五話・月崎恭子編・その五
これはいつかの、恭子と李焔のお話です。
月崎恭子編と称していますが、だいぶ李焔編っぽいです。
※
「恭子さんって、お幾つなのですか?」
きょとんとした表情で、言ってみせる李焔。
私は「…」とジト目で彼を見上げると、一つため息をついた。
「女性に年齢を聞くものじゃない、って、先生に教わらなかったのかしら?」
「先生…ですか。そうですねえ、僕が幼かった頃は数学や馬術、たまに児戯として球蹴りをやったりしましたけどね」
懐かしそうに、李焔は目を細める。
「へえ…って馬術!?あんた一体、どこの国の人間よ!思わず聞き流すところだったわ…」
思うに、こいつには謎が多すぎる。
てか、内容が滅茶苦茶な気もするけど…。
たまに、李焔は私とは違う時代の人間なんじゃないかと思う時がある。
そんなはずは、ないはずなんだけれど…
「私の故郷は、日本国とは違う大陸ですよ。」
「まあ、その服を見て違う国なんだろうなーとは思ってたけど…それって民族衣装?」
中国服仕様の、彼には少し長そうな袖。
韓国の方か、中国の方か、それとも朝鮮の方なのか、私は民族衣装には詳しくないけれど。
まあ、私の着ている着物みたいなものなのだろう。
「正装ではなく、簡易服ですけれどね。」
言って、長い袖で口元を隠し、クスクスと笑う李焔。
「何がそんなに楽しいのよ?」
「これは失礼…ただ、僕にしては珍しく、昔を思い出していただけですよ。」
ふーん、こいつも、昔を思い出したりとかするんだ…
そりゃまあ、当然の話か。
あ、いい事思いついた。
「ねえ、聞かせてよ。李焔の話。」
「え…別に面白くも何ともありませんよ?」
言って、でも李焔は少しずつ話始めた。
私はいつもより表情を輝かせて、耳を傾ける。
「僕には、生まれた時から婚約者がいましたね。」
「こ、婚約者…っ!?」
しかも生まれた時からって、一体どんな上流階級だったのよ。
「ええ。僕は幼かったころは抄と呼ばれていまして…、婚約者は李鈴、学生の頃とくに仲のよかった友人は蓮という名でした。
もうこんなに立派な見目麗しい僕でも、学生時代はホントにわんぱく坊主でしてね…友人たちとよくやった球蹴りで、師である冠儒先生の壷を、よく割ってしまったものです…。」
…こいつ、自分で自分のこと見目麗しいとか言いやがったわ…。
でも、李焔があまりに楽しそうに話すから、あえて匙は投げない。
まあ、言うの悔しいから言わないけど、実際こいつ、かなり綺麗だしね。
「それで罰として家畜小屋の掃除をさせられたり、学び舎の廊下、教室を全部水拭きさせられたりと…そうですね、一番辛かったのは町内を水いっぱいのバケツ両手に十周でしたか。」
クスクスと、本当に楽しそうに。
まるで昔に戻ったかのような、李焔の表情。
「なぜか、失敗ばかりの子ども時代でして…ですがそれなりに、楽しかったのですよ。」
「……。」
気のせいか一瞬、李焔の表情が曇った気がした。
「本当に、楽しかった。当時は近くの山で秘密基地を作って、学業が終わるといつでもその秘密基地に集まって、三人で遊びましたね…」
やっぱり少しだけ、彼は寂しそうに笑っていた。
なんだか思わず、目を逸らしたくなる程に。
「そのあとは…」
ざわ――――――、木々の葉が、舞い上がる。
「あはは、」
彼は、言葉に詰まっていた。
何か嫌な思い出でも…思い出したのだろうか。
「ここから先は、あまり面白くはないですね…」
「…そう………」
私は、目を逸らした。
なぜかこれ以上、彼のこんな表情を見ていたくなかった。
李焔らしくも、ない。
李焔らしさって――――なんだろう。
思えば私は、このフェンスの上の彼のことを何も知らないのに。
彼だって、私のことは何も知らないけれど。
でも、
「いつまでも、そんなシケたツラしてんじゃないわよ」
「はは、酷いですよー。僕は決してシケたツラなどしていません。」
それに、と李焔はまるで小さい子に教え諭すように、こう言った。
「淑女がそんな言葉使いをしてはいけませんよ?」
「…」と、私。
見ると彼は、いつも通りの笑顔でクスクスと笑っていた。
一瞬、呆気にとられる。
「今度は恭子さんのお話も、聞かせてくださいね?」
思えば李焔があんな情けない表情を私に見せたのは、あの時の一度きりだった気がした。