六話・月崎恭子編・その六
※
それから約二週間が経った。
多分、二週間ぐらい。と言っても、ここではあまりに変わらない平坦な日常ばかりが過ぎていくから、私は時間の感覚がいまいち鈍い。
そして私は今、鈴凪さんの部屋にいた。
「…体調、どうですか?」
言う。しかし、彼女の体調は少しずつ、しかし確実に酷くなっていることは見ただけでわかった。会うたびに痩せて、顔色も悪い。気休めですらない私の言葉なんか、どうしようもなく滑稽だったのだ。
「いつもありがとう。でも、恭子ちゃんだって自分の身体のことがあるのに、何だか悪い、ね。」
そう言って、ごほごほと彼女は咳き込む。
歯痒い。日々弱っていくだけの彼女を、私は見ていることしかできないのに。
ぎゅ、と私は自身の羽織を握った。
「…」
思った。
薬さえあれば、少しでも彼女の死を遅らせることができるのに。
でも、終戦したとは言えこの国はまだまだ貧しく、一般人でさえ医者にかかるのは大変なことだった。ましてや、死刑宣告されたような私たちに――――使う薬なんて、ない。
「もう、すっかり秋ね。」
眩しそうに目を細めて、鈴凪さんは窓から差し込む日差しを見つめる。
「そう、ですね」
いけない。
私がしっかりしなきゃいけないのに。
どうしても、私は彼女を助けられない悔しさに――――唇を噛むしか、なかった。
「…」
私は、視線を落とす。
「ねえ、恭子ちゃん」
ふと、鈴凪さんは言った。
どこか、力無い声音。
最初は泣き叫んで、周りのモノを壊してばかりだった彼女とは――――もう、違う。
そう、思わされた。
認識、させられた。
「今、貴女は何を考えてる?」
「…え?」
私は顔を上げる。
多分今の私は、ほんとに情けない表情をしてるんだろうなと、頭の端っこで考えながら。
しっかりしなければならないと――――思って、いるのに。
鈴凪さんは呆けている私に笑んで、静かに言い始める。
「ほんとにね…悪いと、思ったんだよ。だってこの様子だと、私は恭子ちゃんよりかは早く逝ってしまうのに、それなのに私は…貴女と関わってしまったから、」
「な、何、を――――――。」
私の声が、震える。
まるで自分の声じゃないかのような―――不協和音。
「だって先に、辛い思いをするのは貴女だもの。私たちはここ最近で随分、仲良くなったと思う。何もなかったこの場所で、人間らしく笑っていられたのは―――貴女の、おかげだよ。」
私は彼女から、目を逸らせなかった。
もし間違って目を離してしまったら、彼女は消えてしまうんじゃないかと思ってしまう程に…儚げだった、から。
「私にとって、恭子ちゃんはとても大切な人になったの―――だから私が死んだ時、泣いてくれると、嬉しいかな」
言って、鈴凪さんは苦笑した。
とても綺麗で、消えてしまいそうな笑顔。
死んでしまいそうな――――笑顔だった。
「そんな、そんなこと――――言わないで」
必死に言った。つもりだった。
でも私の声は消え入りそうで、彼女の声より頼りなかった。
泣きそうになった。
でも、まだ彼女は生きてるから―――。
「生きて。生きて下さいよ―――私と、一緒に」
下らない。
そんなこと言ってどうする。
鈴凪さんを、困らせるだけだというのがわからないの?
「鈴凪さんは、生きてる、のに、」
それでも、私の口はとまらなかった。
「やですよ、私、置いてかれるの……!」
「…」と、一瞬彼女は驚いたような顔になった。
でもすぐに、苦笑する。
「―――――――ごめんね、」
それだけ言って、鈴凪さんは私をそっと抱き寄せた。私はされるがままに、呆然とした表情で抱きしめられていた。彼女のそこまで長くはない髪が、私にかかる。
「――――――っ、」
泣きそう。
ほんとに。
真っ白になった頭の中で、私は思う。
お母さんって、こんな感じだったっけ――――と、意味もないことを。
だって、どうしようもないんだもの。
彼女の温かさが、私に伝わってくる。
とても久しぶりに、他人に触れた気がした。
彼女の死に、悲しむのは私だとわかっていても。
彼女の死に、泣くのは私だとわかっていても。
鈴凪さんを忘れたいとは―――思わなかった。
いつまでも、追憶していたいと思った。
私という存在が無くなってしまう―――――その時まで。
※
それから七日程経って、鈴凪さんは亡くなった。
悲しいとは思っても、不思議と涙は流れなかった。
「……」
そして彼女の死体は、外から来る知らない誰かの手によって、火葬された。
私はそれをただぼんやりと眺めていて、ああ、彼女は亡くなったんだなと、思っただけ。
そしてそれを見て、私も近い将来ああなってしまうんだと――――。
「っはは…、」
渇いた笑いしか、出てこない。
笑えない。こんなの全然、笑えないはずなのに。
おかしかった。
可笑しすぎて、笑えた。
やっぱり私の心は…とっくの昔に壊れていたんだ。
人の死に慣れすぎて、大切な何かを失ってしまったんだ。
だったらもう、何も考えられなくなってしまうくらいに、狂い壊れてしまえばいいのに。
さっさと死んでしまえば、どんなに楽だろう―――――――!!
「………」
ああ、部屋に篭ってばかりだと、ほんとに狂ってしまいそう。
外の空気が吸いたい―――、そうぼんやり考えながら、私は窓から裏庭へと出た。
そういえば、しばらくあいつに会ってない―――…。
「李、焔」
私は縋るように、最早ほとんど動かない身体を動かした。
最早私が泣きそうです!