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『青の恋歌(マドリガル)』~猫たちの時間11〜  作者: segakiyui
2.三つの河の小譚詩

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3

 ガタッと音を立てて急に車が止まり、高野は話を止めた。運転手に札を渡す。ちらりとこちらを見た相手は、にっ、と唇の端で笑って見せた。

「¡Buen viaje!」

「Gracias. どうぞ、滝様」

「あ、うん」

 さらりとスペイン語(?)で応対した高野に促されて、俺は車を降りた。走り去っていく車を見ながら尋ねる。

「なんて言ったんだ?」

「良い旅を、です。……そうなると良いのですが」

 再び重い憂いを浮かべる。

 その高野と対照的に、街は明るく光を受けていた。

 スペイン首都、マドリッド。

 日差しに刻まれた建物の影がとんでもなく濃い。足元に落ちた影が地面に焼き付けられている。視界を移しても、網膜に物の形が刻み込まれて行く気がする。どこで聞いたのだろう、頭に蘇ったことばに納得する。スペインの影はどこより深い、スペインは光とソル・イ・ソンブラの国なのだ、と。

「こちらです、滝様」

 高野がぼんやりと落ちた影を眺めている俺に声を掛けてきた。

「ああ…すまん。昼間の割には人通りが少ないな。ここはそんなに賑やかなところじゃないのか?」

「いえ…グラン・ビアはマドリッド一の繁華街です。今は昼寝シエスタの時間ですから」

「シエスタ?」

「はい。スペインでは午後1時半~4時半ぐらいまで、ほとんどの店が休みます。日本語では『昼寝』と言う文字を当てることが多いようですね……こちらへ」

 高野が導いた場所は立派な佇まいのホテルだった。

「Sr. Takano」

 鋭い目をした男が親しげに話しかけてくる。高野の早口な問いに、気の毒そうな表情で答える。

「No sé. Aquí está la clave de su habitación.」

「Gracias.……¿Tienes un mensaje para mí?」

「Yo no sé.」

「Muchas gracias.」

 高野は片手に鍵を握りしめて、気怠そうに黒いスーツ姿を運んで来た。

「なんだって?」」

「留守に間に何か連絡がなかったのかと尋ねたのですが、なかったようです」

「周一郎は朝倉家のトップだろ? どうして朝倉財閥を動かさないんだ?」

 エレベーターへ向かう高野に肩を並べながら問いかける。高野は、周囲の重厚な様式にぴったりの憂鬱そうな顔を向けた。

「既に捜させています……けれども、それほどには動けないのです」

「どうして?」

「…坊っちゃまが朝倉家の唯一の後継者だということは、業界の中でも半分ほどしか信じられていません。坊っちゃまが居て、なおかつ、他にブレーンが居る。そう思われているのです。また、それを、私どもとしては逆に利用できていますから、今ここで朝倉家の総力を挙げて捜させますと、坊っちゃまこそが朝倉財閥の要であることがわかってしまい……そうなると、別の意味で坊っちゃまを狙う輩が現れるでしょう」

「ふうん…」

 俺は一般人に生まれて、ほんっとに良かった、うん。

「それに」

 エレベーターの回数は無制限に跳ね上がっていく。高野は憔悴した様子で、エレベーターの壁に体をもたせかけながら続けた。

RETAロッホ・エタが再び活動を始めたのです」

「?」

 俺はきょとんとした。

「それがどうして周一郎失踪と関係があるんだよ?」

 エレベーターがようやく最上階に止まり、高野は首を振ってことばを切った。開いたエレベーターのドアの外に待っていた女が、俺達と入れ替わりに中に入っていく。つばの広い白い帽子で、朱赤の唇が一瞬開いて白い歯を見せた気がして、思わず立ち止まった。

「滝様!」

「えっ、あっはいはい」

「こんな時に、何に見惚れていらっしゃるんですか」

 棘のある高野の目付きに慌てて弁解しようとしたが、高野は見事にそれを無視した。ドアの鍵を開け、部屋に入る高野に続く。

「うわ…」

 部屋は凝ったゴシック風の作りになっていた。広い窓から入り込んだ陽射しは部屋の隅々までを照らし、分厚い敷物を踏んだ高野は、その明るさをことさら避けるように、重厚な椅子に深々と身を沈めた。

「10年前…」

 深く重い声で高野は切り出した。

RETAロッホ・エタがパブロに目をつけたのは、ある情報のためです。……パブロ・レオニは、外国企業と結託し、スペインの地元産業を衰退させようとしている、と」

「え? だけど」

 ボストンバッグを近くのソファに下ろしながら尋ねる。

「朝倉財閥のスペイン進出は極秘だったんだろ? 一体誰が…」

「『それが』坊っちゃまの立てられた『計画』だったんです」

 そのことばが、俺の頭に染み込むのには、なお数秒かかった。

「じゃあ…全部…」

 ようやく絞り出した自分の声が、他人のもののように掠れて遠くから聞こえる。それがなぜか情けなかった。

「はい。『全て』坊っちゃまの計画でした」

 その後の沈黙は、嫌になるほど重かった。

「もっとも、RETAロッホ・エタの方は、なぜ動き出したのか、まだわかっていないのです。もし10年前のことで坊っちゃまを狙ったとしたら、あのような方法を取らなかったでしょうし」

 高野は気を取り直したように続けた。

「あのような方法? カードか!」

「はい。あれは、ローラ様が坊っちゃまのために、お好きな詩をを日本語で書かれて贈ろうとされていたものでした。遺品となりましたが、カードは坊っちゃまの手には渡されず、ただ一人、友人の家にいて無事だったイレーネ様が受け取られたと聞いております」

「イレーネ…レオニか。…や、待てよ!」

 俺がどきりとした。

「だって、え、あのカード、学園祭の時に拾ったぞ? スペインにあるはずのものが、どうして日本にあるんだよ?」

「だからこそ」

 苦い口調で高野は答えた。

「坊っちゃまが来られたのです。あのカードがどうして日本にあったのかを知るために……それに、朝倉財閥の当主としても、それが『何の為に』坊っちゃまの前に現れたのかを確かめておく必要があると仰られて………結果は最悪です」

 ふいに日差しが強くなり、俺は無意識に窓へと首を巡らせた。薄く陽を覆っていた雲が切れたのだろう、青紫がかった空は、眩いまでに光を含んでいる。

 だが、その光が地上に焼き付けているのは、一層濃くなった影の色だけだった。


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