野村の反乱
「ご覧ください聖女様。この青銅製エンジンの見事な輝きを! そしてお聴きください、ツーストロークエンジンの奏でる爆音を!」
聖女親衛隊筆頭、軍師の野村がシリンダーヘッドを蝋燭であぶり、フライホイールを手で回す。
最初はゴボゴボいっていたエンジンも、野村がコックで燃料を調整すると次第に安定し、勢いよく回り始めた。
バリバリとけたたましい音が鳴り響くと、エンジンなど初めて見た信者達の多くは恐れおののく。
「いかがです? アルコールエンジンの試作機です。こいつはたった二馬力ほどのオモチャですが、すぐに大きいのを作らせます。まずは自動車です。モータリゼーションです。世界が変わりますよ」
得意満面の野村は、聖女鈴木の渋面に気づいていない。
「誰が自動車なんか作れと言いましたか! 私はアルコールで乳児の死亡率を引き下げろと命じた筈です!!」
「ですから、救急車を作ってですね……」
「このバカチンが!! アルコール消毒の徹底に決まってるでしょうが! やるべきは衛生概念の啓蒙であって……何が軍師よ! そんな簡単なこともわからないの? 頭の中身はメロンパンなの?」
「聖女様、お怒りはもっともですが、野村氏も頑張ったことですし、ここは穏便に。この世界におけるエンジンの発明を祝おうではありませんか」
「自動車なんて交通事故の元です! この世界には必要ないものです!」
一度こうなったら聖女は頑固だ。周囲の人間はイエスマンばかりなので、エンジンは悪魔の発明として葬り去られることになった。
やってられないのは野村である。これまで聖女のために粉骨砕身働いて来たというのに。
最近ではそれが当然であるかのように、労いの言葉一つかけられない。
あまつさえ、せっかく心血を注いで作り上げたエンジンを全否定されてしまった。
車好きの野村は、エンジンの構造など熟知しているつもりだったのだが、実際に作ってみると動きすらしなかった。
試行錯誤の末に、シンプルな単気筒の焼き玉エンジンが回った時は嬉しかった。ここから全てが始まるのだと思えた。
魔法のある世界、ゴーレムのような巨大ロボットが普通に空を飛び回っている世界、そんな世界でエンジンがどれだけ役立つかは未知数だが。
アルコールは有り余っているのだから、有効利用すべきなのだ。
アルコールコンロは簡単に真似できるので、贋物が一気に広まったが、エンジンはそうはいかない。素材の質、工作精度はもちろん、知識が無ければ調整すらできない。
上手く扱えば金の卵を産むガチョウになったものを……
「野村の旦那。俺たちゃもうエンジンを作れねえんですかい?」
工房を訪れると、髭もじゃの鍛冶師達が野村を取り囲む。頑固な職人達は、最初は若造の言葉など碌すっぽ聞かず、野村は随分苦労させられたのだ。
それが今ではエンジンの魅力にとりつかれ、野村の語る自動車の未来に夢中になっている。
「あ、ああ……聖女様は鍬や鎌を御望みなんだそうだ」
「そんなあ! やっと馬車を動かせるエンジンが作れるようになったのに」
「エンジンが作れないんじゃ生きてる甲斐もねえ!」
職人達は野村の心情を代弁していた。共に苦しみ共に悩み、一つのことを成し遂げた仲間達だ。
「ああ、私は得難いものを手に入れていたのだな」
「聖女なんて糞くらえだ! 余所行って自動車つくりましょうや。残ってる部品でエンジンの見本をいくつか組み上げて、金持ちの商人に見せれば、なんとかなりますぜ」
心が揺れた。普段なら聖女の悪口など許しはしないのだが、むしろ痛快だった。
自分はなんでまた、あんなくだらない女に従っていたんだろう。
「風の噂ですが、北の海に空飛ぶ島が来ているらしいです。酒はうまいし、飯も最高な楽園で、腕のいい職人には金払いもいいってんで」
空飛ぶ島? だと?
「その島の名前は聞いたか?」
「あ、ハイ。たしか、らぴゅた? とかなんとか」
ラピュタだと? 絶対にクラスメイトの誰かだろう。
そういえば、生産職だった連中が、いつの間にかごっそりいなくなっていた。
野村は考えた。自分達の宗教ごっこに何の意味があった? ただ聖女の力を宣伝していただけだ。
自分のやりたいことは、違う!
やると決めたら、野村の行動は迅速だった。
聖女鈴木が気づいた時には、大勢の職人と共に姿をくらませていた。
教団の資産もごっそり持ち逃げしていたのだが、資産の管理は野村に一任されていたので気づいた者はいなかった。
「キーッ! これは裏切りだわ! 反乱よ! 反逆者野村を捕らえるのです!! 生死は問わないわ!」
信頼していた部下の離反に、聖女鈴木は激怒した。
だが、冷静になって考えれば、野村が裏切ったのなら他の誰もが裏切る可能性がある。
この日を境に、聖女は誰も信じられなくなっていくのだった。