異世界スピリッツ
「あなたはかなり酒に詳しいそうですね。この蒸留酒の出来はどうですかな? 率直な意見が聞きたいのですが」
アキヤマに呼び出されて、おっかなびっくり新築された工場を訪れた元伯爵の13号。
錬金術師の使うような、不思議な形の釜を見て仰天した。
簡素だが極めて正確に仕上げられた重厚なテーブル。彼の前に置かれたガラスの盃には、水のような透明な液体が半分程。これが酒なのだろうか?
「私などでお役に立てるのでしたら、喜んで」
この島で13号は謙遜することを覚えた。全知全能のラピュタ人の前では、大貴族も貧民も等しく価値がない。無知で無力な存在でしかなかった。
今更貴族の誇りなど、欠片も残ってはいないが、酒への情熱は変わらない。
アキヤマが醸造したジャガイモの濁り酒は、庶民が飲むような酒ではあるが、独特の風味があってなんとも旨かった。
元々ジャガイモは美味しいイモなのだ。天界の食物なのだから当然だ。
ふかしただけのじゃがバターですら、宮廷料理を超えている。切って揚げただけのフライドポテトやポテトチップスなども、魔性の美味だ。
クボが作る数々のジャガイモ料理は夢のような味がする。ああ、昨夜のポテトグラタンも素晴らしかった。キツネ色に焦がされたチーズとジャガイモの完璧なことと言ったら!
元貴族も、元水兵も、ポテトグラタンのためなら迷わず死ねると思った。
おまけにポテトグラタンは酒にも良く合う。最近振舞われるようになった木の椀一杯のジャガイモのにごり酒を痛飲し、暖かなベッドで深い眠りについた。
早寝早起きの規則正しい生活。日々の労働の充実感。神官どもから聞いていた話とは違うが、ここは天国なのではなかろうか?
盃を手に取り、まずは香りを確認する。
確かに強い酒の匂いだ。微かにジャガイモの匂いもする。
濁り酒では雑味を帯びた甘い香りであったが、これは単調で、尖った感じだ。
少しだけ口に含み、舌の上で転がす。
最初、味がなくて驚いた。一瞬遅れて舌を焼くような刺激。
「確かにこれは酒だ。いや、酒なのか? 私が知る酒とはあまりにも違う。ああ、これが錬金術師の作ると言う酒か?」
ブツブツ独り言を言い始める13号。
「やはり蒸留酒は、この世界では一般的じゃないんですか?」
「失礼いたしました。恥ずかしながら私の知る酒とは違い過ぎて、なんと言って良いやら」
「遠慮せず正直に言ってください。そのために酒の味がわかるあなたを呼んだのですから」
「お、畏れながら。私は夕飯に出される濁り酒の方が好みでございます」
「そうか、やっぱりそうだよねえ。私もここまで味がないとは思わなかったよ。居酒屋で飲んだアクアビットはちゃんと味がしたんだがなあ。やっぱり熟成させるんだろうか?」
13号にはラピュタ人の言葉の意味は半分も理解できない。ただ、アキヤマが醸造家でないのは確かなようだ。
全知全能かと思われたラピュタ人にも、できないことはあるようだ。だが、逆に考えれば素人がこれだけの酒を造ってしまったということでもある。とても人間業ではない。やはりラピュタ人には逆らえぬ。
「差し出がましいようですが、上物の葡萄酒などは長期間樽で熟成させまする。職人の腕が良ければ、腐らせることなく味に深みが増し、時がたつほどに極上の酒となりまする」
「まあ、やっぱ熟成だよねえ。とりあえず樽と壺で仕込んでみようか。度数を上げまくれば、確か百年経っても大丈夫な筈だしな。いっそ三百年物を狙ってみるか」
やはりラピュタ人はおかしいと13号は思う。天界の人間は不老不死なのだろうか? 地上の人間の寿命は、せいぜい五十年。王侯貴族であれば、八十程まで生きる者もいるが、庶民は三十にもなれば、枯れ木のように老いさらばえて死んでいく。
かつて大貴族であった彼は、それを不公平だと思うことはなかった。だが今はどうだ? 羨望? 嫉妬?
「ああそうか。ライムや塩で飲んでみよう」
アキヤマは虚空から緑色の果実を取り出し、二つに切ると、果汁を盃に注いであおる。
「ああ、これなら悪くないかも」
13号の盃にも果汁が注がれる。鮮烈な果実の香りが立ち昇る、
「こ! これは!」
僅か数滴の果汁で、酒の味が劇的に変化していた。
喉を焼く未知の刺激がたまらない! これは、癖になりそうだ!!
空になった盃を、名残惜しそうに見る13号。
「どうやら気に入ってくれたみたいだね」
「はいっ! この酒のためなら、もっともっと働けます! ここは天国です。働けば働いただけ暮らしが豊かになっていきます」
人間の世界では、努力が報われることなど稀だ。貴族ですら運命の悪戯で容易に没落していく。
自分は砂上の楼閣で踊る道化だった。あそこは地獄だ。気がついてしまえば、なんとしてでも戻りたくない。
「あー。まあ、頑張ってくれたまえ。君達は大切な労働力だ。困ったことがあれば何でも言うといい」
アキヤマは13号に蒸留の作業を手伝わせることにした。腕力という点では元水兵に遠く及ばないが、頭は悪くない。読み書きや計算ができるという点も評価されたようだ。
「まったく、このガスコンロという魔道具は素晴らしいですなあ。薪を燃やす必要もなく、炎を自在に操れるとは。このガスボンベとやらに魔力が込められておるのですかな?」
「ああ、ボンベの取り扱いには注意してね。壊すと爆発するから」
「わかっておりまする。ミー様が魔力を補充すると、中のチャプチャプの量が増えるのですな。つまり、魔力とは液体」
「いや、魔力じゃなく液化メタンで……ん? メタン? あ、そうか! そういうことだったのか!!」
何かに気づいたアキヤマは、顔を赤くしたり青くしたりしていた。
13号は気にすることなく、作業を続ける。ラピュタ人の奇行にも慣れた。理解できないものは、ただそういうものだと受け入れるだけだ。
13号の頭の中は、今夜のアクアビットをどんなフレーバーで楽しむかということだけ。
塩も悪くないが、やはり緑の果実が最高なのである。