一話・月崎恭子編 その一
お願いだから、私を一人にしてして下さい
※月崎恭子編
どうして私なの?と己の現状を呪わない日はなかった。だってそうでしょう?ここにいるモノたちは、誰も好き好んでこんなところに来はしない。
もちろん、私だって。
だから、どうして?
出ないとわかっているのに、私は答えを求め続け、探し続ける。最初の頃は部屋に篭り、誰にも会うこともなく悲しみに耽る日々。私を助けてくれなかった家族を憎んで、そしてもうすぐ結ばれるはずだった最愛のあの人を、切に想う日々。
ただただ、時間だけが過ぎていった。
そして気付いたら、私はあの場所に立っていた。
たった一つの錠に何重にも巻きつけられた、錆付いた鎖の扉。そこは女子寮の裏庭を出てすぐの場所であり、傍には男子寮と女子寮を隔てるフェンスが続いている。
《療養所》という場に繋ぎ止められた《感染者》をけして外に出さないための、戒めの扉。
頭の中が、真っ白だった。
混乱して、泣くことすらできずに…私はただ、目の前の大きな扉を眺めるだけだった。
酷く、その時の私はぼーっとしていた、気がする。
「一体どこの誰ですか?貴女は。」
声がした。
力なく、私はその声の主を探すように、振り返る。
「僕は名乗る程のモノではありませんが、貴女の名は何と仰るのですか。」
「………」
「えーっと、大丈夫、ですか…?」
「………」
何なんだろう、こいつは…。
それが、私が彼に抱いた第一印象だった。
私は睨むように、フェンスの上の彼を見つめた。心も体もボロボロに引き裂かれたような今の私には、それぐらいしか、できなかった。
存在するモノは、総てが私の敵。
これ以上自分の心が傷つかないように、あの頃の私は何も見ないようにしていた。何も見えないように目を閉じ、何も聞こえないように耳を塞いだ。でもそんなことに、意味はなくて。
「ここは既に、終わっている場。しかし貴女がこの扉を通ろうと願うのならば、私がお手伝い致しましょうか?」
クスクスと、彼は嗤っている。
中国服のような仕様の長い袖で、口元を隠しながら。
その光景はどこか儚げで、どこか歪んでいて、まるで存在するはずのないモノを頭の中に見せられているような気分だった。
そしてその時の私は、なぜか彼にすごく腹が立った。
からかわれている、と思った。実際、彼は私をからかっていたのだと思うけれど。
無言で、私は彼を見上げる。
「なんだか怖いですねえ…そんなに睨まないで下さいよ。せっかくの美人さんが台無しですよ。《私》のこと、ちゃんと視えているのでしょう?」
かちんときた。
「はっ、さっきからあんたは何様のつもりなの?挑発しているつもり?私の気を逆撫でして楽しい?そんなに今の私はからかいがいのある女なのかしら?」
「まあまあ落ち着いて下さいよ。貴女があまりにもここから出たそうにしているから…ただ声をかけてみただけですよ。」
ぎり、と私は唇を噛んだ。
愛想がよさそうに笑ってはいるが、どこか他人を見下したような彼の態度に、私は苛立っていた。
てか、フェンスの上から見下ろしながら私を見る彼が、気に食わなかったのである。
ガシャン、
私は思い切り彼を支えているフェンスを蹴ってやった。「あ、…うわ!」とか言いながら、彼はバランスを崩し真下にある雑草に落下した。
それが、なんだかすごく間抜けな光景で、私は思わず―――。
「く、あは、っははは、なんで、余裕ぶっといて、簡単に落ちるし、ははっ、馬鹿みたい…」
私は、笑っていた。
「…」と、彼は呆気にとられた表情で、私を見つめていた。頭や服に葉が付いてるのが、また笑える。
「やっと笑いましたね」
「え、あ、いやその…、って、ごめんなさい、大丈夫!?」
私は真っ赤になってあたふたと彼を見る。反対側の、男子寮に落下した彼は土埃を払うような仕草をして立った。
「平気ですよ。私は実体はありませんから」
「は、い……?」
私は彼の言っている意味がよくわからず、首をかしげる。
そんな私を見て、彼はまたクスと笑った。
「いえ、こちらの話です。それより、貴女はこんなところで何をしていたのですか?」
「別にただ…考えごとを、していただけよ。」
「ほほう考えごと、ですか。」
言って、彼はわざとらしく両手を広げてみせる。
「どうしてこんなことになってしまったのか―――、ですか?」
嗤う。
「知っていますか?かつてここ、感染者専用第十七療養所…、でしたっけ?は、終戦以前は捕虜の収容施設だったのですよ。ですから、貴女のように負の感情に満ち満ちたモノが現れれば、同じように死んでいった捕虜のゆーれいさんが出てきてしまうのです。」
「ふん、あんたがその―――ゆーれいだとでも言うの?」
「その通り。ですから、あんまりしんみりしていたら私に喰われてしまいますよ?」
クスクスと、長い袖で口元を隠し、彼は嗤う。
なぜだか私も―――つられて笑ってしまった。
「ありがと」
言って、でも私の頬には涙が伝っていた。
わからない。
でも、なんだか、急に―――、
嬉しかった。
笑えたことが。
他人と久々に―――、言葉を交わした気がした。
それがとても、こんなにも幸せな気持ちになれるものだったなんて。
「どうしたのですか?いきなり泣きはじめて…おかしな人ですねえ」
涙が止まらなかった。
私は憑き物が落ちたかのように、線が切れたかのように泣き続けたのを、よく覚えている。
そして彼は、私が泣きやむまで何も言わずに傍にいてくれた。
「恭子よ」
「はい?」
「私の名前!」
「ああ、はい。恭子さん…素敵なお名前ですね。」
「で、あんたの名前は?」
一瞬呆気にとられた表情で、彼は私を見つめる。次の瞬間、彼は満面の笑みで答えた。
「李焔と、申します」
私は巡音ル○が大好きだあああああっ!!