【電子書籍2巻配信記念】2
本日5/15 虎の威を借る狐になって復讐がしたい2 電子書籍 配信開始です!
そして今回は、まさかの猫視点のお話です。
我輩は猫である。
名前はたくさんある。
人間とは不思議なもので、好き好きに名前を決めては我輩を呼ぶ。そこに統一感はなく、時には気分で呼ぶので日によって違う場合もある。一番多いのは毛並みの色で「シロ」だ。
他にもチビちゃん。メアリー。可愛い。キャー可愛い。綿毛。ミルク。きゃわいい。ティファニー。ラブリー。猫。ミルたん。命尊い。などと種類豊富だ。このどれもが我輩の名前。
むふん。それだけ人間が我輩を認識し、配下になっているということだ。どいつもこいつも顔が溶け、我輩が鳴くだけで餌を用意するので間違いない。
そう、人間達は我らの下僕である。
しかし数が多いので、こちらも対応に気を付け下僕を気持ちよく使ってやらねばならない。
しかもでかいので、視界に入らないとうっかり蹴られてしまう。
踏まれたこともある。
全力で威嚇して怒りを表わせば、踏んだ方が泣きながらひっくり返っていた。人間は本当に愚か。
人間の使い方もだが、最も気を付けねばならないのは、猫仲間の縄張りだ。
我らは孤高の生き物なので、馴れ合いはしない。
このあたり…飲食店の建ち並ぶ区域の戦いに勝ち、縄張りを制したのは我輩である。
この都市は川が多く、橋で区切られているので縄張りの範囲がわかりやすい。水は嫌いだが、嫌いだからこそわかりやすい線引きだ。橋の上までは許すが、入ってくることは許さない。
礼儀を守るなら通るくらい許してやるが、勝手に住み着くのは許さない。
「あ、ミルたん」
聞き覚えのある名前で呼ばれて、我輩は伏せていた目を開けた。
日当たりの良い塀の上で丸まっていたら、いつの間にか近くに人間が菫色の瞳でじっと我輩を見ていた。
い、いつの間に。
この人間一体いつの間に我輩の傍に…。
く、人間のくせに。人間のくせにやりおる…。
「今日はジェイコブ傍にいないのか…」
ジェイコブとは我輩の虜になっている下僕の名だ。大工のジェイコブだったか。
アイツの持ってくる餌はいつも質が良く、ちょっと撫でるのを許してやったことがある。
許してやったらゴワゴワした手で撫で回し腹を吸ってきたので、我輩の爪で引っ掻いてやった。引っ掻けば人間は懲りるはずだが、ジェイコブは懲りず同じことをするので顔が傷だらけだ。やはり人間は愚か。
そのジェイコブを知っている人間。菫色の目をした雌は、じっと我輩を見上げている。
なんだ。喧嘩を売っているのか。
じっと見てくるので、我輩も警戒してじっと見返す。
見返して、菫色が何者か気付いた。
ここ数年、我輩の縄張りでうろうろしていた人間だ。
野良猫のように人間の軒先に潜り込んで寝ていた人間だ。
いい餌にありつけなかったのだろう。毛並みはいつもボロボロで、手負いの獣のように警戒して歩き回っていた人間。
しかし目の前の菫色は、我輩が記憶していたより毛艶がいい。
手足は相変わらず細いが、身につけている布と毛艶が随分違う。このあたりでは見ない、別の猫の縄張りで見かける人間のようにつるつるした布を身に纏っていた。
…こう、爪で引き裂きたくなる布である。
思わず爪先がうずうずした。
菫色は何も言わず、じっと我輩を見ている。
餌を用意するでもなく、無遠慮に撫でようとするでもない。
ということは、やはり喧嘩だろうか。
爪の用意をした。
「ベルタ、何をしているんです?」
逃げた。
菫色の後ろからひょっこり現れた狐色。我輩は全力でそいつから逃げ出した。
獣の生存本能で逃げた。
いや、これは逃走ではない。生き物として当然の撤退である。
だってあの狐色…よくわからんが…危険だと思った…!!
「逃げた…」
見上げていた猫がいなくなり、ベルタは猫が走り去った後ろ姿を眺めながら呟いた。
このあたりに住み着いている猫で、ベルタはあの白猫をよく目にした。小動物を愛でる人間の姿も同時に目にしていたため、ベルタは思わず猫をじっと見てしまった。
何故って、そこに猫がいたから。
(尊い方々には、私がああ見えているのだろうか…)
似ても似つかないと思うのだが、尊い方々と下々の者では見える角度が違うのかもしれない。
「野良猫と…お話し中でしたか?」
「話せないが?」
その尊い方々の一人。
いつの間にかベルタの婚約者になった侯爵令息のハンネスが、冗談なのか本気なのかわからない声音でそんなことを言う。
ベルタは猫ではないので、猫語はわからない。
わからないし、猫と見つめ合っただけで言葉は交わしていない。
見上げた先で、狐色の目を細めたハンネスが笑っていた。
相変わらずの、胡散臭い笑顔で。
「それよりも…挨拶は終わりましたか? ベルタ、あなたを受け入れて宿を提供してくださった方達へのお礼の挨拶は」
「うん、はい」
頷いたベルタは、しっかり振り返ってハンネスを見上げた。
伯爵家に引き取られたベルタが下宿していた商人街にいるのは、ベルタの世話をしてくれた人達へのお礼を伝えるためだった。
特に直近、世話になっていた下宿先ではベルタが貴族に誘拐されたことが知られていたので、しっかり手土産を持って無事であることを示してきた。
無許可で伯爵令嬢にされてある意味無事ではないが、こうして無事生きているのだ。恩人を安心させるためにも、ベルタは下宿していた店を回っていた。
その付き添いにハンネスが付いてきているのは、ベルタ一人では上手く説明ができないから。
義兄ではなく婚約者が同行しているのは、単純にハンネスがベルタを可愛がりたいからだ。
そんなこと理解できないベルタは、この人暇なのかなと思いながらお礼参り(感謝)をして回っていた。
それも、先程終わった。
「では、戻りましょうか」
笑顔のハンネスが、白い手袋で包まれた手を差し出した。
猫のような目でその手をじっと見詰めたベルタは、数秒何か考えるように固まったが、恐る恐る小さな手を差し出した。
警戒した猫が形を確かめるように、ちょんっとのせられた手。
その手をしっかり握りしめ、ハンネスはベルタを引き寄せた。
「いい子ですね」
そのまま抱き上げられたベルタは、侯爵家の馬車に乗せられて、伯爵家へと帰った。
その間、警戒した猫は警戒した猫のまま。
ピクリとも動かなかった。
我輩が脱兎の如く走り去った先で、毛艶のいい猫が颯爽と路上を歩いているのが見えた。
意気揚々と歩いているが、その後ろから近付いた女が猫を抱き上げて、お家に帰りましょうねと猫なで声を出す。
猫は為す術もなく人間に連れられて一軒家へと消えていった。
その様子を見送って、我輩は菫色の毛艶が良くなっていた理由を察した。
なるほど、野良ではなくなったのだ。
野良猫と家猫の違いは毛並みだ。
満足な食事を提供する直属の下僕を手に入れた猫は、決まった時間に決まった量の餌を得ることができるので毛並みが良くなる。恐らく菫色は直属の下僕を手に入れたのだろう。
納得した我輩は、ごろりと屋根に寝転んだ。
日当たりの良い屋根の上だって、我輩の縄張りだ。雨風は凌げないが、天気のよい日にそんな心配をする必要はない。
屋根のある家や直属の下僕は魅力的だが、質より量。我輩には我輩の手足がたくさんいるので、家猫を妬ましいとは思わない。
我輩は自由を愛する猫である。
一度長い尻尾を揺らして、丸まった身体に絡めて目を閉じた。