ナンセンス小説1
東京にオリンピックが来た夏のある昼下がり、郊外の住宅地に建つ小さな家を出た。
昼飯は焼いたソーセージと食パンとコーヒーで簡単に済ませた。
最近は、冷蔵庫に残っていた有り合わせの食材を(塩をかけて焼くだけ、とか、茹でるだけ、とか)簡単に調理して、皿一枚かせいぜい二枚に盛って食べることが多い。
そういう何でもない食事、いや雑と言える食事には、お店で食べるのとは別の贅沢さがあると気づいた。
例えるなら、折り畳み式のコンロの上に携帯式の調理器具を乗せて作るキャンプ場の質素な食事と同類の贅沢さ、だろうか。
玄関を出て見上げると、夏の空には雲ひとつ無かった。
日差しは強く、空気は湿気をたっぷりと含んで重い。
ベタベタとまとわり付くような熱気をかき分けて、一軒家の並んだ狭い道を歩く。
郊外といっても、私の住んでいる場所は比較的古い住宅地で、坂が多く、細い路地が迷路のように入り組んでいる。
私はその細い路地をあてもなく歩く。
暑い。
大粒の汗が、背中から噴き出てシャツを濡らす。帽子と額の間から滲み出て眉毛に溜まり頬に垂れる。
歩く。
首に巻いたタオルを解いて、それで額を拭く。
歩く。
あてもなく歩く。
どこかでセミたちが大きく鳴いている。
セミの幼虫は、羽化するまで何年も地中で育つ。
その年数は、必ず素数であると聞いたことがある。
本当かどうかは知らないが。
充実した散歩のコツは、携帯電話の地図アプリを見ないと自分に課して歩き始めることだ。
セミ声の降る中を、あてもなく歩く。
近所は全て歩き尽くしたと思っていても、一時間も歩けば見知らぬ場所に立っている自分に気づく。
ずっとセミが鳴いている。
休まずに。
いや大量の無数のセミたちが交代で鳴き続けているのだろう。
大都会はコンクリートのジャングルだと言われる。
しかし実際、人々が思う以上に木々が植っている。
ふと、一軒の家が一本の木に変わっていた。
歩いている路地の、左側に建っている家だ。
右側にも、木に変わった家が一軒あった。
後ろを振り返ると、家々の殆どが、深緑色の葉を茂らせた幹の太い木に変わっていた。
前を向くと、さっきまで家だった場所が全て木になっていた。
茶色い樹皮の幹に、茶色いセミが停まってみんみんと鳴いていた。
住宅街の細い路地は、大森林の細いケモノミチになっていた。
ケモノミチを歩く。
素数年ぶりに羽を生やして幼虫が成虫に変形し太陽を浴びて鳴き続ける中を、あてもなく歩く。
首に巻いたタオルを解いて、額と頬とウナジを拭いて、また歩く。
歩きながら、この散歩の区切りを考えていた。
「言葉とは、物に付けられた名前じゃなく、世界に刻まれた区切りだ」と、昔の偉い言語学者が言った。
そりゃ当然だ。
どんなものにも区切りは必要だ。
問題は、今日の散歩をいつ区切るか、だ。
太陽が傾いて世界が柿色に染まった時か。
それも良い。
知らない喫茶店を見つけて冷房の効いた室内でキンキンに冷えたビールを飲んだ時か。
それもまた良い。
しかし今年の夏は、どこの喫茶店でもビールを出していない。
アイスコーヒーを注文したって良いのだが、アルコールとしゅわしゅわした炭酸が入っていないんじゃ、暑いなか汗をかいて散歩した報酬としては物足りない。
迷った。
迷いながら歩いた。
迷路のような森のケモノミチを歩き続けた。
大きな幹の角を曲がってしばらく進むと、道端にテーブルを出して大きなジョッキのビールを飲んでいる三匹の妖怪に会った。
私は、そのテーブルの横を通り過ぎようとした。
妖怪のひとりが、『よう、飲むかい?』と、私に向かって大きなジョッキを突き出した。
テーブルを見ると、椅子が一脚だけ余っていた。
そこに座って、大ジョッキのビールを注文したいと、ふと思った。
しかし結局、首を振り、妖怪たちに『お断り』のジェスチャーをして通り過ぎた。
またケモノミチを進んだ。
道端にベンチが置いてあった。
ベンチには、若い夫婦の妖怪が座っていた。
一方は、胸に小さな子妖怪を抱いていた。
子妖怪が親妖怪の腕の中で、むずかるように少し暴れ、そのまま空に飛んだ。
木と木のあいだをフワリフワリ、パタパタと飛び回った。
しばらくその様を見つめていたが、あまり長いあいだ幼な児を見つめると不審者に疑われると思い、妖怪たちから目をそらして歩き続けた。
暑い暑い。
汗をぬぐい、歩く。
かつて家だった森の木々、小さな川、小さな橋、橋を渡って、またケモノミチ
森の匂い、町の匂い、夏の匂い、暑い、暑い、暑い
早く家に帰って、冷房をつけて、シャワーを浴びて、シャワーの最後は冷水にして皮膚を冷やしビール飲みたい。
動かない熱気の中を歩く。
暑いのに歩く。
快楽だ。
妖怪は居ない。
セミだけが煩い静かな住宅地の森の中を歩く。
私ひとり
* * *
パッと視界が開けた。
目の前に私鉄の駅があった。
電車に乗って我が家に帰った。