贅沢聖女
「フフフ」
勇者須田はご機嫌だった。鼻歌を歌いながら地図に書き込みをしている。主人公が勇者となって魔王と戦う、有名なRPGのBGMだ。
立派な机に広げられた大きな地図は、この世界のものにしてはかなり正確なものだ。軍事機密扱いされる程度には。
地図に描かれた二つの大陸。一つは人間の土地で、空白の多いもう一つの大陸には魔族が住んでいる。
大洋によって隔てられているが、北の端では二つの大陸はかなり近づき、空を飛べる聖鎧であれば島伝いに行き来が可能だ。
「補給を考えれば船で輸送すべきだろうが、年間を通じて海は荒れているのか。ならば現地調達だな。前近代的で気に入らないが、なあに、所詮は中世世界じゃないか」
最近は毎日のように、こうして魔王を倒す計画を練っている。実際に倒してしまえば勇者の物語は終わってしまうだろう。いろいろ考えている間が一番楽しいのだ。
「失礼します、勇者様」
入って来たのは黒の司教。今や勇者に目通りできる数少ない人間である。並みの胆力では勇者の威圧によって口もきけなくなるのだ。
「うむ、何か用か」
「は、本日は、その、予算の問題でありまして」
「また金の話か。遠征軍の編成には金はかかるだろうが、敵から奪えば元は取れる。大陸一つ丸ごと略奪するのだ。得られる富は計り知れんぞ」
「はあ、それはもう。勇者様の言葉を疑う訳ではありませんが。別件であります」
「別件?」
「聖女様がたが、その、贅沢をなさいまして。国庫が傾く勢いであります。遠征軍どころではございませんぞ」
「それは初耳だ。あの聖女は馬鹿ではない。質素倹約を心がけていると言っていたが? 前に会った時は地味な格好をしていたのだがな」
「衣装や宝石でしたら、どんなに贅沢をされてもかまわんのです。この聖都にはいくらでもございます。あの方達は、黄金より貴重な砂糖や茶葉、香辛料などを、湯水のごとく使われるのです」
勇者須田もそれは同じなのであるが、司教はあえてそこには触れない。
「砂糖がそこまで高価なのも中世クオリティだな。あんなものはサトウキビを栽培すれば、いくらでも手に入るのだ。この辺は気温が低いから、砂糖ダイコンか?」
「それぞれの産地では随分安いのですが、何分、海路を遥々運んで来るものでして。沈む船も後を絶ちません。どうしても高価にならざるを得んのです」
「船か。遠征でもそこがネックだよなあ。鉄の船でも建造するか? いや、そういえば魔法の道があるじゃないか。どんな遠い場所へも一瞬で行けるぞ」
「ああいったものは、失われた技術でして。我々の博士達では、せいぜいが今あるものの簡単な修理程度しかできませぬ。新たに作ることは不可能なのです」
「使えない奴らだな。そうだ! 航空便だ! 聖鎧を使って運ばせればいい。黄金より高価なんだろう? 騎士団が儲かるぞ」
「騎士が運び屋の真似事をするなど……」
「輜重は軍の要だぞ、知らんのか? 長距離飛行のいい訓練にもなるだろう?」
「武人の誇り、矜持というものがございます。どうか、どうかご理解ください」
だが、勇者は鼻で笑う。
「聖鎧なんて言っても、あんなものは空を飛べるだけの大きい的だよ。誇りだのなんだの言いたいなら強くなきゃねえ」
武闘派の黒の司教にとってはこれ以上ない屈辱。だが、勇者の力の前には、聖鎧を百や二百揃えたところで時間稼ぎにもならないのも事実。
「わかり、ました。検討いたします」
「ああ、検討するって、何もしないってことだって誰かが言ってたなあ。舐めた真似をするなら殺すよ。神罰って言うのはさ、都市一つ丸ごと滅ぼしたり良くあるんだよ。連帯責任? 金のことでケチ臭いこと言ってる大商人達にも良く言っておけ。生きていられるだけでも有難いことなんだって」
司教は震えが止まらない。自分の命だけならまだしも、聖都を滅ぼす? まるで神話の物語ではないか?
目の前にいる軽薄そうな若者は……やはり本物なのだ。
決して逆らってはいけない存在だ。増税でも何でもして乗り切らなければならぬ。配下の聖鎧には運び屋でも何でもさせよう。
一ついいことがある。勇者に従っている間は、敵対する者達を勇者が排除してくれる。都市規模の巨大災害にならぬよう手綱をとる必要はあるが。
『マンダラゲ商会は何をしている? 何故来なくなった? まさか、あの者達は勇者の危険性を知っていたのか?』
彼自身も危険性には気づいていた。だが、御せると考えてしまった。今となってはもう遅い。聖都の破滅を救うため、行けるところまで行くしかないのだ。