ウェルズプロジェクト
「我々は決してメキシコを見捨てない!」
モニターの中で勇ましく演説する大統領。
「USA! USA!」
それを聞いて、興奮して腕を振り回す基地の兵士達。
彼らの多くが市長の映像を見ていた。事件の真相について、薄々感づいている者もいた。
だが、人は信じたい方を信じるのだ。これから死地に飛び込むならなおのことだ。
滑走路から次々に爆装した戦闘機が離陸していく。F16ファイティングファルコン、傑作機ではあるが、デビューは半世紀前のいささか古い機種だ。
レーダーを装備していない敵が相手であれば、高価なステルス機を使う意味が無いという合理的な判断である。誰も口にはしないが、万一撃墜された時の損害を抑えることにもなる。
無誘導の気化爆弾を抱いた四機のF16が作戦の主力である。
ブリーフィングで、敵の弓矢の届かぬ高高度を飛ぶよう注意され、パイロット達は笑ったが、映像を見せられると血の気も失せた。
だが、勝算はある。矢の届かぬ安全な高度から気化爆弾を放り込んでやれば、敵を一網打尽にできるだろう。たとえ炎に耐えられたとしても、生物である以上、周囲の酸素が無くなれば生きてはいけない筈なのだ。
「今のは驚いたが、ドラゴンのブレスに比べれば全然大したことはない」
「亜竜どころか火吹き蛙程の威力も無かったな。耐火の護符を使うのが勿体ないぞ」
領軍の隊長は、気化爆弾による攻撃を挑発又は威嚇と判断した。
「異世界の流儀はわからぬが、ただの嫌がらせではあるまい。おそらくは正式な宣戦布告」
「どうでもいいが、せっかくの戦利品を燃やされてはたまらんわい。弓の達人を呼び寄せるんじゃ」
戦闘機を狙っていた射手達は首を振る。いかに達人といえど、あの高さまでは届かないであろう。何か特別な魔法が必要なのだ。
地方領主は高名な魔法使いを雇えるほど裕福ではない。鬱陶しくても空からの攻撃は耐えるしかなさそうであった。
「気化爆弾が効いていない、だと? 奴ら本当に人間か!」
衛星から送られてくる映像を見て、参謀達は絶句する。
「エイリアンに地球の武器は通用しない。ハリウッド映画じゃ常識だ」
「ファンタジーゲームではレジストファイアってのがある。おそらく炎系の攻撃を無効化できるのだろう」
「ゲームだと? ふざけるな!」
「この世界が実はゲームの世界だという説もある」
「ゲームのルールなら、近代兵器は無効で、剣や素手なら通用するとかじゃないか?」
「君は馬鹿なのかね? 日本のアニメを見過ぎたんだな」
「我々が集団幻覚を見ている可能性は? あるいは単に私が夢を見ているだけかもしれない」
皆ノイローゼ気味だった。無理もない、近代兵器が通用しない敵との戦闘など想定外である。
「やはり、核しかないのか……」
核の使用はメキシコ政府が反対しており、国務省案件だ。万一許可がおりたとしても、果たして効果があるだろうか?
「だから私は、あちらの世界に先制核攻撃すべきだと言ったんだ!」
「待ってください! 緊急連絡! アジア戦線でチャイナが戦術核を使用したようです」
「おおっ! やったか」
有効な対抗手段が確認できれば、この気持ち悪い状況から解放される。核使用のハードルもこれで随分下がるだろう。
だが、東洋よりもたらされた報告は、彼らの期待を裏切るものだった。
「核兵器が効果なし、だと! 有り得ない……奴らは本物のモンスターだ」
「気化爆弾が効かない時点で想定の範囲内だ。だが、放射線を浴びて無事では済むまい? 即死しなかったとしても、被爆すれば放射線障害が残る筈だ」
「詳細なデータが欲しいな。チャイナと情報共有する必要がある。人類全体の危機なんだから、偉い人は配慮してくれないと」
軍人達に言われるまでもなく、偉い人達はとうの昔に動いていた。
その一つが『ウェルズプロジェクト』である。
SFの名作『宇宙戦争』からヒントを得た計画であり、最後の切り札の一つであった。
最近、日本ではワクチン関係銘柄が爆上がりしている。
「ここだけの話、国が備蓄していた天然痘ワクチンを全てアメリカに送ったらしい。おかげで我が社はウハウハだ」
居酒屋で年配のサラリーマン達が密談している。周囲の人間が聞き耳を立てていようとまるで気にしない。気にしないのが普通だからだ。
「外国で天然痘が復活したんですかね? でもいいんですか? 日本人のための備蓄でしょう?」
「そんな備蓄があったなんて誰も覚えちゃいないよ。こっそり新しいのを補充しておけば誰も気づかないさ」
「枯れた技術ですけど、量産ラインを組むのに数か月かかかるでしょ。その間に何かあったら大変じゃないですか。僕らの世代は予防接種してないから不安だなあ」
「そこは君らの頑張り次第じゃないか。特急料金込みで予算は青天井なんだ。ボーナスは期待してくれていい」
「元はと言えば僕らの血税じゃないですか。複雑な気分ですよ」
「金は天下の回りものってことだな。大丈夫だ。俺の経験から言うと、こんな時は何も考えず波に乗っておくのが正解だ。どうせ全て上手くいくに決まってるんだ」
大量の天然痘ワクチンを、誰が何のために必要としているのか? 少し考えれば想像できることだ。
「いいか、余計なことは考えるなよ。馬鹿になれ。考えるのは上の人間の仕事だ。俺達に責任はない、頑張って金稼いで家族を養う。それが俺達の正義だ」
酒というのは便利なものである。酔いつぶれてしまえば、とりあえず面倒事を忘れてしまえる。
男達は黙々とアルコールを胃に流し込む。
「急いで量産にとりかかっても間に合わないんだろうなあ」
米国が他所の国の備蓄にまで手を伸ばしたということは、そういうことだ。
「感染しても必ず死ぬ訳じゃあない。俺達年寄りは無事なんだ。いざという時は看病してやるから安心しろ」
「何余裕かましてるんですか? どうせ天然痘だけってことは無いでしょうよ……まあいいや、死ぬ時は死ぬんだし。こうなったらワクチンは意地でも間に合わせちゃる! ボーナスよろしく」
彼の活躍の結果、何億もの命が救われることになるのだが、歴史にその名が刻まれることは無かったのである。