めぐり逢い無宿人
場末の酒場。すえた匂いが充満する古ぼけた掘っ立て小屋だ。
一時期世間を騒がせた盗賊の大反乱も、ここには関係ない。一旗揚げようと流れて行った者達もいれば、余所から新しく流れ込んできた連中もいる。
ゆっくり流れるドブの水と同じで、社会の底辺を這いずる人々は、顔ぶれが変ろうと大して違いはない。
酒場の店主にとって大事なのは、客が何枚銅貨を持っているか、それだけだった。
ガタイのいい若者であれば、一文無しでも飲み食いさせて、鉱山送りにする。働けそうにない年寄りは、面倒なので叩き出す。そのための用心棒も雇っている。
「あの、前払い、いいですか?」
毛色の違う客に、店内の酔っ払い達が目を向ける。オドオドした態度の、まだ若い男だ。
いいカモが来た、とは思わない。ベテランの追い剥ぎなら、若者が身にまとっている狂気の影を見逃さない。
「ありゃあ、駄目だな」
「ああ、人を殺してる。一人や二人じゃねえな」
「下手に脅すと何するかわかんね。割に合わん」
酔っ払い達は若者を見なかったことにして、酒盛りを続ける。
「前払いは大歓迎だが。あんたよその国の人かい?」
「はい。戦乱を逃れてこの国の知り合いを頼って来ました。生憎と手持ちがこういうのしかないんですが」
若者が差し出したのは、紙に包んだ縫い針だった。様々な太さのものが十本ほど。錆び一つなく輝いている。
「まあ、いいだろう。うちはエールと丸イモのスープしかないがな。トカゲの丸焼きもつけてやる」
縫い針一本でもお釣りがくる。明らかにボッタくりだが、若者は文句も言わず席に着く。
ほとんど塩味もしない、茹でただけの丸イモを、無表情に咀嚼し、機械的に呑み込んでいく。ただ飢えを満たすだけの食事。
「トカゲとは豪勢だねえ。俺にも奢ってくれよ」
ふらりと壁の隅から立ち上がったのは、ボロボロの鎧を着た兵士崩れのような男。この酒場の用心棒だった。
若者は、ドロリと濁ったエールの茶碗と、消し炭のようになったトカゲの皿を、男の顔も見ずに押しやる。
「久しぶりに再会したクラスメイトに、随分冷たいじゃないか。俺だよ俺」
「え? 誰? 柴田君?」
「有田、お前ってハズレジョブじゃなかったか? なんでこんな所にいんだよ?」
「そういう柴田君こそなんで? ダンジョンで修業してるんじゃなかったの?」
「お前なあ、質問に質問で返すなよ、失礼だぞ。ははあ、お前、追われてるんだろ。この辺りは人探しの魔法が無効化される不思議地域だからな。バミューダトライアングル的な?」
「え、そうなの? 歩いて旅をしてたら、わりと必然的にこの店で食事することになると思うんだけど。街道沿いなのに食堂が少なすぎるよ。そうか、柴田君は追われてるんだね。そういえばそんな話を聞いたかもしれない」
「お、お前なあ。チクるなら殺すからな」
「迂闊に殺すとか言わない方がいいよ。こっちも殺すしかなくなるからね」
有田に冷たい目を向けられて、柴田は震えあがる。こいつ、アークナイトである俺より強い?
「ほ、本当に殺すわけないじゃないか。俺達クラスメイトだろ。あ、そうだ。おなら男の三井寺にも会ったぜ。あいつハズレジョブでよ、ちょっとカツアゲしたらビビりやがった。ジョークなのにな」
「三井寺君が生きていましたか、それは凄い。彼とは敵対しないようにしなければ」
「何言ってんだ? ハズレのオナラ野郎だぜ?」
「何のチートも与えられずに、それでも生き延びたとしたら? こっちのお金を持ってたんですよね、彼」
「運が良かったんだろ? 財布を拾ったとか?」
有田はため息をつく。こいつは駄目な奴だと悟ったのだ。協力できるなら、仲間にすることも考えたのだが。
食事を終えて立ち去る有田を、柴田は店の外まで追いかける。
「考えたんだ。やっぱり有り金半分貸してくれないか? 出世払いで返すからさ」
「それは、脅しですか?」
「殺しはしないさ、約束する。ハッタリ野郎にちょっとお灸をすえるだけさ」
ザラリと刃こぼれだらけの剣を抜き放つ。
「まあ、いいでしょう。それなら僕も殺さない程度にね」
突然、柴田の背骨を激痛が駆け抜ける。うずくまり、身もだえる。
「何を! 痛い痛い!!」
魔法を使おうとするが、あまりの痛みに集中できない。
今なら子供でも、地を這うことしかできない柴田を殺せるだろう。
有田はそのまま遠ざかって行った。
『腎臓結石を引き剥がす魔法は使えますね。治療行為なので、感謝してくださいね柴田君』
やっていることは、カルシウムの結石を少し引っ張るだけ。他人の人体への干渉は弾かれ易いけれど、何故かこの魔法は失敗しない。
欠点は、敵に結石がないと使えないことだが、不摂生な生活を送っていれば石の一つくらいあるものだ。
あの激痛は自身で試して思い知っている。殺傷能力こそないが、治安の良くない場所で寝転がっていれば、碌な目にあわないのは確かだ。
『三井寺君か。金を持ってるなら、一度会っておきたいな』
有田は今でも自分は被害者だと思っている。錬金術に善も悪もない。ただ、やりたい放題やらせてくれるパトロンが欲しかった。