとハンネスはもはや日常音で、マティアスも宥めるのを諦めてしまった。頬を染めながらじっとベルタを眺めるレンナルトに注意するような肘鉄を繰り出して、相手の筋肉でマティアスの肘がダメージを負っている。
そんなやり取りを眺めて、ベルタは考える。
この半年、理由はわからないけど傍にいてくれた人たち…彼らなら、ベルタの望むものを貸してくれるのではないか。何故だか好かれているようだから、頼めば何とかなるのではないか。
そんな甘っちょろい思考が過るが、すぐに打ち消した。
どれだけ甘くても、優しくても、ベルタはその理由を理解していない。
彼らがベルタに甘い理由が分からない。
つまり、それを維持できない。いつこの関係が終わってしまうかもわからない。
だからまだだめだ。貸してくださいなど言えない。
だってベルタが欲しがっているのは、彼らにとって当たり前でも、とても大きなものだから。
勉強すればするほど、ベルタの目的達成には障害が多いのだと改めて思う。
そう結論を出したベルタは、ぷるぷると首を左右に振る。小動物染みた動作にレンナルトが胸を押さえる仕草をして膝をついたが、誰も心配しなかった。
「何でもない、です。殿下」
「そう? ならいいけど…」
マシュマロみたいな第二王子はふんわり笑って、おいでおいでとベルタを手招きする。ちょっと迷ってから立ち上がり、ベネディクトにゆっくり近づいた。その様子が警戒する仔猫そのもので、膝をついたレンナルトがとうとう完全に倒れ込む。誰も視線を向けなかった。
ベネディクトはじりじり近づいて来たベルタに微笑みながら、小さな頭をそっと撫でる。
「何か困ったことがあったら、すぐ言うんだよ」
「…はい、殿下」
よしよしと繰り返し頭を撫でられながら、ベルタはなんとなく、自分の立ち位置を理解した。
愛玩動物枠。
レンナルトだけでなく、ベネディクト殿下にもそう思われているのだろう。多分。
それならもしかして、何とかなったかもしれない。一か八か、声を上げるべきだったかもしれない。
こうとなった今、ベルタは後悔している。
言えばよかった。
「久しぶりだねベルタ」
この男に攫われる前に、一言でも。
貴方たちの権力を貸して下さいって。
急展開…。