牢屋スタート
微睡みから目覚め、私は辺りを見回す。
転生には成功した、か。しかも、視点が低い。存外、小柄な体躯になってしまったが……まあ、今は気にするべきはそこではないか。
黒い格子に切り立った黒い岩石の壁。窓はなく日光が入ってこず、あるのは壁に掛けられた小さなランプの明かりだけ。
辺りを見渡せばここが牢屋だということがわかったが……どうにも、体がダルい。倦怠感、とは違い本来の力が抑制されているような、そんな感じだ。
まあ、これが原因だろうけど。
腕を動かすと金属が擦れあう音が牢屋の中に響く。
両腕に嵌められた二つの腕輪、そして床に繋がる鎖。これで動きは制限され、更には体内からエネルギーが一定量吸われている。
これは一体なんだ?
「起きたか、嬢ちゃん」
「……誰?」
声をかけられ、聞こえた方を向くと一人の男が石のベッドに座り私を見ていた。
初老かと思われる男は額から二本の逞しい黒い角を生やし、細くも強靭な身体が破けた服から見える。無精髭を生やし、気怠げな雰囲気をしているがその目には力を宿している。
見ただけで分かる。この男は間違いなく、強い。
「……『鬼』か」
「へぇ、見た目の割に嬢ちゃんも物知りだね」
男は少し嬉しそうに笑いながら私を頭からつま先までまじまじと見てくる。
「そういう嬢ちゃんは植物系か。全く難儀な場所に閉じ込められたな」
「……貴方は逃げ出さないのか?」
『鬼』は見た目にそぐわない怪力が特徴の種族。鉄の牢屋くらいなら簡単に捻じ曲げて脱出できそうだが……。
「逃げ出しても無駄だ。少なくとも、今は」
「……それは監視が理由?」
「ま、そんなところだ。とりあえずベッドにでも座っとけ」
男に促されてベッドに座る。
……固い。薄い掛け布団に敷布団はなく石が剥き出し、寝れない事はないけど寝たら身体が痛くなりそうだ。
「俺の名前はオグマ。嬢ちゃんは?」
「私は……何て名乗りましょうか。名前、ないので」
前世の名前である『ちひろ』を名乗ろうかと思ったが、流石に異世界の別人になったのにそう名乗るのはあまりにも傲慢だ。
「そうかい。それじゃあ……レスティアとでも名乗っておけばいいんじゃね?」
「レスティア……まあいいか」
レスティア……それがこの世界での私の名前か。
「…………」
「…………」
私はやることもなく天井を見上げる。
さて……何を話そうか。
この世界の事、現状……色々と聞きたいが何から手をつけたら良いか分からないな。
「嬢ちゃんはどういう経緯でこんな場所に来たんだ?」
「……さあ。今までの記憶がないので分からない」
転生前の、前世の記憶はいくらでも思い出せるが私の意識が目覚める前の自分が何をしていたのかさっぱり分からない。そういう意味では記憶喪失だろう。
「記憶喪失か。そりゃ難儀なものだな。それじゃあ、お節介焼きな俺が教えてやるよ」
オグマは年不相応な少年のような笑みを浮かべ、咳き込む。
「この国はレビアス帝国。別名は千年帝国。名前の通り千年もの間繁栄し続ける超大国だ。高い兵力と魔法技術を持っていて資源も豊富で人族には恵まれた土地だろうよ」
人族には……ね。あの神様も言っていたな、ホモ・サピエンスが台頭し、結果的に他の種族が陰惨な扱いを受けていると。
「あいつらは他種族を人だと認めてない。帝国内で俺たちは居住区に住んでいるか俺たちのような奴隷だけだ。他の国だともう少し気楽に生きれるらしいが、他種族が帝国を出るのはかなり難しい」
なるほど……おおよその現状は理解できた。だが、少し腑に落ちない。
「なぜ、貴方ほどの実力者が奴隷に落ちた」
私の目に狂いがなければオグマの実力はかなり高い。それなのに、どうしてこんな場所にいるのか不思議でならない。
「俺は……まあ、色々とあってな。その結果ここに来てしまった。ま、自業自得の人生だったけど反省はしてないけどな」
オグマはどこか物憂いげな笑顔を向ける。
……どうにも、いらない事に首を突っ込んでしまったか。
「ま、それは兎も角だ。ここは奴隷たちを獲物に見立てて貴族が狩りをする『狩猟場』だ。エグいだろ?これがこの国の縮図なんだ」
「……なるほどね」
人族が優位に立ち人らしく生きる事ができるが、他の種族は人間以下の家畜としてしか生きる事が出来ない。
……反吐が出る。私にとって不愉快極まりない現実だ。
「逃げ出す方法は?」
「簡単な話だ。『狩猟場』から抜け出せば良い。ま、それが出来たら苦労しないけどな」
「だろうな」
奴隷だと言っても全員が高い戦闘能力を保有している訳ではない。私のような植物系や草食動物の獣人は単純な戦闘では推し量ることはできない。
それに、その『狩猟場』が人族にとって優位な状態で一方的に嬲り殺しにできるように何かしらの仕掛けがされてるだろう。
逃げ出す事ができないようにされているだろうし、どうしたものか。
「まあ、なるべく逃がせるようにはしといてやる」
「……わかった」
聞くべき事を終えたため、私は固いベッドに倒れる。
身体の内側に意識を傾け、力を発動しようとするが、何の変化も起きない。
『ミストルテイン』の能力は『ドライアード』と比べてあまりにも弱い。まあ、こんな状況じゃ能力を使う事もできないか。
それにしても、転生早々命の危機が迫っているのか……ま、とうに終えた命だ、死んだところで意味のない事だろう。
ま、どうでもいいことだし今は寝てよう。
「……自業自得の人生だったし、悪いことをしていたつもりもない。だがまぁ……嬢ちゃんだけは助けねぇと死んでも死にきれない」
一人の男の独白を無視し、私は意識を落としていく。