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black out  作者: 舞織
3/13

二話・月崎恭子編・その二

  



※薄暗い廊下。私は一人、彼女の部屋の前に立っていた。彼女とは、昼間の騒動事件の犯人の鈴凪さんのことである。現在の時刻は夕方の五時過ぎ―――外は、真っ赤だった。持っていた懐中時計でそれを確認すると、私は目の前の古びた扉を二回程叩く。



「鈴凪さん…いますか?私、月崎ですけど」



返事はない。しかし、この扉の向こうに人の気配はした。



「…入ります、よ…?」



ぎぃ、と響く、軋んだ音。

私は扉を開く。結論から言えば、鈴凪さんは居た。彼女は寝台の上で、無表情に外を眺めていた。瞬間、私は思わず竦んでしまった。


「月崎、さん…」


今気付いたように、彼女はこちらを向く。力無い、表情。私はその表情をよく知っていた。ここに来てから三年間、哀しみも怒りも、絶望も憎しみも飽きるほどにしつくした、焦燥の色だった。


かつて、李焔と出会うまでの私自身がこうだったのだ。


「昼間はだいぶ暴れたみたいですね。もうすっかりくたくたなんじゃないですか?鈴凪さん…。」

「そう、ですね。なんだかもう、ガラスの一枚も割る気は起きません」

「それはよかったです。」


静かに、私は彼女の机に置いてあった水をコップに注ぎ、手渡す。




「ご飯、一緒に食べようと思ったんですけど…どうですか?夕焼けも綺麗ですし、庭で食べませんか?」







鈴凪さんの部屋の窓から出て、私たちは手にとったおにぎりを食べていた。私も鈴凪さんも、無言で食事を続ける。

ふと見ると、さっきまで真っ赤だった夕焼けは沈みかけ、辺りは薄暗くなりはじめていた。秋の虫たちが、凛とした音色を紡ぎ続けている。



…食事に誘ってみたのはいいけど、なかなかどうして、気まずい雰囲気があるわね…



私があれこれ考えているうち、先に口を開いたのは鈴凪さんだった。

私より確実に十は年上の、どこか妖艶というか…吹っ切れたような、表情だった。


「………月崎さんは、どう思ったの…?」

「え…?」


俯くように、鈴凪さん。

彼女は静かに食べかけのおにぎりをハンカチの上に置いた。

そして一言二言、まるで独白の、ように。


「一生、ずっと、死ぬまでこの外には出られない。いえ、死んだって、私たちの骨はここにまとめて納骨されてしまうのに…怖いの、私は、とても。

だって頭がおかしくなってしまいそうで、狂ってしまい、そうで―――」


そう、彼女は続ける。


「誰でもいいから、私を殺してほしい。そうつい思ってしまうぐらいに、私は…っ、自分が自分でなくなってしまうのが――――怖いの」




ごめんね、こんなこと言って。




そう言って、彼女は力無く笑った。

なぜか、胸が締め付けられるような思いになった。こんなの、私には全然、似合わないのに。




被った。

思わず、私自身と彼女を――――――重ね合わせて、いた。




「っ、私は」




私は必死に、彼女のための言葉を紡ごうとした。


「ここに来て、もう三年程になります…、私も最初は、今もそうなんですけど辛くて、悲しくてとことん絶望していて、八つ当たりのように外で生きているであろう家族たちを憎んでました」


私は苦笑いで、鈴凪さんを見る。


「私の中に、こんなに流すだけの涙があったんだなー、とかぼんやり思ったり。私もまだ若いですから、さすがに吹っ切れたりとまではいかないんですけど…やっぱり、ここから出たいと、思って、願ってしまうんですけど――――――、」


それでも、私は


「ここから出て、大切だった家族や大切だったあの人と、一緒に面白おかしく暮らせる夢をみてしまったりもしますよ、そりゃ。」


人間だから、仕方ないでしょう?




「……、」

「でも、私の中で明確な答えが出ない以上、私は鈴凪さんに慰めの言葉も、励ましの言葉も送ることはできません。」




それだけ言って私はおにぎりの最後の一口を頬張った。

一瞬一瞥するように彼女を見ると、彼女は笑っているように…見えた。


そして私は、ああ、と思う。

やっぱり綺麗だ。彼女が笑うと。


思わず、くすりと笑ってしまった。















※夜の帳が、降りる。今夜もまた、《療養所》の夜が始まるのだった。






ちゃき、


私だけの部屋に響く、酷く無機質な音。

私は机の上にある読書用の眼鏡をかけた。


「……」


結局、鈴凪さんが泣くことはなかった。泣きそうになってはいても、多分、鈴凪さんよりも一回りは年の差がある私に気を使ったのだろうと、思う。


でも、彼女は言っていた。


(「私はね、月崎さん…多分あんまり長い方では、ないと思うの。だから――――、」)


私が終わってしまうまで、よろしくね―――と。


彼女は、強い。

私なんかよりも、全然。


慰めなどいらなかったのだ。

励ましなどいらなかったのだ。


そんなの全然―――、無用、だった。


鈴凪さんはもう、とっくに自分の中でけじめをつけていたのだから。


「っ、げほ、っ、っ、ごほっ……、…、」


痛い。

一瞬、息ができなかった。


私は、口元を押さえていた右手を、見る。




「―――――、っ!?」




赤い、血。

もう、見慣れた、のに――――。


私はぱたん、と本を閉じる。

そして静かに、瞼を降ろした。














「恭子、」


誰かが、私の名を呼ぶ。

私は振り返らない。


「恭子、」


誰かが、私の名を呼ぶ。

五月蝿い、面倒くさい、振り返りたく―――ない。


「恭子、」


振り返りたくないのは―――私の名を呼ぶモノは誰か、その答えを、私は最初から知っているから。


「   」


ふと、思った。

家族や友人、私の大切なあの人は―――今、どうしているのか。

私がいなくなった外の世界で―――幸せに、生きていてくれているのだろうか。


下らない。本当は、あんなやつら死んでしまえばいいと思っているんでしょう?


――思ってない。そんなこと、考えたくない。


嘘。嘘つきね。最低。私がいないのに、よく呑気に生きていられると思わないの?


――思って、ない。仕方ないのよ、これは、感染病、なんだから。


感染病?私がただそうなってしまっただけで、こんなところに押し込められてしまったと言うのに?覚えているの?まさか忘れてしまったの?この病に私がかかってしまったと知った瞬間のあいつらのカオ――――。


――そ、それ、は―――


ほうら、御覧なさい?ああ、たった一人で苦しんで、私は死んでしまうのに。たった一握りの自由も与えられず、他者よりもその儚き命は更に短い。なあに?これ。まさに悲劇だわ。


――……。


ねえ、意味なんかあるのかしら?

いつ訪れるかもわからない死を待ち続けることに――――意味なんてあるの?


――私だって、


何よ?


――私だって覚悟ぐらい、あるんだから


…覚悟?なんの覚悟だと言うの?ねえ私?私は死を――――よしとしていると言えるの?









「御機嫌よう、恭子さん。でも、ご機嫌斜めのようですね」









※「――――――――――――――――っ!!?」


寝台から飛び起きる私。

息は荒く、身体中嫌な汗がべっとりと染みついていた。


「っ、はあっ、はあっ…っ、げほ、ごほ!」


喉が、胸が、肺が己の吐いた血に、侵されている感覚。

じんわりと、口の中に真っ赤な味が広がっていく感覚。


吐きそう、だった。いろんな意味で。


すがるように、私は机の上の水差しに手を伸ばす。


「っ、……、」


やっと落ち着いてきて、私は窓の外に視線を移した。

外はまだ真っ暗で、虫が鳴き続けている。私は静かに懐中時計を見る。


「まだ、こんな時間、か………」





(私は死を―――――よしとしていると言えるの?)





「やな、夢。」



本当に、何もかも壊れてしまえば一体どんなに楽なんだろう――――。



私は近くにあった羽織を手に、窓から外へと、裏庭へと出た。

ひんやりと、秋らしい冷めた空気がどこか心地よかった。そしていつもの、錠と鎖によって固く閉ざされた扉に、私は手をかけた。ざわざわと、夜の風が木々の葉を散らし続ける。



(「私が終わってしまうまで――――よろしくね。」)



私は、一体何を望んでいるのだろう――――。





「誰かと思えば、恭子さん?どうしたのですか…こんな時間に、」





聞き覚えのある、声。今、私が一番聞きたかった声。

私は振り向く。


「李、焔――――、」


いつものように、にへらと笑う彼の姿が、そこにはあった。

男子寮側の、フェンスの上に足を組む李焔。


「っ、…っ、」


声を、押し殺す。

そうでも、しないと。


壊れてしまいそうだった。


もう、充分なくらい、ずたずたなのに。


なんで涙は、流れるんだろう。


「恭子さん、泣いているのですか?」


フェンスの上の彼は、首を傾げて私に問う。

本当に不思議そうに。なぜ泣いているのかわからないと言った表情で、私を見つめる。


「辛いことでも――――悲しいことでも、あったのですか?」


私は答えない。

応え、られなかった。


次の瞬間彼は、ぽん、と納得したように左手の上に拳を置いた。


「ああ、死ぬのが怖くなったのですか?」

「………」


こいつはホントに、気使いというモノはないのか。

まあ、あるわけないか…。


暫くしてから私は涙を拭い、彼を睨むように見上げていた。


「別に。ちょっと怖い夢を見てしまっただけよ。」


ふん、と私はそっぽを向く。

そんな私を見て、李焔はクス、と笑んだ。


「夢…ねえ。そう言えば僕のかつての恋人も、よくそんなことを言っていましたね。」


思い出したように、李焔。


「まあしかし、もう生きてはいないでしょうが…」


愛おし気に、しかしどこか――――寂しそうに。


「…いたんだ、恋人。」


私にも、いた。

今はもう、きっと私ではない他の女性と結ばれたであろう、あの人。


「ええ。昔はらぶらぶだったのですが、戦時中のいざこざに巻き込まれてそれっきり…僕はその後、すぐに出兵しましたから」

「戦時中…って、あんた一体何歳よ……ってか!明らかにいい大人がらぶらぶとか言うな!」


これは真面目に怒った。


「…でも、結構李焔も、辛い思いをしてたのね。」

「そうでもありませんよ。戦争なんて、実際こんなモノでしょう。それに、辛いことばかりでもありませんよ。だって―――――恭子さんに、会えましたしね。」


「………」

「……なんでここで白けるんです?僕、結構いいこと言いませんでした?」


きょとんと、彼は私を見下ろす。

それがなんだか可笑しくて、ほほえましかった。





「私も――――――李焔に会えて、よかった」





ただ死を待つばかりの私たちに、少しくらいのシアワセがあったって――――罰は、当たらないわよね?




お願いだから、今この瞬間だけは、そう勘違いさせて――――……。







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