悪欲の片鱗
数日後、私とオグマは馬車に乗せられる。
木の手枷で手の動きを封じられるという体験は手錠とは違った動かしにくさがある。どちらにしろ、不便である事は変わらない。
馬車の中には十数人の同じ境遇の人たちが押し詰められていた。悲嘆して泣いている者、怒りに狂いところ構わず威嚇する者、共通して現在の現状に絶望している。
『狩猟場』の状態を知ってしまったのだろう。私のように生きる事に興味もない人間はそうそういない。
「始めまして!私はクローリア。貴女は?」
腰を降ろすと、隣に座っている少女が話しかけてくる。
今はまだ幼いが成長すれば綺麗な女性になっているだろう少女だ。頭に狐の耳を生やし、臀部から狐の尾を生やしていなければ、平凡な人生を送る事ができたかと思うと少し残念に思えてしまう。
「私はレスティア」
「レスティアちゃんね、よろしく!」
そういってクローリアは私の手を握り嬉しそうに振る。
まあ、他の奴隷たちは全員が年上に見えるし、同年代だと私しかいなかったのだろう。
しかし、解せないな。この状況を理解出来ているのだろうか。
「小娘。現在の状況が理解できているのか?」
私の内心をそのまま代弁するようにオグマは問いかける。クローリアはキョトンとした表情で頭を傾げる。
「うん。これから私たちは死ぬんでしょ?」
「……怖くないのか?」
「死ぬのは怖いよ。でも、それだけじゃん」
クローリアのあまりにもあっけらかんとした回答にオグマは息を飲む。
「……それだけ?死ぬことが、恐怖がそれだけ?」
「うん」
理解はできる。だが、納得はできない。
私のような生きていようが死んでいようが変わらない存在なら兎も角、クローリアはこの世界の人間だ。理不尽に虐げられてきた連中がこうも潔いものなのか。
「……嬢ちゃん、これが帝国の悪性の氷山の一角だ」
馬車が動きだし、クローリアが鼻歌を歌い始めているのを見ているとオグマが私にしか聞こえない程度の声量で話しかけてくる。
「帝国の貴族には他種族を飼い慣らして暗殺者や護衛にする事がたまにある。戦力として使える状態ならまだしも、戦力としての価値が無くなるとこういった消費の激しい場所に売られる」
「……使い捨てか」
「ああ。ここにいる連中の大半がそうだ」
ここは、ある種の処刑場として機能しているということか。
だが、そうなると……馬車に入られた奴隷の数は二十人程度、あまりにも人数が多い。その大半がそうならどれだけの命を消耗品としているんだ。
そうなるとオグマが言っていた居住区の意味合いも変わってくる。押し込められる『隔離場』ではなく、奴隷を効率良く生産する『農場』としての側面が大きいのかもしれない。
奴隷を一種のビジネスだと考えると、狩猟のように取れる取れないが運によって左右されては困る。野菜を育てるように育て、収穫し、売りさばくほうが遥かに儲けが出る。
「……外道どもめ」
理解はできる。だが納得はしない。
復讐をやり遂げたがその根底にあるものは善性だと考えている。善性があるなら人は誰かを恨み、憎む事ができる。
私が燃えカスだとしても、この悪性はあまりにも不快だ。
「外道、か。まあ帝国に対してその評価が妥当だな。あれの悪意は際限がなく、それを満たすために厄災と悲劇をばら撒く。間違いなく人の道から外れている所業だ」
「何故人族は外道の所業を積み重ねる事ができる」
人間だって善性もあれば悪性もある。自分たちのやってきた事に疑問を持つ事もあっても変ではない筈だ。
「そりゃ当然だ。家畜に話しかける莫迦はいない、これにつきる」
「……だろうな」
オグマの話だと人族が他種族と接する機会があるのは居住区か奴隷としてだけ。人として接する機会は限られているし、そもそもそんな機会を作られせてない筈だ。
そのため、他種族の情報は何かしらの媒体や教育から入手する事になる。
そこに、意図的なものを含ませたらどうなるか。簡単だ、都合の良い考え方を持った人間が生まれる。
三つ子の魂百まで、というが小さな頃から『他種族は家畜』だと教えられて育てられ、本や学校で『他種族は悪魔だ。だから私達は他種族を従える事が許されている』とでも教えられれば、自然と他種族に対して敵対的な人間が作られる。
そこに善悪はない。あるのは自分は正しく、他種族は悪い、という考え方だけだ。
「徹底してるな」
「そりゃそうさ。帝国が千年もの長期に渡って国が維持できたのは一貫して徹底的だったことも大きい。敵対者は踏み潰し、反乱が起きれば力で押さえつける。そうやって強く大きくなってきた国だ」
「だが、それが最善でも最良ではない」
「ああ」
力による圧政は必ず歪みと悲劇を生み出し、嘆きと悲しみが生まれる。嘆きと悲しみは憎悪に変わり、復讐に走る。帝国はそれを良しとはせず、力による蹂躪を行う。
短期的にはそれでいいかもしれないが、長期的に見れば愚の骨頂だ。あまりにも多くの本来なら流すことがない命を流し過ぎている。
「だが、それが帝国だ。最善でも最良でもない、一番早く解決する方法しか取らない。どれだけの犠牲が出ようともな」
「ちっ……これのどこが楽園だよ」
命の楽園。それはどこまでも透明な願いで、打算も、利益の追求も、欲望もなにもない神様らしい願いだ。
だが、透明な願いのもとに作られたこの世界は謂わば純度百パーセントの水だ、そこに人間の欲望という不純物が垂れ落ちればあっという間に広まり染まっていく。
神様の犯した最大のミスは人間という生物を作ったことだった。
「ま、ここにある命の殆どはあと数時間で終わる。のんべんだらりとしてようぜ」
「……ああ」
オグマに同意し私は何となく天井を見上げる。
本当にろくでもない世界だぞ、神様。作ろうとした『楽園』は悪意に毒された『地獄』に変貌してしまったぞ。