李焔編第弐話
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そして彼女は、ふらりとここを訪れるようになった。
主に暇つぶしとしてだったのでしょうが、それでも僕は――――嬉しかったです。
僕自身、常に暇を持て余していたのもありますが、やっぱり誰かと話せるというのは…誰かと関われるというのは、いつの時代も、そして死んでからだって素晴らしいことのように感じました。
辛かったこと、悲しかったこと、悔しかったこと。
たくさんあるはずなのに、彼女は僕に愚痴を言うことはありませんでした。
彼女が怒る時と言えば―――僕が無神経なことを言った時だけ。
時が経つのは本当に早いものでして、一年、二年と過ぎていきました。
少しずつ、しかし確実に彼女は弱っていたように思います。
僅か過ぎる食料の、栄養失調もあったのでしょうが何よりも―――僕が思った以上に、あの生活が…たった独りで生きるあの少女には、厳しいモノだったのです。
家族に見捨てられ、幽閉された彼女には―――。
精神的にも、参っていたことでしょう。
そして三年目の秋に―――、鈴凪という女性が連れられてきました。
その鈴凪さんに、どうやら恭子さんは何か惹かれるものがあったのか、いつも彼女のことを気にしていたような気がします。
でも僕はこの時、言い知れぬ不安を感じました。
こんな狭い牢獄です。恭子さんがその気になれば、きっと鈴凪さんと仲良くなることが可能です。だって彼女は―――きっと他人の温かさに、餓えていたから。
しかし僕には、何となく鈴凪さんは長くはないだろうな―――と、心のどこかで思っていました。
だから鈴凪さんが亡くなった時彼女は―――――恭子さんは、大切な人を失う悲しみに、耐えられるのでしょうか?
耐えられるはずが―――ないでしょう。
鈴凪さんの死が、恭子さんにとって致命傷になってしまったら―――!!
せめて恭子さんに心安らかに逝ってほしいと思っていた僕にとって、それはなんだか酷く重大なことのように思いました。
しかし僕に、人の命を延ばす力などありはしません。
結局僕は、無力だったのです。
そして思っていた通り、恭子さんは少しばかり笑うことが増えてくれたことのように思います。きっと鈴凪さんとの出会いで、何かが変わったのでしょう。
恭子さんの中で鈴凪さんは、大切な人間になったのです。
それを何だか、恨めしく思ってしまう自身がいました。
なぜだかは、わかりません。
ある日の夜、恭子さんは僕の前に現れました。
何か辛いことでも―――悲しいことでもあったのか、彼女は泣いておりました。
ずきりと、僕の胸に何かが刺さった気がしました。
「恭子さん、泣いているのですか?」
なぜか声を押し殺している彼女に、僕は気の利いたことも満足に言えません。
「辛いことでも―――悲しいことでも、あったのですか?」
だから僕は、彼女の心を抉ることしか言えないのです。
「ああ、死ぬのが怖くなったのですか?」
いい加減、自分の愚かさに吐き気がしました。
どうしてこう、上手くいかないのでしょうか。
彼女は暫くして、涙を拭いて言いました。
「別に、ちょっと怖い夢を見てしまっただけよ」
どこか強がっている気はしましたが、彼女の返答はあながち間違いではないと思いました。
だってここは彼女たちにとって―――死ぬまで醒めることのない、悪夢の中なのですから。
それは、永遠に続き続ける拷問のようでした。
彼女は今―――何を思っているのでしょうか。
僕が下らない話をすれば、彼女は笑ってくれました。
ああ、こんな僕でも…人を笑顔にさせることができるんだなと、そう思いました。
「でも、結構李焔も、辛い思いをしてたのね。」
「そうでもありませんよ。戦争なんて、実際そんなモノでしょう。それに、辛いことばかりではありませんよ。」
そう、辛いことばかりでは―――なかった。
「だって――――恭子さんに、会えましたしね。」
しかし僕は忘れていた。
人の命とは儚く、更に恭子さんの命は―――もっと短いものなのだということを。
「私も―――李焔に会えて、よかった」
そんな貴女の笑顔は、あと何回見れるのだろう?