7. 流れ桜見
数年ぶりに見る桜はぼんやりと白く、日本だなあと独り言をつぶいた私は窓の下を覗き、ビールを呷る。
海外にも桜が植えてあるところはあるらしい。
ワシントンD.C.が有名とのことだが、私は見たことはない。
転々と途上国を回り、年々余生を短くしていく私の人生の中で、あと何度桜を見れるのだろう。
そう思いながら、缶の中身を空ける。
数年ぶりに帰ってきた本社では、人事部付の待機ポストに3か月いたけれど、その間、私を戦力として欲しいといってくれる部署は現れなかったようだった。
そりゃそうだ。
赴任中に社内不倫してたパワハラ・セクハラ上司どもをダース単位で告発してしまった20代の若手なんて、いくら実績があると言えども欲しい部署なんてないだろう。
リモート勤務のおかげで、これまで会議室の片隅でこそこそと行われていたハラスメントを記録に残せるようになった。
あとは、私みたいな空気の読めない誰かが、それを声高に叫べばいいだけだったのだ。
20代の小娘がガタガタ言っているだけだと思った上長たちは、最初それを黙殺しようとした。
ただ、どういうわけか、社内不倫の話を入り口に、大手のビジネス誌がうちの会社の内情を記事にしたせいで、ワンマン経営の中小企業と言えども取引先への体裁上、マネージャー連中を何人か処分しないわけにはいかなくなった。
週刊誌のように下品なことこそ書いていないものの、社内不倫の関係から誰と誰がどういう関係だと推察されて、その結果社内のシニアマネジメントのポストの流れがこうなっていて、契約とお金がどう流れていると推察される、なんて根も葉もない話もそこには含まれていた。
契約とお金の話は事実無根だったので、プレスリリースを出してきっちり反論したけれども、それができなければ取引先から訴えられかねない内容だった。
それをきっかけに契約を打ち切られて、会社が潰れてもおかしくなかったと考える経営層もいるとかで、私の解雇もまじめに検討されたらしい。
赴任中の数年間の私の実績と、今ここで私を解雇すると社外で私が何を言い出すかわからないという判断とがなければ、私は今頃路頭に迷っていたはずである。
もしくは、背任で起訴されていたか?
たかが社内不倫を告発した程度で?
実際のところはよくわからないが、結果として、四半期の会計処理のせいで寝不足で過ごしていた年末に辞令が出て、年明けすぐに帰国になった。
その後、私を待っていたのは人事部付の待機ポストだ。
自宅で定時にPCを立ち上げ、リモートで出退勤の報告をするだけの日々。
そのままもう2カ月半になり、年度が終わろうとしている。
そうこうしているうちに、もう桜も咲いてしまった。
昨日人事部の後輩からメールが来ていた。
私の次の配属先も海外赴任で、出張所の所長心得になるのだそうだ。
平成も終わったと言うのに、心得って。
何とも言えない組織の古臭さに辟易しながら、返信しようかどうか迷う。
出張所というのは、つまり一人で拠点を立ち上げて、販売網を作り上げて、その後商品がちゃんと売り先に届くためのロジも担当しろと、そういうことだろう。
まだ30にもなっていないというのに、途上国の販路開拓ならあいつ、という評価にでもなっているのだろうか?
ないしは、そんな仕事くらいしか安心して任せられないと思われているのだろうか?
昭和の時代なら、流刑扱いされる待遇だろう。
人事の規定に違反して、10年途上国に行きっぱなしだった人の話が確かあったはずだ。
自分もこの先、どれだけこの組織に貢献しても、ずっとそんな扱いなのだろう。
人事部の後輩は月に一回、私と一緒に飲んでくれる。
金曜の夜に私たちは会社から遠く離れた場所で、カウンターに並んで座り、酒を飲む。
私はビール、彼はウーロンハイとか、ハイボールとかそういうのを飲む。
「先輩みたいに仕事ができる人で、僕ら若手のために体を張ってくれる人がこんな扱いなんて絶対間違っています。」
赤ちょうちんとか、キタナシュランとか、そんな風に呼ばれるのが適当なお店で、顔を赤くした彼は吐き捨てるように言う。
この間、上野で飲んだ時のことだ。
「別にいいよ、もう。
だって会社ってそういうところだし、そもそも向いてなかったんだよ。」
私は彼が飲み過ぎているんじゃないかと心配しながら、そう言葉を返す。
そう、会社はそういうところで、私はそもそも向いていなかったのだ。
商品を売るのが?
誰かのために何かをするのが?
社内不倫のターゲットに仕立て上げられて、泣き寝入りしていく派遣社員の女性を守るのが?
自分の意思を強く持って、しっかりと断った彼女たちが、特別何の理由もなく、突然契約を切られるのを、見て見ぬふりをするのが?
私は言葉にならない感情を飲み下すべく、ビールを呷る。
まん延防止措置の終わる前から人通りが既に戻っていたアメ横の路面店を私たちは出て、駅の方に向かう。
私は立ち止まり、彼の方を向き、誘ってくれたお礼を言う。
彼は何かを言おうとして、でも言葉を飲み込む。
何を言おうとしたのだろう?
今月の終わりにはどこかの途上国に飛ばされるのを教えてくれた彼が、私に言おうとして、言えない言葉は、どんなものだろう?
「先輩、帰る前に、桜見て行きませんか?
まだ電車もあるし。」
本当に言いたかったのはそんな言葉じゃないんだろうなと私は思う。
「しょうがないなあ。
面倒くさいけど、君がどうしてもって言うなら付き合ってあげるよ。」
「どうしてもってわけじゃないけど、どうしても先輩と見ていきたいんです。」
「他に誘う子いそうなもんなのに、同じ会社の先輩の年上の女と桜見てる場合じゃないよね?」
「そんなことないです、今どうしても先輩と桜見たい気分になったんです。」
「どっちなんだよ、それ。」
高架下から歩いて、大通りを渡ってちょっと歩けば公園があって、そこには桜の並木がある。
私たちと同じように、酔っぱらった人たちがふらふらと歩きながら、街灯に照らされた桜を見ている。
日本はこんなに電気が使えてすごいなあと私は思う。
途上国は停電がしょっちゅうだ。
と言っても、この間の地震のせいで、東京でも計画停電はあったけれど。
「先輩、僕、思うんですけど、先輩はうちじゃ収まらない人だと思うんです。」
ぐるっと歩いて桜を見て、また駅に戻ってきたところで、帰ると言うと、彼はさよならの代わりに自分の信条を吐露した。
「先輩に守ってもらった人全員、きっとそう思ってます。
だから、ご自身の思う道、貫いてください。
陰ながら応援してます。」
「なんで表立って応援してくれないのさ?」
「先輩ほど強くて自由じゃないからですよ、そのくらいわかっといてくださいよ。」
彼が、実は3月末で退職していたのを知ったのは週明けの話だ。
私の赴任は4月下旬、飛行機のチケットが取れ次第だとかなんとかいう話で、私よりも10歳以上年上の役付きの社員から、横柄な語調のメールで連絡が来た時に、それを知らされた。
東京の桜はもう散ってしまったけれど、私はもう一度桜が観たくなって、一人で一泊の旅行に来たのはきっとそのせいだと思う。
旅行に来たのはいいけれど、でも結局何もすることがなくて、和風の客室の窓から、川沿いの桜並木を、ビールを飲みながら眺めているのだけれど。
「あーあ。
別に強くて自由だなんて、そんなつもり全然ないんだけどなあ。」
私だって、一人で不安で泣きたくなるし、プレッシャーに負けそうなこともあるし、誰かと一緒に桜を見て、綺麗だねって言いあえる日常を送りたいんだけどなあ。
そもそも、自分の思う道とか、信念とか信条とか、特にそんなものないんだけどなあ。
そう思いながら、缶の中身を空ける。
ここの満開の桜も、きっとすぐに散ってしまうだろう。
誰も知らない場所で消耗していきながら、年々余生を短くしていく私の人生の中で、あと何度桜を見れるのだろうか。




