第二の刺客
この世界では、塩が結構高価らしい。
そして現在塩の価格が高騰中。大量に出回ったシカ肉を、皆が塩漬けにしたから? どうなんだろうね。
そんなわけで、僕はジットルデ婆さんの塩釜でこき使われている。
海水を煮詰めれば塩ができる。火魔法を使えば薪が節約できる。おなら魔法があればメタンガスを燃やせるから、塩が大量生産できる。
問題があるとすれば、ジットルデ婆さんがとても意地悪なことだ。オーリィさんの前ではニコニコしているのになあ。
ただのちっぽけで皺くちゃの婆さんなのに、大の男共が本気で怖がっている。僕も含めてね。
逆らえばマシンガンのように言葉の暴力が飛んでくる。
早いとこノルマをこなして解放されたい。そもそも海水をいきなり煮詰めるから効率が悪いんだ。せめて塩田か何かで塩分濃度を上げる方法を思いついてよ。
近所の子供達は、太陽で熱く焼けた石に海水をたらして、塩の結晶を成長させて遊んだりもしている。
科学的思考の萌芽はあるんだ。婆さんが子供の遊びだと相手にもしないだけだ。
メタンガス製造機として生きる毎日。理不尽な仕打ちを受けているのは僕だけじゃない。婆さんのお気に入りの数人以外は、動けなくなるまでこき使われている。日暮れ前には終わる港湾労働より辛い仕事だ。
せっかく持って来たシカ肉も、婆さんと取り巻き達だけが食べている。僕らは一日一個の丸イモだけだ。船に乗っていた時は酷い扱いだと思っていたけれど、あの時より酷いよ。
「お前達なんかにゃ丸イモだって勿体ないんだよ。毎日ちゃんと食わせてもらえるだけでもここは天国だろう? 慈悲深いあたしに感謝しな」
世紀末の帝王みたいな婆さんだ。だが救世主は突然現れた。
ボロボロの道着みたいなのを着たその男は、高い柵をひょいと飛び越え、塩釜の並ぶ釜場にズカズカと入り込んできた。
あー、クラスメイトの小野君だ。不良じゃないけどちょい悪気取りの電波系だ。
「なんだこの汚いゴミは! 勝手にあたしの工場に入ってくんじゃないよ! 死にたくなきゃとっととヒギャッ!!」
取り巻きを引き連れたジットルデ婆さんが小野君に突っかかって行くも、いきなりヤクザキックで吹き飛ばされてしまう。
そりゃあ、喧嘩っ早い奴に喧嘩を売ればそうなるだろう。特に彼は弱い相手には容赦ないんだ。生意気な小学生相手に一切手加減せず喧嘩して。一週間ほど停学になっていた。
蹴られたジットルデさんを見て、暴力はいけないことなのに、ちょっとスカッとしてしまったのは秘密だ。
取り巻き達は蜘蛛の子を散らすように逃げていく。婆さんをほっといていいのか? 多分死んではいない筈だ。
「なんだあ? 口だけか? 根性ない連中だなあ」
小野君は頭をボリボリかきながら僕の方へ近づいてくる。
「釜にゴミが入るだろう。不衛生な格好でここに入っちゃ駄目だよ」
「ああ、なんだあ? そういうことか。ワリイワリイ、俺はてっきり喧嘩売られたと思ったからよ。ワハハ」
小野君は笑いながら表に出ていく。ちゃんと説明してやれば、意外に話が通じるんだよな。異世界に来ても相変わらず変なキャラだ。僕も急いで後を追う。やっぱり戦いになるんだろうか。
「久しぶりだな三井寺。小川を殺したんだって?」
ああ、そうそう、パシリ君の名前は小川だった。やっと思い出せてスッキリしたよ。
「彼は怨念にとり殺された。自業自得だけれど、救えなかったのは申し訳なく思っているよ」
「ナマ言うじゃないか。大した悪党だぜテメエはよお、自分のジョブを偽装してたんだろ。オナラ使いだって? 見事に騙してくれたよなあ」
いや、本当におならだよ。おならマスターだけどね。
「まあいいや。小川は喧嘩も碌にしたことないただのザコだし。派手な鎧をもらって油断してたんだろ? けどな、仲間を殺しちまうのは俺的にNGだよなあ」
確かに仲間を殺すのは悪いことだ。でも、殺されそうになったのは僕の方だ。反省はしているけど後悔はしていない。
「僕を殺しに来たの?」
「たりめえだろ、テメエは仲間を手にかけた。もう仲間じゃねえ。だったら殺してもかまわねえよなあ。三段論法成立っと」
「それ三段論法違うし」
「グチグチ言ってんじゃねえよっ! 男だったら拳で語れやあっ!!」
いきなり殴りかかって来る。拳にエフェクトが出ているし、武闘家か何かかな。
咄嗟に握りっ屁で受ける。おならインパクトだ。メタンと酸素の混合気をおならコントロールで小爆発させる。デスナイトの鎧を破壊した技を、さらに洗練してみた。
肛門強化の効果で僕の手に爆発のダメージはない。そしておならインパクトを効果的に使えば、僕の全身が肛門と化す。
「やっぱりな。テメエも武闘家系だったか。アーマー系は武闘家に弱い。そして武闘家最強の上級ジョブが拳闘士だ。つまりこの俺だ。テメエは俺には絶対勝てねえんだよ!」
いや、勝負ってそんなものじゃないから。格ゲーだって強キャラ使っても負けまくる人はいるよ。
「しねえっ! オラオラオラァ!」
繰り出される拳の乱打を、全ておならインパクトで相殺する。意外に簡単だ。だって、殴るモーションは一度腕を引いてから再び加速しなければならないが、おならインパクトはただ手の位置を動かすだけでいい。
フェイントを混ぜてきているけど、それも全て爆発で跳ね返す。三次元の当たり判定は結構広いから。わりと適当でもヒットするよ。
「なんだよそれ? 気功かよ! ズルいぞ!」
自分勝手だなあ。
別に相手の土俵で付き合うこともないんだけどな。火炎放射で炙ればすぐにかたが付く。
それでも、拳で語ろうなんて言うから、ちょっと期待しちゃうじゃないか。
足技まで繰り出してきたので、面倒になって大型のおならインパクトで体ごと吹き飛ばしてやる。
肛門強化でダメージは受けなくても、反動は大きい。できるだけ相手の近くで爆発を起こすのがコツだな。
「くそっ! 気功の遠当てかっ!! エフェクトが見えないとか、お前本当に気功士かよっ!」
気功士なんてジョブもあるのか。カンフー技とか使うのかな?
「僕が何故拳闘士殺しと呼ばれているのか教えてあげましょう。それはこの見えない気功。拳闘士の全ての技を、発動する前にやわらかーく包み込んでしまうのです」
適当なことを言って脅してみる。諦めて逃げ帰ってくれないだろうか。
「拳闘士殺しだとっ! ひっ、卑怯なっ」
「だから諦めて帰ってよ。僕を倒したことにすればいいじゃないか」
「人探しの魔法を使える奴がいるんだよ。手ぶらで戻れば俺が殺されちまう」
なんだよ、小野君も使いっぱしりなんじゃないか。
「人探しの魔法ってどういうの? 誰でも探せるのかな?」
「名前を知っていて、直接顔を見たことがあればいいって聞いた。だいたいの居場所がわかるから、小さい村じゃ虱潰しに探せばすぐに見つかる」
「なら大きい町に隠れればいいんじゃない?」
「金がねえよ。あるならくれよ」
図々しく手を差し出して来る。
「僕だってお金はないよ」
ポケットを探すが、以前港で稼いだ銅貨が数枚あるくらいだ。
「ばあか、油断しやがって。捕まえてしまえば気功は使えねえよなあ。俺はクラスで一番レベルが高いんだよお。力なんて300超えだぜえ。300だよ300。どうだ? 怖いか? このまま背骨をへし折ってやる」
ベアハッグされてしまった。隙を見せたらこうなるかもとちょっと思ったけど、まさか本当にするとはねえ。
力が300あれば強いのか、いいことを聞いた。最近はレベルが上がり過ぎて、ステータスはただの数字になっていたからね。
ちょうどいい、彼には手加減の練習に付き合ってもらおう。
「やれやれ、増長しちゃったおバカさんにはお仕置きが必要みたいですね」
僕も強引に抱き返して、ベアハッグの体勢に持っていく。
「なんだよこの出鱈目な力は! もしかしてお前、俺よりレベル高いのか?」
「さあどうでしょうね。安心してください、ギブアップしても許してあげませんから」
少し怖がらせてから許してあげるよ。乱暴な言葉で脅すのは違うと思うから、わざと丁寧な口調を心がける。
「チクショー! 放せ! 痛いだろうが!」
嘘をついてるね。まだどこも壊れちゃいない。徐々に力をいれていく。どうせレベルアップすれば治るんだから、再起不能の一歩手前くらいなら大丈夫だろう。
「痛い痛い! 死ぬ! 死ぬ!」
「大丈夫ですよ、まだどこも壊れてはいません。背骨が折れる前には止めてあげますから安心してください」
中途半端なところで止めたら、彼の性格だと八つ当たりで弱いものに暴力を振るいそうだからね。
一度弱者の立場からこの世界を見た方がいいかもしれない。
でも戦えないくらい痛めつけたら盗賊に狩られてしまうからなあ。すさんだ世界で思いやりや優しさなんかが育まれるだろうか? この世界は教育上よくないよ。
僕達は未成年だけれど、中世基準じゃ立派な大人だ。行動にはダイレクトに責任が伴う。罪には罰を。そして軽微な犯罪以外は死罪だ。犯罪奴隷を労働させるにも監視役が必要だしね。軍船の漕ぎ手くらいしか需要がないそうだ。
やっぱり殺しちゃうのがいいんだろうけれど、それはつまりクラスメイト達との全面対決だ。あれ? 状況は今と変わらなくない?
「ひゅう ひゅう タスケテ」
おっと、考え事をしていたら小野君が虫の息だ。このくらいで止めておこう。
「悪いことをした時はどうすればいいんですか? そんなことも知らないおバカさんにはまだまだお仕置きが必要ですねえ」
「ごめんなさい もうしません ボクが悪かったです」
本心からの言葉みたいだけれど、どうせ喉元過ぎれば忘れちゃうんだろうな。まあその時はその時だ。
「よく言えました。次やったらお仕置きはもう少し痛くしますからね」
「もうしません、もうしません、もうしません」
そっと寝かせてやっても震えてうずくまっている。あれ? やり過ぎた?
「この悪たれが! よくもこのあたしを蹴ったね!! 殺してやる! 殺してやる!」
一件落着かと思ったのに、ジットルデ婆さんがしゃしゃり出て来てしまう。麺棒で小野君を打ち据えている。
ダメージはほぼ入っていないけれど、無抵抗の人間を一方的に攻撃するのはやっぱり良くないよね。
「ジットルデさんもそこまでです。彼も反省しているので許してやりましょうよ」
「あたしに指図するんじゃないよ生意気な小僧が! このあたしの高貴な顔に泥を塗った奴は、万死に値するんだよ!!」
「なら好きなだけ二人で戦ってください。僕はもう手出ししませんから」
そう言ったら小野君がむくりと立ち上がった。婆さんは慌てて僕の背後に回る。
「まだ動きよる! 殺せ! 命令だよ! こいつを殺しちまいな!」
「どうやらあなたにもお仕置きが必要のようですね」
お仕置きと聞くと小野君はビクリとして、慌てて逃げて行った。
「まんまと逃げられおって! この愚かもんがあっ!」
婆さんが棒で打ちかかってきたので、軽く指で弾くとへし折れた。
興奮していると力加減が難しいんだよ。常に冷静沈着でいないとね。
「ひいっ! バケモノめ! あたしに手を出したらお嬢様が黙っちゃいないよっ!」
「そうですね。あなたのことでオーリィさんとゆっくり話をする必要がありそうです」
ジットルデさんは何か意味があって意地悪をしていたんだと思っていたけれど、どうやら僕が深読みし過ぎていたようだ。
だって、洋画の鬼軍曹とか、新兵を鍛えるためにわざと嫌われ役に徹するじゃない?
僕が相談すると、オーリィさんは凄く驚いていた。ジットルデさんは偉い人達の前では優しい老婦人を完璧に演じていたようだ。
調査が入ると、ジットルデさんはただの意地悪婆さんではなく、塩の売り上げの半分以上を横領していたことが判明。泣き叫んで慈悲を乞う婆さんを、物理的に首にしたオーリィさんはしばらく落ち込んでいた。
一罰百戒、厳しい罰を与えなければ、皆が罪を犯すようになるだろう。性善説に頼れば正直者ほど馬鹿を見るのは皮肉だね。
異世界で人を使うって難しいんだねえ。ジットルデさんのインパクトが強すぎて、小野君のことなんてわりとどうでも良くなってしまったよ。