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知識の塔

「勇者様が知識の塔を燃やした! ですと?」

 

 思わず素が出そうになり、なんとか咳払いで誤魔化す白の司教モーリエール。信者達の前では、常に沈着冷静に振舞わなければならない。

 

 幸い周囲の人間は皆狼狽しており、老人の失態に気がついた者はいない。早々に説法を切り上げ、白の塔に戻る。

 

「塔に火を放ったのは勇者様ではなく、一部の博士の仕業のようです」

 

 情報が錯綜している。確かなのは書庫の一部が焼け落ち、貴重な書物が大量に失われたということ。

 

「火はもう消えたのですね?」

 

 知識の塔は彼の管轄ではないが、緊急事態であれば介入もやむ無しだ。いや、勇者が関わっていなければ、嬉々として火事場泥棒に乗り込んだであろう。

 

 先史時代から伝えられた英知の結晶を、一握りの博士達が独占している。知識の塔そのものが人質にされているため、司教といえど容易に干渉できずにいた。

 

「黒の塔の騎士達が乗り込んでいるようです。我々も兵を集めますか?」

 

「いえ、情報だけ集めてください。何が起きてもすぐ動けるように、心の準備だけはしておくのですよ」

 

 既に出遅れた。ならば今動くべきではない。

 黒の塔が仕掛けたにしては手際が悪すぎる。つまりは、連中にとっても予想外の事件だったのだろう。

 

 モーリエールの読みは概ね正解だった。

 ほんの気まぐれで知識の塔に足を踏み入れた勇者須田を、博士達は追い出そうとした。既得権益に守られた連中の、人を人とも思わぬ傲慢な態度。だが、この場合相手が悪かった。勇者須田は相手が誰であろうと、気にくわなければその場で殺してしまう。

 書庫に逃げこんで、貴重な書物を燃やしてしまうぞと脅迫した一部の博士達は、そのまま炎に巻かれて灰になった。

 

 

 

「全部綺麗に燃えちまったなあ。だけど何故か清々しい気分だ」

 

「学者先生達の態度は目に余るものがあったからな。勇者様万歳だ」

 

 焼け跡の警備にあたる黒の騎士団の兵達の間では、勇者の不始末も概ね好評であった。それだけ博士達は人々から嫌われていたのだ。

 

「書庫を燃やすために油や硫黄まで用意してあったとは呆れる」

 

「生き残りがいれば一人残らず捕らえよ。殺してもかまわん。いや、火を放たれる前に殺せ!」

 

 

 知識の塔の基部で、老人はガタガタ震えていた。

 

「どうしてこうなった? 昨日まで我らの頭脳は国の宝であった筈なのに。全てはあの勇者のせいだ。学問の価値を理解せぬ野蛮人め」

 

 馬鹿な兵士など、口先でなんとでも言いくるめられる。そう思っていた。なのに兵達は問答無用で暴力をふるって来る。まるで勇者の狂気が伝染したかのように。

 

「終わらんよ。終わる訳にはいかんのだ。古代の英知は文明的な人間に託さねばならん」

 

 兵達が老人の亡骸を発見した際、傍らにいた一匹の猫に逃げられてしまう。

 

 猫は液体だから仕方ないと誰かが言った。なんにせよ敵の首魁は討ち取ったのだ。その後は祝勝会に突入し、猫の存在は強い酒で綺麗に洗い流されてしまった。

 

 

 

 

 

「揚げ物が食べたい!」

 

 若者には揚げ物が必要だ。僕だって揚げ物は大好きだ。だけど滅多に作ることはない。

 揚げ油が勿体ないとセーラちゃんが言うから。

 確かにこの世界では油は貴重品だ。そしてもっぱら、お金持ちが灯火のために使うようだ。

 

 それならば、廃油をランプの燃料に再利用すればいい。一石二鳥のアイディアだと思ったんだけれど。

 臭かった。灯りを灯すと揚げ物の嫌な匂いが周囲に充満した。

 

「そういえば、天ぷら油をディーゼル燃料に加工して、バスに使ってるとこもあったよ。やっぱり多少の匂いはしたなあ」

 

「石鹸よ! 異世界に来たら石鹸を作らなくちゃ!」

 

 花村が妙な張り切り方をしている。

 

「廃油石鹸ね。異世界じゃなくても意識高い系なら作るけど、あれも匂いはするわよ」

 

 羽山は経験者らしい。そしてやはり臭いらしい。でも問題ない、もっと臭いものを洗えばいいから。干物チームの作業場は、綺麗に後片付けしていても相当に臭い。惜しげもなく使える石鹸があれば重宝するだろう。

 

「作り方は簡単だけど、水酸化ナトリウムが足りないわ。何か強アルカリ性のものが必要」

 

「やっぱり錬金術師が必要ね」

 

「ソルベー法で重曹が作れる」

 

 なんかあったね、そういうの。

 

 羽山がブツブツ言いながら、地面に化学式を書いていく。まさか、覚えているのか? 化学式なんて一夜漬けで覚えて、テストが終われば綺麗に忘れ去るものじゃないか。

 

「ミー君や赤松さんは魔法でドライアイスを作れるから、二酸化炭素は確保できる。問題はアンモニア。ハーバーボッシュ法よねやっぱ」

 

「羽山っち頭いーね。あたしはバケ学は捨てたから」

 

 いや、竹井。お前は全教科捨ててるだろう。

 

「化学は人類の英知だから。私が錬金術師だったらなあ」

 

「いや、それだけの知識があれば、あとは結構なんとかなると思うよ」

 

 アンモニアだったらおなら魔法で抽出できるし。高圧環境が必要なら赤松の結界魔法がある。

 おなら魔法をカミングアウトするのは恥ずかしいので、上手く誤魔化さなきゃだけど。

 

「副産物でいろいろできちゃう。肥料とか、火薬とかも」

 

 まあ、文明ってそんなもんだよね。人類の英知には光と闇の両面がある。

 僕らはただ揚げ物が食べたいだけなのに、そこに至る道は果てしなく長く厳しい。


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― 新着の感想 ―
[良い点] おや、猫…?誰が餌付けするかな。逃げたセンコーとかは勘弁してほしいところ。島では知識を欲する流れだが、さて。 [一言] 貴重な資料の焼失。アレクサンドリア図書館は有名ですね。個人的には斑鳩…
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