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「けれど、わからないのは」
お由宇の声に我に返る。
「どうして、イレーネはあの2人を殺したのかってことね」
俺は、再び、お由宇から丘の上の十字架に目をやった。
俺達がイレーネの後を追って、セビーリャから南西に下り、ここより少し北にある街で一夜の宿を求め、情報を探った矢先に引っ掛かったのは、その日のシェスタに起こった殺人事件だった。
女1人、男2人、そしてどう見てもまともな連れとは思えないぐったりした青白い顔の少年という奇妙な一行が宿を取り、部屋に落ち着いたのはいいが、夕方、女と少年が宿を出たまま帰らなかった。訝しんだ宿の者が部屋を改めてみると、部屋の中では2人の男が絶命している。飛んで来た医師の検死で毒殺とまではわかったが、女と少年の行方は知れない、とんだ事件もあるものだ、と言う話だった。
「2人の男はレオニの配下、つまり、言わずと知れたRETA……イレーネにとっては味方のはず……いいえ、味方どころか、『青の光景』を手土産に父の汚名を晴らし、RETAに入ろうとしていたイレーネにとって、味方以上の大切な人間だったはず…」
だが、イレーネはRETAに返り咲く機会を自ら断ち切ってまで、周一郎を連れ去った。
『青の光景』を手に入れる為に、イレーネが払ったものは決して少なくない。父と母は昔のこととは言え、幼馴染のアルベーロを死なせ、自らの手で暢子を殺し、そして恐らくは、RETAで約束されていた新しい生活をも失い。が、最後の瞬間、イレーネはそれらの絆を一切捨てて、周一郎を連れて夜に消えた。
「手がかりはここまでよ」
お由宇が振り返った。鋭い目になって、『ランティエ』、上尾、高野を見回し、最後に俺に目を落ち着ける。
「後はこちらが追いつくのが早いか、イレーネが行き着くのが早いか………何れにしても、あの傷じゃ、周一郎君の時間が限られてくる」
「坊っちゃまを死なせるわけには参りません」
高野がきつい声で断じた。
「お捜しします、何としてでも」
「僕も及ばずながら、お手伝いします」
上尾が沈んだ声で続ける。
「まだ、イレーネがそんな事をしているとは信じたくない」
「結構。『青の光景』にもう一目会いたいものです」
『ランティエ』が両手をポケットに入れて歩き出す。
「じゃ、志郎。あなたはここで待っててくれる?」
「っ、俺だって!」
「スペイン語、喋れるようになった?」
「ぐ」
悪かったな! どーせ俺は日本人だよ!
「心配しないで。私もライバルを失う気はないもの、全力を尽くすわ。ここに居て、連絡役をお願い」
お由宇達が四方に散ると、俺はふて腐れて車のシートに埋まり込んだ。
(くそっ!)
『十字架の立つ丘』を睨みつける。いつもこーなんだ。いつも肝心のところで、俺は周一郎の役に立ってやれない。
(だからなのか?)
心の中で問いかける。赤い染みのついたベッドに、周一郎の顔が重なる。
(だから、俺に一言も言わずに行っちまったのか?)
「んなろっ!」
俺は喚いて体を起こし、車を降りた。勢い良く、ドアを叩きつけて閉める。ふんっ、何が連絡役だ! 犬も歩けば棒に当たる。俺だって、刑事の真似事ぐらいは出来るんだ。頭の巡りは良かないが、せめて捜して歩き回るぐらい……。
「べ!!」
歩き出した瞬間、すっと足元を過ぎった白いものにどきりとして、出した右足を引っ込めた。ただ問題は、その時左足も既に地面から浮いていたと言う状況で、俺はもちろんそのまま思い切り、前方に叩きつけられていた。
目の前に星が散る。星だけではなく、カラスも飛んでいく、アホーアホーと鳴きながら。
もう、本当に泣きたい。俺が何をしたってんだ、前世に何をやったから、神様ってのは、ここまで主人の命令に逆らう足をつけてくれたんだ。
(俺が歩けば地面に当たる…)
冗談じゃないっ! んな、しょっちゅう当たってたまるか! 俺だって、一応は25年間、地面の上を歩いて来たわけで、何も最近、地球に来たわけじゃ…。
「に…ゃあ…」
(にゃあ?)
掠れた弱々しい声が足のあたりで聞こえて、俺はむくりと体を起こした。起きる拍子に足に力が入り、同じ声が抗議する。
「にぎゃ!」
「ルトぉ?!」
俺は慌てて、道の端にへたり込んでいる小さな体を抱き上げた。いつも奇跡的につやつやしているはずの青灰色の毛並みはずず黒く汚れ、所々固まってしまっている。額のあたりに黒くこびりついたものは、底に血の赤さを秘め、尻尾や前足などにも傷があった。
「おい……本当にルトか?」
「に…ゃん…」
瞳を上げる、その金色の虹彩にすがるような色があった。そっと出した桃色の舌で俺の指先を舐め、体をすり寄せ、小さく鳴く。
「にゃ……あ…ん…にゃ……にぃ…」
「大丈夫か? お前……ひょっとして、周一郎を追ってたのか?」
「にぃん」
ルトは頷くように顔を上下させると、のろのろと疲れ切ったように『十字架の立つ丘』を見遣った。俺の頭に天啓が閃く。十字架の立つ丘。周一郎がそう書き残しているのに、俺達はどこを捜そうと言うんだ。
「ルト」
呼びかけて、コートの中、胸元にルトの体を入れた。ボタンを上の方まで留め、腰でしっかりベルトを締める。少々走っても落ちないとは思うが、一応手を入れて、その体を支えた。
「あいつの居場所を教えろ」
「にゃ」
ざらついた舌が応じるように指先を舐めた。
「走るぜ、落ちるなよ!」
俺は『十字架の立つ丘』に向かって走り始めた。




